>>713
>かなりの数になっていたところで、宗家であり首長家の頭首が「県主」な訳だろ?

同じ福岡県内で怡土の県主と岡の県主がいて、いずれも三種の神器と同じ内容の象徴を保有していたとあるので、複数の宮家があったのだろう。
前者が筑紫日向の高千穂宮、後者が筑紫岡田宮のことだよ。
この話は仲哀天皇が穴門豊浦宮から筑紫香椎宮に入る時の話なので、景行の孫の仲哀が正統と認められたということだろうね。
昔は宮家はたくさんあったんだよ。
平成は宮家の数が極端に少ない時代だったからわからないかもしれないけどね。