>>183
平原遺跡も、超大型内行花文鏡の1枚は破片一つが別の個体由来であることがわかって1枚カウントが増えたので、破片一つだったはず。
残りの破片は関係者が形見分けしたんだろうね。
つまり筑紫の破鏡も畿内の破鏡もまったく同じ文化だよ。
しかし年代的に筑紫の方が早いから、筑紫の文化が畿内の葬送形式の基礎となっている。
しかもどちらも内行花文鏡を至高としている。
レガリアを共有しているので、畿内王権が筑紫の王権の末裔または分家であることは、考古学的にも明白だよ。