江戸始図に連立式(環立式)の天守台(北に付け櫓と枡形虎口を挟んで多聞櫓、西に枡形虎口を挟んで小天守一棟)が描かれている慶長江戸城、
最近千田嘉博氏が新しい案を発表したけど、漏れは敢えて黒田家蔵の大坂夏の陣図の天守(白漆喰壁に修正したもの)を挙げたい
https://tabi-mag.jp/os0065/

漏れの巨根、じゃなくて根拠はこちらw
-大阪城図はじめ、京大阪図、冬の陣図とも全く異なる天守であること
-中井家本丸図に描かれた単立式+付け櫓ではなく、小天守が大天守を取り囲む連立式(環立式)であること
-姫路城、彦根城、駿府城など、慶長期の家康天守に共通して見られる最上階の唐破風(秀吉天守は三間四方)
-最上階高欄下に描かれた寅(家康を象徴)

これらから、家康に面従背腹の黒田長政が、家康の慶長江戸城を、落城した豊臣大坂城として(腹)黒く描かせるwことで、
徳川将軍もいつかこうなるだろう(こうしてやるw)と揶揄しているのを、解る人にだけ解るように描かせたと思われるw