>>714
>伊都国の三雲南小路遺跡と、奴国の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓は
>同時代だぞ

須玖岡本は甕棺墓、三雲は平原につながる木棺墓なので、三雲の方が新しいだろうね。
奴国から伊都国への遷都で説明できるんだよ。
三雲の被葬者が天孫族なら、この遷都は筑紫の日向へのニニギの降臨による政権交代でもあった。
だから王位の象徴(三種の神器の様式)を継承しながらも墓制が変化している。