(みやま市)邪馬台国九州説(筑紫筑後糸島)
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資料の宝庫、九州
邪馬台国、卑弥呼、倭人について語りましょう ベルギー戦、面白かっただろ?
45分間で5点入る試合ってのは、なかなか見られないぞ
敗戦は残念だったが、見ごたえのあるよい試合だった
ベルギーとのガチンコの勝負ができたのだから、決勝トーナメントに進んだかいが
あったというものだ。
予選リーグの最終戦は、決勝トーナメントに進むための戦術のぶつかり合いなんだから
それが面白くないとか言ってもしょうがない とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
LF8 何処に?
糸島に興味のある人なんて一握りなんだから、適当にやれば? 糸島に行くの?
楽しそうだな。
いつかは行って見たいが、遠すぎる。 >>106
>田舎の阿波、都会妄想に取りつかれ
今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。 @阿波 >今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。
卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、踊らにゃスンスンで日が暮れて、いまもかわらぬド田舎、アワアワ 嘘ばかりついてすいません
これが私のホルホルなんで許して下さい @阿波 >>109
>卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、
なにそれ? またお得意の妄想かね? @阿波 >>112
>といいつつ自分も妄想中 バカですまん
若杉山遺跡や加茂宮ノ前遺跡、黒川谷郡頭遺跡、矢野遺跡、芝遺跡 等々
こんな遺跡が九州にあれば、たぶん大騒ぎするんだろうね。
それにしても、九州も畿内も目ぼしい集落遺跡、ほんと無いねぇ。
無いから、妄想ばかり募るんだろうが。 @阿波 だから邪馬台国は筑紫にあったから
卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
和気清麻呂が神託を聞きに行ったのは古来ここが天皇家の総本山だったから
福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず
しかしそうしないのは、ヤマト王権による万世一系の正当性を失うから
だから今も古墳発掘禁止してんだよ
だいたいエジプト王家のことがここまでハッキリ分かってるのに
卑弥呼のことが分からないっておかしいことだからw >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波 >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
だとしたら、宇佐神宮のあたりは魏志倭人伝でいうと、どの国に当たるんでしょうかね?
筑前筑後糸島とは、宇佐はかなり離れているというか、無関係でしょ? >>117
「筑前筑後糸島」も邪馬台国とは無関係だよ。 @阿波 >>114
>福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず
うだうだ言ってないで早く掘れや。
まぁなにも出るわけないのだがw
九州説というのは、邪馬台国が畿内に決定したら、大変困った事になる右翼さんたちが創った虚構だからね。
畿内に決定したら古代天皇の朝貢を認めることになる。
それはできない。
だから右翼さんたちが九州説を創作したのだよ。
まだ分からないのかい、馬鹿=九州説者はwww >>120
すでに発掘している。
あるいは古墳は宮内庁管轄で発掘できない所もあるから決定打に欠けるか。
いずれにせよ九州王朝を認めることは、ヤマト王権の継承国家である万世一系の今の皇室の歴史の正当性を
否定することにつながるから表に出さないだけ
それに唐との関係もあったから、古来から公にはできなかっただけだよ。
その理由は後述する。 まず押さえておきたいのは、九州と近畿に大きな王朝があったということ。
九州王朝は邪馬台国、伊都国など後に倭国と呼ばれたところ。
畿内王朝は扶桑国(原ヤマト王権)など後にヤマト王権と呼ばれたところ。
旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。
実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。
現在の皇室はヤマト王権の継承国家であるというのが建前だから九州王朝を無視してきた。
あるいは九州王朝の歴史を巧みに畿内王朝に組み入れて歴史を作ってきた。
それは全て万世一系の建前を維持するため。 白村江の戦いで九州王朝は百済を支援するために派兵した。
これは同盟国の百済の再興と同時に任那などの旧領の復活が目的にあった。
一方、畿内王朝は唐と友好を結んでいたので、派兵しなかった。
戦争は九州王朝と百済が敗れ、サチヤマ以下多くの九州王朝の人間が唐に抑留された。
これで九州王朝は衰退して、畿内王朝は九州王朝を吸収して、統一王朝として日本という国号を670年に名乗った。
そして唐も朝鮮出兵しなかった協力者である畿内王朝こそ日本の統治者であるべしと認めた。
邪馬台国は間違いなく北九州にあったし、それを認めることは、唐との関係を壊すことになるし、
万世一系を否定することになるから、古来より九州王朝を無視してきたのだ。
そもそも邪馬台国とヤマト王権は響きは似ているのに、
微妙に違うのは、そういう二つの異なる王朝があったことをにおわせるため。
正直、これは学者の間では常識になっているのだが、国民レベルでは認知されていないので、
邪馬台国は謎ということで落ち着かせているだけ。
北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。
ひょっとすれば、すでに分かっていて、隠しているのかもしれない。
とにかく宇佐神宮は伊勢神宮よりも出雲大社よりも日本で一番重要な場所なのは間違いないよ。 旧唐書にはハッキリと倭国と日本は別種とある。
つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
今もそうだが、九州の人間の平均身長は近畿の人間より低い。
唐は北朝系で、これは異民族が建てた王朝。
九州王朝は、伝統的に南朝系に朝貢してきた国。だから北朝系の唐とは対立していた。
そのため、南朝が衰退した時、九州王朝のタリシヒコは自らが南朝の後継者と言わんばかりに皇帝を名乗った。
一方、畿内王朝は唐と仲が良く、白村江の戦いには派兵しなかった。
つまり、九州王朝は南朝にシンパを持つ皇帝と畿内王朝は北朝にシンパを持つ天皇だったことが分かる。
日本書紀は、この九州王朝と畿内王朝の歴史を統合するために書かれたもの。
だから人工的に九州王朝の歴史が否定あるいは巧みに畿内王朝のモノへの組みこまれたのだよ。
だから今の人間が知らなくて当たり前。
知られたくなかった歴史なんだからw >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波 >>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
九州に倭国はない。 @阿波 >>125
今もそうだけど、皇族には名字がない。
名字というものは、中国の物だから。
アイヌも名字がなかったように、元々日本人には名字はなかったのだよ。 >>127
>今もそうだけど、皇族には名字がない。
苗字? 苗字なんて言ってないよ。 皇族にも名前はあるでしょ? @阿波 >>126
日本という国号は670年に統一国家として名乗った。
これは白村江の戦いで敗れ衰退した九州王朝すなわち倭国を畿内王朝であるヤマト王権が吸収して
統一国家として日本を名乗ったのだよ。
畿内王朝は北朝つまり唐に協力
九州王朝は南朝に協力
唐が白村江の戦いで勝ち、唐の協力者だった畿内王朝が九州王朝を吸収して統一国家の日本として
日本列島を君臨し、唐も認めた。そのため、日本は徹底的にミニ唐になるように律令制度など積極的に唐を見習った。
これが真実。 >>128
名前はあるけど、苗字はなかった。
これは珍説だけど、ひょっとすると天皇は天(アマ)が苗字なのかもしれない。
元々、九州王朝は北九州と朝鮮半島南部を支配する海峡国家だった。
あの地域は釜山なんか今でも海女(アマ)さんで有名な地域。
アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw >>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
九州に倭国に相応しい弥生後期集落遺跡群がない。 @阿波 >>130
>アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw
トンデモ説じゃないよ。 倭国(阿波)の海人だから。 @阿波 >>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
比売大神??? 比売の前につく名前はないのかね? 変な御祭神だね。
いかにもインチキ臭い。 倭国(阿波)の神社では考えられないね。 @阿波 >>122
>旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。
これ、原文出して
旧唐書のどこにある?
>実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。
武則天のときに、日本に号を変えたというのが、唐会要でも確認できる
その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ
日本に改号する前の倭国が大和王権そのものであるのは遣唐使の氏名からも確実
開成四年(838)正月、遣使薜原朝常嗣(藤原常嗣)等来朝貢。
固有名詞まで一致してる薜原朝常嗣(藤原常嗣)は、大和の朝廷の藤原氏
これが九州王朝だったら大笑い >>134
>その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ
そして
遷都前が「倭国」
遷都後が「日本」 @阿波 倭国女王卑弥呼の墓は墳ではなかった。。
尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。
それがみたけりゃ、阿蘇高千穂神社の本殿ご神体山をよ〜く拝むこった。ここが卑弥呼の塚墓だ。。 >>123
>北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。
平原遺跡 >>130
隋書には倭王の姓はアマとある。
アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。 >>137
お墓では邪馬台国は見つからない。 @阿波 >>138
>アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。
倭国(阿波)の海人(あま)族だからね。 @阿波 >>123惜しい、最後の方の2〜3行は違う
まずは、これから見てくれ
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1049407327.html
福岡県田川の香春神社と大鏡神社が
日本始まりの大きな鍵を握っている
久しぶりの書き込@東京 それでは田油津姫の領土の鏡山大神社に神功皇后は
鏡を奉納したのかい?
なんかしっくり来ないなあ
鏡山大神社には何かあるはず >>142
田川辺りは上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「奴国」だね。 @阿波 >>145
征服宣言ではないかな。
香春岳を手にして銅鏡の生産能力を手に入れたことで、自身を卑弥呼または天照になぞらえるだけの有力者として誇示できた。 >>146
ちなみに、
大陸からの玄関口「末羅國」は 「田熊石畑遺跡」」「今川遺跡」「手光於緑遺跡」「新原・奴山古墳」などの福津市周辺
「伊都国」は千戸程度だから、「感田上原遺跡」や「帯田遺跡」などの直方辺り。
「不弥国」は 「築城五反田遺跡」、「上別府沖代遺跡」、「安武・深田遺跡」、「安武・土井の内遺跡」、「赤幡森ヶ坪遺跡」などがある「築上町辺り」だね。 @阿波 香春岳は、
記紀でいえば応神天皇の時代じゃろ。
銅で儲けた金で、あちこち神社を新改築したお人な。 応神天皇が香春岳の銅を好きに使えたのは、母親の神功皇后が田油津姫を倒して香春岳を手に入れたからだよ。 >>150
妄想披露はもうそれぐらいでいいからw @阿波 前にも書いたことあるけど
鏡山大神社そのものが円墳なんだよ
鏡山の山腹にも他の王様の古墳がある
王様を山腹に追いやるほどの人物の古墳が山頂の下にあるんだよ
神功皇后が自ら鏡を納める人物の古墳
誰なんだろう
卑弥呼か台与しか思い付かない 円墳かどうかは知らんが、他にも倭王はいただろう。
博多湾からかなり離れているから、割と新しい時代の墓かもしれないよ? >>153んな事はない
神功皇后の御鎮座が西紀270年。1750年近く前
その前から、この円墳があったはず
どうよ?
卑弥呼か台与とピッタリ合わないですか? 海外の史書との比較から、神功皇后は4世紀後半と考えられている。
遡って、崇神や景行が4世紀のはじめ、神武が2世紀末から3世紀の初めくらい。
神武東征後に畿内は大変革を迎え、崇神や景行の頃に筑紫を脅かす(畿内説が邪馬台国を想定する変化は実はこれ)。
神武が去った後の倭の王都である筑紫で卑弥呼が即位(記紀に登場しない)。
1〜2世紀の倭奴国(伊都国)の男王達が神代の日向三代。 神武と卑弥呼が同世代という誰かさんの主張も、年代観だけは一致する。
しかし神武は大和、卑弥呼は倭の王都である筑紫にいた。
神武達は大和に間借りした小勢力で、畿内の主はそれを迎えた饒速日ら物部氏である(記紀にあるとおり)。
初期の前方後円墳は物部氏の墓制。 旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。 >>158
>初期の前方後円墳は物部氏の墓制。
その物部氏も忌部一族。
その証拠に、「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が
日本で唯一、忌部の郷、阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社で祀られている。 @阿波 >>160
『先代旧事本紀』によれば、伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること
などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。 @阿波 神武で思いだしたけど
カンヤマトイワレヒコのことで
神倭=カンヤマト
倭=ヤマトでいいんでしょうか?
神武は日向でなく天草って本当かな?
天草にも全く有名ではないけど相当古い神社が何か所かあるって
聞いたことあるんだよな 神武の出身地は筑紫の日向、倭国の王都である伊都国高祖宮、またの名をクジフル山の高千穂宮。 ぜんぜん関係ない話だけど
阿波おどり中止になるのか?
何か揉めてるみたいだな徳島
いろいろ大変だなガンバレ徳島 >>167
往古より阿波踊りは倭国(阿波)と共に不滅です。 @阿波 往古より阿倭踊りは倭国(阿倭)と共に不滅です。 @阿倭
或る時、倭の字を好字に代えられたなどと、怪しからん
倭を差別しとんのか、@阿倭は。 >>163ですけど、ちょっと調べた
天草に御所の裏って地名があります
景行天皇の時代位?に御所があったそうです
この周りの島には海人族って人達がすんでいたそうです 景行天皇が熊襲を大隅で退治して
肥後国経由で帰る際に肥後国を巡幸している。
その時に天草にも滞在したと書かれているね。 >その時に天草にも滞在したと書かれているね。
うそこけ 万葉集から見ると四国地方の歌は、どうなんでしょう
歌の数も少ないし、はっきり言って重要視されてませんし、
華やかさや美しさも感じません
四国地方が重要な都市だったとは到底思えません
一度万葉集を読めば想像つくはずです 四国といえば坂本くんやね?
やすくにはんまいらんとあかん 菊池は元々、鞠智=久々知だったんだから、
狗奴国のククチヒコは菊池の豪族で間違いない。
熊本一国を従えるのに、
魏の威光を借りなければいけない勢力が、
大和から熊本に接するまで、
勢力を伸ばしている筈が無い訳で、
邪馬台国は北部九州で100%間違いない。 鞠智=久々知族がそんなに強かったのなら、
魏の威光を借りなければいけない弱小勢力と大戦になることもなかったろう。
、
鉄製武器を携えて新規渡来してきた肥一族に、テキトーに南へ追っ払われたのが先住民の鞠智=久々知族
(事実、菊池一帯の発掘調査で、先住民は追っ払われているそうな)
だから素より不和と書かれたのだろうな
ただし、肥一族は、地震の多い熊本は捨て去り、奈良で大出世したというわけだ 邪馬台国は漢字の当て字字体が正しいのか
疑問点も多いけど
初期ヤマト(やまと王朝)は福岡の京都、行橋、田川
辺りで間違いない >>178
追い払った肥国から卑弥呼も卑弥弓呼も出てきたのでは?
あと、追い払われたとかいう人たちが大和へたどり着くことは難しいだろうし、そうなった痕跡もない。
記紀では、大和にいたのは饒速日も神武も高天原の末裔であり、王族だ。 弥生時代の北部九州の遺跡数は多すぎるので、
ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。
それが饒速日や神武だったんだろう。 >>181
>ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。
悲しいかな、九州には「忌部一族」のような外に出ていく部族が存在しない。 @阿波 >>178奈良は>>59だぞ
奈良の古墳の地層からの水銀調べてくれ 奈良は集落すらまばら。
九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく、人口密度そのものが低い過疎の田舎。 >>186
>九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波 九州だけ
金の耳飾りや王冠、金印、玉爾
阿波や畿内からは出ていない
海外との交流を示せるのは九州だけ 平原遺跡より後も筑紫の繁栄は続いたんだよ。
畿内説では衰退したことにしたいらしいけどね。 >>190
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波 博多のように弥生時代から現代まで連続して繁栄してる場所もありますからね。 >>192
だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。 @阿波 九州の倭人王様の初代は誰なんだろう?
初代とおぼしき墓はどこなんだろう?
九州から出土した珍しい出土品は何を示すのだろうか?
誰か教えて下さい 伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
須玖岡本はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。 間違えだ。
伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
吉武高木はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています