>>91
そんなことはない。
和親条約の時には大名どころか藩士、一般町民にまで意見具申を許してるし、
現に吉原の幇間何がしという町人の意見書まで残っている
通商条約の時点でも一定の石高以上の藩にもれなく意見させている。
2回諮問して、2回目に薩摩も土佐も賛成に転じて反対したのは水戸尾張のみ

慶喜が将軍位につく慶応2年頃になると、全国の諸大名の推戴を受けて就任という形に
こだわるようになるから、薩摩藩あたりより政治参加を許容する範囲ははるかに広くなってる