これまで、平原遺跡の立地と太陽の運行について意味があるなと思ったのは、
「三雲遺跡群から見て、夏至の日の入り方向に平原遺跡がある」
というもの
これだけ

でも、平原遺跡内の墳丘や大柱などの配置は、夏至の日の出日の入は、
一切意識していないようだ

平原遺跡は立地からしても、三雲遺跡群に対して従の立場であり、
すべてを差配できる王の立場にあるとは見えない