邪馬台国畿内説 Part346
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525372527/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>369
>>柳田が、ついうっかりしゃべってしまったから、証拠になる。<
>三雲のはTB期以降の福岡産<
弥生銀座の那珂八幡付近より古い、という事であれば、それで十分であり、
三雲が列島最古になる。 >>402
なら、柳田は言ってなくて
ザラコクが一人で自分の考えを言ってるだけ
じゃないか
アホクサ >>370
>>文献も考古も地理も算数も無知だから、<
>三雲を奴国の飛び地の入口というような考古学者はいない <
大和皇国史観の「南→東」などの嘘吐き騙しの詐欺師の考古学者の意見など、
始めから何の価信頼性も価値もない。 >>404
つまり、ど素人のじいさん75歳が
ただの思いつきを語ってるだけか
しかと理由もなく
ww >>371
>>松野氏姫氏系図の分析や史料批判を、何度か書いた事を<
>学者が取り上げていないから知らん<
始めから、「南→東」や「正北抵新羅」や「東征毛人五十五國」などの、
史料事実を否定曲解する嘘つき騙しの大和皇国史観狂の学者など、
何の信頼性も価値もなく、関心もない。
世間の人々に少しでも説明出来れば、それで十分。 >>381
>通常朱塗りの建物で水銀朱が使われているのは正面の正門の付近だけ
その他の大部分はベンガラの朱が使われていますね。<
成程。有難う御座います。 >>382
鉄鍛冶炉遺構の在る所が田舎で、鉄鍛冶炉遺構のない所が都会?
阿波を除く日本全国、都会ばかり? @阿波<
例えば、
今、以絳地交龍錦五匹、絳地suu粟kei十張、sen絳五十匹、紺青五十匹、答汝所獻貢直。
又特賜汝、紺地句文錦三匹、細班華kei五張、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、眞珠、鉛丹各五十斤
が与えられた所が、都であり、都会。 >>383
>>太宰府の観世音寺の石臼では、阿蘇などのベンガラを主として使っていたようだから、<
>朱が手に入らなかったようだね。
もっとも、大宰府時代ではさすがに若杉山辰砂も採りつくしていただろう。@阿波<
どなたかが?、
「通常朱塗りの建物で水銀朱が使われているのは正面の正門の付近だけ
その他の大部分はベンガラの朱が使われていますね」
と書いておられたし、
水銀朱を使っている所を探しているんなら、
出雲のような文身國や、毛人蝦夷の鯨面文身部族を探した方が早い、
だろう、と思うよ。 >>784
>6世紀後半から7世紀前半に福岡県、広島県、岡山県、島根県において
鉄生産があったことが明らかになっている。
九大伊都キャンパスの製鉄遺跡に於いては6世紀後半には砂鉄製錬が行われ、
隣接する谷間では、多数の炉跡が見つかり、
8世紀代には大規模な製鉄創業が推定されている。
8世紀に糸島半島には、
古代の「製鉄コンビナート」が存在していたと考えてもおかしくない。<
成程。よくご存じですね。 >>386
>何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。<
何がどう転んでも、
唐会要倭国伝の「正北抵新羅」によって、倭国は九州であり。
九州倭国の「自昔・・・東征毛人五十五國」に拠って、出雲と越と足摺の侏儒國を除いて、
瀬戸内〜近畿〜東海〜南関東は、東征将軍の支配地であり、
大和や阿波は、「南≠東」に拠っても、
旧小国の市を監督する大倭職の旧小国。 >>406
世間の人は素人老人に余計な説明されても迷惑でしょ >>377
>会稽海外の東鯷人を、「呉地だ」、と嘘を付いた。
会稽海外の東鯷人は「漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条」に書かれているから
呉地の範疇
南九州のことは呉地条には書かない
>考古なら、薩摩の上野原遺跡がある。
上野原に「以歳時來獻見云」を示す何が?
