伊都国東遷スレ 7
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>715
本当にめんどくさいな
>日程は帯方郡から。
>九州から先の国邑が記されてなく、郡使は伊都に駐在したと明記してある。
これが誤読
それだと、水行で南にしか行かないことになって、冒頭の
「倭人在帶方『東南』大海之中」という地理観といきなり矛盾する
こういう無理読みを重ねないと、九州に行きつかない時点で、破綻してるんだよ >>727
卑弥呼は特別なんだよ。
あとは日御子、日嗣の御子などだろうね。
天皇制が太陽信仰をベースとしていることは、各所に用いられるその称号から明らかだよ。
皇祖神が天照大神と呼ばれることもその証拠だ。 >>732
>本当にめんどくさいな
あなたの意見こそ、日本の古来からの伝統を無視してその場の思いつきを重ねている。
三種の神器も殯宮も何もかも否定して、あとに何が残るんだい?
それもすべて、伊都が倭の王都で、平原遺跡が卑弥呼の墓であるということを否定したいがためだろ? >>715
>王の印がない国書なら無視した。
>漢が与えた金印で封された国書が届いたので使いを送った。んだよ
また、妄想
魏志倭人伝に
「倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。」
と書いてあるだろ?
帯方郡の太守劉夏が取り次いだから、倭国の使いだとみなされたんだよ
逆に、國印のある文書を持参したとは書いてない
國印、國印というが、漢委奴國王の金印のことが言いたいのか?
倭国王帥升は、金印を持参したのか? >>732
>それだと、水行で南にしか行かないことになって、冒頭の
魏志倭人伝には、南のつぎに東に水行して狗邪韓についているから、南東であっているよ。
よく魏志倭人伝を読んでごらん。 >>735
>國印、國印というが、漢委奴國王の金印のことが言いたいのか?
>倭国王帥升は、金印を持参したのか?
まだ紙がなかったので、木簡などを綴じて、封泥に印を押したというのが一般的な解釈だよ。
印を与えたのは漢だから、漢から禅譲を受けた魏もその印影の資料は保有していたはず。 >>717
>三種の神器と同じ内容の象徴を保有していたとあるので、複数の宮家があったのだろう。
別に宮家じゃない普通の豪族だろ?
何度も書くけれど、雄略紀に皇統とは関係ない「八咫鏡」が出てくるし、
垂仁紀には、皇統とは関係ない「八尺瓊勾玉」も出てくる
三種の神器があるから、宮家とか、倭王だったとか言うのは見当違い
日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)
奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」
是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇
昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。 >>726
>「左右」がつくと「平均的な身長」を示すの?
>何か悪い電波でも受信した?
漢文が読めないなら黙っとけよ
>>726はこれをどう訳すんだ?
「身高一丈的男子。周朝以八寸為尺,十尺為丈,成年男子高八尺『左右』,故以丈夫為男子的通稱。」 >>726
>「左右」がつくと「平均的な身長」を示すの?
本当に面倒くさいけど、親切に解説してあげると、
「成年男子高八尺左右」の「左右」は、現代日本語では「前後」にあたる言葉
成年男子の身長(高)は、八尺前後、だったら分かるだろ?
特に平均と訳す必要もないが、大体これくらいという意味でしかないし、
平均的な男子の身長、標準的な男子の身長、という意味にしかならないよ
丈夫が大男とかいうのは大間違い >>738
>別に宮家じゃない普通の豪族だろ?
筑紫高千穂宮、筑紫岡田宮、筑紫香椎宮、穴門豊浦宮、筑紫橘広庭宮などはいずれも宮の表記を用いる。
そこにいた天皇が明記される場合もあれば、はっきり起源がわからないものもある。
例えば、香椎宮は仲哀らが入ったと書かれるが、仲哀らが建てたとは書かれてない。
少なくとも伊都や岡には大王ではないが宮家があったことがうかがわれる。 >>736
>魏志倭人伝には、南のつぎに東に水行して狗邪韓についているから、南東であっているよ。
だから、その経路と水行20日の経路が同じ経路をもう一度書いただけ、という九州説の
言い分が正しいならば、
「南」至投馬國水行二十日 ではなく
「東南」至投馬國水行二十日 でないと矛盾するって言ってるんだよ
>よく魏志倭人伝を読んでごらん。
こっちの台詞だよww >>729
>本当に時代が離れているなw
>ようは棺を一時的に置いておければいい。
>1号墓の棺が大きすぎるんだよ。
逃げたなww
「1号墓の棺が大きすぎる」なら、それに合わせて殯宮を大きく作ればいいだろ?
