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平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
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0001日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 18:42:40.44
説文解字(後漢)にて咫=八寸

漢尺=十寸=約23センチ  寸=約2.3センチ
咫=八寸=2.3×8=18.4センチ
八咫=18.4×8=147.2センチ前後

平原のは円周長146センチ=八咫の鏡(世界最大)
0003日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 18:49:00.45
>>1で根拠の全てが示されてるから完結
0004日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 19:04:11.73
咫=八寸と漢尺=約23センチがあれば、
あとは自動的に咫=八寸=2.3×8=18.4センチですね。
0005日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 19:26:46.17
平原のは円周長=八咫の鏡(世界最大)
0007日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 19:42:59.44
根拠=>>1
0009日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 20:12:27.36
大型内行花文鏡

直径約2尺、円周約8咫
同心円の一番外側の直径約2咫、円周約5尺
連弧文を囲む円の直径約1咫、円周約2尺5寸
葉を囲む円の直径約5寸、円周約2咫
0012日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 21:16:57.59
>>9
これほんと?
完全に咫尺を意識してるじゃないか。
0013日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 21:19:38.85
師出洛陽

俺の師匠は洛陽出身だぞ

そんな洛陽出身の偉い師匠に習ったんだから、
辺境の倭人とはいえ俺の作品を舐めんなよ

(注:出洛陽なので、洛陽出身の師匠も洛陽には住んでいない)
0015日本@名無史さん
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2018/06/09(土) 22:03:28.03
世界最大なん?
0017日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 08:14:39.98
説文解字を出すなら、きちんと説文解字注まで読みな

周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。 古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造

古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている

これで、周代の歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ

ここから咫の長さを出すと16.9センチになる
これで無理やり平原1号墓出土鏡の円周を換算すると8.63咫だな
そもそも円周を測ったりはしないんだが
0018日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 08:43:22.50
説文解字:咫,中婦人手長八寸,謂之咫。周尺也。从尺,只聲。
0020日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 08:47:54.18
wikiより

『説文解字注』
>清の段玉裁が著した『説文解字注』30巻(段注、嘉慶20年(1815年)刊)は、
>説文解字に対する注釈の最高峰と言われ、
>清の訓詁学の到達した一つの頂点として知られている。

>しかしながら、多数の文献を出典を明記せずに引用し、
>また誤りもあるので、
>例えば誤りを校正した馮桂芬の『説文解字段注攷正』など、
>読解にあたっては副読本を手元に置いた方が良い。



『説文解字』
>説文解字(せつもんかいじ)は、最古の部首別漢字字典。
>後漢の許慎の作で、
>和帝の永元12年(西暦100年)に成立し、建光元年(121年)に許慎の子の許沖が安帝に奉った。
0021日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 10:04:30.80
『説文解字注』 巻八・尺部

中婦人手長八寸謂之咫。賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。別周制之異乎古也。
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。左傳。
天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。國語、
列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。从尺。只聲。
諸氏切。十六部。
0022日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 10:26:17.62
>中婦人手長八寸謂之咫。

冒頭に、咫=八寸、と規定して、
成人女性の手の長さ、と由来を示している。
これは尺が成人男性の手の長さであることと対応してのことだろう。

過去の「咫」使用例を辞典らしく列挙した上で、尺度としては周代に成立したことが書かれている。
>賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
0023日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 10:29:36.31
説文解字も説文解字注も、
中婦人手長八寸謂之咫 〜 周尺也
の順番で書かれている。
文脈としては、
咫=八寸、というのが普遍的尺度で、それが決まったのが周代と説明している。

周尺也 〜 中婦人手長八寸謂之咫
の順であれば、
周代にのみ使われていた尺度で、咫=八寸だったよ、となるが。

残念だったな。キナイコシさん。
0024日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 10:49:56.21
説文解字注のは、まず咫=8寸は確定。

でもって、咫とは別の議論で、
周代の尺が、8寸もあれば、10寸もある、という議論。
殷代は12寸だった。

周代の尺は8寸だった、10寸だった、
それぞれの用例を複数出したうえで、

・咫は長さの単位だと全ての学者が認めている(列子皆言 其長尺有咫)
・咫と尺は常に別の尺度と認識されている(咫尺並言 不云二尺)

のだから、
周尺=8寸というのは、咫=8寸の間違いで、
周代も尺=10寸だったんだね。

という話です。


説文解字注の中では、
咫=8寸は、当たり前の定理であることが前提であることは変わりませんが。
0025日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 11:12:42.03
>>506
>咫ってのは
>いつの時代に使われていた単位なの?

8世紀の日本で使われているよ。

『日本書紀』天孫降臨での猨田彥
>其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也

咫と尺を使い分けていまする。
0026日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 14:50:32.38
テンプレ行きキボンヌ。
==========
咫は漢尺の八寸、周代の尺である。10寸で1尺としていた比率はいにしえと変わらない。

漢尺で八寸とみなせるのは
周尺八尺が1歩で
今漢代64寸が1歩と書いてるところから

周尺八尺=1歩=64寸=8咫(咫=八寸より)
つまり周尺八尺は8咫
つまり周尺=咫(=八寸)

一方で一尺は10寸でつかわれていたのは間違いない。
この場合の八寸は?説文解字は漢代の辞書だから漢尺での八寸。

説文解字の漢代の寸法を基準に普通は解説書くわな。そうじゃないと読む人は意味がわからんわな。

488 日本@名無史さん[] 2018/06/10(日) 10:38:29.68

結局、咫=八寸=周尺でFA。
寸の長さを時代と共に変えて読むのはキナイコシの誤読
0027日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 14:55:14.39
説文解字注の解釈のこれも。一部改定。
=====
殷は漢尺の12寸相当が基準長で一尺だった
周は漢尺の八寸相当が基準長で一尺としていた。

今漢尺は10寸であるから
周尺八尺の長さである歩は
今説文解字の時点では漢尺で64寸になる。
0028日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 14:59:28.17
中婦人手長八寸謂之咫 〜 周尺也

婦人の中指の手の長さ八寸は、いわゆる「咫」であって、周時代の基準長である周尺、周の時代の一尺である。

全てに整合。FA。
0029日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 16:23:16.86
咫=八寸と、後漢の辞書にも清の辞書にも明記されている。

8世紀日本の日本書紀に、
咫で長さを表記して、同じ文章に尺があって、八咫鏡が出てくる

後漢末に作られた
平原の超大型内行花文鏡の円周長=八咫の鏡
0030日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 16:28:26.34
キナイコシにとっては
時代や地域によって単位が変わるというのは悪夢だからな

感情的に許容できないのだろう。


>東夷伝里
0031転載
垢版 |
2018/06/10(日) 17:10:47.74
周の時代は8寸を1尺として、漢の時代は10寸を1尺としたので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/10(日) 17:16:45.71
後漢の辞書も、清の辞書も、咫=八寸と明記している。
咫=八寸 (それぞれの時代の尺寸で計算)
これは絶対確定だ。

じゃあ
漢尺だと、八咫=約147センチ

平原の超大型内行花文鏡の円周長=146センチ

よって、平原の超大型内行花文鏡の円周長=八咫の鏡

これは現実
0033訂正
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2018/06/10(日) 18:22:33.67
古者以「周尺」八尺爲步。今以「周尺」六尺四寸爲步。

こうじゃない?
周尺八尺=以周尺.為歩=漢六尺四寸
周尺=漢尺八寸

昔の尺度を説明するのに
今の尺度で説明しないと読んでる人は意味がわからないから。
0034日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 18:36:43.30
ウィキペディアによると

周の一尺は漢代の8割ほどであったと
説文解字の「夫」を参照してるな。

なんだ、やっぱり漢尺八寸が周尺=咫じゃないか。

尺という単位は古代中国の殷の時代には既にあったとされている。古代の1尺の長さは正確にはわからないが、出土文物からの推測では、戦国から秦にかけての1尺は23cm前後であった。
漢代でもあまり変わらず、23-24cm程度であった。文献によると周の尺はその8割ほどの長さ(約20cm)であった[3]

『説文解字』夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。

夫、丈夫のことである。
人を意味する大に簪を象徴する一を加えたもの。
周の制度では、八寸を一尺、十尺を一丈、人を八尺とした。故に丈夫というのである。

あれ、尺10寸が周の制度なんじゃなかったのか?ここでは八寸が一尺になってるな。
十尺を丈にしたのに
八尺の人を丈夫と呼ぶのはおかしい。
周尺10尺=一丈=漢尺八尺から計算した値だな?

まあいいや、周尺が漢尺八寸であることには間違いない。証明終了。
0037日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 04:16:20.16
>>33-34
説文解字も説文解字注も共に、
・中婦人手長八寸謂之咫
・周尺也
を繰り返してるから、
咫=八寸=周尺
を満たすのは、漢代しかありませんよね。

周代だと、咫=八寸を満たしたとしても、
咫<周尺になってしまいます。
逆に隋唐以降だと、咫=八寸だと、咫>周尺ですね。

ということは、咫が長さの単位として使われたのは、
漢代ということになります。
ますます平原の時代に合致しました。
0038日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 04:23:34.71
漢代は、漢尺=十寸、咫=八寸=周尺。

隋唐時代は、大尺と小尺(=漢尺)で、同じ比率を保っているので、
前の時代の尺の約1.2倍を新しい尺にすることで、円周長を求める数式を兼ねていたのでしょうね。
0039日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 04:48:12.93
伊都スレで惨敗したので、こんなとこでデマたれ流しか
Gスレみじめ
0040日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 06:31:33.93
わざわざ周尺と書いてあるでしょ。

説文解字は後漢の辞典。
説文解字が尺と書けば、それは漢代の尺。
説文解字が周尺と書けば、それは周代の尺。

説文解字が寸と書けば、それは漢代の寸。
説文解字が周寸と書けば、それは周代の寸。

説文解字が咫と書いてるのだから、それは漢代の咫。

説文解字によると、
咫=八寸=周尺
0041日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 06:37:39.44
>>37-38,>>40
完璧につじつまが合ってますね。
0042日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 07:10:34.07
>>41
いいですね
コピペ化決定
0046日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 18:44:39.34
周の時代は8寸を1尺として、漢の時代は10寸を1尺としたので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0047日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 18:47:46.68
あ、かぶってた。
0049日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 19:05:27.78
>>26
歩=八咫なわけですね。おもしろい。
0050日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 19:10:13.56
>>46
×周の時代は8寸を1尺として、
〇周の時代も10寸(周寸)で1尺(周尺)としていた。

漢尺>周尺だから、
漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、
周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。

漢代になって、漢代の尺(漢尺)と、周尺が併存したので、
紛らわしいから、
周尺=咫、と呼ぶようになった。

この周尺(=咫)以下はその通り。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 19:13:12.80
>>46
>この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、

便利だからこそ、王朝が変わって尺を次第に大きく更新しても
この比率は使われ続け、

漢代:尺(秦尺漢尺)=10寸 & 咫(周尺)=8寸

隋唐代:大尺 & 小尺(秦尺漢尺)


>直径二尺の鏡(平原遺跡から出た世界最大の銅鏡)の円周はほぼ八咫となる。
0052日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 19:13:55.03
寸も変わるの?
0053日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 19:19:13.81
周の時代の1尺は漢の時代の1尺の8割くらいの大きさなので、漢の時代の1尺が男性の手の大きさだとすると、周の時代の1尺は女性の手の大きさほどになる。この周代の尺を漢の時代の尺と区別するため咫とも言う。
この周尺(咫)が使われ続けたのは、円周の計算に便利だからあり、円周率を3.2で近似していることになる。
平原遺跡の超大型内行花文鏡は、直径が漢尺で二尺であることから円周は八咫であり、三種の神器の八咫の鏡の同范鏡またはモデルとなった鏡と考えられる。
0054日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 19:20:01.43
>>50
つまり、平原のは八咫の鏡じゃありえんわけだ
ご愁傷様
0055日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 19:26:11.40
『説文解字注』 巻八・尺部

中婦人手長八寸謂之咫。賈逵韋昭注國語、杜預注左傳說皆同。案咫之言猶近也。晉語。吾不能行也咫。楚語。是知天咫。周書大子晉。視道如咫。周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。別周制之異乎古也。
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八 八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。左傳。
天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。國語、
列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。从尺。只聲。
諸氏切。十六部。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 19:31:12.08
>>52
尺=十寸というのが固定だという前提のもとに、
>>55の寸は、漢代の寸で固定=約2.3センチという
説明文の中での基準単位と考えていましたが。
一方の尺には、いちいち殷や周尺の断りが文章に入れてありますし。

尺=X寸で変動するのなら、変数が多すぎて答えが無くなりませんか?
0057日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 19:32:59.62
>>50からは、
>>54平原のは円周長=八咫の鏡
という結果になるのですが、

畿内説さんは議論放棄してデマを流すしかなくなったのですか?
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 20:05:16.08
>是可證周未嘗八寸爲尺矣

周は未だ嘗て八寸を尺としたことはないと証明することが可能だ。
0059日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 22:46:44.81
>>51
なぜ
大尺小尺が併用されたかも
実用上10対8の比率が有用だったからなんだな。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 22:48:29.03
>>58
証であろう、くらいかな。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 23:33:18.05
883 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 19:48:07.38

説文の丈(周制以八寸爲尺,十尺爲丈)の定義から考えるとおもしろいですね。

>>37
>八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
一丈169cmなら、凡夫にしかなりませんね(笑)
> 六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
一丈211cmなら、丈夫というより、怪物ですよ

一寸23mmなら、184cmで、良い感じの「丈夫」になりますよ。
時代によって一寸の大きさを変えて考えるのは筋悪というのがわかって、
興味深いですね。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 23:34:13.95
896 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:01:57.78

寸は、親指の太さの身体尺と言われていますからね。
東周から漢代までずっと23mm程度で安定しているみたいですね。

説文解字の咫にある周尺としての一寸も23mmで、全然問題ないでしょう。
それで説文解字が整合的に読めるんですから。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 23:34:40.07
898 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:05:23.66

返答が遅いので、書いちゃいましたよ。
一尺23cmの一寸は、23mmですね。つまり東周での一寸は、23mmですね。
説文の丈の解説とも整合的ですね。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 23:35:21.43
887 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 19:56:44.57

どうも東周銅尺という23.1cmの銅尺が南京の博物館にあるらしいですね。
畿内説の方、これは、一体何寸ですか???

東周銅尺傳河南洛陽金村出土,全長23.1厘米

↑これで検索すれば出てくると思いますよ。
0065日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/11(月) 23:36:59.80
937 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:36:38.49

おっと訂正。

丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

両方許慎の(観念的な)認識ですよ。
うまく満たせるのは、一寸23mmだけ。
0066日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 23:38:28.76
寸が23mm固定なら、

>周制以八寸為尺
周は八寸=18.4センチ=周尺

>十尺為丈
周は十尺=丈とした。周がしたのだから、十周尺=184センチ=丈

>人長八尺、故曰丈夫。
成人男性の身長は、辞典の時代の漢尺=23センチで、
八尺=23×8=184センチ=十周尺=周丈

だから丈。ってことかな。
わかりにく。
0067日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 23:39:16.65
>>961
ああ、成る程。

>人長八尺、故曰丈夫。

一般男性の身長は、八尺=147.2センチだから、
身長が1丈=184センチの大男が、丈夫、大丈夫、なわけね。

全部周の寸尺丈で統一して説明できてるんだ。
0068日本@名無史さん
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2018/06/11(月) 23:57:30.26
943 岡上 ◆Lv09mLa3HM [] 2018/06/11(月) 21:49:00.35

>>940
「東周銅尺」で検索しましたか?
側面に十寸が刻まれています。

>>955
周代の尺が八寸なら、
東周銅尺はなんで8刻みじゃなくて10刻みなの?

>>957
だから周尺は咫であって漢尺八寸長なんだってばよ。


咫=八寸
尺=十寸

歩=八尺
丈=十尺

円周率ですなあ。
0069日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 00:01:57.86
西周時代には八寸=一咫=尺
東周時代にはすでにほぼ漢尺長と一致する尺の出土があってることから

周の時代は 尺長が混乱したと言う裏付けであろう。

あるいは説文解字のように
周の時代は尺と咫があり
古の周=西周の尺は東周の八尺だったという見解に落ち着くか
0070日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 00:03:00.70
>>69
訂正

西周時代には八寸=一咫=尺
東周時代にはすでにほぼ漢尺長と一致する尺の出土があってることから

周の時代は 尺長が混乱したと言う裏付けであろう。

あるいは説文解字のように
周の時代は尺と咫があり
古の周=西周の尺は東周の八寸だったという見解に落ち着くか
0071日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 00:06:27.68
そうか、夏から説文解字に至るまで
実寸長の長さの変遷はたしかにあった。事実として。
それを認めたとしても、
説文解字の時点では統一的な寸長=23mm
で著者は解釈しなおして内容を記述したと言うことかな。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 06:39:57.52
説文解字に
>周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。
とあって、
説文解字注は
>是可證周未嘗八寸爲尺矣。
と結論づけているから、
尺=十寸=約23センチで統一されていたのでしょう。

東周銅尺=23.1センチで10寸刻みですし、
その他の出土した銅尺も魏代までずっと約23センチですから、
考古学的に裏付けが取れています。

説文解字の後漢代には資料が少なく、
「周尺=咫」と「周代の尺」との区別がつけられなかったのでしょうね。
説文解字注の清代には資料が増えたので、
それをずらっと列記した上で、
咫=周尺であって、周代の尺とは別と結論づけて、
>是可證周未嘗八寸爲尺矣。
になったのでしょう。

つまり、咫=周尺とは、周代に作られた、円周長換算のための尺ですね。

ちなみに殷の時は、十二寸 vs 通常の尺=十寸
周から漢までは、通常の尺=十寸 vs 咫=周尺=八寸
隋唐は、大尺 vs 小尺(漢代までの尺) (約1.2対1.0)
また、丈=十咫 vs 歩=八咫
と、ずっと円周長換算用の比率が使われていたのですね。
0073日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 06:43:43.56
東周の尺は漢の尺とまったく同じなんだから
「周尺也」なんて言うわけないね
西周尺の八寸が咫だよ
0074日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 06:50:53.03
周尺という単語が、咫=八寸なわけですよ。
周代の尺=十寸ではなくて。

周代の尺=十寸 漢代まで一緒
周代の周尺=咫=八寸 漢代まで一緒
0075日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 07:10:03.63
>>74

また夢みてんの?
説文は「中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也 」 だよ
根拠の史料を無視してまで
咫が18.5cmだと決め付けるわけか
そんなに婦人の手が大きいわけないでしよ?

無駄ですね
平原からは八咫の鏡が出ていない
0076日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 08:19:06.20
古代の中国人は手が長いんだよ知らないの?
0077日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 08:28:39.36
『説文解字』夫部「夫、丈夫也。从大、一以象簪也。周制以八寸為尺、十尺為丈。人長八尺、故曰丈夫。
0078本スレより転載
垢版 |
2018/06/12(火) 08:29:44.09
>>991
>人の身長は八尺で、丈=10尺じゃない
>十尺の丈と、八尺の夫を合わせて「丈夫」という訳だ
>この関係が
>十寸の尺と、八寸の咫を合わせて「咫尺」というのと対応している

ここはおかしい
夫は八尺を示す単位じゃない

周制八寸爲尺。十尺爲丈。「人長八尺。」故曰丈夫。

周制、八寸を尺と爲し、十尺を丈と爲す
人長八尺 故に丈夫と曰う

身長 が(漢尺で)八尺(八十寸)の人を、丈夫という だな
0079本スレより転載
垢版 |
2018/06/12(火) 08:34:26.00
>>77
>>78
夫の説明は、从大、一以象簪也。
なので長さを表すものではなさそうです。

从大は 大という部首に属するって意味合いかな。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 08:41:47.33
どのみち説文に咫を「中婦人手長八寸」とある以上
いくら平原の八咫の鏡とか言っても
トンデモ説だよね
0081日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 09:37:58.31
>>80
その理屈は意味がわからない。
0082日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 11:54:14.03
>>81
平均的な女性の手が
18.5cmもあるわけないのだから
説文のいう咫が漢尺ではあり得ず
必然的に平原八葉鏡が八咫の鏡ではあり得ない
ってこと
0083日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 11:59:57.21
キナイコシは平原遺跡が2世紀だと言い張るので、鏡も2世紀ということになるのだろうが、周の単位を漢代に使うわけないだろ。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 12:05:06.40
>>83
だから平原の鏡は八咫の鏡ではない
0085日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 12:31:01.02
ひさしぶりに下手な自作自演をみた
0086日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:11:10.45
尺が男性の手の大きさであることに対応して、
咫は女性の手の大きさであることを由来としている。

尺が23センチあって、平均的な男性の手よりはるかに大きいのだから、
咫が18センチだから、平均的な女性の手より大きいから使えないという
理由にはならない。

これを何度も指摘されても無視して馬鹿話を繰り返すキナイコシ
=@阿波
0087日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 18:40:28.21
>>17
>周尺なんだよ 漢尺の八寸って言ってる時点でダメ造
>
>古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。って書いてあるだろ?
>周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
>今は周尺の六尺四分を歩としている と書かれている

