ここではいろいろ言われてるけど学者としての態度は千田のほうがマトモ
縄張りの考察にしても複数の可能性を列挙した上で決して断言はしない

西股はまず自分のドグマがあってそれに強引に合わせようとするので
コイツの言説を鵜呑みにすると中世日本にすでに旧陸軍の「野戦築城教範」並みのマニュアルがあって
全国津々浦々の城郭がすべてそれにそって築城されていたかのように錯覚してしまう