>古墳にも阿毎氏の伊都国系の要素を含んだものがある。
何が? >>387
>李賢は郭務悰の報告がなければ、
邪摩惟と書かれた郭務悰の報告というのは存在しない作り話
存在しないエビ養殖の投資詐欺などと同じ
>「邪摩惟」は、唐の李賢が「今名」として知り得た呼称だよ。
李賢が存在しない郭務悰の報告で知り得たと決めつけてしまっている
必ずこの民族は罵声で押し通そうとする、これをソント(声闘)と言う >>388
>日本では「畿内」は、現在でも、(普通名詞的な地域概念ではなく)
>「天皇が直接的に支配する近郊地域」
>という特殊な特定概念として使用されており、
それは反天皇思想の特殊な人がもつイメージ
かつての行政区分の畿内は天皇が東京に移った現在でも地域概念として使われている
近畿という地域呼称もかつての畿内とその周辺を含めた地域
>否定出来ないものであり、
だから九州王朝は説ではなく、歴史を愛好する趣味には不要な
「いかなる(日本の)権力、権威にも盲従せず」というスローガンを掲げた民族運動
>根拠にならないことを、ヘイトスピーチ連呼するだけというのは、
反日民族運動では、否定されるとヘイトスピーチを連呼する
>キョクウ学会教育界や、右翼マスコミや、皇国史観文部省や、
>靖国参拝の殺し合い戦争狂の安部自民公明政府人種の悪い習慣。
反日反天皇民族運動では日本人拉致事件は日本に責任があると主張している >>392
>「三国志を評価」している。
曹魏から禅譲された晋の司馬氏の時代の人の評価だから
晋の後の時代に三国志を評価したのは?と訊いても
この反日ジジイは毎度ズレたことを連呼する
>戦前の右翼皇国史観時代に造れば、
現代に作ったものは今日作ったものと同じ
>人種差別殺人戦争狂の・・・・皇国史観の教育機関で教育された
連呼、鸚鵡返し、ウソを言張るお前とは違う日本人社会 >>396
根拠が無いから提示できず、必ず鸚鵡返しと罵声連呼に走る >>397
>この男の引用は、都合の悪い記載をこっそり省いて、
お前は締め出されたYahooのシステムの癖がついているから
5chは行字数制限があり、全文引用しなくてもアンカにカーソル合わせるだけでいい
レス内のどの箇所への返答かわかる程度の引用をすればいい
お前みたいな柔軟性の無い脳のジジイが連投すると無駄に行数が増えて読みづらい
>清朝初期まで〜版本や写本が全くなかった、
そんなことは言ってない、考証版本について書かれている内容のことを言っている
お前の話はこれに限らず書いてないことや存在しないものをお前が勝手に作っている
>「本体」という文言が、「元の状態や実態」を示す文言である、
さすがに古田の集まりでも「本体」は使わんだろう、誰かに聞いてみな
正本のことを言ってるのか、本文なのかわからない >>391
>>呼称も場所も内容も違えば「別の国」である、
と言うのは、仮説や解釈ではなく、史料事実に付帯したもの<
>それを日本語で解釈というんだが<
「解釈」というような、「各自で異なる可能性が高いもの」ではない。
史料事実とほぼイコールな史料実態。 >>393
>政治思想に狂った人は歴史学に口をださないで下さい<
賛成。
「大和天皇家一元列島支配」説狂や、
近隣諸国への殺人戦争を鼓舞扇動ヘイトスピーチ狂のような、
大日本帝国憲法思想という「結論先にありき」の嘘吐き騙しの政治宗教思想に狂った、
大和説者や考古学者は、歴史学に口を出さないで下さい。 >>404
>考古学者の意見など、始めから何の信頼性も価値もない
であれば全ての考古資料は信頼できなくなる >>381
水銀朱は透過性が高いから何度も塗り重ね無ければ
木の地肌が透けてしまうので大量に必要になる
ベンガラは透けないので下地として塗られ
鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる
と日光東照宮などを修復している職人が解説していた >>398
>>いやどう見たって、記紀は半分偽系図だろう?。<
>記紀には系譜記事もあるが、系図じゃないよなww
日本書紀には系図一巻が付いていたという記録はあるが、 今に伝わってはいない<
国の歴史や支配者の交代や変遷を書いてあれば、歴史書である、とも言えるが、
記紀は、大和王権の支配家系を順番に記載して、その付帯説明を書いているから、
松野氏姫氏系図と殆ど変わらず、
系図伝承の造作記録だ。 >>399
まあ、「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説者の「真の目的」は、
畿内説スレでまともな議論が進むのを「妨害」し、
国民を、
大日本帝国戦争憲法に改悪するように、鼓舞扇動すること、
だからな。 >>400
>>九州倭國は、倭王武の時点でもまだ、中国の臣下である、というスタンス<
>倭王武は × 中国の臣下 ○ 宋朝の臣下 なんだから、過去の魏朝の薄葬礼に従ってたら、不敬に当たるよ
魏朝に徳が無くなったから滅んだっていうのが、易姓革命思想の基本<
魏朝にだけではなく、
壹與から後もずっと中国の臣下の形での朝貢を、倭王武の時まで継続しており、
梁書などに記載された、
「復立卑彌呼宗女臺與爲王、其後復立男王、並受中國爵命。
晋安帝時、有倭王賛。
賛死、立弟彌。
彌死、立子濟。
濟死、立子興。
興死、立弟武。
齊建元中、除武持節、督倭新羅任那伽羅秦韓慕韓六國諸軍事、鎭東大將軍。
高祖即位、進武號征東(大)將軍。」
であるから、
壹與のスタンスは、倭国が継続されたスタンス。 >>403
>なら、柳田は言ってなくて
ザラコクが一人で自分の考えを言ってるだけ じゃないか アホクサ<
いや、柳田は、
那珂八幡付近の庄内よりも、三雲の庄内の方が古い、
と、ついうっかりしゃべってしまった。 >>423
ザラコクは、紀・志・伝とか、紀伝体とか、編年体とか、知らないんだろうな
日本書紀は、日本書・紀 >>405
>つまり、ど素人のじいさん75歳が ただの思いつきを語ってるだけか しかと理由もなく
ww<
あれ?、何だったか?、このスレの継続の最初の頃に、
「全一病」とか「62病」とか書いていた男は、
wwだったのか。
だから、
つまり、「南→東」など嘘つき騙しの・・・・大和説者が、
分裂幻覚妄想でのただの思いつきを、語っていただけか。
しかと理由も根拠もなく。
ww >>425
>壹與のスタンスは、倭国が継続されたスタンス。
だからザラコクはバカだって言われるんだって!
易姓革命の思想では、新しい王朝は前王朝が徳を失ったから現われるのであって、
禅譲の形を取ったとしても、基本的には前王朝は新王朝から見て「敵」
自分の王朝に朝貢してきた者が、前王朝の出した令に従って、
前王朝の臣下だという立場に立つなら、それは「敵」だと認識されるしかない
つまり、宋朝に朝貢している倭の五王が、それより前の王朝・魏朝の出した薄葬礼に
従っていたら、それは宋朝には魏朝ほどの徳がないと言っているのも同然で、
不服従の証みたいなものだぞ
そんなはずがないだろ?ww >>428 残念ながら>>405はオレの書き込みじゃないんだww
ついでに言うと、127,163,166,181,197,303,304,343,344,405も全部オレじゃない
オレの書き込みは、>>398、>>399、>>400とかだよ
相変わらず、何も分からず、何も見極められずに返信してるんだな、ザラコクはww >>428
で、周朝や呉王夫差の後裔が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周朝や呉王夫差の後裔が渡来定着したとウソブているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
早く言えよおまえ! >>413
倭人は燕地条にあるなあ、燕地の範疇だったんだ >>412
世間の人は、
「南→東」などの史料事実の否定曲解をする嘘つき騙しの皇国史観狂の大和説学者に、
余計な説明されても、迷惑でしょ。 >>413
>>会稽海外の東鯷人を、「呉地だ」、と嘘を付いた。<
>会稽海外の東鯷人は「漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条」に書かれているから
呉地の範疇 南九州のことは呉地条には書かない <
倭人の場合も、「在帶方東南大海之中」であり、「依山島爲國邑」であって、
「帯方」の地ではないから、
「呉地条」に書かれたから、と言って、呉地ではない。
また、普通は、帶方東南大海之中の「大海之中」よりも、会稽海外の「海外」の方が遠い。
>>考古なら、薩摩の上野原遺跡がある。<
>上野原に「以歳時來獻見云」を示す何が?<
上野原遺跡には、ないよ。
漢書や海賦の記載だけ。
>>(宮崎の)古墳にも阿毎氏の伊都国系の要素を含んだものがある。<
>何が?<
伊都国系の神武らの「東征毛人」地と思われる、
同じ阿毎氏の大和と、前方後円墳などに類似が見られる。 >>434
中傷大好き政治家思想狂い老人の流言飛語が社会の迷惑 >>429
>禅譲の形を取ったとしても、基本的には前王朝は新王朝から見て「敵」
アホだな。
禅譲なら、革命ではないから、新しい王朝は前の王朝との外交関係を基本的に継承するんだよ。 >>435
>倭人の場合も、〜「帯方」の地ではないから、
倭人伝は「三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人」
>上野原遺跡には、ないよ。
だから、漢書の「以歳時來獻見云」を示すような考古学的出土物が無い
>伊都国系の〜前方後円墳などに類似が見られる。
だから、弥生後期以降〜卑弥呼の頃までに投馬國になっていたことを示すような
北部九州と南九州の交流を示すものが無い >>414
>李賢は郭務悰の報告がなければ、
後漢書注に「今名邪摩惟」だ、という断定を書けない<
>邪摩惟と書かれた郭務悰の報告というのは存在しない作り話
存在しないエビ養殖の投資詐欺などと同じ<
李賢が、隋書に「邪靡堆」にも拘わらず、
後漢書注に「今名邪摩惟」だ、という断定を書けるのは、
倭國から戻ったばかりの郭務悰らの報告を見た、という事しかない。
>>「邪摩惟」は、唐の李賢が「今名」として知り得た呼称だよ。<
>李賢が存在しない郭務悰の報告で知り得たと決めつけてしまっている<
勿論、可能性が極めて高い推定。 しら、おしらさま、天白、しらひ、
しらが重要なキーワードな気がするんだけどなぁ
詳しい人いないかな >>439
>倭國から戻ったばかりの郭務悰らの報告を見た、という事しかない。
だからそれは根拠を示すことができない仮説
福岡には7世紀にも残っていたような「ヤマイ」という地名はない
>可能性が極めて高い推定。
詐欺師は皆そう言う >>415
日本では「畿内」は、(普通名詞的な地域概念ではなく)
「天皇が直接的に支配する近郊地域」という特殊な特定概念として使用されており、
天智が天皇になる前には、大和周辺には存在しなかった文言であり、
だから、天智以前の議論で、畿内が存在したかのような言い方で論を立てる事は、
嘘つき騙しの詐欺になる。
根拠にならないことを、ヘイトスピーチ連呼するだけというのは、
キョクウ学会教育界や、右翼マスコミや、皇国史観文部省や、
靖国参拝の殺し合い戦争狂の安部自民公明政府人種の悪い習慣。 >>440
シラスはシロシメスと同じで、支配するという意味だろう。
筑紫は白日別ともいい、天下を知ろしめす国という意味だよ。 >>442
>天智以前の議論で、畿内が存在したかのような言い方で論を立てる事は、
畿内説はそういう説ではないから、現代でも使われ日本人に認知されている地域概念
特殊な反日反天皇民族集団の好き嫌いは日本の歴史とは一切関係ない >>416
>晋書の筆者も「三国志を評価」している。<
>曹魏から禅譲された晋の司馬氏の時代の人の評価だから
晋の後の時代に三国志を評価したのは?と訊いても この反日ジジイは毎度ズレたことを連呼する<
晋書の筆者は、唐代の人だから、はるか後代だよ。
後は、意味の分からん・・・・記載だから、放置。 『天王宮 山王院』
いつの時代の人物だと書いてある?
かなーり昔、古代の人物がいるでしょ >>445
で、周王朝や呉王夫差の後裔が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が渡来定着したとウソブているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! ここにいたのか、住んでいたのか・・・
と天王宮のところまで、誰かが来たのかな
探しに来たとか 畿内説はすぐに後世のことを根拠もなく持ち出して邪馬台国を説明しようとする。 >>445
>晋書の筆者は、唐代の人だから、はるか後代だよ。
「昔漢武帝詔曰 司馬相如病甚 可遣悉取其書 使者得其遺書 言封禪事 天子異焉
臣等案 故治書侍御史陳壽作三國志 辭多勸誡 明乎得失 有益風化
雖文艷不若相如 而質直過之 願垂採録」
は晋書の筆者の言ではない、范頵等の上表 後に京都のほうから〜・・・
授かった(官職など)と書いてあったでしょ >>417
排他的人種差別の殺人戦争の国粋大和皇国史観の・・・・らは、必ずと言ってもよく、
根拠を付けて反論して上げても、都合の悪いものは伏せて隠して、
言葉尻の切り取って、それを曲解して、
それで、鸚鵡返しと罵声連呼に走る・・・・詐欺師。 天王宮 山王院
寺院に通ったりしていたという話でしょ、
何の家なんだろう、出家したりした家? >>452
>根拠を付けて反論して上げても、
根拠ではなくご都合主義の我流解釈
自分の解釈が絶対的に正しいから根拠になると言張って連呼しているだけ 『天王』調べてみると、
何か、おかしな話になってくる >>421
>>考古学者の意見など、始めから何の信頼性も価値もない <
>であれば全ての考古資料は信頼できなくなる<
いや、何度も言って来た事。
発掘事実や文献史料事実の提示自体は、ある程度信頼出来るが、
「南→東」などの嘘つき騙しである事が判ってしまった考古学者の、
発掘事実に対する解釈や説明は、信頼性が低い、
という事。
だから、嘘つき騙しの大和説者の、解釈や説明は、信頼性が殆どない。 >>452
>鸚鵡返しと罵声連呼に走る
日本ではYahooを締め出されたお前だけ 天王の宮(家?)で、
▢▢力夫氏、パトラのような名前
どういう事なんだろう >>422
>水銀朱は透過性が高いから何度も塗り重ね無ければ
木の地肌が透けてしまうので大量に必要になる
ベンガラは透けないので下地として塗られ
鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる
と日光東照宮などを修復している職人が解説していた<
成程。
勉強になります。 >>456
実見も研究もしてないど素人が都合よく解釈してるだけ
古田が反日運動のために九州王朝を思いついたころとは
はるかに研究が進んだので日本人学者を全否定しなければならなくなった
今は穢い罵声の連呼だけで日本人に嫌がらせをするだけになってしまった >>429
壹與〜倭の五王らのスタンスは、
中国の易姓革命などには関係がなく、
倭國の上部組織としての中国という国が継続されている、
というスタンス。 >>459
>成程。
勉強になります。
水銀朱の稀少さと貴重さの勉強になったようだね。 @阿波 実際は家の話のような気がするんだけど、
キュウリの葉、葱の華・・・など、
白い制服のようなものを着ている子供 合致している
電気、発電が何やらという話、インドラ? wiki『天王』
・すさのお(謎の刀の話)
・牛頭(何者にもなれない お前たち。それと、おうし座?)
・転輪聖王(読んでみると、わかるインドラ)
・
・ >>462
水銀朱とベンガラは一緒に使われるってことですね
ベンガラも丹なんですねw それにしても、家の老婆なんだよ、
そのような本なども持っていないのに、
なぜ詳しかったのか
むかーし住んでいた家には、
本や書なんかが沢山あったと言っていたり >>422
>鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる
漆と混ぜたら色が濁るだろ
上塗りするなら水銀朱だけじゃないの?
漆は下塗りでは??? 妹:5月15日生まれ・・・おうし座(金牛宮)
偶然にしては、おかしい オリオン(オライオン)
メタリカが何やらと言っている人がいたり いま(現在)の話ではないんだけど、
蚕を飼い、機織り・・・をしていたことがあったんだよと言っていたりw
星座関係の話 >>472
「阿波の神様 大宜都比売」
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。 @阿波 この「阿波の神様 大宜都比売」のような話は畿内や九州にはないんだよね。 @阿波 >>468
顔料は漆と混ぜないと塗れないよ
赤漆は縄文時代から土器や櫛が見つかっている 赤漆 セキシツ .
デジタル大辞泉の解説
せき‐しつ【赤漆】
漆工芸で、木地を蘇芳(すおう)で染めてから透明な漆を塗る技法。また、その漆器。後世の春慶塗と同系統の技法で、木目の美しさをみせるもの。奈良・平安時代に流行した。 >>479
漆工芸の製法ですね
建物に塗る場合の話なんですけど
金箔を貼るのには下地に漆を塗ってから貼るけど
丹塗では膠水(にかわすい)を使うみたいだよ。 >>477
代用品ではないよ
水銀朱、鉛丹、ベンガラの丹塗があるよ。 >>484
水銀朱が丹波。
鉛丹は色の違うまったくの別物。
ベンガラは丹の代用品。 丹とは元々は赤土のことを指していたが
赤土が赤の顔料に用いられたことから赤い顔料を丹と呼ぶようになり赤が丹色となり
赤い水銀朱や鉛丹、べンガラも丹と呼ばれるようになったんだよ
水銀朱=丹なんて主張は変ですよ。 3世紀の魏志倭人伝の書かれた時代の丹の意味は赤土、赤の顔料で
それが後漢書の書かれた5世紀には赤土の意味が薄れて赤い顔料の意味が強くなったんで
後漢書では丹が赤土であることを示す為に「所其山有丹土」と土を付けたんだよ。 甲骨文字では丹の形が井戸の井と似た形をしていて井戸を掘って赤土を採取するところから来ているんだよ。 >>412
世間の人は、「南→東」などの史料事実を否定曲解する嘘つき騙しの、
信頼性が全くない大和説者や大和説学者らに、
余計な説明されても迷惑でしょう。 丹という漢字は丹砂の鉱石を採掘する井戸の象形
辰砂は鉱石鉱物、ベンガラは土に含まれる酸化鉄 今でも丹には水銀朱、鉛丹、ベンガラがあるよ
丹は赤土の意味から、赤の顔料の意味になったから丹には色々な種類があるんだよ
丹塗り
http://www.konishi-da.jp/jigyou/ninuri.html >>494
辞書を書いた人の解釈によって違いますね
別に辰砂の井戸と限定せずに赤土としてる辞書もありますよ
要は辰砂に限らず井戸を掘って赤い土を取るってことですね。 >>435の追記
>会稽海外の東鯷人は「漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条」に書かれているから
呉地の範疇 南九州のことは呉地条には書かない <
漢書では、
倭人も、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」であり、
東鯷人の「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と同じ文体であり、
当然、「対」になるように意識されて書かれており、
倭人は、楽浪の方が位置説明し易いから、楽浪により近い所におる事になり、
東鯷人は、会稽の方から見た方が位置説明し易いし、
(海中ではなく)「海外」だから、
会稽沖遠くの九州南部〜琉球列島付近にある国だ、という事になる。 >>436
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘吐き騙しで、
排他的人種差別的ヘイトスピーチ中傷大好きで、
国粋大和皇国史観の政治家思想狂い老人の流言飛語が、
国民にも社会にも迷惑。 >>499
漢書では、燕地条の倭人と呉地条の東鯷人を区別している
魏史倭人伝は倭人について書かれた伝だから
勝手に一緒にしてはいけない
>会稽沖遠くの九州南部〜琉球列島付近にある国だ、という事になる。
そんなこと書いてない
だから考古学的に「以歳時來獻見云」を示すようなものが出ないといけない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています