>>3
◆2
>前掲の大型建物が廃絶時に解体され柱まで抜き取って撤去されていることは、後世の遷宮との関連も考えられるが、
歴代の宮のあり方に照らせば、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる。
したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる。 <

藤原京跡では宮殿で使われていた柱は発掘されているのですが・・・・