江戸幕府が存続してたらどういう社会になっていたか
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>>142
>障碍となる大老井伊直弼の失脚を目指したらバレてしまって斬首されてしまった
福澤諭吉が明治維新後も政府に入ろうとせず、生涯民間で活動し続けたのは、
適塾同門の左内のこの悲劇を目の当たりにしたからかな?
下手に政治に関わると碌なことがないと考えた?
共に大阪の適塾で学び、英才と讃えられた同い年の福澤諭吉と橋本左内
福澤諭吉(1834〜1901)
橋本左内(1834〜1859)
左内は1859年に井伊直弼の安政の大獄に連座して斬首されたが、片や、諭吉はその前年(1858)
に江戸に出て、慶応義塾の前身の洋学塾を開き、以後40年あまりにわたって近代日本のために
数多くの人材を育成し、著述や新聞発行等によって国民を啓蒙し、指導し、日本社会の進むべき
道筋を照らし続けた。
対照的な人生だったね。
素晴らしい才能を持ちながら、若くして非業の死を遂げた左内が本当にかわいそうだ! >>143-144
1だけど「江戸幕府」を厳密に定義した上でスレ立てしたわけじゃないから徳川政権であれば別に構わない 安政の大獄で連座した者は100名を数えるが、そのうち死んでしまったのは斬罪7名、切腹1名、獄死6名である
橋本左内は井伊大老に取って大変な危険人物なので死刑となったが、同じく大獄で捕まっていた吉田松陰はとても死罪になるような嫌疑ではなかった
ところが本人が問われてもいない老中暗殺の企てを自分のほうから滔々としゃべって見せたので、ならなくてもよい死罪になってしまった >>147
何となく井伊直弼を擁護しようとの気配が感じられるレスだが、客観的に見て、己の権力を維持し、
徳川幕府を延命させるために吉田松陰と橋本左内という日本の近代化の先まで見通していた二人
の若い天才的学者をはじめ、梅田雲浜、頼三樹三郎など多くの若い志士を殺した罪は時代に逆行
する悪逆非道との非難は免れないだろう。 江戸時代は九州と四国と本州と北海道が
橋やトンネルで繋がってなかっただろうから
九州から本州、四国から本州、北海道から本州に行ける者がかなり少なくなっていたと思う
そもそも江戸時代に生きていた人間は
九州、四国、本州、北海道に日本が分かれていた事を知っていた者はかなり少なそう 九州四国の大名は、参勤交代時は大坂まで船、大坂から江戸まで陸路
北前船が物資を運搬
紀伊国屋文左衛門 今、大河ドラマをみていると、西郷どんは京都、江戸、長州、鹿児島とめまぐるしく移動している
ありゃ薩摩の蒸気船(軍艦)に乗って移動しているのか 橋本左内は越前藩の一藩士。
彼一人で大老を失脚させることなど無理な話しだ。
大老失脚は越前藩主松平春嶽や水戸藩主徳川斉昭、薩摩藩士島津斉彬らが画策したことなんだろう。
結果左内一身に背負わされたことなんじゃない? 殿様のバックアップを受けて企画立案と関係各位との交渉を行っていた志士は多い
左内、西郷、大久保、桂etc トピック
主権 天皇及び大君 主権=天皇大権の内容と主権代行者との関係
皇室 主権者の再生産に関する諸制度
貴族 堂上と諸大名にまつわる諸制度
統帥 軍隊の編制等に関する諸制度
国民 権利と義務 身分制度
議会 立法権 選挙権と被選挙権
政府 執行権及び行政各部の諸制度
司法 司法権及び裁判制度
財政 予算・会計にまつわる議会と政府の関係
地方 禁裏及び公儀御料、大名領分、公家寺社旗本知行所の自治権と秩禄
これらトピックがタイムラインに応じてどう変化していくか 大君は英語でTycoonと言うが、これはTyphoon(台風)の影響があるな 皇族とか貴族とか身分の制度は近世的なものが大分持ち越されるだろうね
皇室典範的な皇族制度とか旧来の家格を無視した華族(爵位)制度とか
ただ名目上は帝国となりそうだから親王は大臣の上座になりそうだし
被差別民も名目上ながらも平民化しそう
陪臣や庶民からの役職取り立ては激化するだろう
ただし新華族の取り立てはかなり厳しくなりそう(閣僚級になってやっと男爵とか) >>157
×皇室典範的な皇族制度とか旧来の家格を無視した華族(爵位)制度とか
○皇室典範的な皇族制度とか旧来の家格を無視した華族(爵位)制度とかはなさそう 幕府が政府なんだって。徳川公儀下の政府なんだって。
明治の御代に突如、政府が樹立した訳ではない。 逆説的に明治維新とやらのおかげで、日本は近代化した、と言いたいのだろうけど、
社会構造についてはそんなに変わらなかったと思われる。一朝一夕で変わるものではない。 >>155
真面目に考えたら近世という時代を総括しつつ近代化の過程を再検討していかなきゃならなさそう 明治維新がなく、江戸幕府が存続していたら、日本は「清」のようになっていたと思う。
日本幕府軍は、士官や将校は武士出身で兵卒は百姓や町人という帝政ロシア軍みたいな
編成の軍隊にになっていただろう。
そして、極東に進出してきた西洋列強の近代的軍隊と戦って敗れ、植民地にされるか、少なくとも
国土の一部をもぎ取られていただろう。ちょうど清国のように。
史実では、 「清」は”眠れる獅子”と畏敬されていたが、日清戦争で近代化国民国家日本に敗れ、
国全体の前近代的実態が暴露された。
日本は明治維新によって近代国民国家に脱皮したのがその後の国家発展の礎となった。 >>164
(誤)近代化国民国家 ➡ (正)近代国民国家 有能な人材を登用する制度がない
幕府直臣以外は活躍できない 明治維新をどの観点から見るかによって、単なる権力の争奪戦と考える(>>168)少数派の
人たちもいれば、日本を封建体制から近代国民国家へと変革した革命と捉える多数派の
人たちもいる。
両者が議論して合意を得ることは困難のようなので、世界の色々な情報を漁ってみよう。
先ず、同時期に起こった他国の内戦(市民戦争)と比較しよう。
@日本の明治維新(戊辰戦争含む。1868年〜69年)とアメリカ合衆国の南北戦争(1861年
〜65年)との比較:
アメリカの「南北戦争(American Civil War)」(1861〜1865)は農業を産業基盤とする南部州と
工業を基盤とする北部州の争いだったが、参戦兵士数は400万人で、戦死者は62万人、うち
北軍が36万人、南軍が26万人に達した。
一方、明治維新では戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い→江戸城開城→上野彰義隊戦争→会津戦争
→五稜郭の戦い、1868〜1869)での全戦死者数は1万人以下だ。
・日本の尊王攘夷派 ⇔ アメリカの北軍(合衆国連邦)
・日本の佐幕派 ⇔ アメリカの南軍(南部連合)
明治維新は世界でも最もうまくソフトランディングに成功した革命又は市民戦争の一つといえる。 >>168
藩閥政治も問題あるけど
一応日本で優秀な人材を起用してたから藩閥として成り立ち機能した 幕末の幕府ほど身分を超えて有能な人材を登用したところは当時他にない
その点諸藩の方がむしろ因循
元々小禄の旗本や御家人層(惣領・伜や厄介も含む)から勘定・代官・右筆職域を経由した布衣以上の高官への登用は珍しくないし
そもそも養子や御家人株の取得による幕臣身分の獲得がそれほど難しくないことは周知
幕末になると外国方や海陸軍での登用がドラスティックに増加している
寛政年間で5200家ほどの旗本がそこから50年程で6000家にまで増加
御家人だと1万数千家から2万にまで増えている
人物を挙げれば小禄旗本からだと勝海舟
御家人からだと川路聖謨、井上清直、榎本武揚
幕臣以外からだと緒方洪庵、大村益次郎、福沢諭吉、西周、津田真道、加藤弘之、渋沢栄一、大鳥圭介、前島密などが登用されている 代官というと悪代官というのがお芝居での定番だが、実際は布政の模範として人格・識見の確かな人物をあてていたという
また、幕府にも優秀な人材は数多く、外国情報の分析や条約交渉なんかでも活躍してた
(岩瀬忠震とか)
ただ、旗本は役立たずになってしまったということで、伝習隊というフランス仕込みの幕府歩兵を養成した 前にもあったけど
天領での徳川幕府の年貢=租税は安い
つまり安い税金では列強諸国と対抗出来る軍事力は整備出来なかったということ >>171
幕府による人材登用の例として挙げてよいのは、幕府の方針に賛同して幕府のために、又は
日本のために歴史的功績を上げたり、歴史に残る貢献をした人物だけだろう。
この基準に照らしてみると、大阪の適塾関係者(緒方洪庵、大村益次郎、福沢諭吉、大鳥圭介)
、特に緒方、大村、福沢の3人は日本史に残る不朽の功績を残した人たちだが、幕府との関係
で見ると、ほんの一時期、幕府の組織に身を置いただけで、すぐに幕府から離れている。
この偉人たちを幕府による人材登用の例として挙げるのはふさわしくないと思う。
>>171で名前の上がっている他の偉人たちも同様にその生涯をきちんと調べる必要がある。 >>175
「幕府側の」人材登用の話で、何故「登用される側の」主観的な「賛同」だの「生涯」だのを後知恵的に考慮する必要があるのか?
君が言っているのは、求人側の人事政策を評価する為には、応募側が主観的に、しかも生涯に亘ってどう考えていたかを基準にしなければならない、という完全にナンセンスな主張だ
幕府が存続していたとしても結局その人物たちは幕府をほっぽりだしていたであろう、とでも必然的に想定できると言うのかね?
挙げた中で幕府で非常勤の立場だったのは大村だけで
緒方洪庵は法眼奥医師という高官(布衣以上御役人)として死んでいるし
福澤も江戸開城まで御目見以上の身分の幕臣(旗本)
大鳥は言わずもがな
そもそも「歴史的功績」などと称して恣意的個人的主観的な基準を恥ずかしげもなく適用し、適塾関係者以外を安易に排除できる神経がおぞましい
君に必要なのは恥を知ること、判断の平衡を獲得し知識不足を解消する為に謙虚に学習することだ
まず江戸幕府について少しは勉強しなさい ここは学問板なんだからもう少し冷静に書き込めばいいと思うよ
5ちゃんの古い伝統といえばそれまでだけど 薩長が攘夷を叫んで英国に喧嘩を売るなど過激に突出するのを見て、佐賀が佐幕派となったことが大きかった
佐賀の武力には薩長も迂闊に手は出せなくなったのだ
こうして日本史は徳川による政治改革と近代化へと舵を切ったのだった 仇討ちのためのこども剣道教室や女性向け空手教室が繁盛していた >>175
リテンションってやつですな
人事を語るなら当然理解しているべき基本用語w 自分と違う意見は全員同一人物と思うバカw
人事の基本概念なんだからこれぐらい知ってる人はたくさんいる
>>176は明らかに知らないけどね
典型的なダメ組織の思考だから 瓦解した幕府がリテンションを云々するのに適当かどうかくらい少しは考えてからレスすればいいのに 人材をたくさん採ってます〜偉いでしょ〜活躍したのは辞めた後だけどね
って考え方がアホだと言ってるのにわからないようだなw 幕府が消滅したのに辞めるも糞もないということに気付かない低学歴 福澤諭吉は幕臣時代の日米修好通商条約批准で訪米したことも、幕府による遣欧使節団で渡欧したことが、その後に役立ったのは間違いない。
明治維新後も活躍した人の中には、旧幕臣時代の経験を活かした人が多いことを否定する必要は無かろう。 >>182
>>176と>>181は別人なんだけど
ブーメランで遊ぶの楽しい? 図星を突かれたのだろう
自分で自分にレスするなんて恥ずかしすぎるしな
ID出ないスレだからやりたい放題 1871年に統一ドイツ帝国が成立したのも、
1868年に明治新政府ができたのも、
外敵に対する備えとして必然的だったのかもしれない >>191
そうだろうね。
ビスマルクがドイツを統一してカイザー(皇帝)を中心とする国民国家「ドイツ帝国」を樹立した
1871年(明治4年)に、明治新政府は岩倉遣外使節団を欧米に派遣している。木戸孝允、大久保
利通、伊藤博文らの一行は2年間にわたって米、英、仏、独、露、蘭を歴訪しているので、建国
間もないドイツ帝国では宰相ビスマルクと会見して、情報交換し、天皇を中心とする「大日本帝国」
の建設・経営のknow-howを吸収したはずだ。 元の殿様は何ということもない小さな外様の田舎大名だったから、維新の激動からも蚊帳の外だったんだろうと思っていたが、なかなかにそうでもない
志士として田舎を出奔する若者もあったし、勤皇佐幕について議論を為し、家中の意志として勤皇と決している
日本中が外国の圧力を感じて、真剣に行く末を考えていたんだなと感じる 官営鉄道は幹線に限られていたので、地方は藩の持ち出しで鉄道敷設しなければならない
雄藩は良いにしても、貧乏藩は相変わらず徒歩だ
財政的に参勤できない藩も出てきて、許可を得て江戸屋敷に藩大使を常駐させることで用を足すところも出てきた
すると雪崩を打ったようにすべての藩がその方式になった
後に幕府を揺るがせた西南雄藩の独立騒乱の元となったのである 江戸の泰平の時代に、大店の商家の嫡男に生まれ、吉原三昧してみたかった 讀家と唐様で書く三代目 (江戸川柳)
大店の息子だけあって唐様の立派な字を書く
放蕩三昧で身上を持ち崩し、ついには「売家」と書いた札を貼る 沖縄は日本固有の領土ではない。
その証拠に江戸幕府は当時、沖縄の前身である琉球王国を異国(外国)と見ていた。 立派な字を書くと言えば
麻生太郎も立派な字だけは書ける そういう現実がある方が江戸首都の鈍い印象を残さないし、仙台復興も進むはず。 戦争があればいいことだよな。平定→幕府。旗揚げか? >>202
恒久的な政府の建物を建てないで、露天に万幕を張り巡らして政治をやるんだろ
幕府って 那覇市長選挙
城間幹子=7万9677票 当確
翁長政俊=4万2446票
ほぼダブルスコアでオール沖縄が圧勝しました。
城間幹子氏の再選おめでとうございます!
https://youtu.be/C91BExP7GPw
沖縄県知事選挙、豊見城市長選挙に続いて辺野古移設反対を主張するオール沖縄の3連勝となりました!
したいひゃー!!!
でかちぇっさー!!!
はい、カチャーシー、カチャーシー! 江戸時代が続いてたら?
大阪商人への借金がにっちもさっちも行かなくなった幕府が
三井とか三菱とか住友、伊藤中なんかの大阪商人に支配されてた 国債発行ハンパないからな
国民から借金して、国民に支配されてやしないか 幕府が国で藩が県か市町村か。
侍は公務員。
今と一緒だわ。 田舎でずいぶん前だが、親が役場を退職するから息子が代わりに役場へ入ったというのがあったな
世襲だ 教師の採用試験に不正ありとして問題になった県があった
やりにくい世になったと思っていることだろう
昔から教師の子は教師になるのが非常に多かった 天皇は京都にいて
関白とか大臣、納言も京都にいて
東京一極集中はないんだろうな 関白、大臣などは名誉職
実際の行政は東京で、総理大老の下、財務老中、農林水産老中などが執り行う
公務員のキャリア組は与力、一般職は同心と呼ばれる
近代になって武士階級でなくても科挙により公務員になれるようになった 御目見以下の与力がキャリアって…
少し幕府の職制を勉強すべきでは? 与力は時代によって使われ方も違い、織豊では前田利家などは与力大名と呼ばれた
江戸期でも与力は馬上が許される管理職だった
町方与力の特権としては、毎朝湯屋の女風呂に入る事が出来た 江戸期の整備された職制を前提にすれば与力がキャリアになるわけがないという話なんだが
幕府の職制全体を通観する能力と知識があれば戯言にしか聞こえないね 紀伊藩の田辺与力が松坂に流れついて
現存する重要文化財御城番長屋をつくった 時代劇で町奉行とその与力同心しか知らない人なんだろう 公務員(侍)の既得権益を批判する民衆(農民、職人)が一部でやかましく言うが
実は単なるヤジに過ぎない
何だかんだでやっていけてるし革命を起こしてまで生活を壊す気はない
一方で政治家(幕府)と役人と商売人(巨大企業)は民衆がなんとか納得してくれる道を模索する
要するに今と同じ 世襲は一族を守ろうと頑張った人の当然の権利だ
世襲したいなら一代目のお前がが頑張ればいいだけの話じゃないの >>226
日本の政治家は現在も世襲ばかりだけどね
総理と副総理が世襲(一応選挙はあるが儀式に過ぎない)だものねえ 世襲を妬むやつは負け犬の親に生まれて
自分の代で負け犬を改める気もない負け犬サラブレッドって事な 集団や平均から飛び出したから世襲が許される
自分も世襲しようと思ったら自分でなんとかするしかない
まあその場合自分は開祖であって世襲による恩恵は受けられない
そんなド根性先祖がいた者だけが世襲での恩恵を受けられる
優秀なDNAを受け継ぐ者として家督を次ぐのが仕事ね >>232
優秀な遺伝子かは人によるけど、そのど根性先祖のおかげというのはあるな
世襲と言ってもそれなりの能力(魅力、コミュ力)なども必要
素行が悪かったり能力不足だと世襲は出来ない
総理にしても(若い頃の)副総理も頭はともかくそれなりの能力はあるわな >>233
まあど根性先祖の望みは子孫の反映だから
それを甘んじて享受するのは何も悪いことじゃない
ただそれを永年維持するのは開祖より難しいかもしれん
まあ我が国の誇る一番のど根性開祖は神武天皇だが
代々の今上天皇には頭が下がる >>234
皇室は能力の高い人が多い気がする
歴史が長いというのもあるけど
後醍醐とか化け物レベルだし うまくいったことは自分の手柄のように言い触らし、
都合が悪いことは、隠蔽したり、改竄したり、バレれば他人のせいにする。
こういうタイプはボンボン育ちが典型で、会社にもよくいる。
世襲が悪いことではないが、安倍、麻生、鳩山は正にこんなタイプだ! >>1
江戸が懐かしレトロ扱いになって江戸検定ができることもなかった
今月4日に受験したんだけど受かってるのかどうか心配で吐きそう
自己採点は合格基準より若干上だけどたいてい少し取りこぼしがある物だから 慶喜が勝ったとしても幕府は存続しないだろ。
幕府を潰すのが慶喜か薩長かの違いに過ぎない。 >>241
それを言っちゃあ、お終えよ
野暮な奴だね
芋かおめえは 封建領主が存在したままで統一ドイツ帝国が成立しなかったのと同じで、武士社会のままで近代国家日本は成立しなかった。
江戸幕府から明治政府の移行で決定的重大なことは大政奉還よりも版籍奉還、廃藩置県だと思う。 >>243
今、假に幕政を脱して版図と人別の籍とを天朝へ奉還致し奉り、藩を廃し縣を置かば如何
侍は藩君に仕ふるに替りて天朝の政府に仕へて國縣の官吏とならん
是、武家社會に変はらずあらん哉
亜米利加合衆國、独逸連邦共和國、共に各州の権限強くして郡縣制度と違ふ者也 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています