邪馬台国畿内説 Part360
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530836032/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>406
>>だから、陳寿の「会稽東治」は、
魏末期の「会稽郡の東治地域を呉郡に編入分離した」地域であった事になり、<
>こんな真っ赤なウソついて、どうする気?<
「戦前の 萬世一系皇国史観」や「人種差別殺人テロ戦争」や「南→東」などの、
嘘つき騙しをするアホwwが、
ついうっかり、自説が不利になる事を気付かずに、提示してしまった史料事実は、
逆に、信頼性が高い、という事になるんだよ。
>誰にだって簡単に調べられることだから すぐバレちゃうんだよ
九州説がダメだって宣伝してるのと同じじゃないか <
素人オジンの私は、
「検索」する事も「簡単に調べる」事も殆ど出来ない素人だから、
議論相手の提示した情報を、分析批判して、帰納的推論をしているんだよ。 >>409
「戦前の萬世一系皇国史観」の「南→東」などの嘘つき騙しの、
政治思想狂いの大和説狂のデマ製造機には、
何を言っても無駄なのかな?な。 「(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。」
師の本心がわからぬか。
大和が筑紫による征服の対象であったこと、それが大和における農業共同体の再編と階級支配の成立につながったことを示唆しているだろ?
これにて畿内説は完全に終了だね。
纒向学は、大和が邪馬台国ではなかったことを前提に進んでいくだろう。
それは、卑弥呼より数百年の後に奈良盆地が権力の中枢となる過程を明らかにするだろう。 大和が征服の対象であったと明言してる。
やはり一流の研究者は、畿内説など無理であることをわかっているのだな。 >>412
>間違いなら訂正してやれるが、根も葉もない嘘の場合はしょうがない
証拠を出せと言っても無視するだけたし
嘘だと指摘するくらいしか無い <
wwの、魏朝末の「会稽郡から呉郡への分郡割譲」の話は、
同じ頃の別の分郡記録と並べて、年号まで記載して紹介したものだったから、
漢代の分郡という事には、全くならないものだったんだよ。 >>478
それ他人のカキコミをパクって最後だけ入れ替えてるな
捏造は不可 >>501
>大和が筑紫による征服の対象であったこと、それが大和における農業共同体の再編と階級支配の成立につながったことを示唆しているだろ?
「示唆しているだろ」ってww
便利な言葉だなぁ
端から端まで読んでも、征服対象だなんてどこにも書いてないし、ほのめかしもないぞ
あんまりいい加減な妄想を書くなよ
まあ、九州説のいつものやり口そのものだけどな
九州説は、チェリーピッキングと、矛盾点の妄想による穴埋めでできているww >>413
>>「南→東」などの史料事実を否定曲解する大和説者の論文など、
全く価値がなく、害であるだけであり、<
>あんた、おかしな宗教団体そっくりだよ<
あんた、
中世ヨーロッパのキリスト教学者らや、
戦前の「萬世一系皇国史観」のキョクウ宗教の安部自民教信者や、
創価学会公明信者や、オーム信者や、ナチス信者や、イスラム狂信者らと、
そっくりだよ。 >>499
>「戦前の 萬世一系皇国史観」や「人種差別殺人テロ戦争」や「南→東」などの、
嘘つき騙しをするアホwwが、
>ついうっかり、自説が不利になる事を気付かずに、提示してしまった史料事実は、
逆に、信頼性が高い、という事になるんだよ。
要するにzarakoku本人はなにも調べず
なにも確認せず
おうむ返ししてる時と同じように
他人のカキコの主語や述語を勝手に書き換えて
デマを生産してるわけだな >>505
「(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。」
大和が征服対象だと書いてあるよ。 >>415の訂正。
なら、「南≠東」などへの批判に対する反論に触れてみれば?。
反論もできずに邪推ばかりしてる大和説者の人は、
九州説に歯が立たないだろうさ。
以上。
今、私のPCは非常に調子が悪く、
途中に文字を挿入したら、前回の挿入文字が一緒に出て来る、
というおかしな状態。 >>420
大和説者は、
「南→ん東」などの嘘つき騙しのデマと、
口先ヘイトスピーチ中傷のほかは、何も出来んのか。
あきれて物が言えん。 ヤマトは2世紀末迄は、大阪側と同じ体制下にあったんじゃないかな
手薄なヤマト側から征伐されたんだろう
ナガスネヒコみたいに最後まで抗った勢力もいただろうし、寝返った勢力もいたのだろう
魏志倭人伝当時ヤマトは対狗奴国の前線
各地から兵を集結させてたんだろうね
多くの兵の労働力の証が、纒向のインフラであり巨大古墳
兵を纏めるのが卑弥呼の役割
鬼道にて衆を惑わす
少し後の時代になるが、軍に随行した巫女の埴輪も見つかっている >>426
>>なぜ、それ(注、テンプレの該当箇所)を転写しないの?。<
>あんたがスクロールするだけで読めるからだな<
スクロール、なんて知らんし、
テンプレは、始めから「南→東」などの史料事実の否定曲解をする嘘つき騙しの、
・・・・文だ、と判っているから、
該当箇所を転写でもしてくれなくっちゃ、読まないよ。 >>503
>wwの、魏朝末の「会稽郡から呉郡への分郡割譲」の話は、
>同じ頃の別の分郡記録と並べて、年号まで記載して紹介したものだったから、
そんな話があったって証拠でもあるの ?