要するに、異形建物は殯宮じゃないし、>>664の書き込みは
「知識のない人間の思い込みによる言いがかり」だと確認できたってことでいいな >>738
>別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)
>昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
これだって、前者は領土を与えられているこら、大王ではないが王(紀なので冊封されたという意味ではない)の扱いを受けている。
後者は王の扱いを受けていないが、曰甕襲という名前は古い神別の可能性がある。日は王のこと、甕棺は古い王家が用いていた墓制、襲は熊襲など支配者のこと。 >>730
>卑弥呼を補佐していた弟の可能性が高いと思うよ。
ならば王族だし、王佐の第一の臣ならば、副葬品が貧弱すぎるとは思わないかい?
伊都国一国のローカル首長の弟ならばそれくらいで相当とも言えるけれど >>731
>内向花文が太陽を表すのは定説だろ。
>まさか日光鏡をしらないのか?
定説なら定説であることを示す、典拠資料を示してね!
単に文様から、通称がつくのは普通にあること >>746
魏志倭人伝における卑弥呼の弟の扱いはひどいよ。
名前も記録しないくらいだから。 >>747
その鏡の銘文そのものがその証拠だよ。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。 >>731
>三種の神器がそろうから王だし。
三種の神器は、それだけでは王を意味しない
>>738を参照
さらに三種の神器の組合せは、そこらの古墳の副葬品として普通に見られる
事実 山口県の赤妻古墳、山梨県の笛吹市平林2号墳 など 平原遺跡の状況は、邪馬台国筑紫説とよく合致するね。 >>750
紀元前に筑紫で確立された様式を持った一族が全国を支配したということだよ。
簡単だね。 >>733
>卑弥呼は特別なんだよ。
>あとは日御子、日嗣の御子などだろうね。
>天皇制が太陽信仰をベースとしていることは、各所に用いられるその称号から明らかだよ。
>皇祖神が天照大神と呼ばれることもその証拠だ。
それは、卑弥呼についてであり、ヤマト王権の皇統についての話であって
「それが平原1号墓の被葬者に当てはめられる理由がない」って言ってるんだよ
伊都国説は、畿内説への仮冒、背乗りと言っているのは、そういう意味
大和朝廷の神器の御神鏡の名称が「八咫鏡」だから、平原一号墓出土鏡を
「八咫鏡」と呼ぶことで皇統に繋がると「主張しようとしている」
というだけ >>734
>三種の神器も殯宮も何もかも否定して、あとに何が残るんだい?
否定していないだろ?
関係のないものを「無理やり皇統と紐付けしようとするな」と言っているんだ
平原一号墓東側の、木棺より小さい異形建物が「殯宮じゃない」のは確認したな?
まだ違うと言い張るなら、そういう印象操作に走らずに、論拠を挙げて論証してくれ 天皇家の起源が筑紫にあることは記紀も明記しているのだけど、なぜそこまで大和だけにこだわるのかな? >>754
>平原一号墓東側の、木棺より小さい異形建物が「殯宮じゃない」のは確認したな?
さあ?
最終的な棺は大きなものだからすぐには用意できないし、それまで小さな殯宮に安置したというのは不自然ではないよ?
あなたの言っていた供物を捧げる建物だとすると、鳥居と反対側にある理由が説明できないよ。
また、そのような建物を用いたという類例がない。 >>720
>須玖岡本は甕棺墓、三雲は平原につながる木棺墓なので、三雲の方が新しいだろうね。
>奴国から伊都国への遷都で説明できるんだよ。
ごめんなぁ、それ(木棺墓だから新しい)、根拠にならないんだわ
吉武高木遺跡の特定集団墓の中で、王墓とされることの多い埋葬主体は
3号「木棺墓」なんだよ
三雲南小路遺跡、須玖岡本遺跡D地点甕棺墓より、200年も古い「王墓」が
木棺墓なのだから、木棺墓だから甕棺墓より新しいとはいえない >>723
>でもなぜか魏志倭人伝は王と呼称している。
>何か根拠があったのかもしれないが書かれてはいない。
要するに、誰を王とするかは根拠がないってことだろ?
