大陸史書の一連の地理・旅程記事で、
1.もと資料の記載しだいで、里程と日程が混用されること
2.その日程と里程を、並列な記述だと考える理由がないこと
の2点が、大月氏の記事ではっきり確認できるな?

ということは、魏志倭人伝の記載も同様に考えればいい訳だ
独立した他の例からの推論というのは、意味があるし
参考になるだろ?

そして、日程と旅程は並列読みというのは、根拠がないことがはっきりする

九州説の連中のよくやる、問題としているその例一つしかないのに
それを根拠だという自己言及の循環論法とは違うんだよ

水行の起点を帯方郡に戻すのは無理読みの誤読