もともと、大陸中華の地理観だと、倭国は呉とか越とかの沖合なんだよ
その表現が「計其道里、當在會稽、東冶之東」であり、後漢書の「與朱崖儋耳相近」なんだよ

そもそも短里なんて想定されてないし、想定さえされてないっていうことは、
短里なんてなかったってことなんだけどね

九州説は「短里なんてない」って認めた瞬間に瓦解するから、どんなに論理的に
解説されても頑なに認めないけどねw

逆に言えば、「短里なんてない」って分かってる人には、九州説は噴飯物でしかないw