ザラコクの捏造か悪質歪曲だろ?
いつもやってるし
>漢代の分郡という事には、全くならないものだったんだよ。
そうであって欲しいから
ザラコクは事実を書き換えて
悪質なデマを創作したんだろ?
でも、ウソなんだよw >>435
大和説は、「南→東」などのような、
嘘ばかりついているな。 >>512
>テンプレは、始めから「南→東」などの史料事実の否定曲解をする嘘つき騙しの、
>・・・・文だ、と判っているから、
>該当箇所を転写でもしてくれなくっちゃ、読まないよ。
なら、転写したって読まないだろ
そんなお前に、手間かけてやる義理はない
第三者が見て、九州説が反論できなくて負けたと判るから、それで十分だ >>446
>後漢書の原文は
「倭在韓東南大海中 依山島爲居 凡百餘國」で、基本的には魏志倭人伝と同じ認識、
というか、魏志倭人伝のコピペだし、さらに魏志倭人伝よりはっきりと
「其地大較在會稽東 與珠崖儋耳相近」と、相当に南方まで繋がった国だと書いてある
>倭は韓の東南、大海の中にあり、山島に依りて居を爲す。凡そ百餘國。
その地はおおむね會稽・東冶の東に在り、朱崖・儋耳と相い近し。
朱崖・儋耳は、海南島とかだよ<
何度も書いた事だけれど、後漢書の倭の記載の中で、
魏志倭人伝の記載とダブっていて違う内容になる記載部分は、
使節の実地の見聞記録である魏志の方が客観性も信頼性も高く、
5世紀という後代の、「魏志の自己解釈に拠る高慢な書き換え」をした後漢書は、
客観性も信頼性も低い、んだよ。 >>404
>素人オジンにとってはは、そんな「出典確認」なんて、確認方法も知らないし、全く出来ないんだよ。
これじゃ「半分×」とか言ってるのも未確認だろうね
今は素人でも書陵部本《三國志》が全頁見られるんだよ
《三國志》のテキストならWikiのリンクからでも読めるだろ
>GoogleMAPの使用法もよくできず、
丁寧に書いているのに、地図も見ないのならお話にならないね
距離も測れる便利なものを使わないのはもったいない
>これが、はるか後代の学者の単なる「推定」であったんであろうから、
ここは春秋時代初期に楚に吞みこまれた時に宛邑が置かれた
この時からずっと続いているのだから誰も「推定」しないんだよ
必要のない仮定ゆえ結論も間違いだね
>結局は、「宛」地は、新野よりもはるかに襄陽よりの支流の中の山中の水軍陣地であったんだろう、 という事になっていた。
勝手な判断で軍陣地に格下げするなよ
秦が侵攻して楚から奪ってから南陽郡の治所は宛城だよ
曹操が南征で複数回、宛を訪れていることも知らないのだろうね
>「一寸千里や短里を知らない現代学者」の比定の信頼性は、
>「陳寿の記載事実」という同時期記録の信頼性よりも、はるかに落ちるんだよ。
滅びて場所不明になった所ならそうかもな
現代までずっと続いている所では誰も比定することはないんだよ
また必要のない仮定だね 石徹白
何か重要な場所な気がするんだが
なんで太子堂があるんだろう >>447
>もともと、大陸中華の地理観だと、倭国は呉とか越とかの沖合なんだよ<
これは、始めから×ね。
漢書の如淳注でも、魏志でも、魏略でも、
倭は、帯方郡からの、東南大海中だよ。
この男(おそらくww)は、ここでも嘘つき騙しの詐欺師。 >>448
>後漢書 「其地大較在會稽東 與珠崖儋耳相近」 三国志 「計其道里當在會稽東冶之東」「所有無與儋耳朱崖同」
同じ認識、というか、同じ情報だろ?<
この男(おそらくww)が、また、史料実態の曲解捏造の嘘を書いている。魏志は、
計其道里、當在會稽、東冶之東。
其風俗不淫、男子皆露糸介、以木緜招頭。
其衣横幅、但結束相連、略無縫。
婦人被髮屈糸介、作衣如單被、穿其中央、貫頭衣之。
種禾稻、紵麻、蠶桑、緝績、出細紵、糸兼緜。
其地無牛馬虎豹羊鵲。兵用矛、楯、木弓。
木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
所有無與tan耳、朱崖同。
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。・・・
であるから、「所有無」の「所」は、場所ではなく、
「風俗、産物、武器」という「論点という所」であった事になり、
後漢書の「其地大較在會稽東冶之東、與朱崖、tan耳相近」の、
「其地大較在・・・」という「場所」を示す記載とは、明らかに違う。
また、魏志の「計其道里、當在會稽東地之東」の「東地」を、「東冶」にすり替える、
というインチキ騙しもしている。 >>508
2016年の論文は(再論)なんだよ
>>508の引用部分は「旧稿で最後に掲げた三つの課題」であって、現在の寺澤先生の所論ではない
現在の考えも明記されていて
「私は第一の道を否定する立場である。しかし、征服など物理的強力を
前提とした「東征論」や北部九州や吉備勢力を念頭においた政治権力の
直接的移動を想定した「東遷論」に与するものではない。」
征服や東征・東遷論は採らないと書いてある
「第一の道」というのが、大和単体での自生的王権段階への発展だが、
寺澤先生が否定しているのはこの部分だけ また>>454に書かれた事の訂正ね、
「戦前の萬世一系皇国史観」のキョクウの大和説の、
学会教育界の・・・・支配者らは、
もう新たな学習のできる年齢じゃないんだろうな。
だから、いくら説明して上げてもダメだろうねえ。
大和説者が、理由を言わずに俺様結論をいくら連呼しても、
九州説への反論にはならないのにね。
しかも今なお、もう既に暴かれたウソを連呼してる 。
読んでる人から明らかにバカに見えてる自分の姿を、少しは憐めよ。 >>469
>そうやって短里があったと言い張ってるだけで何をしたいんだ? <
世間の「大和説者に騙されている3割位の国民」の中の、一人でも、
大和説の嘘吐き騙しに気が付いてくれればよいの。
>嘘も100回言い続ければ事実になると思ってるの?<
戦前の「萬世一系皇国史観」教にクルった「人種差別的殺人テロ戦争狂」には、
幾ら説明したって無駄だ、と思っているよ。 >>522
>征服や東征・東遷論は採らないと書いてある
じゃあなんなんだ?
のらりくらりとああ言えばこう言う。
それで説得力があるとでも?
端的に主張しろよ。
まとめる能力がないのは損だぞ。 >>474
>短里厨はひたすら言い張るのみ
全行程の具体例を出せと要求しても絶対に出さない
もし具体例を出したら短里なんてのが嘘だとバレるから逃げまくる <
この大和説男も変な事を書くねえ?。
九州説者は、原則として、
常に具体的な史料事実根拠を書いているし、
殺戮主義的なタカ派の、精神的な異常性が明らかな大和説者に対して、
放置していた事はあっても、
逃げまくった覚えもない。 >>475
>>もし具体例を出したら短里なんてのが嘘だとバレるから逃げまくる<
>その前に、投馬国を置ける場所がないんだよ 九州説だとね<
この大和説者も、変な男のようだね?。
不彌國の南の方にあって、「水行二十日」の距離だから、南九州にある事になる、
って、何度も何度も答えてある。 >>524
九州説は一般人の支持が多いのが自慢だけど
去年あたりから教科書が改訂されてきて、両論併記で中立的な記述から現行では「畿内説が有力」という記述に変わってきてる
だから新しい教科書で教育を受けた人はほぼ100%畿内説支持になる
これからは九州説なんてのは爺さんだけが唱えてる昔の古い説とみなされる >>482
>女王国は伊都国と奴国を含む博多湾沿岸のこと。 だからそれ以外の国邑は傍国。<
「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳」だから、
其餘旁國は、「女王國の以北として記載した国」とは違う国群、という意味。 >>530
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?
で、周王朝や呉王夫差の後裔が火の国に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えサギジジイ! 石徹白、イトシロ
なんでイトなんだろう
誰か詳しい人いないかな >>528
>だから新しい教科書で教育を受けた人はほぼ100%畿内説支持になる
>これからは九州説なんてのは爺さんだけが唱えてる昔の古い説とみなされる
嘘も千年つき続ければ真実になると?
学問ではなく宗教や政治だね。
詐欺と言ってもいい。 >>522
嘘くさい恣意的な引用をするね。
もともと第一の道論 は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先 進性をことさらに高く見積もり、前期古墳に見る隔絶性 から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転 倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルー ト開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。 師の趣旨を理解しない不出来な弟子が掲示板で騒いでいるだけじゃないか。 >>525
逆ギレしてもダメ
もう>>508がウソついてたことは
露見したから
w 第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新され るという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行され た橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。
いじめられて日和ったんだね。かわいそうに。 これらの論の後に、次のようなまとめに入る。
「こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、それゆえの保守的 基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテー マを追い始めた1976年頃から、大和弥生社会の自然的、社会的、
そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。」 >>535
はて? >>508が嘘そのものの恣意的なニセ要約をしてたことは
バッチリ証明されてるんだがな 毎日のように嘘をついて、暴かれては逃げ回る日々の東遷説 畿内説は実は東遷説だな。
【畿内説の主張のまとめ】
(奥○氏>>1の発言をまとめたもの)
「伊都国の太陽祭祀を継いだ卑弥呼が、瀬戸内海勢力の実力を背景として、総花的に纏向で共立された」
「首長のいない広域政治集団が発生したが、圧力が高まって、急激な首長権が確立した」
「弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、蝋燭の最後の輝きをはなって音もなく衰退した」
寺沢氏はスレ主の意見を批判している。 もうしわけないけど九州にはいまだに大陸からの防波堤の役割しかなくて
中央集権があることはないよ 豪族はいたのは当たり前にわかる
が、
この列島をまとめたり配下におさめる勢力が
あったこともこれからあることもない
九州は日本全体から見たらすみっこの地方都市だよ
残念ながら今も昔も 最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。 倭の王都はそもそも博多湾沿岸だよ。
畿内説はなにか年代を思い違いしている。 単純に歴史の連続性から考えて邪馬台国=畿内=大和だよ
馬鹿なの? >>496
>以婢千人自侍 常有人持兵守衛<
纏向に彼らの住居跡が必用だが無いので倭人伝で言う所都ではない 畿内説の方へ
倭人伝のどことどこが誤っている記述か纏めてくれないか >>562
東遷マイルール男さん、なんでそれ必要なの?
理由は? 寺澤氏は一研究者としての説として捉えれば良い
推論が多いが・・・・・ 『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」
西暦57年 倭奴国は何処にあったのか? 1
三雲⇒井原鑓溝⇒平原遺跡など大量の鏡を伴う紀元前1世紀頃 - 後3世紀頃にかけての王墓が伊都国(糸島市付近)に集中しているが >>568
じゃあ俺が>>563に頼まれて纏めても読まないな?
なら断るわ
教えてやる義理もないし >>566
おやおや、朝っぱらから日本語の不自由な人がいるな >>563
畿内説は倭人伝の不弥国までの記述はほぼ肯定し
それ以降はほぼ否定する説(径百歩は肯定) >>575
あなたが適任のようだ
南→東の明快な解説を願う?
婢千人と常有人持兵守衛はどこに住んでいたのか そしてその根拠は? >>577
それが分れば100%畿内
今ののところ謎でいい >>577
会稽東治之東なんだから倭は海の上
ゆえに南水行は東の間違い
婢女や守衛は近隣から通勤
根拠は、纏向にかれらの食料備蓄用の倉庫がないから >>578
>それが分れば100%畿内
100%畿内はない。
100%倭国(阿波):鮎喰川下流域集落遺跡群 @阿波 末盧国、
東南陸行五百里で到るのは、佐賀・佐賀・佐賀・SAGA・SAGA・SAGA、
SAGA平野に決まっとるだろ。 >>581
倭人伝解釈に糸島も博多も出せない時点で
世間の目がまた冷たく、そして確実に
トンデモ説の烙印が押される
可哀想な佐賀説 >>525
>じゃあなんなんだ?
>のらりくらりとああ言えばこう言う。
>それで説得力があるとでも?
>端的に主張しろよ。
>まとめる能力がないのは損だぞ。
いや、>>525に読解力、理解力がないだけだよ
寺澤先生の論文そのものは読んだのか?
端的なお言葉を引用すれば、
「私はこの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された「邪馬台国」であろうと考えている。」
シンプルでいいね
そして纏向遺跡の位置づけは
「後述する「倭国乱」の動向と、その収拾の結果として誕生する倭国新政権の大王都 ・ 纒向遺跡の出現前夜の緊張感…(後略)」 >>487
>「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」・・・
「こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、
それゆえの保守的 基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、
国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテー マを追い始めた1976年頃から、
大和弥生社会の自然的、社会的、 そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、
いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、
というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。」
寺沢氏は、纒向を邪馬台国のみならずヤマト王権と直結するものだということにすら疑問を呈しているではないか。
つまりは、畿内拙論者が纒向学を理解せずに
歪曲して都合のいい部分だけ曲解して畿内説をでっち上げるために利用しているだけだということがわかった。
纒向学というタイトルには、邪馬台国畿内説との決別の思いが込められているのだろう。<
寺澤の何時の論考か?は知らんが、
先日された5chで提示された寺澤の文では、
はっきり「邪馬台国」や「卑弥呼」と結び付けており、
「南≠東」や「大和日本国は倭國から別れた別種の旧小国」や「倭國の東征毛人五十五國」などを、
無視したインチキ騙しを書いていたよ。 >>584
いや、>>487の頭がヘンなだけだから >>491
>>「南→東」などの嘘つき騙しでの、
古代史への荒らし=戦前の「萬世一系皇国史観」のキョクウの大和説人種<
>九州説がスレを荒らしてるのは否定しないんだな<
大和説者が、
古代史への荒らし=戦前の「萬世一系皇国史観」のキョクウの人種である、
という事を否定しないんだな。 >>583
>「私はこの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された「邪馬台国」であろうと考えている。」
仮称「ヤマト」国とカタカナ書きするのは、その国が「大和」じゃないからだね。
その「ヤマト」国とは、倭国(阿波)のことを言ってるんだよ。 かわいそうに仮称「ヤマト」国としか許されなかったんだね。 @阿波 >>497
>>この反論に畿内説は答えていない
纏向に7卑弥呼はいないし邪馬台国の都でもない
婢千人 、常有人持兵守衛・・・
纏向で住居跡?兵にの用いた武具?は見つかっていない<
>それ、反論じゃなくて、根拠なしの呟きだろ? 何を答えて欲しいんだ?<
この大和説者も、口先騙しのヘイトスピーチの変な男。
彼は、
「纏向で住居跡?兵にの用いた武具?」があるのか?、
という事を聞いておられる、という事は、当たり前の事だろ?。 多くの歴史学者は、大和朝廷や天皇と安直に結び付けられるのを嫌って古代の畿内勢力を「ヤマト王権」「ヤマト政権」などと呼ぶ
邪馬台国のことである >>589
いや、聞いていない
無いと決めつけて独りぶつぶつ呟いている >>498
>>寺沢氏は、纒向を邪馬台国のみならずヤマト王権と直結するものだということにすら疑問を呈しているではないか。
つまりは、畿内拙論者が纒向学を理解せずに歪曲して都合のいい部分だけ曲解して
畿内説をでっち上げるために利用しているだけだということがわかった。<
>うそつき!
寺沢先生が述べているのは、畿内第W様式までの大和盆地内部の秩序の延長上にはない、というだけだよ
大和内部の自生的な発展だけでなく、各地の勢力の談合という外的要因をダイナモとして、
纏向の地に、共立倭王の都が置かれた、というのが寺澤先生の所論
そして、邪馬台国が、大和王権になるというか初期大和王権そのものという立場だよ
纏向学が、纏向の地における大和王権の成立過程を研究するというのはそういう意味だ<
ふーん?、大和説者同士の内輪もめ喧嘩か。
しかし、やはり、寺澤が、「邪馬台国」」という嘘つき騙しや、
「纏向=卑弥呼共立の地」という「南→東」などの嘘つき騙しであった、と言う事は、
事実であったようだな。 末盧国、
東南陸行五百里で到るのは、佐賀・佐賀・佐賀・SAGA・SAGA・SAGA、
>>582
糸島や博多は、遠絶の傍国に決まっとるだろ、なっ。 >>592
いや、頭の弱さ東遷説じいさんが妄想たれ流してるだけ >>593
はい、あなたトンデモ認定が受けられます >>501
>「(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。」
師の本心がわからぬか。
大和が筑紫による征服の対象であったこと、それが大和における農業共同体の再編と階級支配の成立につながったことを示唆しているだろ?
これにて畿内説は完全に終了だね。<
成程。
しかし、「南→東」などの嘘つき騙しは撤回していないようだから、
寺澤は人間ではないカスであり、関心がないから、直ぐに忘れてしまいそうだ。 >>593
博多と佐賀を比べているんだぞ?
どちらが中心か明白だろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています