0738日本@名無史さん
2018/07/14(土) 14:23:19.75>三種の神器と同じ内容の象徴を保有していたとあるので、複数の宮家があったのだろう。
別に宮家じゃない普通の豪族だろ?
何度も書くけれど、雄略紀に皇統とは関係ない「八咫鏡」が出てくるし、
垂仁紀には、皇統とは関係ない「八尺瓊勾玉」も出てくる
三種の神器があるから、宮家とか、倭王だったとか言うのは見当違い
日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連(連、未詳何姓人)
奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」
是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇
昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。