凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part36
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荒れないためのルールを作っておきます。
・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。
・中世の城スレッドなどの他のスレッドへレスするか
当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。
・他のスレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えて、レスする当人の自由な選択を
スレッドの住人間相互に尊重すること。
・落とし格子に関する議論をスルーしたりして妨害するのは禁止です。
以上のルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
また、上記ルールを否定、批判するのも荒らし行為といたします。
前スレ
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part35
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1495030368/ >>583
「村の城」(藤木久志)とか否定していたので「そうなのか」と納得してしまった 村落が自衛のために城を保有していた例は南北朝時代の「智土師郷上村結解状」にも見られるし
それこそ「城あがり」になると戦国時代に入ると「家わけ文書」や「フロイス日本史」など枚挙にいとまがなくなってくる
「村の城」の解釈では曲輪の多くは避難民の収容スペースなんだが西股の理屈だと城にはまず主郭があって全ての曲輪は
それを守るために戦術的に配置されてるってことになってるので否定してるわけ
史料が根拠となっている藤木に対して西股は自身の理屈だけが根拠で相当分が悪いのだがコイツは他にも「ソースは俺」的な部分が結構ある 「お城好き1万人がガチで投票!お城総選挙」
https://shirobito.jp/article/726
3月23日(土)18:30
なんと3時間30分のスペシャルです 真田幸村の六文銭 商標登録されていた
https://pleasure-bit.com/1122.html
商標登録されている家紋
・伊達家の『竹に雀』
・真田家の『六文銭』
・武田家の『武田菱』
・豊臣家の『五七の桐』
・明智家の『桔梗』
・小早川家の『三つ巴』
・島津家の『丸に十字』 彦根城を築城したのは誰になってるの?
天下普請の城で、
井伊直政は早く死んで、
2代目はいたのかいないのかわからなくて、
井伊直孝が家督を継いで・・・・ 毛利三兄弟の子孫が対談
http://news.rcc.jp/?i=2749#a
3兄弟の子孫たちが三原市に集まって対談しました。
毛利元敦さん、吉川重幹さん、小早川隆治さんの3人が顔をそろえました 戦国時代に栄えた石垣技法が海外進出
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553479953/
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00010000-kyt-l25
米国の職人も驚嘆の技術
全国の城の石垣に使われた石積みの伝統工法「穴太衆積み」が、
活動の場を海外に広げている。石をコンクリートなどで固定するのではなく、
積み上げるだけで高い耐久性を実現する技術が「驚くべき技だ」と評価されている。 >>580
今気付いたが『杉山城問題』の事かw
西俣さんは、複雑な縄張りから後北条氏の城と推測したが、出土物、トレンチ調査から山内上杉氏の頃の城と確定。
いつまでも、いつまでも、ホントに… > 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。 【城の魅力】空前の城ブーム! 春にオススメ「日本の名城100」の愉しみ方
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1554240904/
> 1 名前:靄々 ★[] 投稿日:2019/04/03(水) 06:35:04.53 ID:L/1Wy0ms9
>「城ブーム」「歴史ブーム」といわれて久しい。最近では「城ガール」という言葉も生まれ、城跡を訪れる女性たちの
>姿を見かける機会もぐっと増えた。
>『天空の城を行く』等の著作がある歴史学者の小和田泰経氏によると、「近年、全国各地の城跡入城者数は、
>常に1割近いペースで増加が続いている」という。 本屋に行ったら萩原さちこの本が大量に置いてあるな
城業界のヒロインだな 先日の読売新聞夕刊のコラムに「対馬の金田城(かねたのき)を探訪したとき深く感慨を覚えた」と
書いてあった
太宰府で貴族が梅の花の下で宴会をしてるとき、東国で防人として徴兵されて無理やり
対馬に連れてこられた人たちが国防の最前線の基地で働かされていたということに思うところが
あったらしい
667年築城だそうだが、石垣を積む技術ってこの時代に完成してるんじゃないのか?
国立だし、ものすごく金と労力と最先端技術が注ぎ込まれてる感じ
http://shigeseoul.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2007_0101_161226aa.jpg
http://img-cdn.jg.jugem.jp/95b/1963947/20120601_2402481.jpg 城ブームが過ぎたらヒロインの名前なんてみんな忘れるよ >>604
でも石垣の技術は半ばすたれてしまっていたのだよな。
再び石垣を組み始めるのは戦国に入ってからだし、 >>606
寺社では積んでたし、穴太衆とかはもともとそういう寺院の石垣を積むためのお抱え技能集団だから、古代の技術が連続している可能性はあるといえばある。
ただ、見た目の印象だけでいうとけっこう違いがあるよなあ。特に石の大きさとか。朝鮮式は日本式よりも石が小さく、また厳密な直線よりも地形等に合わせたのか微妙なうねりがあるように見える。
ちなみに韓国に残る百済時代の山城の石垣
https://i.imgur.com/1X1p2vQ.jpg
https://i.imgur.com/sbwjT6B.jpg >>605
お城ブーム(天守閣を伴う城限定)は何度でも来るさ。
しかしコンクリ復元でも天守閣を作ってくれと言って大金を寄付する人は
後を絶たないのに、京都も町家を移築するための金を出す金持ちは出てこないよな。
どうしても京都に町家を残せないのであれば、日光江戸村あたりにでも
移築すればいいのにと思うのだけどな。 古代山城の石垣は大半が布積だから地震には弱そう
むしろ古代山城の石垣の凄い点は加工技術にこそあると思ってる
穴太衆は野面だし、あの加工技術が一回ロストされたことが残念 元寇のとき博多で石を積んで石垣を築いていたし築こうと思えばいつでもできた
んだろうと思うんだが
寺院はやって武家がやらなかったというのは何か理由があるんだろう
「平安京はいらなかった」という本を読んだら、平安京の大路に面して邸宅の門を
作るのは大臣以外はダメだったらしく、室町初期、足利直義もダメだったらしい。
この手の禁忌が石垣に関してもあったんじゃないのか 中世の寺社は膨大な職能集団を身内に抱え込んで外部に出さないからね。
技術が囲い込まれてて普及しなかったんだよ。 京都の御土居も土を盛っただけだがこれも何か理由があるのかもしれない
豊臣政権が崩壊したら割とすぐに御土居の多くは破壊されたそうだが 石あるなら伏見城とか聚楽本体に使うしな
街中だから石あんまりないし 中国で築城に盛んに使われた版築と焼成レンガは、日本ではほとんど根付かなかったな。特に焼成レンガ。版築は寺院では使われたようだが。
平野部に大量の石材を搬入するよりレンガ焼いたほうが捗る面もあったんじゃないだろうか。 レンガは日干しレンガから始める必要があるが、雨の多い日本では
その時点で挫折する >>618
乾燥地帯ならともかく、高温多湿の日本なら持続的利用は可能だろう。
炭焼きだって製鉄だって大量の木材を消費してたはず。 >>619
いくら気候が湿潤でも木材の生長以上に消費が進んだら森林資源は維持できないよ >>619
たたら製鉄による大量の木材消費がハゲ山を産み、雨の度に河川が氾濫、そしてヤマタノオロチ伝説(斐伊川) だよ。 だから杉がたくさん植えられた
杉は生長が早いからな 湿気とか関係ないと思うよ
モンスーン地帯のインドもレンガ建築が主流だし
中国から塼の製造技術が伝わらなかったのがデカいと思う >>625
インドは6月から9月までのモンスーン期を除けば乾季だよ インドに限らずミャンマーやフィリピンとか南アジアはどこもレンガ造か石造が主でしょ
パガン、マンダレー、バンコクの王宮、タンロン遺跡、アンコールワットとか
熱帯地域だとすぐ木が腐るから木造だともたないと思う >>616
版築ってWikipediaを見たら「貴族の館の塀」「寺院や豪商の屋敷の塀」「土塀より大規模な土塁に
ついては戦国時代以降の城郭に版築が多く活用された。土で作る防塁としては最も急峻な角度を
形成することができた。」「地盤改良の手段としても古代などに多く用いられた」って書いてあるんだが 本人もそう言ってるし、だからみんな煉瓦の話ししてるんだけど 奈良時代の遺構からはレンガが発掘されてるそうだ
http://avantdoublier.blogspot.com/2010/11/blog-post_19.html
何で廃れたのだろう?
弩みたいに製造方法を秘匿してるうちに分らなくなりましたってオチかな 基本的に床材として使用されたようだから、石畳の代価という位置づけになる 由良要塞とか千代ヶ崎砲台とか明治に作られたレンガ造りの要塞が半世紀以上放置されっぱなしのまま
現存してるので地震に弱いとか無いと思う
床や城壁としても使われてないのだから大陸的な大規模な建築物を作る習慣がなくなったので
レンガの製造方法も同時に失伝したのだろう ヨーロッパや中東みたいに構造躯体として用いれば石でも煉瓦でも地震に弱いだろうが、石垣みたいに法面工として用いるなら煉瓦でもそんなに弱くないのじゃないか? 石垣の石材とレンガじゃ、大きさが違いすぎる
ぐり石に相当するものはどうするの?
