>>228
>あと、乱を起こしたニギハヤヒは自身をホアカリの櫛玉(形見)だと自称して乱を起こした。
>ナガスネヒコの側も、自分が「天孫」である証拠の品を持っていたと明記されている。

天孫の証を持っていたのは饒速日と神武だ。
記紀を読み直せ。

>>228
>曾祖父の火明命は舞鶴東部の志楽に宮を置いていたが、瀬戸内海航路でたえづ九州の高天原と行き来していて瀬戸内海航路に詳しいため、豊受大神が手助けをいらいしたものと考えます。

舞鶴と筑紫の間なら、日本海航路だよ。

>したがって、ハヤスイは明石海峡でなく豊予海峡が正解と思われます。

しかし神武はあえてハヤスイ、つまり関門海峡を抜けて筑紫から大和に向かった。