結局は、考古学的に厚葬墓を検出して「王墓級」と考えられるか否かで
判断するよりないんだよ
伊都国に王がいて、奴国には王がいないとか、遷都したとかいう言辞には、
検証に耐えうるだけの根拠がない >>757
なるほど。
でもそれならばなおさら、木棺墓が王墓ということになり、吉武高木や三雲南小路は王墓だが、三雲南小路とほぼ同時代の須玖岡本は王墓ではないということになるから、よりすっきりとするね。
奴国から伊都国への遷都があったということだ。 >>737
>まだ紙がなかったので、木簡などを綴じて、封泥に印を押したというのが一般的な解釈だよ。
>印を与えたのは漢だから、漢から禅譲を受けた魏もその印影の資料は保有していたはず。
それはいいけれど、倭国王帥升は、その印を使ったのか使わなかったのかどっちなんだ? 木棺墓が倭王の墓。
これですべて説明できる。
甕棺墓だらけの時代だから、木棺墓は特別な意味があったのだろうね。 >>741
>少なくとも伊都や岡には大王ではないが宮家があったことがうかがわれる。
行宮って言葉は知っているかい?
天皇が一時的にでも滞在した場所は、宮表記になるんだよ
筑紫岡田宮は、神武天皇が東征途上で1年滞在したから宮表記
古事記中巻
「於筑紫之岡田宮一年坐」
宮家の有無とは関係ない
あくまで天皇が基準
あと、神宮(かんみや)は宮と書かれるけれど >>745
>曰甕襲という名前は古い神別の可能性がある。日は王のこと、
おいおい、漢文が読めないならしゃしゃるなよ
名曰甕襲で、名は曰く甕襲、あるいは、名は甕襲と曰う、と読む
名前は甕襲だけ
日と曰は、別の文字だぞww
見当違いにも程がある >>763
>宮家の有無とは関係ない
しかし仲哀天皇の時代に再登場する不思議。 >>764
あー、これはすまん。
スマホの小さい文字なので区別できなかった。
この記事の意味はよくわからない。
よくこんなのを見つけてくるなあ。 >>748
>魏志倭人伝における卑弥呼の弟の扱いはひどいよ。
>名前も記録しないくらいだから。
それは魏志倭人伝の扱いであって、倭国側の都合ではないだろう?
卑弥呼の弟は、有男弟佐治國と書かれているのだから、彦姫制を想定するなら、
まさに彦王の政務王その人だ
というか、この記述自体が彦姫制の根拠とされることが多いんだが
男弟は王族であり、ある意味、王そのものなのだから、薄葬されるとは想定しがたい
それに何より、魏志倭人伝には、卑弥呼の墓は隣に同時築成の墓があるとは書いていない
平原1号墓は、隣に2号墓が付いている時点で卑弥呼の墓の候補としては、非常に弱いことになる
まあ、径百歩からだけでも否定されるんだけれどね >>767
>卑弥呼の弟は、有男弟佐治國と書かれているのだから、彦姫制を想定するなら、
>まさに彦王の政務王その人だ
それこそあなたこ勝手な想像。
政務は伊都の禰宜や大率が担っただろうね。
>男弟は王族であり、ある意味、王そのものなのだから、薄葬されるとは想定しがたい
事実を元に考えようよ。
おそらく卑弥呼本人の資質が大事だったのであり、一族はそらほど重視されなかったのだろう。
壹與も宗女とあり、直系(娘など)ではないようだし。 >>749
>その鏡の銘文そのものがその証拠だよ。
>三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、内行花文鏡が太陽光を象った鏡であることがわかる。
おいおい、それが根拠かよ
銘文に「日之光」という語を含んでいるものを「日光鏡」と呼ぶんだよ
単なる鏡種の分類のための名称
例えば九州説大好きな須玖岡本遺跡D地点甕棺墓から出土の重圏銘帯鏡にも
その銘文が記されたものがあり、重圏日光鏡と呼ばれている
また、「精(清)白」という語を含んでいるものを精(清)白鏡と呼ぶから、
別の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓出土鏡で、内行花文清白鏡と呼ばれるものもある
日光鏡と呼ばれるものがあることが、太陽信仰の根拠なら、内行花文鏡ではなく、
重圏銘帯鏡が副葬されている墳墓も、太陽信仰の日の巫女の墓ってことになるな
はい、論破w >>751
>平原遺跡の状況は、邪馬台国筑紫説とよく合致するね。
そりゃあ、平原遺跡に合わせて邪馬台国筑紫説を唱えてるんだから当たり前だろ?
散々、循環論法ってい批判を受けているのに、懲りないなww >>752
>紀元前に筑紫で確立された様式を持った一族が全国を支配したということだよ。
>簡単だね。
つまり、三種の神器を持っていても、一族の一員というだけで、
ある意味one of them でしかないと見とめる訳だ
つまり、三種の神器の存在は、ただ一人の王を示す象徴とは
なりえないってことだな
つまり、平原1号墓が王墓であるという主張は根拠がないってことだ 考古学的証拠があるからそれに合わせて考察するのが当然だろ?
何も出ないのに言い張っている畿内説とは大違いだ。
あなたの言っていることの方がおかしい。 >>771
時代を考えろよ。
一族の播種とともに増えたんだよ。
平原遺跡は圧倒的に卓越した女王墓だよ。
後世には三種の神器セットは増えるけど、それとは時代が違う。 >>756
>さあ?
>最終的な棺は大きなものだからすぐには用意できないし、それまで小さな殯宮に安置したというのは不自然ではないよ?
完全に、「想像」の世界だな
仮にも王の殯宮であれば、そんな貧弱なものは作らないだろ
のちの世の記録ではあっても、殯宮では儀式を行うものだから、
人が入る余地がない小さなものはおかしい
それに、墓を作る場所のそばに殯宮があるとするのは、死穢の観念からもおかしい
>あなたの言っていた供物を捧げる建物だとすると、鳥居と反対側にある理由が説明できないよ。
そもそも、その柱跡が「鳥居」であるとする根拠がないんだ
ただの「通称」でしかない
トーテムを立てた後だと主張している人もいる
>また、そのような建物を用いたという類例がない。
最初から、吉野ヶ里の北墳丘墓の例を挙げているんだが?
http://www.yoshinogari.jp/contents3/?categoryId=12
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c403.html
類例、あるだろ?というより、同じ目的の配置と考えない理由がない >>774
>のちの世の記録ではあっても、殯宮では儀式を行うものだから、
神道の儀式のほとんどは屋外だよ。
そもそもは宮ではなく磐座だったくらいだし。
>トーテムを立てた後だと主張している人もいる
そのトーテムを鳥居と呼ぶんだけど。
>最初から、吉野ヶ里の北墳丘墓の例を挙げているんだが?
鳥居と解釈する人が多いけど? >>759
ほんとうにめんどくさいな
>でもそれならばなおさら、木棺墓が王墓ということになり、吉武高木や三雲南小路は王墓だが、三雲南小路とほぼ同時代の須玖岡本は王墓ではないということになるから、よりすっきりとするね。
少しは、自分でググって調べてみなよ
吉武高木遺跡の特定集団墓は、甕棺墓が7基、木棺墓が4基で、
その中で一番副葬品が豪華だった3号木棺墓が「王墓」と呼ばれているだけで、
木棺墓であることが王墓であることを保障しないし、
甕棺墓が王墓ではない理由にもならない
結局、副葬品が豪華な厚葬墓を「王墓級」と判断しているだけ
そして、奴国の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓も、伊都国の三雲南南小路遺跡も
「王墓級」と考えられており、この辺の編年はそれほど正確には分からないので、
どちらが前とも判断ができない
もうちょっと、実力をつけてから書き込みしてくれると助かる
本当に面倒くさい そもそも腐り始めた死体と同じ建物になんかいられないって。
平原遺跡だって、1号墓からかなり離れているようだし。
どれくらいの距離がある? >>761
>甕棺墓だらけの時代だから、木棺墓は特別な意味があったのだろうね。
>>776を参照
あんまり意味のない憶測を書かないでくれると助かる >>762
>もちろん使っただろう。
もちろん、根拠が一切ない妄想だろ?
違うというなら根拠を出してね
ある訳ないのは知ってるけどw >>766
>よくこんなのを見つけてくるなあ。
有名な話だよ
邪馬台国論争で、八咫鏡を持ち出すなら、当然知っているのが普通
ニワカさんなんだね
>あー、これはすまん。
謝れるのは、お鏡さんよりずっと高潔な人格であることを示しているから、
立派なことだよ >>779
使わなかったらどうやって倭王ですと証明できたんだ?
