全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、
神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。
この869年(貞観11年)の御霊会が祇園祭の起源とされている。

ということで、もともとは文字通りの矛だったけど、だんだん飾り付けられて今の形になったんだよ。
矛自体、古墳時代あたりからどんどん祭器としての性格が強くなっていったので、その究極進化型が祇園祭なんだろう。
それは明らかに九州北部を起源とする銅矛文化の系譜だよ。