邪馬台国畿内説 Part346
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525372527/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>438
>倭人伝は「三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人」
上野原遺跡には、ないよ。
>だから、漢書の「以歳時來獻見云」を示すような考古学的出土物が無い <
漢書では、
倭人は、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」であり、
東鯷人の「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と同じ文体であり、
倭人も倭奴國王の來獻見が記録され、
東鯷人にも、海賦に(後漢最末期)に「序に就いた」という記録があるから、
考古学的な出土はなくても、東鯷人にも「以歳時來獻見云」があったんだろうね。 >>441
>>(李賢が「今名邪摩惟」と断定して書けるのは)
倭國から戻ったばかりの郭務悰らの報告を見た、という事しかない。<
>だからそれは根拠を示すことができない仮説<
他にないから、ほぼ断定出来る推論であり、仮説ではない。
>福岡には7世紀にも残っていたような「ヤマイ」という地名はない<
李賢が「今名邪摩惟」と断定したから、ある。 >>444
>>天智以前の議論で、畿内が存在したかのような言い方で論を立てる事は、
嘘吐き騙しの詐欺<
>畿内説はそういう説ではないから、<
3世紀の頃に「畿内=天皇が直接的に支配する地域」があった、と言えば、
そりゃ、嘘つき騙しになる。 >>505
>ほぼ断定出来る推論であり、仮説ではない。
>李賢が「今名邪摩惟」と断定したから、ある。
そういうことを言張るだけだから学者も相手にせず
今ではマスコミも行政の相手にしていない
掲示板で嫌がらせだけ毎日やっている
日本人社会には無い習慣 >>507訂正
マスコミも行政も相手にしていない ○ >>450
>>晋書の筆者は、唐代の人だから、はるか後代だよ。<
>「昔漢武帝詔曰 司馬相如病甚 可遣悉取其書 使者得其遺書 言封禪事 天子異焉
臣等案 故治書侍御史陳壽作三國志 辭多勸誡 明乎得失 有益風化
雖文艷不若相如 而質直過之 願垂採録」<
は晋書の筆者の言ではない、范頵等の上表 <
晋書が、
「范頵等の上表で三国志を褒めたたえた」事を紹介記載した、
という事は、
唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。 >>506
>3世紀の頃に「畿内=天皇が直接的に支配する地域」があった、と言えば、
言っていないから日本人間では何も議論にはなっていない >>509
>唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。
示していない
晋では評価が高かったことがわかる
つまりは晋の司馬氏にとってはとても都合がよい書であった >>460
>実見も研究もしてないど素人が都合よく解釈してるだけ<
ド素人でも、
周髀算経の「日の出日の入りでの8尺棒の影端を結んで東西を決める」方法を読めば、
魏の役人たちが「東西南北を間違えない」というは直ぐに判り、
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説学者らは、
・・・・アホの詐欺師であった、という事も直ぐに判る。 >>512
伊都国が糸島なら
東南になってるから棒切れの影は使っていない >>466
>水銀朱とベンガラは一緒に使われるってことですね
ベンガラも丹なんですねw<
それと、魏志に書かれていた「丹木」とは、「漆」の事かも知れませんね。
前から「丹木」とは奇妙な呼称であったんですが、
「植物性の顔料」材料、という意味であったんでしょうか?。 >>468
>>鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる<
>漆と混ぜたら色が濁るだろ
上塗りするなら水銀朱だけじゃないの?
漆は下塗りでは???<
漆は、おそらく、朱の顔料の固定剤なんでしょうね?。 >>514
丹で揉めていますね。
しかし、いずれにせよ、卑弥呼の時代に「辰砂」採掘をしていたのは、全国唯一「倭国(阿波)」だけ。
ほかにどこもないんだから、どうしようもないでしょ。
大陸との交流が確認され、辰砂を採掘していた事実。
まさに、動かぬ「其山有丹」。 @阿波 >>498
古文を現代の辞書で解釈しようなんて馬鹿ですかw >>502
>漢書では、燕地条の倭人と呉地条の東鯷人を区別している<
山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」と書かれていたし、
その倭人が半島南岸〜九州北部に移住して来たから、楽浪からの位置表記になった。
それに対して、東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
それから琉球列島〜南九州に広がったから、会稽海外、と説明された。 >>511
>>唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。<
>示していない 晋では評価が高かったことがわかる
つまりは晋の司馬氏にとってはとても都合がよい書であった<
はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、
唐代にも、陳寿の三国志を称賛する学者がいた、
という事を示す。 >>513
>伊都国が糸島なら 東南になってるから棒切れの影は使っていない <
唐津付近から伊都国は、
途中の出っ張った山で隠れて見えていないから、
目的地方向も判らず、
その事からも、
「東南陸行五百里」の「東南」は、出発時点での「出発方向」である事になる。 何かうまいものはあるかい?
風光明媚かい?
一度は行って見たいが、平原にもまだ行ったことがない。
ていうか、九州は遠いなあ。 博多なら新幹線も空港もアクセス良好だけどね。
レンタカーかタクシーで県道49号線を辿れば、
須久(奴国)→吉武(旧伊都)→三雲(伊都)→深江(末蘆上陸地)
を観光できるよ。 >>523
現地に立った感覚を語るなら
それではダメ >>487
>後漢書では丹が赤土であることを示す為に「所其山有丹土」と土を付けたんだよ。
それ嘘だから
後漢書
出白珠青玉 其山有丹 土氣温腝 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲
魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
倭地温暖冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲
魏志倭人伝の倭地温暖を土氣温腝に書き換えているだけ
「土氣」は土地の気候くらいの意味
三国志魏書東夷伝韓で「土氣寒」という表現がある
魏志倭人伝で3つに分かれていた表現をひとまとめにしたときに
其山有丹と土氣温腝がくっついただけだよ
ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい >>514
>前から「丹木」とは奇妙な呼称であったんですが、
丹木は山海経に出てくる
丹があって丹水が流れるほとりにある木
要するに神仙郷にある空想上の木だよ、元々はね まぁ、いずれにせよ、稀少で貴重な辰砂が唯一、倭国(阿波)でしか採れないってこと。
まさに、魏志倭人伝 伝えるところの「其山有丹」。 @阿波 >>535
倭国の山では辰砂が採れますよ〜 @阿波 >>516
>丹で揉めていますね。
しかし、いずれにせよ、卑弥呼の時代に「辰砂」採掘をしていたのは、全国唯一「倭国(阿波)」だけ。
ほかにどこもないんだから、どうしようもないでしょ。
大陸との交流が確認され、辰砂を採掘していた事実。
まさに、動かぬ「其山有丹」。 @阿波 <
魏志倭人伝では、「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」や、「其山有丹」や、
魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、
「丹=水銀朱」とは書かれていない。
だから、水銀朱だけだ、を騒ぐ阿波は、×。 >>537
>魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、
博多湾沿岸には、辰砂はおろか、「鉛丹」や「丹木?」さえも無い。 どう仕舞つけるの? @阿波 >>519
また、「近隣諸国民蔑視」の排他的殺戮的な・・・・極右の、
大和説仲間が出て来たらしいな。 >>531
「南→東」の騙しや、
宋書の倭国の「東征毛人五十五國」や、唐会要倭國伝の「正北抵新羅」を無視する、
大和説者は、うそつき。 >>532
>キナイコシも畿内の話したらいいじゃん?<
「畿内」なんて、なかったものを「あった」もののように使えば、
そりゃ、「結論先にありき」の循環論法と同じであり、
嘘つき騙しの詐欺師だ、という事になるね。 >>535
>「其山有丹」=倭国の山には丹がありますよ〜<
そうですんね。
唐会要倭国伝には「正北抵新羅」と書いていますから、
倭国は九州であったんであり、
「其山有丹」の「其山」も、魏使らが訪れた九州だ、
という事になりますね。 >>538
>>魏志倭人伝では、「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」や、「其山有丹」や、
魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、
「丹=水銀朱」とは書かれていない。<
>博多湾沿岸には、辰砂はおろか、「鉛丹」や「丹木?」さえも無い。
どう仕舞つけるの? @阿波 <
唐会要倭國伝の「正北抵新羅」に拠って、倭國は九州にあった。
山海経の「丹」の記録を知っている魏使らは、九州に来て、
九州の「丹」の状態を幾つも実見した。
そして、松浦川上流に丹山があり、あちこちの火山にベンガラを見知っていた。
それで十分。 >>536
後漢書だと「其山有丹土」=倭国の山には赤土がありますよ〜 >>519
>山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」
山海経の内容はそのまま事実として受け入れることはできない
>東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
>それから琉球列島〜南九州に広がったから、
その仮説の考古学的根拠がない >>520
>はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、
晋書が陳寿を褒めているわけではない >>521
東松浦半島からも、前原からも相互に肉眼で見える
恣意的に山で隠れて見えていない状況だけの作り話で
無理やり無駄な出発方向にしてしまっている >>545
>後漢書だと「其山有丹土」=倭国の山には赤土がありますよ〜
>>529を再掲
それ嘘だから
後漢書
出白珠青玉 其山有丹 土氣温腝 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲
魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
倭地温暖冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲
魏志倭人伝の倭地温暖を土氣温腝に書き換えているだけ
「土氣」は土地の気候くらいの意味
三国志魏書東夷伝韓で「土氣寒」という表現がある
魏志倭人伝で3つに分かれていた表現をひとまとめにしたときに
其山有丹と土氣温腝がくっついただけだよ
ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい >>549
古田も現地を知らずに道標ナントカを考案したからな
松浦川の存在を忘れた大馬鹿説になってる >>544
魏使らは、東西南北を間違える筈がなく、「南≠東」であり、
畿内なんて存在しなかったから、
大和説人間は×。 >>547
>>山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」<
>山海経の内容はそのまま事実として受け入れることはできない<
古代文献の説明は、
その説明を否定する絶対的な証拠がない限り、
その古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。
>>東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
それから琉球列島〜南九州に広がったから、<
>その仮説の考古学的根拠がない<
自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、
否定に関しても肯定に関してでの考古学的根拠が全く存在しない事は幾らでもあり得、
考古的な情報がなくても、その記録を否定抹殺する事が出来ない。 >>548
>>はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、<
>晋書が陳寿を褒めているわけではない<
陳寿や三国志に「価値がある」と考えたから、晋書筆者は、「陳寿伝」を立てた。
「価値がない」と思ったのなら、一介の史官に過ぎない陳寿の伝など、立てる筈がない。 >>554
>古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。
山海経は後世に再編成されて元の本文ではない
>自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、
南九州人が東鯷人だと書かれた文献などない
だから、考古学的に推測しうるものがあれば仮説は立てられるが、無い >>549
>東松浦半島からも、前原からも相互に肉眼で見える
恣意的に山で隠れて見えていない状況だけの作り話で
無理やり無駄な出発方向にしてしまっている <
東松浦半島という広大な地域を、
一大國からの到着町にする事自体が、頭がおかしい。
到着上陸地としては、唐津が最も適切。
その唐津からは、後背地の山の上にでも登らない限り、
糸島水道付近は見えない。 >>550
>ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい<
丹土は、水銀朱だけでベンガラはない、なんて、
ちゃんちゃらおかしい。 >>552
>古田も現地を知らずに道標ナントカを考案したからな<
当然、案内人や道しるべの存在無しには、
魏使らだけでは初めての地では迷子になったしまって、殆ど進めないもの。
>松浦川の存在を忘れた大馬鹿説になってる<
河口の平原地域では、当然松浦川は砂州状態や三角州状態の浅瀬になっていて、
浅瀬を選んで渡河可能。 >>555
>陳寿や三国志に「価値がある」と考えたから、
三国志が価値が無いのではない
曹魏を正当とした立場で書かれていることで後世では評価が低かった
晋代に書かれた記録として晋代を知る史料価値はある
評価が低かった結果、考証されることもほとんどなく、版本も僅かしか残らなかった
清代初期に残った版本には正すべき箇所が少なからずあった
清代の校勘後でもまだ、紹煕本や写本の断片によって訂正されうるということ >>557
>東松浦半島という広大な地域を、
>一大國からの到着町にする事自体が、頭がおかしい。
この頭のおかしいジジイは何かまた勘違いしている
唐津に行くには東松浦半島の沿岸航行しなければならない
唐津からは糸島半島は北東に見える
前原からも東松浦半島は見えるから、
どこを通ってどの方向に来たかくらい当然確認できる
しかし記載された方位は間違っている >>556
>>古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。<
>山海経は後世に再編成されて元の本文ではない <
不可知部分が殆どである自然や歴史の情報としては、
再編成された不完全なものであっても、十分情報価値がある。
>>自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、<
>南九州人が東鯷人だと書かれた文献などない <
「『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 自呉至黄支」に書かれ、
「『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬」に書かれた、
「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」と対応する形で、
「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と書かれていれば、
東鯷人は倭人の南の方にいた、という事になり、
「琉球〜南九州」と比定して十分。
>だから、考古学的に推測しうるものがあれば仮説は立てられるが、無い<
ある。 >>560訂正
晋代を知る史料価値 → 魏晋代を知る史料価値 >>562
>再編成された不完全なものであっても、十分情報価値がある。
いろんな意味で価値はあるが、
そのままを事実として受け入れることはできないと言っている
>東鯷人は倭人の南の方にいた、という事になり、
>「琉球〜南九州」と比定して十分。
また自論が絶対正しいと言張るだけになってしまっている
そういうのは作り話連呼の会の茶話会だけでやれ >>559
また現地を知らないで妄想してるんでしょ
ぜんぜん現実と違うよ >>560
>>(晋書は)陳寿や三国志に「価値がある」と考えたから、<
>三国志が価値が無いのではない<
お前は、晋書は三国志が価値がないとした、と言った。
>曹魏を正当とした立場で書かれていることで後世では評価が低かった<
唐代の晋書は、陳寿や三国志の価値を認めたから、「陳寿伝」を立てた。 >>566
>お前は、晋書は三国志が価値がないとした、と言った。
晋書には晋当時の人の陳寿評価は書いてあるとは教えてやった
お前はYahooでも5chでも論文でも常に勘違いをしている
冷静に理解する能力が非常に低い、それは火病も一因になっている
>唐代の晋書は、陳寿や三国志の価値を認めたから、「陳寿伝」を立てた。
晋書自体は、なんでも載せていると評価されている >>561
>>(この男は)東松浦半島という広大な地域を、 一大國からの到着町にする、
という事自体が、頭がおかしい。<
>この頭のおかしいジジイは何かまた勘違いしている
唐津に行くには東松浦半島の沿岸航行しなければならない
唐津からは糸島半島は北東に見える<
糸島半島が見えたって×。伊都国は、どこか?は全く分からない。
>前原からも東松浦半島は見えるから、<
前原〜平原〜付近からも、唐津は見えない。
>どこを通ってどの方向に来たかくらい当然確認できる<
見えなければ、確認する事も、確認する必要もない。
>しかし記載された方位は間違っている<
(次の目的地方向方向ではなく)出発方向記載であるから、ほぼ合っており、
間違っているんではない。 >>564
>>(山海経)再編成された不完全なものであっても、十分情報価値がある。<
>いろんな意味で価値はあるが、 そのままを事実として受け入れることはできないと言っている<
(100%の完全否定抹殺ではなく)、確率的に受け止めればよい。
>>東鯷人は倭人の南の方にいた、という事になり、 「琉球〜南九州」と比定して十分。<
>また自論が絶対正しいと言張るだけになってしまっている
そういうのは作り話連呼の会の茶話会だけでやれ<
また「都合の悪い史料事実の100%絶対否定抹殺」になってしまっている。
そういうのは、オーム真理教内や、
キョクウの・・・・大和説学宗教学者の会などの中、だけでやれ。 >>568
>糸島半島が見えたって×。伊都国は、どこか?は全く分からない。
前原に着いたときでも、帰るときでもわかる
>前原〜平原〜付近からも、唐津は見えない。
前原の加布里漁港からも海岸線からでも東松浦半島が見えるから
通ってきたその付け根の方位は大体わかる
>見えなければ、確認する事も、確認する必要もない。
お前は、見えない、見ない、確認しない特殊な状況を想定している
>出発方向記載であるから、
ある場所の位置を、行ったことがない人に説明するのに、
出発方向だけ教えるのは特殊な古田の会くらい >>569
>確率的に受け止めればよい。
確立は他の文献史料がいくつもないとわからないから
考古学的な裏づけが必要になる
>また「都合の悪い史料事実の100%絶対否定抹殺」になってしまっている。
反日有害民族運動団体の連呼する史料事実というのは
書いてないことを自分達の解釈が絶対的に正しいと言張り
否定されると罵る集団であるので
古田はオウム真理教の麻原彰晃と基本的に同じ >>567
>>お前は、晋書は「三国志が価値がない」とした、と言った。<
>晋書には晋当時の人の陳寿評価は書いてあるとは教えてやった<
お前に教えて貰ってなどいない。以前の議論でとっくに読んで知っていた事。
>冷静に理解する能力が非常に低い、それは火病も一因になっている<
お前は、キョクウの排他的殺人的人種差別戦争の国粋大和皇国史観宗教にクルって、
冷静に理解する能力が非常に低い。
それも、・・・・アホな「何でも断定論」の一因になっている。
>>唐代の晋書は、陳寿や三国志の価値を認めたから、「陳寿伝」を立てた。<
>晋書自体は、なんでも載せていると評価されている<
晋書が「全ての人物の伝を立てる」という事は、当然やっていない。
当然、必要だ、と思った人物の伝を立てている。
だから、お前の「なんでも載せていると評価」というのは、嘘つき騙しであり、×。 反日有害民族運動団体の連呼する史料事実というのは
書いてないことを自分達の解釈が絶対的に正しいと言張り
否定されると罵る集団であるので
畿内説は○○教の○○と基本的に同じ >>570
>>糸島半島が見えたって×。伊都国は、どこか?は全く分からない。<
>前原に着いたときでも、帰るときでもわかる <
前原からも、唐津は見えない。
>前原の加布里漁港からも海岸線からでも東松浦半島が見えるから
通ってきたその付け根の方位は大体わかる<
(前原ではなく)加布里漁港にすり替えるインチキをすりゃ、
唐津が見えるか?見えないか?位。
>>見えなければ、確認する事も、確認する必要もない。<
>お前は、見えない、見ない、確認しない特殊な状況を想定している <
見えなければ、「目的地方向記載だ」という説は、始めから破綻していた事になる。
>>出発方向記載であるから、<
>ある場所の位置を、行ったことがない人に説明するのに、
出発方向だけ教えるのは特殊な古田の会くらい<
全く知らない土地の行程説明では、出発方向の指定が最も必要であり、
それを知らなくては、後に来た使節らは、出発すらできなくなる。 >>572
>以前の議論でとっくに読んで知っていた事。
お前と議論している者はいない
ウソの連呼を正しているだけ
それをまた勘違いしてウソを覚えるのがお前
>「何でも断定論」
何でも断定して、それを根拠としているのが
差別連呼商売民族集団がやっていること
>「全ての人物の伝を立てる」という事は、当然やっていない。
何もしてない人物の伝を立てることはない
実際唐代や清代の歴史家から酷評されている >>571
>>確率的に受け止めればよい。<
>確立は他の文献史料がいくつもないとわからないから<
単一孤立史料でも、大体の確率は幾らでも推定出来る。
>考古学的な裏づけが必要になる<
考古学的な裏づけがなくても、史料批判によって、大体の確率の推定は、可能。
>>(この男は)また「都合の悪い史料事実の100%絶対否定抹殺」になってしまっている。<
人種差別的殺人戦争の国粋皇国史観の・・・・大和説者の連呼する史料事実というのは、
書いてないことを、自分達の解釈が絶対的に正しいと言張り、
否定されると、ヘイトスピーチ宣伝を罵る集団であるので、
本質的に、オウム真理教の麻原彰晃と同じ・・・・集団。 >>577
お前と議論している者はいない。
ウソの連呼を、世間の人々に説明しているだけ。
それをまた勘違いしてウソを覚えるのがお前。
都合の悪い史料事実を、何でも否定曲解断定して、それを根拠としているのが、
人種差別連呼商売の国粋皇国史観の大和説集団がやっていること 。
唐代の晋書は、「全ての人物の伝を立てる」という事は、当然やっていない。
陳寿や三国志を評価したから、「陳寿伝」を立てた。
だから「実際唐代や清代の歴史家から酷評されている」という事になっていない。 あま市石作神社
石作明神、石作連火明命。
どういうことだろう。
近隣に美和の地名もある。
三輪、纒向と何か関係あるのか? >>573
>>574
>前原からも、唐津は見えない。
見えなくても通ってきたら方位はわかる
>前原ではなく)加布里漁港にすり替えるインチキをすりゃ、
前原の港は加布里しかない
お前が加布里を通らずに前原に行くような特殊な状況を妄想してるから
見ないようにするなら隣の家でも見えない
>見えなければ、「目的地方向記載だ」という説は、
見えないのは、どの国も同じ
唐津〜糸島間が記載方位と合わないから
出発方向などという詐欺を思いついたのが古田
>全く知らない土地の行程説明では、出発方向の指定が最も必要であり、
目的地の方向がわかっていれば、
途中から方向変えなきゃならない出発方向情報なんか役に立たない >>573のアンカは誰かの鸚鵡返しだろうから消し忘れ >>558
>丹土は、水銀朱だけでベンガラはない、なんて、
ちゃんちゃらおかしい。
ところで、九州の古墳から出る丹はベンガラなのかね? 推して知るべし。 @阿波 >>577
>単一孤立史料でも、大体の確率は幾らでも推定出来る。
その方法が間違っているから、どろぼうが書いた偽書を根拠にすることになり
古田は笑いものになった
>考古学的な裏づけがなくても、史料批判によって、大体の確率の推定は、可能。
それができるのは比較史料が複数ある場合の話
>人種差別的殺人戦争の国粋皇国史観の・・・・大和説者
古田のところは、どろぼう偽書が発覚してからは、
鸚鵡返し程度しかできない知能が著しく低い犯罪者のようなのしか残らなかった やっぱり邪馬台国、纒向、初期の大和朝廷は、石、火と関係が深そうだな >>580
>見えなくても通ってきたら方位はわかる<
途中は、半日以上止まっていないと、方位ははっきり分からない。
>前原の港は加布里しかない<
陸行していたんだから、港に寄る必要もない。
>見えないのは、どの国も同じ<
だから、出発方向を記録して、後は案内人に任せる。
>目的地の方向がわかっていれば、<
判っていない。 >>583
>>丹土は、水銀朱だけでベンガラはない、なんて、 ちゃんちゃらおかしい。<
>ところで、九州の古墳から出る丹はベンガラなのかね?推して知るべし。@阿波<
そりゃ、ベンガラも水銀朱も鉛丹もあり、丹木も使ったようだが、
太宰府観世音寺の石臼のように、大量に使ったのはベンガラだったんだろうなあ。 要するにzarakokuは
魏使が
間違っていた
と言いたいわけ? >>587
>根拠なし
だって、7世紀の王都跡ある?
藤原京下層の半島渡来人の住居跡はなしよ。 @阿波 >>584
>(単一孤立史料でも、大体の確率は幾らでも推定出来る)その方法が間違っているから、どろぼうが書いた偽書を根拠にすることになり
古田は笑いものになった <
大和説者や偽書説派は、
個々の史料の「史料批判をする事を知らない」から、
寛政原本の出現で、世間の人々の笑いものになった。
>(考古学的な裏づけがなくても、史料批判によって、大体の確率の推定は、可能)
それができるのは比較史料が複数ある場合の話<
頭が悪い・・・・大和説のアホは、
複数ある場合しか確率推定が出来ないんだろうが、
孤立史料であっても、史料実態の吟味の史料批判に拠って、大体の確率の推定は可能。 >>589
>そりゃ、ベンガラも水銀朱も鉛丹もあり、丹木も使ったようだが、
どの古墳にベンガラ・鉛丹・丹木を使ってるのかな? それぞれ提示してごらん。 @阿波 >>591
3世紀の王都跡が見つかっているのに何を言っているのだ? >>588
>途中は、半日以上止まっていないと、方位ははっきり分からない。
そもそも半日も止まって調べたような正確な方位じゃない
>陸行していたんだから、港に寄る必要もない。
深江から加布里を通らなかったら三雲に着く
>出発方向を記録して、後は案内人に任せる。
案内人がいるから出発方向情報なんかいらない
>判っていない。
だから目的地方向が必要 >>594
どこに? もしかして、纏向というつもり? @阿波 >>585
>やっぱり邪馬台国、纒向、初期の大和朝廷は、<
「邪馬台国」も「大和朝廷」もなかったから嘘つき騙しなんだし、
この男も、「南→東」などの嘘つき騙しの大和説信者の・・・・のようだな。
>石、火と関係が深そうだな<
人類の歴史が、「石と火」と関係が深かったのは、
(大和だけではなく)、どこでも共通している事だよ、アホ。 >>592
>寛政原本の出現で、
そんなもの信じてるのは笑い者の会だけ
>孤立史料であっても、史料実態の吟味の史料批判に拠って、大体の確率の推定は可能。
抜け作古田が吟味した結果がどろぼうが書いた偽書 >>590
要するにお前ら大和説者は、
自分等の「南→東」の 嘘つき騙しが間違っていなくて、
魏使が間違っていた、
と言いたいわけ?。 >>591
>だって、7世紀の王都跡ある?
藤原京下層の半島渡来人の住居跡はなしよ。@阿波<
ふーん?。
しかし、阿波にもおそらく半島渡来人の住居跡なんてないんだろうし、
太宰府の倭京には、都城や羅城があるし、
その分都の難波宮には、筑紫の土器が出土しているから、筑紫人が造った事になるんだよ。 >>596
最大の王宮と最大の王墓がある。
同時代の日本最大だ。 >>600
>しかし、阿波にもおそらく半島渡来人の住居跡なんてないんだろうし、
半島渡来人の住居跡が在るとすれば、蘇我氏の本願地石井町辺りだろうけど、
基本的に倭国(阿波)王権は半島渡来人を奈良盆地に住まわせたからね。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています