0116日本@名無史さん
2018/06/09(土) 12:43:16.80しかし、『魏志倭人伝』に書かれた地名はあまりにも
現代に比定するのが困難なものが大半を占めています。
つまり、邪馬台国連合から大和王権の間には大きな断絶があった
証拠だと言えるのです。
邪馬台国連合がそのまま大和王権にスライドしたのであれば、
『魏志倭人伝』の地名がもっと後世に伝わっていてもおかしくありません。
やはり、『記紀』神話通り、九州の邪馬台国連合勢力の一部が
東征して大和王権ができ、そこから全国支配を進めていった
と考えるべきでしょう。