邪馬台国畿内説 Part501
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邪馬台国畿内説のスレです。
※前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1511633822/l50
1、内乱の激しい中国や、2世紀末の倭国大乱の影響を避けるため、都を、大陸からより離れた奈良盆地の纒向にした。
大和は、瀬戸内海に近く、交通の要衝である。人口も多く、日本の中心に位置しており、都にふさわしい。
2、倭国の大乱は全国的な内乱である。その結果、3世紀には、中部日本と西日本とを統一する大和朝廷が成立した。女王国の出現は、このような広い領域を支配する国家の誕生であった。
3、卑弥呼が魏からもらった鏡は三角縁神獣鏡である。その証拠に、卑弥呼の時代である「景初三年」の銘が入っているものが出土している。
三角縁神獣鏡は、畿内から数多く出土するが、九州や関東からも出土するので、古墳時代の前、すなわち鏡が輸入された卑弥呼の時代には、大和の勢力が九州や関東に及んでいた、と見るべきである。
4、朝鮮から邪馬台国にいたる行程記述は、、伊都国以降も一直線に繋がったもの(順次式)と見るべきである。
不弥国から東は、船で行った。航路としては、瀬戸内海ルートだけでなく、日本海ルートを通った可能性もある。 この場合、投馬国として、出雲や但馬を比定する。
5、「女王国の東に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。」との記述は、
伊勢湾や琵琶湖を渡ったむこうにも、倭人がいたことを述べている。
他説も歓迎です カキコミは自由に語ってください
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なお個人攻撃や、不快感の与えるようなカキコミは止めて下さい
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できれば前スレを埋めてから書き込んでください。
※前スレ
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1520663879/ 高祖山から続く尾根で、すぐ南側の峰がクシフル山というそうです。
国土地理院の地図に載っていた時期もあるそうですが、現在は載っていないのだとか。
wiki 高祖山より抜粋
高祖山には南にもう一つの峰があり、これを「くしふる山」と呼んでいた、と推定される(文献には、「椚(クヌギ)〜、民家の後ろにあるをクシフル山と云ひしを誤りて椚と云ふに至れり」とある)[1]。
『糸島郡誌』福岡県郷土史叢刊(1927年) >>510
>高祖山には南にもう一つの峰があり、これを「くしふる山」と呼んでいた、と推定される
この「推定される」が曲者で、その根拠が検討できないんだよ
そして、「もう一つの峰があり」の部分、実際の山の稜線を見ても、
峰らしい峰は見当たらない
尾根の上下はあるが、こぶ程度のものに、わざわざ名前が付くとも思いにくい
クシフル山は、高祖山の別名という説明の方がまだ妥当性が高い 地元では実際に分けて呼んでいるからしょうがない。
ちゃんと文献も示したぞ。 ちょっとググると写真も出てくるね。
ttp://www.geocities.jp/rootsdiscovery/yamaichi9a.html
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。
また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。
ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。
つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。
というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
ここに卑弥呼はいないという事です。
アホの>>1
アホの>>1 ttps://tatsuo-k.blogspot.jp/2014/10/blog-post_27.html
こっちの写真も綺麗だな。
ページの一番最後に、クシフル山を東側に背にした高祖宮の写真がある。
魏志倭人伝にある、卑弥呼の王城の楼閣高くして云々というのもよくわかる。
しかも後世と同じような山城としての機能もあったとすれば、まさに筑紫の日向の高千穂宮の名にふさわしい。 山城になってるのなら築城前後で山頂の形状が変わってる可能性もあるけれどそれは調べてあるのかな 後世に何度も山城になっているから、その地形改変の影響が大きすぎるだろうね。
逆に言うと、山城を作るのに適していると言うことでもある。
何しろ、奴国と伊都国と博多湾を見下ろすことができる。
倭王の王城を作るのにこれ以上適した場所があるだろうか。 >>510
>「くしふる山」と呼んでいた、と推定される
という推測だったものが、いつのまにか
>すぐ南側の峰がクシフル山というそうです。
事実の伝聞であるかのように変わってるんだよね
人はこうやって自分の都合のいいように情報を上書きしてしまうから
時間軸に沿った事実関係の確認が歴史学では重要なんだよ 三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野(奴国)と西の糸島平野(伊都国)にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
博多湾と志賀島、対馬海峡に面し、奴国と伊都国を見下ろす高祖山こそ、筑紫倭国の王城である高千穂宮に相応しい。 >>513
>ちょっとググると写真も出てくるね。
そういうのは
「全部」
「九州説の人」が
「昭和以降」に
「作ったコンテンツ」で
まったく遡れないんだよ
九州説の人が作った文章を
別の九州説の人が根拠だと言って引用しているだけ >>515
>ページの一番最後に、クシフル山を東側に背にした高祖宮の写真がある。
その引用してくれたページの写真のキャプションにはこう書いてあるね
「甘南備型の高祖山。その山中には高祖神社、山麓には怡土城跡
どこかで見たことがある「国のまほろば」の佇まいがここにもある」
クシフル山とは書いてない
どこがクシフル山なんだい?
このピークが高祖山なのはいいんだが、となりに名前を付けるべきピークがない
https://1.bp.blogspot.com/-_uMVRajqRw4/VE9voekkvDI/AAAAAAABNDw/ucgQOEovU08/s1600/20141025-DSC_4619.jpg それ、最後の写真ではないよね。
最後の写真の中で、稜線の上に数本の木が飛び出ているところがある。
他のページで解説されていたが、そこがクシフル山と呼ばれるところだとか。
過去スレではピークの標高点で紹介してくれていた人もいた。 クシフル山の地図発見
ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~ganswing/itokoku_tanjo.html 少なくとも100年ほど前にはすでに古伝としてクシフル山の名称があった。
いつからあったのかは誰も知らない。
ただ、記紀に同じ名前の地名が王都の名として記されており、糸島平野もまた弥生王墓がある古き王都として知られている。
wiki 高祖山より抜粋
高祖山には南にもう一つの峰があり、これを「くしふる山」と呼んでいた、と推定される(文献には、「椚(クヌギ)〜、民家の後ろにあるをクシフル山と云ひしを誤りて椚と云ふに至れり」とある)[1]。
『糸島郡誌』福岡県郷土史叢刊(1927年) 引用文には、「椚」との呼び名について、
「クシフル」と呼ばれていたものからなまったのではないか、
と過去形で書いている
この時点で「クシフル」の地名があれば、
過去形の「いひしを」ではなく現在形の「いふを」と書かれるべきだと思うが ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 その当時ですでに古い読み方であるという認識があったから過去形なのだろう。
新しい名としての椚があるわけだし。
でもそれはクシフル山と過去に呼ばれていたことを否定する根拠にはならないからね? 空飛ぶ円盤の存在を否定する根拠にはならない程度にはな >>524
>クシフル山の地図発見
つ>>521
「九州説の人」が
「昭和以降」に
「作ったコンテンツ」で
まったく遡れないんだよ
九州説の人が作った文章を
別の九州説の人が根拠だと言って引用しているだけ
まんまだな 昭和2年(1927年)においてすでに古伝なんだけど。 >>523
>他のページで解説されていたが、そこがクシフル山と呼ばれるところだとか。
最初の>>509の質問を覚えているか?
「クジフル山なのか、クシフル岳なのか、はっきりしてくれ 」
で、この間のやり取りでも、>>524が引用している「九州説のコンテンツ」の
地図では「クシフル岳」と書いてあるのに、>>524は
「クシフル山の地図発見」と書いている
どっちなんだ?
何をこだわっているかというと、「岳」という字は日本の地名では、
かなり険しい山にしか使わない
一つの山塊のメインピークでもないところに、岳の字を使っている時点で、
日本の地名としてはありえないとまでは言えないが普通の感覚ではない
クシフル「岳」と言っている時点で、高祖山周辺にはなさそう、
というのが普通の解釈 >>528
>その当時ですでに古い読み方であるという認識があったから過去形なのだろう。
>新しい名としての椚があるわけだし。
>でもそれはクシフル山と過去に呼ばれていたことを否定する根拠にはならないからね?
いや、それ話が逆
名前は、「椚」しかないんだよ
クシフルという名は、その郡史が書かれた時点で「存在していない」
それを、記紀の神話と結び付けたい思惑で、「クシフル山と云ひしを誤りて」と
「書いてあるだけ」
これも「昭和になってから作られた話」だよ
以前は「クシフル」と呼ばれていた根拠は、実はどこにもない >>528
今、国土地理院の地図を見てきたら「椚」という地名は、山の名前ではなく
ふもとの集落の地名だね
どうしてこれを、山の名前としたのか、
さらにその上で、クシフルがなまったものとしたのか
謎は尽きないねぇww >>534
>というのが普通の解釈
あんたの「普通」は何の根拠になるんだ? >>535
>クシフルという名は、その郡史が書かれた時点で「存在していない」
>これも「昭和になってから作られた話」だよ
存在していたことはその当時に知られていたんだよ。
それに、昭和2年において古伝として出版されたのなら、昭和より前の話だろう。 ちなみに糸島郡誌には名称・旧跡や地名、地勢の紹介がなされているがクシフル山は立項すらされていない
また、斜め読みだが、例の引用箇所以外言及はなさそう クシフル山よりクシフル岳の方がカッコ良かったから、記紀の編纂時に変えたんじゃないかな?
特に日本書紀は、古事記で倭とあるところをわざわざ日本に書き換えるくらいだし。 そう言えば、古事記もついしばらく前までは、信用ならん偽書だとか言われてましたね。
都合の悪い文書はなかったか、信用できないというのがこの国の美しい伝統らしいです。 ああ、畿内説では今でも記紀のどちらも信用できないのでしたね。
筑紫から大和への進出などなかったと。 筑紫の日向のクジフル岳の高千穂宮と、大変細かく記録してあっても、それを意味がないと言い張りますから。 記紀に天孫降臨は日向国と書いてあるのに
筑紫バカは阿蘇山が福岡県にあると言い張る地理感のなさ >>541
>クシフル山よりクシフル岳の方がカッコ良かったから、記紀の編纂時に変えたんじゃないかな?
日本書紀の本文には、クシフル山もクシフル岳もない
日向襲之高千穗峯 槵日二上天浮橋立
「槵日二上天浮橋立」があるだけ
一書にはいろいろな表記があり
筑紫日向高千穗「槵觸之峯」
日向「槵日」高千穗之峯
日向襲之高千穗「槵日二上峯天浮橋」
日向襲之高千穗「添山峯」
となっている
クシフルと読めるのは「槵觸之峯」だけ
むしろ「槵日」の方が多い
古事記では
竺紫日向之高千穗之「久士布流多氣」
となっていて、これは「クシフルタケ」と読める >>547
>日向襲之高千穗「槵日二上峯天浮橋」
これって、たかすやまの二つのピークじゃないか?
あと、浮橋は志賀島に続く海ノ中道だな。 古事記と日本書紀では古事記の方が古い表記が多く、オリジナルに近いと思われる。 >>548
>これって、たかすやまの二つのピークじゃないか?
>あと、浮橋は志賀島に続く海ノ中道だな。
山なのか海なのかはっきりしてくれw
思いつきだけで語ってるのが丸分かりww >>549
>古事記と日本書紀では古事記の方が古い表記が多く、オリジナルに近いと思われる。
そうとも限らない
古事記は「一書(あるふみ)の一つ」という扱いだよ
一書の中の一つが古事記とほぼ同じという部分が多い
つまり、>>547でいえば、
筑紫日向高千穗「槵觸之峯」 が古事記準拠だってこと
これだけ筑紫が付いてることからも分かるでしょ? 日本書紀の一書
皇孫、於是、脱離天磐座、排分天八重雲、
稜威道別道別、而天降之也。
果如先期、皇孫則到筑紫日向高千穗槵觸之峯。
古事記
故爾詔天津日子番能邇邇藝命而、離天之石位、押分天之八重多那(此二字以音)雲而、
伊都能知和岐知和岐弖(自伊以下十字以音)、
於天浮橋、宇岐士摩理、蘇理多多斯弖(自宇以下十一字亦以音)、
天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣。(自久以下六字以音)。
きちんと対応してるだろ
逐語対応ではないけれど
日本書紀の「稜威道別道別」は、「いつのちわきちわき」と読むのが分かる ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>551
つまり古事記の方が古くて、日本書紀がそれを引用しているよね。
日本書紀は漢語への言い換えなどが目立つ。
オリジナルに近いのは筑紫の日向の高千穂のクシフル岳だ。 【筑紫の日向】
そもそも筑紫とは、博多湾を望む高千穂の日向峠周辺のことを指す言葉であったらしい。
それが拡大して博多湾沿岸から有明海沿岸や遠賀川沿岸まで含めるようになった。
こうして成立した倭国は、筑紫と豊国、肥国の連合国家、いわゆる邪馬台国連合であった。
福岡県の高祖山の最高峰は高地山、別名をクシフル山とも言う。
クシフルとは、チクシのフル(村落、国邑)の意味だそうだ。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、福岡県のクシフル山とするべきだろう。
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の筑紫日向なら朝鮮半島に向かう博多湾に面している。
最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
漢により冊封された王権の象徴としては他にガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。
伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、ニニギと木花開耶姫といわれる。
その拝殿である細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
伊都国の平原遺跡からは円周が八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土していて、ニニギがアマテラスから受け取った倭国の王権の象徴である八咫の鏡と考えられる。
高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、その中に高祖宮がある。これが記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の伊都が倭国の王都であり、天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の都である。 糸島のクシフル山も本当かどうか怪しい上に、あっても高祖山の最高峰ではないな
ウソばっかりだw 筑紫の日向のクシフル岳という呼称に一致する場所は他にないよ。
あと、高祖山連山の最高峰という説と第二峰という説がある。
件の写真で、稜線の上に木が飛び出ているところがそうだというのだが、つまり稜線を削ってあるのではないかな。 ほかにないから、ってのは選択肢が限られてる時だけに有効
それに高祖山にクシフルがなければ一致もくそもない
もっと論理的な思考と説明ができるようになるまで思索したら? 高千穂宮と伊都国がある筑紫の日向が倭の王都、女王国だということだよ。 その前に、日向峠という、国の名前でも集落の名前でもない「峠の名前一つ」だけで
伊都国が日向だと主張するのもいかがかと思うんだがな ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>557
>つまり古事記の方が古くて、日本書紀がそれを引用しているよね。
古事記の方が成立年が古いのは事実だが、古事記の記載が古いから正しいとは言えない
多くの伝承を集めた中の一つ、というのが日本書紀における古事記と同じ内容の一書の位置づけ
そしてそれは、公式な歴史である「本文」には採られなかった内容ということでもある ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>558
九州説って言うべきことに詰まると、すぐに長文コピペを貼りに来るよな ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>571
>多くの伝承を集めた中の一つ、というのが日本書紀における古事記と同じ内容の一書の位置づけ
古事記の方が古くて、日本書紀がそれを引用しているよね。
古事記の方をよりオリジナルに近い資料と考えるべきだ。 >>578
>古事記の方をよりオリジナルに近い資料と考えるべきだ。
日本書紀と比べて古事記が古いことをもって、オリジナルに近いというのは意味がない
古事記の他にも、「オリジナルに近い」「複数の伝承」があり、
その中から正史である日本書紀の本文が選ばれている、ということ
日本書紀の中では、古事記(に近い伝承)は、多くの伝承の中の one of them と
いう位置づけ
古いから正しいというものではない
同じことを何度も書くなよ! ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>582
>その中から正史である日本書紀の本文が選ばれている、ということ
根拠なし >>582
>同じことを何度も書くなよ!
デタラメを繰り返すなよ! >>586
>根拠なし
つ朕聞諸家之所賷 帝紀及本辭 「既違正實 多加虚僞」
當今之時 不改其失 未經幾年 其旨欲滅 斯乃邦家經緯
王化之鴻基焉 故惟撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉 >>587
>デタラメを繰り返すなよ!
でたらめ、思い込み、ただの思いつき は>>587の方
だから、根拠一つ挙げて反論できないww ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 >>595
>それを真に受けている?
で、日本書紀を編纂したチームで、とりあえずは「正史としての見解」を選び、
それを本文に記載して、一方で異伝も一書として記載してるんだよ そして、古事記(と同じ伝承)の内容は、多くの部分で
「あるふみ」とされていて、本文には容れられていない 「古事記の方が成立が古いから、オリジナルに近く信頼できる」というものではない ・偽スレを立てる
・他人に成り済ます
・ウソスレを立てる
・いずれも使い切らないのに複数立てる
・自演三昧
・しばらくするとほったらかし
は、誰がどう見ても異常
それを擁護するのも異常 日本書紀そのものが、意図的に歴史認識を改竄していることに注意しなくてはいけない。 だから、荒らしスレ立てを批判しない同類・共犯者は意見をいう立場にない >>603
>日本書紀そのものが、意図的に歴史認識を改竄していることに注意しなくてはいけない。
古事記と日本書紀は、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています