伊都国東遷スレ 7
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>797
>何十メートルも離れた小さな建物は山を隠さないよw
その前に、太陽信仰のために日向峠から昇る朝日が重要なら、
邪魔になる位置に建物は置かないだろうが!
>異形建物の大きは?
自分で、平原遺跡の平面図を確認したらぁ?
このスレにも何度か図のURL貼ってあるよ
平原1号墓ではなく、平原遺跡といいまくってるんだから、自分で調べなよ
伊都国説の人間より、私の方が平原遺跡に詳しいって時点で、伊都国説は駄説
>祠堂なんてものが使わらていたという根拠がない。
それは、吉野ヶ里遺跡の研究者に対する挑戦だな
ちゃんと根拠を揃えて、突してきたら?
吉野ヶ里遺跡についての「お問い合わせページ」はここだ
http://www.yoshinogari.jp/contents8/?categoryId=1
さあ、がんばれ!ww >>808
>内向花文が太陽に見えないとか。
太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
点が3つあると顔として認識してしまう「シミュラクラ現象」って知ってるか?
点が三つある鏡は、顔に見えるから、顔信仰の象徴だなww
九州説ってのは、こんなのばかりだ
それに、最初に噛み付いた>>794はきちんと
・内向花文鏡は太陽信仰の象徴ではない
「少なくとも日光鏡の存在は理由にならない」
こう書いてあるだろ?ww
いい加減なことを言うのはそろそろやめなw それから、古代中国で太陽の象徴って言ったら、三足烏だぞ
だから、日本サッカー代表のエンブレムに三足烏が描いてあるんだ
まあ、三足烏の意匠の鏡ってのは聞いたこともないけどな >>811
太陽の象徴ということは認めるわけ??
認めないのは勝手だけど、こちら強要しないでほしいな。 >>808
>もう人間やめたら?
こっちは、バカだなぁという思いを一生懸命押さえて書き込みしてるのに
九州説の人間は、すぐに相手を蔑んだり人格攻撃に走ったりするよなw
お里が知れるよww >>813
>認めないのは勝手だけど、こちら強要しないでほしいな。
認めないのが勝手、じゃなくて、根拠がまるでないって言ってるんだよ
根拠がないことを前提とした推論は意味がない
それだけのこと
太陽っぽく見えるから、太陽信仰に決まってるなんていう、脳内世界のことで
現実世界の歴史を語るなってこと >>813
太陽の象徴だと矛盾が生じることに弁明は? >>809
>彦姫制は、夫婦であることを要求しないよ
弥生時代にそんな制度があった証拠がない。
むしろ平原遺跡の状況はそれに否定的だ。
あなたは勝手に自分で思い込みをしているだけ。
まず事実を直視しなさい。 >>810
>邪魔になる位置に建物は置かないだろうが!
だから、小さい建物だから邪魔にならないよ。
神武が大和を攻めた時、兄の五瀬が死んで、神武は紀伊半島を東に回り込んで戦った。
その時、天神の子は太陽に向かって戦ってはいけないと言った。
つまり、天神の子は太陽を背にして君臨するという意識があったことになる。
(西) 民衆ー王ー太陽 (東)
という配置が必要なんだよ。
平原遺跡の鳥居と殯宮の配置はこれに沿っている。
変形建物が祠堂なら、民衆が東から女王を拝むことになるので、おかしなことになる。 >>815
日本は明らかに太陽信仰から発展してきた文化を持つのだけれど?
八咫鏡を象徴としているのも、その一部でしょ?
国号が日本というくらいだし。 >>816
太陽の象徴だと考えると全てが合致する。
そうでないと何も説明できなくなる(あなたのように)。 >>811
>太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
「見日乃光」(日の光を表す)と銘文があっても? 畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
否定するばかりで何ら主張できないというのは、何なんでしょうね。 >>824岡上
>畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
倭国(阿波)でも何の問題もないけれど、
邪馬台国とは何の関係もないよ。 @阿波 >>817
紹介されたpdf読んだけれど「丸い鏡」は太陽の象徴と考えられるっていう話で、
内行花文鏡が特別に太陽を象徴する鏡なんて話にはなってないぞ
その伝で行くと、「丸い銅鏡が出る墳墓」は「全部、日の巫女」だな
何を主張しないといけないのか、自分で分かってないだろう? >>818
>弥生時代にそんな制度があった証拠がない。
明示的に示しているものはないが、記紀の記事などで、ウサツヒコ、ウサツヒメのような
彦姫が対になった命名が多く見られる
神社の祭神名などにも、彦姫制があったことを思わせる事柄が多い
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヒメヒコ制
とか読んでみ
個人の妄想を書いてる訳じゃないよ
>むしろ平原遺跡の状況はそれに否定的だ。
前に、2号墓は男弟だって書いてる人がいたけれど?
1号墓と2号墓が一緒に作られていることは、明らかに彦姫制と親和的だろ?
どこが否定的なんだい?
言いたいことがあれば「具体的に指摘」してくれ! >>823
>「見日乃光」(日の光を表す)と銘文があっても?
それ、一種の吉祥句でいろんな鏡の銘に出てくるんだよ
これで三度目だけれど
例えば九州説大好きな須玖岡本遺跡D地点甕棺墓から出土の重圏銘帯鏡にも
その銘文が記されたものがあり、重圏日光鏡と呼ばれている
内行花文鏡が特に太陽を象徴するってことはない
「内行花文鏡があるから、日の巫女だ」なんていうのは三段跳び以上の飛躍だよ
有り体に言って、理路の通った論説にはならない >>824
>畿内説の立場でも内行花文鏡と太陽は結びつけて何の問題もないでしょうに。
>否定するばかりで何ら主張できないというのは、何なんでしょうね。
バカなの?
八咫鏡が太陽神の象徴であることと、「内行花文鏡」が太陽信仰の象徴だという主張には
何の関連もないって言ってるんだよ
丸い大きな白銅鏡(青銅鏡も可)が、太陽の象徴だってのはいいんだよ
内行花文鏡の円弧文が太陽に似て見えるから、って
いうのが根拠にならないって言ってるんだよ
日光鏡も特に太陽信仰とは結びつかない
重圏日光鏡を太陽信仰の象徴と主張した九州説の人は、いないだろ?
なら、内行花文日光鏡だけを主張するのは、根拠なしのご都合主義だってことにしかならない お鏡さんも出てくるなら、丈夫が普通の成人男子だって認めてからにしな 内行花文が太陽を象った模様にに見えないというのは、流石にちょっとついてけませんねぇ。ここで声高に騒がず、別スレでも立てて他所でやって欲しいところかな。
多分に感性の問題もあるでしょうし、平行線でしょうし、
議論の対象ではない気がします。 内行花文鏡、箸墓から出てきたらいいですね。
その時のここの畿内説の皆さんの反応も楽しみですね。
畿内説に不利?だからといって黙殺するしかないとか、
良心、痛まないんでしょうか?? >>831
>内行花文が太陽を象った模様にに見えないというのは、流石にちょっとついてけませんねぇ
再掲
太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
点が3つあると顔として認識してしまう「シミュラクラ現象」って知ってるか?
点が三つある鏡は、顔に見えるから、顔信仰の象徴だなww
根拠がまるでないって言ってるんだよ
根拠がないことを前提とした推論は意味がない
それだけのこと
太陽っぽく見えるから、太陽信仰に決まってるなんていう、脳内世界のことで
現実世界の歴史を語るなってこと
最初に内行花文鏡が太陽信仰の象徴だという根拠はなんだ?と訊いた時に
「模様が太陽に見えるから」ではなく「日光鏡があるから」って言ってたんだぞ?
根拠として、弱すぎってのは自覚があるんだろ? 太陽に見える最大の鏡が5枚も埋葬されてるんですよ。
正直、太陽信仰以外に何があるの?というところですが・・・
さらには、内行花文の鏡種には日の光を反射させる魔鏡で、
そこに日光銘鏡まであるんですから。
しかもそれが付近の三雲の女性の墓からもでてるとか。
これで太陽信仰でなければ、他にどんなのが太陽信仰なんでしょうかね。 あと、「内行花文の文様と太陽信仰を結びつけるのは、間違いだ」
みたいな主張の著作でも論文でもあったら興味ありますので、教えてくださいな。
あったら、ですが(笑) 835岡上
興味ないから無知なんだけど、太陽信仰と結びつくのは内行花文の文様だけなの?
他の鏡ではだめなの? @阿波 楽浪郡の貞柏里第4号墳の内行花文鏡の拓本?の画像を見てごらん
https://lh4.googleusercontent.com/-IV-X_LtBlHY/VPWOCeKTWdI/AAAAAAAACuY/gAGL_XM4YP8/s2560/teihaku4_208.jpg
太陽の光芒っぽいところにも、細かく線刻されてて、単純に太陽には見えないだろう?
この「円弧+三本線」と「鳥っぽい何か」の模様は、本来の内行花文鏡には共通して
描かれているもので、下池山古墳のものや柳本大塚古墳の出土鏡にも変形しながらも描かれている
でも、大きさ一番を誇っている平原1号墓出土鏡には、この線刻がなく、省略されてしまっている
その辺りも大きいだけで、粗製な感じが否めない
同じ平原1号墓出土鏡でも、舶載鏡の雲雷文長宜子孫銘内行花文鏡(16号鏡)と
仿世鏡でも大宜子孫銘内行花文鏡(15号鏡)にはこの線刻がある
この線刻の意味は不明だけれど、単純に形が似ているから太陽信仰ってのが
稚拙な論だってのは分かるだろう >>835
>あと、「内行花文の文様と太陽信仰を結びつけるのは、間違いだ」
>みたいな主張の著作でも論文でもあったら興味ありますので、教えてくださいな。
>あったら、ですが(笑)
相変わらずの「悪魔の証明」系の要求をずる卑怯者
内行花文鏡が太陽信仰を表すことがきちんと論証されていないのに、
その否定をわざわざ書く人はいないだろ?
他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん
話はそれからだ >>837
まぁ、鏡などのお墓の副葬品で邪馬台国を語るってのは、どうみても無謀というもの。 @阿波 >>834
>太陽に見える最大の鏡が5枚も埋葬されてるんですよ。
「太陽に見える」というのは主観ですね!
>>837で書いた「円弧+三本線」と「鳥っぽい何か」の模様について、
意識していろんな内行花文鏡を見たことはあるかい?
きちんと見ていくと、単純に太陽に見えるっていうのは幼稚な言明にしか見えないよ
ただの主観は科学にならない
ちゃんと根拠を挙げて論証してね! >>840
何か分からないけど、模様が欠けているから太陽信仰ではない(笑)
ですか。謎すぎる理屈ですね。勝手に言っててくださいな。
どっか別のスレで。 畿内説は勝手な理論が多すぎ。
しかも日本の古来の伝統や慣習を無視しすぎ。 >>833
>太陽に見えたら、太陽信仰の象徴なのかい?
もちろん 卑弥呼が持っていた八咫鏡が、混同されて天照大神の鏡として伝わった可能性がある。
天照大神のモデルは卑弥呼という人もいるくらいだから。 誤読大王の理屈は詭弁の論理そのものだからまともな人には相手にされないと思うよ。
一般化の詐欺と具体化の詐欺両方あるね。
普通の言葉だと曲解というやつ。 そもそも
太陽信仰があったといえる証拠はどこまで遡るんだっけ?鏡以外で。
三輪山祭祀は太陽崇拝の証拠になる? >>841
>何か分からないけど、模様が欠けているから太陽信仰ではない(笑)
分からないなら黙ってればいいのに
バカをさらすだけだよ
本来の内行花文鏡は、模様があって太陽ではない
伝統の模様すらない大きいだけの手抜き鏡が「太陽に見えるからぁ」という主観だけで
皇室の最高神に擦り寄るなって言ってるんだよ >>846
>誤読大王の理屈は詭弁の論理そのものだからまともな人には相手にされないと思うよ。
丈夫を大男と読んでしまったり、短里があると読んでしまったりする人は、
相手にされないねww 卑弥呼単独では 太陽崇拝 とはいえないよね?
魏志倭人伝の中に太陽崇拝に関する記述はないと言って良い?よいよな?
アマテラス
日の巫女
神社の御神体としての鏡
これらが漠然と結びついているが
厳密な論証はされていない、という趣旨と思えばよい? 状況証拠しかないが、それは顔を真っ赤にして否定する話ではない。
畿内説のテンプレではもっとひどいこじつけをたくさんやっているし。 他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん >>851
>状況証拠しかないが、それは顔を真っ赤にして否定する話ではない。
状況証拠があるならいいが、ここまで来てもお鏡さんも含め九州説側の人が出してきたのは
「僕ちんが見たら太陽に見えるんだぁ」っていう主観だけ
日光鏡という鏡があるとも言っていたけど、それは単に吉祥句の銘文(決まり文句)による
分類のための名称であって、内行花文鏡が太陽信仰の象徴であることを意味しないことは
すでに示してある
状況証拠すらないんだよ
あったら出してくれ
>畿内説のテンプレではもっとひどいこじつけをたくさんやっているし。
畿内説のテンプレは、きちんと典拠がいちいち示されてるぞ
反論したかったら典拠まで確認した上で、具体的に指摘すればいいのに、
それをする九州説は皆無なんだよな
ただ、「違う」というだけ >>841
>どっか別のスレで。
私に理屈や論理では敵わないから、どこかに行ってくださいという逃げ言かい?
お鏡さん理論を全部論破して伊都国東遷スレがなくなったらどこかに行くよw 丈夫が普通の成人男子だって、まだ認められないのかな? 他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん 太陽の光芒の中に模様は見えますか?
模様が書いてあるってことは、本来太陽は意識されてないってことだよ 倭製と言われる平原の大宜子孫鏡に、例の文様入ってますね。
八葉鏡にそれが入っていないのは、故意、つまり虚飾を排したということでしょうね。
連弧文があれば、それで十分太陽に見えますから。
「模様が入ってないから、太陽信仰ではない」という謎すぎる理論の相手はこれで十分でしょう。
>>855
かなり本気で迷惑なので、その辺、察してくださいね。
スレ進行が早くてもあんまり嬉しくもありませんので。 >>853
>畿内説のテンプレは、きちんと典拠がいちいち示されてるぞ
これは嘘
ひどい決めつけばかりで、読んでいてクラクラするよ
あれを擁護するなら完全なダブルスタンダードだよね >>854
>複数人がそう見えるなら、既に主観とは言えない件
その通り。
神道という宗教なので、多くの人があの鏡を見て太陽の形をしていると思うことが大事。
伊勢の鏡など、八咫の大きさではないくせに八咫鏡だと周りが思い込むことで千年も信仰の対象になっているわけで。 >>858
それは無理がある。
光芒自体、現実にはないわけで、そういう意匠なんだと理解することが大事。
青海波の模様だって、あの模様が波だという理解があるから波なのであって、知らない人が見たらWi-Fiがたくさんと思うらしいからねw
文化とは主観的なものなんだよ。
でもそれを千年以上継承している国に住んでいる。 >>860
嘘だと言いたいなら典拠まで確認した上で、具体的に指摘すればいいのに、
それをする九州説は皆無なんだよな
ただ、「嘘だ」というだけ >>859
>連弧文があれば、それで十分太陽に見えますから。
>「模様が入ってないから、太陽信仰ではない」という謎すぎる理論の相手はこれで十分でしょう。
本当にいちいち話をずらすなぁ、お鏡さんは
まともに対応できないから逃げてるだけなんだが
「模様が入ってないから太陽信仰ではない」じゃなくて、
本来の内行花文鏡は「模様が入っているから」「太陽のモチーフではない」だ
平原1号墓のでかい鏡に「模様が入っていない」というのは、
「内行花文鏡としては堕落した粗製品」だという批判
「日の巫女を象徴する大事な特別な鏡」という主張と
「内行花文鏡の作図原則を無視し、本来必要な模様すらない粗製品」であるという
「事実」が相容れないというのは、
「内行花文鏡だから太陽信仰の象徴というのには根拠がない」というのとは別の批判
2重の批判で、「デカい内行花文鏡があるから平原1号墓は日の巫女の墓」という戯れ言は
否定されてるんだよ
再掲
他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん >>859
>かなり本気で迷惑なので、その辺、察してくださいね。
>スレ進行が早くてもあんまり嬉しくもありませんので。
畿内説スレでお仲間がやっていることは、迷惑どころじゃないぞ
私の書き込みの内容そのまま(箸墓の主軸が夏至方向、
GPS考古学のページの紹介、箸墓の前方部が削られていて遥拝所が
本来の前方部中心からずれていること)を、しれっと自分の原稿に
書いておいてよく言うよww >>864
>他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
>いう論文があるなら出してごらん
論文でもないですが、このスレの>> 3 とか
あと、「内行花文の文様と太陽信仰を結びつけるのは、間違いだ」
みたいな主張の著作でも論文でもあったら興味ありますので、教えてくださいな。
あったら、ですが(笑)
私も再掲しておきますね。 >>862
>それは無理がある。
>光芒自体、現実にはないわけで、そういう意匠なんだと理解することが大事。
そうは言うが、その中に描かれた文様をなんだと思うんだ?
光芒の表現はよくあるものだが、光芒の内側に意味のある意匠を描きこむことは
通常はない
逆に言えば、あれは太陽だと思う文化で見ているからに太陽だと認識しているだけで、
「光芒内部の文様の方が主」で、「光芒に見える八連弧は単なる区画線」という方が、
図像解釈として正当ではないかという問題提起だよ
太陽の光芒としては浅すぎるという直感もある
まあこれは単なる主観だけれど、太陽に見えるという主観が理由になるらしいから
理由としては十分ってことだよなw >>866
では再掲
内行花文鏡が太陽信仰を表すことがきちんと論証されていないのに、
その否定をわざわざ書く人はいないだろ? >>865
基本、名無しなので、謝意を表しにくいんですよ。
もし、あなたでしたなら、ご指摘有難うございました。
夏至より春分・秋分がわかりやすいという珍説は、採用しませんでしたが、
有用なソースは活用させて頂きました。 >>867
そうですよ。太陽に見えない貴方の直感は、尊重しますよ。
ですので、それが太陽に見える、というかそれ以外に見えようのない人の
直感も尊重してくださいね。
>>868
そんな論文はなかった、と理解しました。 >>866
>論文でもないですが、このスレの>> 3 とか
基本的に、専門家が「本論の脇で感想を書いている部分」を引用しただけだよな
最初の森浩一先生の文も「中国では連弧文鏡と呼んでいる内行花文は」となっていて、
中国では「連弧文」、日本では「内行花文」と読んでいることが確認でき、
逆説的だが専門家も「太陽文とはしていない」ことを示している
論証にはなっていないよ >>870
内行花文鏡が太陽信仰を表すことをきちんと論証した論文はないことを確認した、
ってことでいいんだね! あ、尊重してください、というのは、
この件でこのスレでいちいち目くじらを立てて言い立てないでくださいということです。
やりたいなら「内行花文は、太陽がモチーフではない」という新スレでも立ててそこで論じてね。
このスレは貴方と感性を争うために作ったんじゃありませんので。 >>864
>本来の内行花文鏡は「模様が入っているから」「太陽のモチーフではない」だ
>平原1号墓のでかい鏡に「模様が入っていない」というのは、
うん?
どの模様のことかわからないけれど、平原の鏡は一部の模様を省略して、より太陽のモチーフに近づけた特別な鏡ということなのでは? >>872
>>3 で挙げた森先生以下、そう考えている人が多いとはおもいますが。
そういう感性の持ち主同士なら論ずるまでもなく共有できるんでしょうかね。
まとまったものとしては私は見たことないですね
>> 817 は、まぁその方向でまずまず、纏まっているほうじゃないですか。 >>865
岡上氏は、他人の意見に耳を貸すことができる真面目な勉強家なんだね。 >>871
凄すぎる曲解ですね。
マジで朝のコーヒー吹きました。
もうどっかのスレに帰ってね。 >>871
>中国では「連弧文」、日本では「内行花文」と読んでいることが確認でき、
連弧文はまだしも、花かどうかわからないのに内行花文と呼ぶのはおかしい。
むしろ太陽紋と呼ぶべきだと以前から思っている。 反論する意思も能力もない岡上が言いたいのは俺偉いのひとことか >>861
>伊勢の鏡など、八咫の大きさではないくせに八咫鏡だと周りが思い込むことで千年も信仰の対象になっているわけで。
伊勢の御神鏡と平原1号墓出土鏡が同じ大きさではないというのが、浸透してきたね
よいことだ
>その通り。
>神道という宗教なので、多くの人があの鏡を見て太陽の形をしていると思うことが大事。
何人一致したところで主観は主観だよ
主観である限り、一致しているかどうかの確認から、すでに難しい
痛みがあることは誰もが認めるが、その主観量を比較するのに
医学がどれだけ苦労しているか知ってるか?
それをネタにした「ハナゲという単位」の小咄がつくられるくらい
今でも多くの神明社でご神体として円形鏡を奉祭しているが、
それが内行花文鏡だという話は過分にして聞かない
神道という宗教を持ち出すなら、その辺について何か知っていたら教えてくれ >>879
内行花文から太陽を連想できないよう宇宙人とは会話出来ませんね。
いちいち誹謗されるのもウザいだけなので、どっかの巣に帰ってください。 また病的なことを言ってる。
>何人一致したところで主観は主観だよ
>主観である限り、一致しているかどうかの確認から、すでに難しい
見えるか、見えないか、だけなんだから、一致している確認は簡単でしょ。
太陽に見える方が多数派、貴方が少数派です。 神道という宗教には、内行花文鏡が太陽の象徴とか、鏡が太陽とかの教義は特にないみたいだね
太宰府天満宮
神職さんに聞きました
http://sp.dazaifutenmangu.or.jp/sittoku/ask/5
なぜ神社には鏡があるのですか?
古くから鏡は剣や勾玉(まがたま)とともに祭具として、重要な意味を持って扱われています。
神社にお祀りされる神様に、具体的な姿、形は無く、岩や木などに神様が依(よ)りつくと考えられてきました。鏡も神様が宿られる“依代(よりしろ)”の一つとして、神様の存在と威儀を示しています。
また、鏡を通して神様と自分が向かい合い、誠実で清らかな心でお参りをする、そんな役割も鏡は担っているのです。
鏡のようにくもりのない誠実な心もちでご参拝するというお気持ちを抱くことが、清々しいお気持ちになれる第一歩だと思います。 >>880
>何人一致したところで主観は主観だよ
主観だから、平原の鏡を見た当時の人たちが、いつもの鏡よりスッキリして太陽の模様により近いなあ、さすが日御子様の鏡だと感じれば、そのままそうなる。
しかもこれの大きさは八咫ですと説明すれば、それを現場でいちいち測り直して文句をつける人もいない。
いたら死罪にすれば良い。
つまり細かい差異を気にすることなく、大多数が「あれは太陽」「あれは八咫鏡」と思えば、それが太陽信仰の象徴としての八咫鏡になるということ。
宗教だから。
鰯の頭よりはかなり貴重な品であることも間違いないし。 お鏡さんが、「丈夫」が普通の成人男子って認められない限りは、軽蔑し続けるよw 平原1号墓出土鏡が八咫鏡ではないという議論の時も、
お鏡さんは結局、「出土しているのは事実だから」しか言えなかったんだよな
問題にしているのは、「円周長が八咫という主張の妥当性」であり、
出土鏡の存在ではなく、「その解釈の仕方」だったんだが、話をずらすことに終始してた
まあ、この件は>>861の書き込みでも「八咫ではない」ことが確認できたようだから
いいけれど
今回の内行花文鏡は太陽信仰の象徴に関しては、
お鏡さんは「私の主観では太陽に見えるから確実」だけで押し通すらしいw
本質は>>857に書いた
「他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん」
なんだが、これは無視し続けるらしい
そのためには私にこのスレから消えて欲しいらしい >>885
>つまり細かい差異を気にすることなく、大多数が「あれは太陽」「あれは八咫鏡」と思えば、それが>太陽信仰の象徴としての八咫鏡になるということ。
それを論証してくれって話なんだが?
主観、感想、憶測では、科学にはならない 三星推文化の頃にすで、内行花文があり、太陽を表しているみたいだな 三星堆か、まぁどっちでも同じ。
中華文明の源流のころから、内行花文が太陽を表していたということ。 >>
>三星推文化の頃にすで、内行花文があり、太陽を表しているみたいだな
「みたい」はいいけど、それを確認できるような図像なりなんなりは、
典拠として示してくれないのか?
根拠なしなら何でも言えるんだが? >>817の論文にあるよ。
p18, p25の図表 >>895
ありがとう
前に紹介されたときに一通りみたけど、まったく記憶に残らなかったよ
P18の図は、「内行花文鏡に酷似する」とキャプションがついているけれど、
円弧じゃないし八連じゃなくて七連で、「光芒」がかなり尖っている
P25の図は、キャプションも「太陽かもしれない」と弱気
こちらは「光芒」がさらに尖っている
見た目の印章ではこちらは区画線としての役割と見てよさそう
まあ、手書きの図だからどこまでのことが言えるかは微妙
そしてこの論文の結論は
「何よりも円形の鏡そのものが太陽の形であろう。
そして鏡自体に太陽信仰の持つ復活再生観念が投影されているのだろう。」
これに対する回答にはならないね
「他の鏡種ではなく内行花文鏡こそが、太陽信仰を象徴するって
いう論文があるなら出してごらん」 >>888
>それを論証してくれって話なんだが?
>主観、感想、憶測では、科学にはならない
神道は宗教
科学ではない 紹介されたものには三角縁神獣鏡がないからそれでよかろう。 三角縁神獣鏡はヤマトタケルの征服行が伝承として残る地域に多いからおおむね4世紀の鋳造の国産品だからそもそも紀元前から伝統のある内行花文鏡とは一緒には扱えない代物だよ。 >五十迹手(いそとて)は高麗国意呂山より天降って来た日拝の苗裔であると筑前風土記に書いてある。
>筑前国風土記逸文に、「五十迹手(いそとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。
>伊覩(いと)と謂うは訛れるなり」と紹介されているように、天日槍の子孫が伊蘇国と名づけ、それが訛って、伊都国になったという。
なんだ、高麗の末裔が東遷したというか。 高麗≒大和ねえ、、、 神功皇后のくだりは嘘だらけだ。
実年代が4世紀末だとすると、100年以上前の魏志倭人伝に伊都の名前が書かれているのだから、イソシという謂れが後世の創作に過ぎないことが明らか。
そもそも記紀で名前の由来がわざわざ書いてあることは少なく、あえて書いた創作であることがわかる。 >>903
>実年代が4世紀末だとすると、100年以上前の魏志倭人伝に伊都の名前が書かれているのだから、イソシという謂れが後世の創作に過ぎないことが明らか。
その理解は真逆じゃないの。
記紀の神功皇后は201年〜278年という設定だから、
「そもそもここは、天皇、五十迹手を美めたまいたるをもって伊蘇志(イソシ)と呼ばれていたのに、後世、陳寿によって編纂された倭人伝において伊都とされたる謂れは、後世のイソシ→イソ→イトの訛化に過ぎないことが明らか。」 いやいや、そう思わせるためにわざわざ神功皇后を120年も前倒して卑弥呼の時代にぶつけているんだよ。
九州にいた女王としてね(神功皇后の宮は穴門と筑紫)。
あと、奈良時代の理解としては邪馬台国は九州というのもポイント。 昨日のブラタモリでは、関門海峡は昔は海峡ではなく同じ陸続きで本州と繋がっていたことが地質学的に説明されてたね。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。