>>230
>>>《魏書》巻二十七王昶傳「今屯宛,去襄陽三百餘里」 宛城:河南省南陽市宛城区仲景北路318巷 襄陽城:湖北省襄陽市襄城区 およそ130km 130/300=0.43<

>>だから、議論したければ、その前後の文や、 その付近の地図や、三百里とされた場所の比定地を提示してみな。<

>失礼ながらこれ以上の引用は必要ないと思うよ 出典を明示しているのだから必要がある人が確認すればよろしい<

素人オジンにとってはは、そんな「出典確認」なんて、確認方法も知らないし、全く出来ないんだよ。
だから、Yahooでの議論で、 ハイエナらが提示した文面(これはtextreamに消去されて存在しない)から判断したり、
古田本の「宛と苑」の話の議論で、古田本の記載を根拠にした事があっただけ。

>地図はGoogleMAPに上の住所をコピペして検索すればいいだけ、簡単だよ<

GoogleMAPの使用法もよくできず、mutouha氏の提示画像を拝借したりしていただけだよ。

>武将が考えるのだから当然、城門to城門だよね 宛城の城壁は現在見ることはできないけれども、湖南省政府による「宛城遺址」という石碑が現地にあるようだよ<

これが、はるか後代の学者の単なる「推定」であったんであろうから、何ら絶対性がなく、 やはり、魏志の同時代記録文の方が、はるかに信頼性が高いんだよ。

>そもそも宛城と襄陽城との間には新野城(南陽市新野县)が有る
襄陽城の北側目前には樊城(湖北省襄陽市樊城区)が有る 比定地が数kmズレようが1/6になることはない<

始めは新野城の「南の東西どちらかの支流の山中の池や湖」に、船溜まりの「苑」地や陣地があったのか?とも考えたが、
結局は、「宛」地は、新野よりもはるかに襄陽よりの支流の中の山中の水軍陣地であったんだろう、 という事になっていた。

>襄陽周辺は劉備関連の遺跡が多くて人気の観光地だよ 比定地に難癖つけても変えようがないよ<

「一寸千里や短里を知らない現代学者」の比定の信頼性は、
「陳寿の記載事実」という同時期記録の信頼性よりも、はるかに落ちるんだよ。