教えてくれるかな? >>768
>政務は伊都の禰宜や大率が担っただろうね。
では、同じ場所にいた男弟は、何をして「佐治國」を行っていたんだい?
何もしないのに、「佐治國」とはこれいかに?
基本的に、伊都国の官や一大率と邪馬台国が水行陸行で二ヶ月かかる
遠地の別の国だという魏志倭人伝の記述を無視するから、こういう
おかしな話になってしまうんだよ >>768
>おそらく卑弥呼本人の資質が大事だったのであり、一族はそらほど重視されなかったのだろう。
これが、恣意的な憶測
根拠がない
>壹與も宗女とあり、直系(娘など)ではないようだし。
血統を重視するから、宗女を立てないと収まらなかったという話なんだが?
それに卑弥呼にはそもそも「無夫壻」だから、直系の子供ももちろんいない >>782
>遠地の別の国だという魏志倭人伝の記述を無視するから、こういう
誤読だよ。 >>783
>根拠がない
2号墓の扱いや魏志倭人伝の記述が根拠だよ。
>血統を重視するから、宗女を立てないと収まらなかったという話なんだが?
次の男王だって、卑弥呼の血縁だったはず。
おそらくは狗奴国の卑弥弓呼もね。
でも血統だけでは治めることができず、実力がないけど13歳の少女を女王にしたら収まった。
血統だけなら他にも候補はいたが、巫女女王であることが大事だったと考えられる。
もちろん、13歳の壹與に夫がいたとは考えにくく、邪馬台国は姫彦制ではなかったということだよ。 >>772
>何も出ないのに言い張っている畿内説とは大違いだ。
つ 纏向遺跡そのもの
つ 纏向古墳群
つ 纏向大溝 この溝からの出土物で纏向編年が作られている
つまり、大溝を作るのが最初であり計画都市であることが分かる
つ 布留式土器、精製器種3種が確立した場所である
つ 定式化した前方後円墳が確立した場所である
つ 軸線を揃えた大型建物跡と、関連した大型祭祀土坑
つ 桃の種2000個 確実な祭祀の遺物という意味では弥生時代でほぼ唯一
いくらでもあるねぇ
九州説がないないと言っているのは、纏向遺跡の王墓級墳墓で
埋葬主体部が発掘されたものがないから、ってだけなんだよ
盗掘されていたり、陵墓指定されていたり、削平されていたりで
まともに発掘されたものがないのが理由
>あなたの言っていることの方がおかしい。
どこがおかしいのか、「具体的に指摘」しておくれよ
祠堂がおかしいってことには、きちんと対応して論破して見せただろ? >>773
>時代を考えろよ。
>一族の播種とともに増えたんだよ。
そのまま言葉を返すけれど、時代を考えなよ
古墳時代に入ってから、北部九州の一族が増殖して播種されたなんていう事実はないぞ
>平原遺跡は圧倒的に卓越した女王墓だよ。
残念ながら、仿製鏡がやたらたくさん出ることを除けば、特に卓越していると
考えるべき理由はない
三種の神器でいうなら、剣も玉(ガラス製品)も丹波の「王墓級」の方が
豪華だ
>後世には三種の神器セットは増えるけど、それとは時代が違う。
三種の神器セットに、過剰な思い入れをするのはやめなよ
皇室の三種の神器は、皇室の権威が背後にあるから神器なのであって、
剣・鏡・玉のセット自体は、首長層の葬送儀礼で共有されている普通のものなんだよ
卑弥呼が共立であることから分かるように、日本の王は「絶対者」として
始まったわけではなく、同胞の中の第一人者として始まっている
それが、絶対的な王者・天皇・皇統として確立していく過程が、記紀の征服譚だよ >>775
>神道の儀式のほとんどは屋外だよ。
>そもそもは宮ではなく磐座だったくらいだし。
時代が違うだろ?
殯宮となった時点で、建物だ
磐座が宮でないのはそうだが、殯宮は宮だろ?
>そのトーテムを鳥居と呼ぶんだけど。
それは短絡
韓国のソッテという鳥のトーテム のようなのを想定する人もいる
これは鳥居じゃないだろ?
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/n/nyankosensee/20110813/20110813181534.jpg
鳥居ならば、二つが並行ではないのがあまりにもいい加減ということにもなる
>鳥居と解釈する人が多いけど?
それは、一度「鳥居」と呼ばれたのが一人歩きしてるんだよ
鳥居ならば、3号鳥居はどうして横向きに立てられているんだい? >>781
>使わなかったらどうやって倭王ですと証明できたんだ?
最初に戻るが、夷人の自己主張だけでは証明できないから、
答礼使を出して確認するんじゃないか
朝貢が来た時点では、王とは証明できないよ >>784
>誤読だよ。
九州説、すべてがね
分かってるよw >>785
>2号墓の扱いや魏志倭人伝の記述が根拠だよ。
だから、具体的に書いてっていってるだろ?
日光鏡の話も、具体的に書いたら論破されちゃったから、
できるだけごまかしたいのは分かるけどさw >>785
>血統だけなら他にも候補はいたが、巫女女王であることが大事だったと考えられる。
ここまでは同意
つまり、共立倭王は「祭祀王」である必要があったということだ
彦姫制の「姫王」の統一に留まるというこどだよ
>もちろん、13歳の壹與に夫がいたとは考えにくく、邪馬台国は姫彦制ではなかったということだよ。
逆だ
彦姫制だから、姫王=祭祀王が倭王を名乗るのは構わないが、
彦王=政務王・世俗権力が倭王を名乗るのが許されない お鏡さんは、「丈夫」が普通の成人男子って認められるようになれば、
もっと討論が普通にできるようになると思うんだけどね
間違いを認めたら負け、という儒教道徳的価値観をベースにした、
無駄なプライドがあるように見える 今日はっきりしたこと
・内向花文鏡は太陽信仰の象徴ではない
少なくとも日光鏡の存在は理由にならない
・平原遺跡全体で見て、太陽信仰を結びつける理由はない
1号墓に付属する大柱の先には異形建物があり日向峠は見えない
異形建物は1号墓木棺を納められないほど小さく殯宮ではない
異形建物は吉野ヶ里遺跡北墳丘墓に付随する祠堂と同様なもの >>789
>朝貢が来た時点では、王とは証明できないよ
金印で国書が封してあれば確実性がはるかに高くなる。
外交プロトコルの問題なんだよ。 >>794
何十メートルも離れた小さな建物は山を隠さないよw
異形建物の大きは?
祠堂なんてものが使わらていたという根拠がない。 >>794
・内向花文鏡は太陽信仰の象徴ではない
少なくとも日光鏡の存在は理由にならない
なんで?
2ちゃん珍説?? >>798
内向花文鏡が太陽信仰の象徴だったら、もう全国に広まってるから東遷の理由に出来ないよ
w >>798
>なんで?
>2ちゃん珍説??
>>710、>>727、>>731、>>747、>>749とちゃんと追って読んでみて
締めの>>769を再掲
銘文に「日之光」という語を含んでいるものを「日光鏡」と呼ぶんだよ
単なる鏡種の分類のための名称
例えば九州説大好きな須玖岡本遺跡D地点甕棺墓から出土の重圏銘帯鏡にも
その銘文が記されたものがあり、重圏日光鏡と呼ばれている
また、「精(清)白」という語を含んでいるものを精(清)白鏡と呼ぶから、
別の須玖岡本遺跡D地点甕棺墓出土鏡で、内行花文清白鏡と呼ばれるものもある
日光鏡と呼ばれるものがあることが、太陽信仰の根拠なら、内行花文鏡ではなく、
重圏銘帯鏡が副葬されている墳墓も、太陽信仰の日の巫女の墓ってことになるな
はい、論破w
参考
「鏡の考古学」
http://home.p07.itscom.net/strmdrf/kagami.htm >>798
もし内向花文鏡が太陽信仰の象徴なら
弥生のうちに太陽信仰が西日本一帯に
広まってたことになる
ならば、どっちの山からどっちの峠から日が出るとか
全国的に広まってないとおかしいことになる
そんなことないので
内向花文鏡は太陽信仰の象徴ではない 内行花文が太陽じゃないって言ってる人は、
何の象徴と思ってるのかな?
普通に気になるわ >>802
>面白い珍説だな
>さすが2ちゃんだわ
だろ?
内行花文鏡が太陽信仰の象徴だなんて笑っちゃうよなw
しかも、内行花文鏡が副葬されてるから被葬者は日の巫女だとか
言っちゃう迷説もあるんだぜw
さすが5ちゃんだよなww >>804
別の世界の人間みたい。
ほんと目がついてる? >>803
お前の頭は帽子掛以外には使えなそうだな >>803
>内行花文が太陽じゃないって言ってる人は、
>何の象徴と思ってるのかな?
>普通に気になるわ
鏡面の文様、特に幾何学文様が、何かの象徴だとか考えるのが不思議
方格規矩鏡は何かの象徴だとか考えたことはあるかい?
方格規矩鏡
「鈕の周囲に方形の区格があり、外側に T ・ L ・ V 字形の文様があるもの。
これを定木とコンパスに見たて、規矩鏡と呼んだ。」
定規とコンパスの象徴だなんていう人はいないだろ?
結局、内向花文鏡が太陽信仰の象徴だなんていうのは
伊都国説の人が、平原1号墓を卑弥呼の墓だというために逆算で
唱えているだけの珍説なんだよ
伊都国が邪馬台国の都
↑
平原1号墓が卑弥呼の墓
↑
平原1号墓出土鏡は八咫鏡
↑
内向花文鏡は太陽祭祀の象徴
こんな感じ >>807
内向花文が太陽に見えないとか。
もう感性が違いすぎて、、、、笑
もう人間やめたら? >>796
>13歳の壹與に夫がいたと思ってる?
ああ、そんなところに噛み付くんだww
彦姫制は、夫婦であることを要求しないよ
王族のペアの男女ってだけ
夫婦よりも、兄妹とか、姉弟とかの方がむしろ座りがよい
卑弥呼と男弟も、姉弟だろ
あと、叔父と姪なんてのもありだろう
13歳に夫がいるかどうかとか「まったく関係ない」よな?
で、まだ何か言いたいかい? >>797
>何十メートルも離れた小さな建物は山を隠さないよw
その前に、太陽信仰のために日向峠から昇る朝日が重要なら、
邪魔になる位置に建物は置かないだろうが!
>異形建物の大きは?
自分で、平原遺跡の平面図を確認したらぁ?
このスレにも何度か図のURL貼ってあるよ
平原1号墓ではなく、平原遺跡といいまくってるんだから、自分で調べなよ
伊都国説の人間より、私の方が平原遺跡に詳しいって時点で、伊都国説は駄説
>祠堂なんてものが使わらていたという根拠がない。
それは、吉野ヶ里遺跡の研究者に対する挑戦だな
ちゃんと根拠を揃えて、突してきたら?
吉野ヶ里遺跡についての「お問い合わせページ」はここだ
http://www.yoshinogari.jp/contents8/?categoryId=1
さあ、がんばれ!ww >>808
>内向花文が太陽に見えないとか。
太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
点が3つあると顔として認識してしまう「シミュラクラ現象」って知ってるか?
点が三つある鏡は、顔に見えるから、顔信仰の象徴だなww
九州説ってのは、こんなのばかりだ
それに、最初に噛み付いた>>794はきちんと
・内向花文鏡は太陽信仰の象徴ではない
「少なくとも日光鏡の存在は理由にならない」
こう書いてあるだろ?ww
いい加減なことを言うのはそろそろやめなw それから、古代中国で太陽の象徴って言ったら、三足烏だぞ
だから、日本サッカー代表のエンブレムに三足烏が描いてあるんだ
まあ、三足烏の意匠の鏡ってのは聞いたこともないけどな >>811
太陽の象徴ということは認めるわけ??
認めないのは勝手だけど、こちら強要しないでほしいな。 >>808
>もう人間やめたら?
こっちは、バカだなぁという思いを一生懸命押さえて書き込みしてるのに
九州説の人間は、すぐに相手を蔑んだり人格攻撃に走ったりするよなw
お里が知れるよww >>813
>認めないのは勝手だけど、こちら強要しないでほしいな。
認めないのが勝手、じゃなくて、根拠がまるでないって言ってるんだよ
根拠がないことを前提とした推論は意味がない
それだけのこと
太陽っぽく見えるから、太陽信仰に決まってるなんていう、脳内世界のことで
現実世界の歴史を語るなってこと >>813
太陽の象徴だと矛盾が生じることに弁明は? >>809
>彦姫制は、夫婦であることを要求しないよ
弥生時代にそんな制度があった証拠がない。
むしろ平原遺跡の状況はそれに否定的だ。
あなたは勝手に自分で思い込みをしているだけ。
まず事実を直視しなさい。 >>810
>邪魔になる位置に建物は置かないだろうが!
だから、小さい建物だから邪魔にならないよ。
神武が大和を攻めた時、兄の五瀬が死んで、神武は紀伊半島を東に回り込んで戦った。
その時、天神の子は太陽に向かって戦ってはいけないと言った。
つまり、天神の子は太陽を背にして君臨するという意識があったことになる。
(西) 民衆ー王ー太陽 (東)
という配置が必要なんだよ。
平原遺跡の鳥居と殯宮の配置はこれに沿っている。
変形建物が祠堂なら、民衆が東から女王を拝むことになるので、おかしなことになる。 >>815
日本は明らかに太陽信仰から発展してきた文化を持つのだけれど?
八咫鏡を象徴としているのも、その一部でしょ?
国号が日本というくらいだし。 >>816
太陽の象徴だと考えると全てが合致する。
そうでないと何も説明できなくなる(あなたのように)。 >>811
>太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
「見日乃光」(日の光を表す)と銘文があっても? 畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
否定するばかりで何ら主張できないというのは、何なんでしょうね。 >>824岡上
>畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
倭国(阿波)でも何の問題もないけれど、
邪馬台国とは何の関係もないよ。 @阿波 >>817
紹介されたpdf読んだけれど「丸い鏡」は太陽の象徴と考えられるっていう話で、
内行花文鏡が特別に太陽を象徴する鏡なんて話にはなってないぞ
その伝で行くと、「丸い銅鏡が出る墳墓」は「全部、日の巫女」だな
何を主張しないといけないのか、自分で分かってないだろう? >>818
>弥生時代にそんな制度があった証拠がない。
明示的に示しているものはないが、記紀の記事などで、ウサツヒコ、ウサツヒメのような
彦姫が対になった命名が多く見られる
神社の祭神名などにも、彦姫制があったことを思わせる事柄が多い
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヒメヒコ制
とか読んでみ
個人の妄想を書いてる訳じゃないよ
>むしろ平原遺跡の状況はそれに否定的だ。
前に、2号墓は男弟だって書いてる人がいたけれど?
1号墓と2号墓が一緒に作られていることは、明らかに彦姫制と親和的だろ?
どこが否定的なんだい?
言いたいことがあれば「具体的に指摘」してくれ! >>823
>「見日乃光」(日の光を表す)と銘文があっても?
それ、一種の吉祥句でいろんな鏡の銘に出てくるんだよ
これで三度目だけれど
例えば九州説大好きな須玖岡本遺跡D地点甕棺墓から出土の重圏銘帯鏡にも
その銘文が記されたものがあり、重圏日光鏡と呼ばれている
内行花文鏡が特に太陽を象徴するってことはない
「内行花文鏡があるから、日の巫女だ」なんていうのは三段跳び以上の飛躍だよ
有り体に言って、理路の通った論説にはならない >>824
>畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
>否定するばかりで何ら主張できないというのは、何なんでしょうね。
バカなの?
八咫鏡が太陽神の象徴であることと、「内行花文鏡」が太陽信仰の象徴だという主張には
何の関連もないって言ってるんだよ
丸い大きな白銅鏡(青銅鏡も可)が、太陽の象徴だってのはいいんだよ
内行花文鏡の円弧文が太陽に似て見えるから、って
いうのが根拠にならないって言ってるんだよ
日光鏡も特に太陽信仰とは結びつかない
重圏日光鏡を太陽信仰の象徴と主張した九州説の人は、いないだろ?
なら、内行花文日光鏡だけを主張するのは、根拠なしのご都合主義だってことにしかならない お鏡さんも出てくるなら、丈夫が普通の成人男子だって認めてからにしな 内行花文が太陽を象った模様にに見えないというのは、流石にちょっとついてけませんねぇ。ここで声高に騒がず、別スレでも立てて他所でやって欲しいところかな。
多分に感性の問題もあるでしょうし、平行線でしょうし、
議論の対象ではない気がします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています