伊都国東遷スレ 7
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html このスレに島巡り説はいないから、いちいち言わなくていいよ。 >>273
官名や人口を数えたのは新たに派遣された魏使ではなく公孫氏時代の郡使ですね
張政等は卑弥呼に会うのが目的ですから道草してる余裕はない。
>>274、>>275
ちゃんと確認してよw >>269
>日程と里程ではそもそも同じ書き方ではないだろう。
>前提が誤っている。
話を曲げるなよ
九州説側が>>219で
「里程部分も連続読み
日程部分も連続読み
里程部分と日程部分が並列読み(同じ行程)」
と言い出したから>>223で私が
「並列で読むように魏志倭人伝文中で指示されていない
後代の注でも、並列読みという指摘はない
並列で読むと、南にしか行かない経路と東南へ向かう経路が同じという矛盾が出る
並列で読む根拠がない 」
と指摘
>>230で九州説側が
「里数で説明した行程が日数の行程に変わるのが
並列で読めってことだよ 」
と駄々を捏ねるから、>>237で私が大月氏国の例を挙げて
里数表示と日数表示が並列読みを意味するわけではないことを例示した訳だ
「同じ書き方じゃないから」並列読みというのは、成り立たないのは分かったかな? そもそも原の辻に寄らないって言い出したのは、
末慮国は呼子に上陸して、湾岸を歩くっていうのがおかしいに
対する反論のつもりなんだよな
壱岐国の位置は、原の辻遺跡だし、島巡りもしないし
壱岐回りの移動は旅程の里数に入っていない
末慮国の位置は唐津平野だし、呼子から延々と歩いたりしないし、
末慮国から伊都国の移動距離五百里が、
「末慮国に着いた呼子から唐津湾沿いに伊都国との境までの末慮国内の移動距離」
にはならない
http://www.geocities.co.jp/hyena_no_papa/matsurakoku.html >>283
>末慮国の位置は唐津平野だし
あなたも、それが間違い。 @阿波 いちいち万津浦で出てくるなよ
出所不明の昭和の文書に多くを求めるなw >>285
>いちいち万津浦で出てくるなよ
「万津浦」に異常反応してるね。 「万津浦」なんてどうでもいいんだけどw
末盧国は対馬海流に乗って、相島経由の福津市辺りだよ。 @阿波 >>282
参考にならない例を挙げて駄々を捏ねるてるのは>>237ですよ
君頭おかしいよ。
>>283
海峡部分は測定が困難なので3海峡とも1000里と書かれてるだけ
全体を見ずに狭い一部だけを切り取って誤魔化しても無駄。 >>289
いつもの根拠厨だから放っておけ。
どうせ自分では何も論証できない空っぽのやつだよ。 伊都クズのことですね
>論証もできない空っぽのやつ >>289
あんたの心にあることは
言わなきゃ誰にもわからはい
あんた、皆からそう呼ばれてるんだろ
滅論だけ言い張るけど理由が言えないやつは
確実にコミュ障だよ 「キナイコシ連呼の人」はコミュ障という言葉がお気に入り
でも、実態は自己紹介ww で、平原1号墓と2号墓を合わせても(合わせる理由がもともとないのだけれど、
それでも敢えてそれに従ったとしても)、25メートルにはならないのは確認できたか?
測りもせすに適当なことを言うなよ! 大陸史書の一連の地理・旅程記事で、
1.もと資料の記載しだいで、里程と日程が混用されること
2.その日程と里程を、並列な記述だと考える理由がないこと
の2点が、大月氏の記事ではっきり確認できるな?
ということは、魏志倭人伝の記載も同様に考えればいい訳だ
独立した他の例からの推論というのは、意味があるし
参考になるだろ?
そして、日程と旅程は並列読みというのは、根拠がないことがはっきりする
九州説の連中のよくやる、問題としているその例一つしかないのに
それを根拠だという自己言及の循環論法とは違うんだよ
水行の起点を帯方郡に戻すのは無理読みの誤読 万津浦すらなかったら、末慮国も伊都国も、
阿波の比定地をとる積極的な理由が何一つない
もう出てくるなよ >>299
> 阿波の比定地をとる積極的な理由が何一つない
「万津浦」に異常反応してるね。 「万津浦」なんてどうでもいいんだけどw
末盧国は対馬海流に乗って、相島経由の福津市辺りだよ。 @阿波 理由を理解できてないからコミュ障って言われてるわけだが。
一方で畿内説スレのテンプレのように主張がぼやけて筋の通らない論証だけゴタクを並べると言うね。 あんたは理由を説明できてないからコミュ障って言われてるわけだが >>303
主張がぼやけて筋の通らないゴタクってのも
自分がいつも言われてることを耳コピきたんじゃないか?
ww >>301
その通り。
キナイコシは根本から間違っているただの荒らし。 >>301
まったく理由を言わないトンデモ説だな
伊都厨終わってるよ >>123
>>26 で書きましたが、「丈が平均身長を表した身体尺」 ということのが、
説文や字形から帰納的に証明出来ない、むしろ別の意味が帰納されるのですから、
それを前提に言われてもね。
一様に身体尺といっても、手で測ったり、足で距離を測ったりする
尺、咫、尋、歩などと同じ意味では、「丈」が身体尺であったとは考えられませんね。
丈夫が husband の意味であるのは勿論承知ですが、単なる凡夫ではなく、「良き人」であったからこそ
「丈夫」がhusbandであったはずで、それこそ「大夫」と通底するんじゃないでしょうかね。 あと、歩についてですが、身体尺として考えれば、一寸2.mmから出てくる144cmが程度が、
身体尺として最もふさわしいと思います。
始皇26年に、一歩を六寸に規定していますから、その際に身体尺としての長さ(6尺4寸)から4寸短くなったと考えるのが自然と思いますね。
実際、少なくとも戦国時代から、漢尺まで一寸・一尺ともかなり安定的ですから。
この時点で、歩の方を固定的に想定して、寸尺自体が変わったと考えるのはどうなんでしょうかね。
この点を考えると、本スレの方のFAQの王制の計算がナンセンスということがわかると思いますよ。 おっと、訂正です
一寸22.5mmから出てくる144cmが程度 >>311
論理的な説明ができてない
主観ばっかり >>315
新しい知見どころか出発点の説文解字から無視してるんだから、岡上がナンセンスのそしりを免れないのは当然だな >>317
何のどこを無視したのですかね?
丈が身体尺の例から漏れたのを無視しているのはどちらでしょう? >>319
それは由来でしょ。
尺も由来から外れた大きさになっている。 >>319
白虎通義での観念的な規定を書いただけですね。
それに身体尺でのアタは、単純な手の大きさより多少大きくなりますから。
18.5 cmなら別に女性のものとして普通ですよ。
許慎が多数の夫人の手を計測したと考える方が、(以下略) >>321
岡上は相変わらず現実離れした結論を言い張るだけか >>321
>18.5 cmなら別に女性のものとして普通ですよ
女性の手がそんなにデカくて
普通だって根拠でもあるのる >>311
>始皇26年に、一歩を六寸に規定していますから、その際に身体尺としての長さ(6尺4寸)から4寸短くなったと考えるのが自然と思いますね。
確認された事実としてだよ
尺のほうが歴史的に大きくなってる傾向があるのにね
歩のほうが小さくなったと考えるのが自然だって
いったいどんな論理でものを考えてるんだ? 無理矢理に周尺を今の一尺にしたいがためにトンデモ訳をつくってるとしか >>325
ですので、拇中指咫は普通の手長より大きいんですって。
それこそご自分で調べてみては?
>>326
165cm〜170cmの人の身体尺は、事実として145cm程度ですよ。
秦は水徳で六を重視するらしいですから、秦代に端数を切り落としたんでしょ。 めんどくさいのでネタバレしちゃいますが、別に独自説でもない、古典的な議論なんですよ。
「尺度綜考」藤田元春
「日本人の尺度」望月長与
を参照してくださいね。特に前者は、周尺=漢尺と論じていますね。 >>328
>秦は水徳で六を重視するらしいですから、秦代に端数を切り落としたんでしょ。
ただの想像かよ >>328
周尺と書いて今の一尺と区別してる史料事実を無視した珍解釈だな もちろん、岡上要素も入ってますよ。
後者は、日本人の尺度としては、拇人指咫を想定していて120cmぐらいのものを
八咫鏡と考えたみたいですよ。古い本ですので、仕方ないですが、平原大鏡を知れば、
拇中指咫での大きさの八咫鏡が出てきたと指摘されていたことでしょうね。 >>328
>秦は水徳で
火徳の漢の前が、なんで水徳なんだ? >>334
拇人指咫だったら女の手が18.5cmもあるって根拠でもあるの? 拇人指咫 と拇中指咫の区別をまずは勉強してくださいね。
わたしは、手長18cm、拇中指咫20cmでしたよ。 >>341
つまり自己都合にあわせて拇中ということにしたが、データは持ってないと
w >>342
あのねぇ。
そもそも許慎が複数の中婦人の手を実測していると考えるのが筋悪なんですよ そもそも平原鏡が八咫鏡であるという前提が筋悪だろ
これに合わせようと、無理読み、珍解釈してるだけじゃんか >>344
それ、筋悪岡上の創作だろ?
岡上以外だれもそんなこと言ってない >>346
そうなんですか?
じゃあ、説文解字の中婦人の手長とは、許慎が想像で書いたか、
測ったとしても奥さんか使用人あたりがちょっと大きめの手だったということで結論でましたね。 そもそも漢代に使われた形跡のない単位を持ち出した岡上の筋悪さにまさるもの無し >>347
根拠史料の筆者を
非常識な人に仕立て上げないと
日の目を見る可能性のない
筋悪岡上珍説 >>338
>>>334
>拇人指咫だったら女の手が18.5cmもあるって根拠でもあるの?
18.5cmはそれほど大きいか?
大きすぎるという印象操作? 男性の自分の手で測ったら21センチもあった。
女性で18センチが小さいとは思えないな。 手の大きさとは書いてあるけど、具体的にどこを計っているかは書かれていない件 どっかに親指と人差し指を広げた幅とか書いてなかったっけ 丈夫の丈は、平均身長だって、どうしてそんなにかたくなに否定するんだ?
アタマおかしくないか? >>354
>>341
>拇人指咫 と拇中指咫の区別をまずは勉強してくださいね。 >>340
>岡上から受け売りを取ったら何も残らない
キナイコシがいつも言われていることをおうむ返ししているみたいだね。 >>356
岡上は頭が悪いのにプライドだけ高いから、いつも他人にちゃんと説明ができない >>361
つまり、なんにも無いのね
カラッポ岡上 wiki 尺より引用
「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものであり、元々は手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺であった。
この長さはおおむね18cmくらいであり、現在の尺の6割くらいの長さである。
wikiすら引けないキナイコシ キナイコシはググることすらできない池沼だったとは、、、
知ってたwwww >>363
wikiなんて、どんな素人がカキコしてもいいんだよ
(よく「要出典」とは突っ込まれるけどさ)
5ちゃん掲示板と同じようなもんだ >>363
wiki信じるなら説文の
>一般にはこの文章は「周代の尺で8寸を咫という」という意味に解釈されている。
で八咫鏡説明即死 >>363
「出典は?」と聞かれて出してきたモノに
「要出典」と書いてあった
これ、どんな笑い話? トンデモ八咫論者の脳には濁った血液が悪循環してるようだ >>347
>測ったとしても奥さんか使用人あたりがちょっと大きめの手だったということで結論でましたね。
こういう根拠なしの憶測を「結論」とかいうあたりが、
お鏡さんの頭の悪さであり、たちの悪さ
丈が成人男子の平均身長だってのも認められないし、
自分の間違いを頑なに認めない、間違いを認めたら負けっていう
九州説価値観の体現者 >>363
>この長さはおおむね18cmくらいであり、現在の尺の6割くらいの長さである。
要出典のWikipediaでさえ、漢尺=23.1センチが正しいなんて書いてないだろ?
そして、八咫鏡だとかいうのは、周尺也を「周を計る尺なり」と誤訳したのが
きっかけなんだから、根本からバカすぎ
しばらく前まで、「周を計る尺なり」の誤訳がWikipediaにも書いてあって、
「これが根拠だ」、とか言ってたんだよなww さすがに、この辺にいる伊都国説の人も、お鏡さんも
あのちっぽけの平原5号墓を、倭王の墓とか日巫女の墓とかは言わないよな? 誰も言っていないことを持ち上げて批判した気になっているヘンな人がいる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています