たいほう郡から一万二千里に邪馬台国はある、まつらまでで、一万里だから、作者の邪馬台国の位置イメージは、北九州だろう。
ただし、同時期に、飛鳥まきむくに、ヤマト国の植民地があり、東方諸国の
物産を集めて、北九州に送っていた。物資の流通は、一方的だから、
大都市が、北九州と飛鳥の二か所あったが、上位は北九州だ。
日向国もヤマト国は間違いないから、本国ヤマトから、人が侵攻して日向ヤマトを建国したのだろう。
日向ヤマトは次第に強国となり、瀬戸内諸国を支配下においたのが、瀬戸内諸国からの物資の流れがあることで、分かる。さらに年を経て、日向ヤマトは、飛鳥ヤマトを
占領したので、当初は、九州ヤマトと日向飛鳥ヤマトと二つのヤマトが存在したが、
結局飛鳥ヤマトに統合された。
出雲国を征服したのは、日向ヤマト。
日向ヤマトは、ヤマト本国を、天上の話にして、隠蔽。
日向進出を、天孫降臨話にねつ造し、
本国ヤマトを記した文書を探して、すべて燃やした。