改めて検討すると
古周尺八尺=1歩=今周尺六尺四寸
つまり古周尺=今周尺八寸
ここで今周尺が昨日の東周尺とするとそれは漢尺に等しいわけだから
古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸となり、めでたく
=咫となるわけだ。

わかってみればコロンブスの卵。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:04:15.29
なるほど。
つまり、周尺=咫であって、
尺というのは銅尺で証明されるように、周代〜漢代まで変わらなかったわけですね。

中国語で表すなら、
尺=漢代的尺=周代的尺=十寸は不変

周尺というのは咫の別名であって、
国名の周とは無関係。

まさに円周長のために存在した円周尺ということですな。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:12:11.74
微妙にお二方の言い分がずれている気がする。
まあ、平原遺跡の超大型内行花文鏡が八咫の鏡であることはいずれにしても確かなようではあるが。
0090日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:14:20.38
>>88

基準の八割という関係が有用だからでしょうね
のちに正確になって丸目角目になったのかな?

>>9
さんが上げていることは数学的な事実から導かれる自動的な値ですが、意識してデザインしてるなら美しいですね〜。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:19:13.91
八咫の鏡を作り上げた時の設計者のドヤ顔が想像できるかのようだ。
この上ない完璧な鏡だね。
これが天皇家の神宝になったわけだ。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 19:26:21.30
<周〜漢>
尺=十寸、咫=八寸
丈=十咫、歩=八咫
<隋〜唐>
大尺 小尺 同じ比率

秦代には九九存在 八掛けで寸単位で円周長計算可能
漢代の数学者が円周率計算 咫尺法を理論的に確認していた

壱岐カラカミ遺跡出土 瓦質土器に「周」の文字
万葉集には九九存在
平城京出土木簡に九九記載、八の桁あり

昔の九九は九九 八十一からスタート
八の桁が重要だったから
009387
垢版 |
2018/06/12(火) 19:53:34.15
>>89
私は

西周
尺=十寸(=後の咫=約18cm)
東周以降
尺=十寸=約23cm

だったのではないか?と思ってます。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 20:08:21.37
>>93
考古学的に裏付けられますね。

>伝安陽出土「商骨尺」16.95cm(殷代)

尺は少しずつ大きくなりますが、
大きな変化がある時は、10対8、約1.2倍で確変しますね。

西周→東周
漢魏→隋唐
0095日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/12(火) 22:39:59.22
>尺は少しずつ大きくなりますが、

円周率は3.14だからね。

咫尺だと計算は簡単だけど、円周率=3.2だから
円周長はわずかに長くなる。

古代ならそんなに小さなものは作る技術が無いから問題ないけど、
時代が下るにつれて技術力が向上して精度が上がり、
3.14に向けて合わせようとする=尺がちょっとずつ大きくなる
0096日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/13(水) 06:26:08.96
一通り読みました。

この結果をだれか糸島市にお知らせしませんか?(笑
平原の大型内行花文鏡は八咫の鏡だった!って

今さら何を当然な?なのか
何言ってんだこいつ?になるのか気になる。
0098日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/13(水) 07:09:30.18
咫:中婦人手長八寸、謂之咫。周尺也

(1)中婦人手長=八寸=咫=周の基準長
(2)中婦人手長=周尺x八寸=咫=周の尺度の一つである

二つの解釈があり得ると思います。

(1)の場合は咫=約18cm=周尺
(2)の場合は咫=約14.5cm、周尺=約18cm

(2)の場合が婦人の手長の実長に合うと思います。
どちらの場合も周代の基準長である尺は同じ長さになりますね。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/13(水) 07:18:55.53
一方で
>>87
古周尺=今周尺八寸=漢尺八寸
からも古周尺が約18cmであることは間違いないように思います。今周尺である東周尺の現物があるからです。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/13(水) 07:32:10.40
丈:周制以八寸爲尺,十尺爲丈

周制、八寸を尺と爲し、十尺を丈と爲す
人長八尺 故に丈夫と曰う
>>78
身長 が(漢尺で)八尺(八十寸)の人を、丈夫という だな

十尺を丈としたのに八尺の人を丈夫と呼ぶのはおかしいので、
この十尺と八尺は違う基準長の尺になります。
前段の「周制、八寸を尺と爲し」の八寸は漢尺の八寸を意味することがわかります。

つまり、説文解字注の八寸は漢尺=今周尺を前提にした寸長である。
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