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西都原にある男狭穂塚古墳は、大和で起きた狭穂彦の垂仁天皇への謀反に由来するのではと考えたりしています。
狭穂彦の妹・狭穂姫は垂仁天皇の后でもあったので、二人の間で葛藤し、垂仁天皇の膝枕中に涙をこぼし兄の謀反が知られてしまいます。
その後の結末は日本書紀にある通りです。

二人の兄弟愛を残すために、それでも謀反の罪ある故、大和でなく遠い宮崎に陵を造ったのではと思います。

西都原が皇統につながる故地であることを、知ったうえでの選択地だったと考えます。