>>498
>>寺沢氏は、纒向を邪馬台国のみならずヤマト王権と直結するものだということにすら疑問を呈しているではないか。
つまりは、畿内拙論者が纒向学を理解せずに歪曲して都合のいい部分だけ曲解して
畿内説をでっち上げるために利用しているだけだということがわかった。<

>うそつき!
寺沢先生が述べているのは、畿内第W様式までの大和盆地内部の秩序の延長上にはない、というだけだよ
大和内部の自生的な発展だけでなく、各地の勢力の談合という外的要因をダイナモとして、
纏向の地に、共立倭王の都が置かれた、というのが寺澤先生の所論
そして、邪馬台国が、大和王権になるというか初期大和王権そのものという立場だよ
纏向学が、纏向の地における大和王権の成立過程を研究するというのはそういう意味だ<

ふーん?、大和説者同士の内輪もめ喧嘩か。
しかし、やはり、寺澤が、「邪馬台国」」という嘘つき騙しや、
「纏向=卑弥呼共立の地」という「南→東」などの嘘つき騙しであった、と言う事は、
事実であったようだな。