邪馬台国畿内説 Part360
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530836032/
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 >>886
そうだな。。。
今日のキナイコシは、いくらなんでも幼稚過ぎるからな。。。 >>887
幼稚なやつに馬鹿にされ続けた感想をどうぞ↓ >>882
「その国の西北界」と書いてあるから、倭の領土ですよ。 >>893
「倭在韓東南大海中」(後漢書)
狗邪韓国は朝鮮半島 半島南岸を売り渡してしまうキナイコシ
さすが畿内人は違うわw 魏志倭人伝でも、狗邪韓国は韓伝ではなく倭人伝に登場するので、倭の領土。 狗邪韓国は戸数記載もなく官もいないから倭国ではない で?
倭王帥升はどこにいたんだ?
回答し直すチャンスを与えてやろう。
世間から笑われないように、しっかりと考えろよ。 キナイコシ、九州に倭国を統治した大和王朝があったと言って。。。 キナイコシ、日本のスミの九州に倭国を束ねた邪馬台国があったと言って。。。 金印が捏造なのも知ってるよ。。。
でも。。。でも。。。九州に日本をまとめた王朝があったと言って。。。 佐賀が今も昔も日本一のド田舎なの知ってるでしょ。。。
だから。。。だから。。。お情けちょうだいキナイコシ。。。。 >>906
位置情報ならあるよ。
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。 >>900
つか、韓国と書いてあるんだから
韓国だよな常識的に言って 誰か僕たちの振りをして、金印と佐賀のことについて発表しているな。。。どういうことだろうか >>912
大倭国の首都は九州だよな。。。大和国じゃないよな。。。
周辺国をまとめた王朝があったのは
ぼくらのいる日本の辺境の一地方都市だよな。。。。 >>913
いや、倭王帥升がいた倭国の話だよ?
関係ないという理屈がわからない。 >>912
キナイコシの方がほとんど説得力あるな。。。
でもがんばろうな。。。僕たちの村がかつて日本を統治した王朝だよな。。。
捏造を続ければいつか本当になるかもしれないよ。。。 誰か僕たちの振りをして、僕たちに向かってレスポンスしてきたな。。。どういうことだろうか
なによりも、大倭国とは、先程までキナイコシが多用していた単語だな。。。 ぼく混乱してます。。。キナイコシの方がやっぱり頭いいのかな。。。 幼稚なキナイコシが、僕たちに成り済ましているのではないのかな。。。 >>901
>倭王帥升はどこにいたんだ?
だから、倭面土王は、筑紫米多郷だって教えてやっただろ?
吉野ヶ里の近くのローカル首長だよ
吉野ヶ里そのものでもいいけどさ 大倭王である帥升は、どこにいたのですか?
西北界が楽浪郡から七千里、極南界が倭奴国となるような領土の中で、楽浪郡から一万二千里の邪馬台国はどこにあったのですか? >>921
九州説ならそれでもいいかもしれない。
でもここは畿内説からの返答を聞きたいんだ。
あと、筑後では倭奴国が極南界にならなくなる。 >>826
>その例えで言うなら、東京から北海道の南端まで700キロ、札幌まで800キロと書いてあるような文章だよ。
(数字は適当)
東京から函館は680キロ、東京から北海道は900キロ
正確な数字だよ
札幌までってのは書いてないんだ
帯方郡から末慮国までが(計算すると)萬里
帯方郡から女王国までが萬二千余里
邪馬台国までってのは書いてないんだ
こういう対応関係だ
女王国=倭国だよ >>922
ついに畿内厨は九州まで売り渡してしまったよ。 東京から北海道は900キロというのはどの文献に書かれているのかな? メール欄ではなく名前欄にキーをいれるのだったかな。。。 >>928
>邪馬台国までってのは書いてないんだ
書いてあるよ?
楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 幼稚な方のキナイコシのナリスマシは、これで、対策できるな。。。 キナイコシ、僕ら本当はうらやましーの。。。
畿内は奈良も大阪も京都もずっと中心じゃんか。。。
今の時代は関東さ。。。うらやましーの。。。
嘘でも捏造でもいいから九州にかつて
この島国をまとめた王朝があったと言って。。。 >>928
>札幌までってのは書いてないんだ
札幌まで出かけるのに、そんな情報では役に立たないよ。 >>923
>極南界が倭奴国
それ、後漢書の誤解だから
余傍国の最後の奴国は、おそらく「○奴国」の脱漏だけれど(個人的には有奴国かと思っている)
それを、倭奴国と同一視するという二重の間違いをした結果、北から南へと国名が並んだ最後で
此女王境界所盡って書いてあるから、一番南の国=極南界としたというのが、一番ありそうなところ
極南「界」って言葉が、此女王「境界」所盡に引きづられている辺りからも、伺える 楽浪郡から倭国の西北界まで七千里、邪馬台国まで一万二千里。
倭国の極南界は倭奴国。 >>931
>東京から北海道は900キロというのはどの文献に書かれているのかな?
自分で測ってごらんw
現代の地図で確認できるよ >>933
>楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里
性懲りもなくww
「其国」は、倭国だと何度言えばw >>938
キナイコシは、僕たちが、奈良県民ということを知らないようだな。。。 >>937
文献無視の妄想だね。
畿内説は得意だね。
その論法なら、邪馬台国を阿波にでも富士山にでも持っていけるねw キナイコシ、僕たち見栄っ張りでごめん。。。
このみじめな主張にせめてもの情けを。。。。 >>938
そうだね。。。だからこそ、纏向遺蹟が邪馬台国ではないことを知り尽くしているのにな。。。 >>942
だから狗邪韓国は倭国の一部だと言っているじゃん。
で、その倭国の王である帥升はどこにいたのか? >>915
倭奴国の朝貢は帥升の時代じゃないでしょ?
関係ない >>943
そうだな。。。キナイコシたちがうらやましな。。。
僕たちはキュウシュウバカという名前はどーだい??? >>942
>>>933
>>楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里
>
>性懲りもなくww
>「其国」は、倭国だと何度言えばw
キナイコシに言ってやれよ。
狗邪韓国も倭奴国も倭国ではないそうだ。
アホだろ。
売国奴かよ。 >>950
素晴らしい名前じゃないか。。。僕たちを表わしてるね。。。
気に行ったよ。。。 さっきまで後漢書と魏志倭人伝はソースが同じと言いながら、今度は同じ後漢書の中で違う時代だと言い張る。
最後は史料は信頼できない、ときた。
畿内説は病んでいるな。 >>936
>札幌まで出かけるのに、そんな情報では役に立たないよ。
魏志倭人伝を通読してごらん
邪馬台国が出てくるのはここ
↓
南至「邪馬壹國」、女王之所都、水行十日、陸行一月。
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮。可七萬餘戸。
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、
次有奴國、此女王境界所盡。
其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王。
自郡至女王國「萬二千餘里」。
↑
萬二千余里が出てくるのはここ
ずっと離れているし、余傍国も含めて女王国だってのは有奴国のあとに
「自郡至女王國萬二千餘里」って書いてあることからも分かるな!
そして、邪馬台国ではなく、女王国までが萬二千余里であって、
邪馬台国までとはどこにも書いてない >>836
>>>835
>もう畿内は説じゃないよ 倭王は大和の王
帥升は大和にいたというのが畿内説の解釈でいいのか? >>947
>典拠がないなら無意味な例
現代の地図で、東京から北海道まで900キロくらい、というのに何の典拠がいるんだ?
あたま、大丈夫か? >>950
キナイコシ達よ。。。僕たちキュウシュウバカさ。。。
本当は中央が大倭なのは知ってるさ。。。でも負けないよ。。。 >>955
後漢書にある帥升について聞いているのに、魏志倭人伝を持ち出してどうするの?
時代がもっと違うよ? >>957
そんなでかい島をピンポイントで聞くアホがいるのか?
お前の回答がアホだろ。 >>944
>文献無視の妄想だね。
相変わらず、日本語も漢文も読めないんだな
余傍国の最後の奴国は、おそらく「○奴国」の脱漏だけれど(個人的には有奴国かと思っている)
それを、倭奴国と同一視するという二重の間違いをした結果、北から南へと国名が並んだ最後で
此女王境界所盡って書いてあるから、一番南の国=極南界としたというのが、一番ありそうなところ
極南「界」って言葉が、此女王「境界」所盡に引きづられている辺りからも、伺える
>その論法なら、邪馬台国を阿波にでも富士山にでも持っていけるねw
その論法で、富士山まで持っていってごらんww
典拠情報をちゃんと明示しないと、「その論法にならない」からなw
さあ、がんばれ! >>957
陳寿も范曄も現代日本人ではないから
お前が東京から北海道まで900キロくらいというのとは何の関係も無い >>958
ちょっと待て。。。僕たち頭がバカなんだから、、、
頭にバカをつけてバカキュウシュウでどうだい。。。
キナイコシに対抗できるのは僕たちバカキュウシュウさ。。。 >>962
根拠なく本文を改竄しておいてよく言うなあ。 倭王帥升がどこにいたのか、ここまで畿内説からの返答なし。 >>948
後漢書は倭の半島進出が甚しかった南北朝時代の認識で書かれてるだけだよ >>960
>そんなでかい島をピンポイントで聞くアホがいるのか?
ピンポイントじゃないだろ?
900キロ「くらい」だ
萬二千「余」里と同じ表現だよ
800キロでは近いし、1000キロでは遠い
100キロ単位の丸めた数字なら、「900キロくらい」とするのが一番正しい
距離情報を書く必要があって、大きな範囲・倭国について言うなら、
こういう表現にならざるを得ない
>お前の回答がアホだろ。
必死で抵抗しても、ここでいう「女王国」と「邪馬台国」は別だよ
アホなのは>>960の理解力and/orあたまの程度そのもの、だなw バカキュウシュウ説たちよ。。。
文献の適当だった箇所の細かい部分をついて
むりやり中央政権が九州にあったことにするのだ。。。
がんばれば事実もねじ曲げられる。。。僕らの頭の中のようにな。。。 畿内説だと半島南岸も九州も領土から失いそうだよ。
あたまがクラクラする。
ああ、今日は暑いから水分と塩分の補給を十分に。 >>968
>倭王帥升はどこにいたの?
何度も書いてるのに、なんで無視するかなぁ
倭面土国王帥升は、筑紫米多郷のローカル首長だって何度も教えてるだろうが >>969
一万二千里は女王が都する邪馬台国までのピンポイントな距離だよ。
七千里には余とつくけど、一万二千里には余とつかないだろ? >>968
情報なし
しかし、どこにいようが邪馬台国の位置論には影響しない キナイコシよ。。。九州説はみんながみんなバカなのだ。。。
日本をまとめた王朝があったと思いたいのだ。。。お手柔らかに頼むよ。。。 >>973
邪馬台国筑後説はちょっと黙ってくれないか?
今は畿内説に聞いているんだ。 >>963
>お前が東京から北海道まで900キロくらいというのとは何の関係も無い
だから、例示だっての
本格的に頭おかしくないか?
東京は帯方郡じゃないって言ってるのと同じだぞ?
書き方のフォーマットとして、三世紀の漢文でも現在の日本語でも
通用する書き方だろ?
お前さんがあんまり理解が悪いから分かりやすく正確な数値で例示しているのにw >>975
大倭王は邪馬台国にいると書いてあるのだから、関係ないわけないよねw >>974
>七千里には余とつくけど、一万二千里には余とつかないだろ?
魏志倭人伝、原文で読めよ
「自郡至女王國萬二千『餘』里」原文ママ
それ、後漢書だけ もう議論はやめて誰か次スレをたのむ。。。
キナイコシの方が当たり前に有利さ。。。
でも九州に大和国があったのさ。。。奈良は九州さ。。。
言ってることわかるかい。。。おらわからん。。、 >>978
だからあなたの解釈がおかしいということを指摘しているのだけれど?
楽浪郡から倭国の西北界まで七千里、倭王がいる邪馬台国まで一万二千里と書いてあるんだよ。
その倭王帥升がどこにいたのかと聞いているのだけれど? >>981
畿内説だと倭王帥升は筑後にいたのかよ。
倭王は邪馬台国にいるとも書いてあるのに。
あまりのことになんと言っていいやら。
倭国の極南界より南だし。
いろいろおかしいだろ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。