排水はどうするの? >>633
所謂、敷き瓦だね
京都や奈良の寺院で時折見掛けるね セメントやモルタルがないし鉄筋もないから土圧、水圧に負ける 瀬戸内や伊豆から石材が採れたのだから
わざわざレンガを焼くような面倒くさいことはしない >>642
煉瓦を焼く方が手間がかからな。
石は場所が限られるから。 粘土さえあればどこでも作れるからな
八達嶺長城も山削って出来た土をそのまま焼成した突貫工法で出来たものだし 沖縄の首里城は琉球王国時代に築城されたもので、先の大戦によって破壊された。
もともとあった首里城は琉球王国時代に築城された城だから日本固有の城ではなかった。 隣国にいくら高度な石造やレンガの精製技術があったとしても
当時の日本にそれを受容するだけの能力がなかったら結局意味ないよね 中東から南アジア東南アジア中国に至るまでのアジア圏ってどこもレンガ文化なのに
その中で日本だけ受容できなかったってのは奇異に感じる 土留めという役割としてはレンガはあまり有効ではないでしょう
垂直に詰むし、排水も難しい、おまけに焼成時に木がいるので
さらなる土砂災害のリスクが増える でもウィアン・クム・カーム、アンコールトムとかフエやアユタヤといった日本以上に排水性を気をつけないと
いけない地域の都城ってどこもレンガ造りの城壁ですよね
あちらはお寺や民家ですらレンガを使うので莫大な木材が消費されたはずだけど
それによって植生が崩れて土砂崩れを起こしたかというとそういうこともない
環境とか関係なくてもっと別の要因が絡んでるんじゃないですかね 煉瓦至上主義の意味がわからん
石垣で江戸時代初期の築城ラッシュを乗り切った
なにが不満なのか? >>656
日本でも猿島・友ヶ島要塞とか明治期に作られた煉瓦造りの要塞がいくらでも現存してるでしょ
地震による被害も揺れそのものより地震火災のほうが大きいのだから木造だから地震に強いというわけではない 北関東の城とか、築城ラッシュを石造で乗り切れてないじゃん 日本史に煉瓦、煉瓦と無いものねだりをしても、欲求不満を募らせるだけだろう 半田の赤レンガ倉庫とか並みの天守よりも高いぞ
まぁ木造は基本的に高層建築には向かん 奴隷から人間にしてくれたアメリカに感謝しろ日チョンw
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l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | / l_j_j 平成6年の解体工事のあとに鉄骨入れた
知らん人多いけど東大寺大仏殿も明治時代に鉄骨入ってて最早純木造じゃないからな
明治5年の写真見ると屋根が弛んでいていつ崩れもおかしくない状況だった >>667
今では金を失うで『鉄』だが、
元々は金属の王様で『鐵』だからね そもそも石垣だって織豊期まではぼろぼろ崩れてたのを必至で算学で計算してようやく積めるようになったのにその時期にレンガ使って耐震性がどうなのっていうね
算学どころか数学が入ってきた明治以降と比べても意味ないよね なんだ
ちゃんと調べたら耐震性めちゃくちゃ低いみたいじゃん
最近のものは鉄筋ぶっ刺して、しかも外壁にしか使わないから日本でも通用するみたいだし
だから東南アジアとかは大変みたいだね
地震のたびに潰れるから
もちろん運良く残ることもあるみたいだけど
そもそも煉瓦なんてちっこいの一個でも頭に当たるだけで死ねるしなぁ
お陰で日本はマグニチュードの割には死者が少なめだし そうかそうかお前の頭の中ではパンテオンやコロセウムは地震が起きるたびに
崩れて立て直したことになってるんだな めちゃくちゃだな
マグニチュード6-8がガンガン起こってる日本とヨーロッパ比べてどないすんねん インド北東部地震 Mw6.9 死者107人
トルコ東部地震 Mw7.1 死者601人
イラン地震 Mw7.7 死者41人
アフガニスタン北部地震 Mw7.4 死者70人
阪神大震災 Mw6.9 死者6,400 イタリアだとフリウリ地震とイルピニア地震が阪神大震災とほぼ規模のMw ちなみに計測史上最高はチリ地震のMw9.5
死者数2231〜6000人 >>671
あれらは円形構造と別格の壁体の厚みで残った 日本は飛鳥以来五年に1回m6以上が起こり続けてるしな 城壁厨みたいなレンガ厨
史実としての日本史が気に入らない
反論したつもりがことごとく返り討ちにあう 後、ローマ建築の多くはローマン・コンクリートを使用している 日本建築は寺院を除いて円柱じゃなくて角柱だから構造的にはそりゃ脆いワナ 日本ではローマンコンクリートの代用になりそうな火山灰は見つからなかったのかねぇ。
土壁を多用しているのだから、火山灰も色々と試行錯誤してこねくり回していると
思うのだけどな。 勘違いされている方もいるようだが、
佐賀のトンバイ塀や瀬戸の窯垣のような事例もある。
煉瓦(センも含む)の技術が無かったのではなく、普及しなかった。
この点は重要かと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています