後漢書で倭とは対馬海峡の国で、その後漢代における倭の内乱を終息させるために共立されたのが卑弥呼であると魏志倭人伝にある。
107年に朝貢した倭王帥升が筑紫にいて、倭王卑弥呼が即位したのが倭国大乱後の190年頃なら、その間は80年余りしかない。
その間に倭は筑紫から大和に東遷したのだろうか?
畿内説からまともな返答がもらえていない。