> 596 :日本@名無史さん :2018/11/19(月) 00:25:44.39
> 安曇の関係地や海人の特権階級が身につけた有鉤銅釧の分布は連続的ではなく飛び飛びになっており、
> 邪馬台国は本州に飛び地を持っていた可能性が高い
> http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg
> http://www.city.ichihara.chiba.jp/maibun/sinsou/36/bunnpu.png
>
> 例えば近江に安曇族が来たのは卑弥呼の時代とも一致するらしい
> 邪馬台国の飛び地だったと言ってもいいだろう
>
> https://biwako-genryu.shiga.jp/?page_id=603
> > 安曇川周辺には、このアドやアマに関連する地名が数多く見られる。 安曇川町上古賀の「天川」や中央1丁目の「雨ヶ森」、
> > 新旭町安井川の「安曇」や太田の「安曇連(あづみむらじ)」に関する社寺と「阿曇比羅夫(あづみひら ふ)」の墓、
> > 今津町南浜の「天川」などである。
> > そして、これらに福井県若狭町の「海士坂(あまさか)」や県境の「天増川(あますがわ)」をつなぐと、若狭湾方面から饗庭野を経由して
> > 安曇川流域付近に住 みついた安曇海人の軌跡を示しているとみられている。
> > また、移住の時期は弥生時代から始まって、3世紀以前に安曇川のデルタ一帯に定住したが、6世紀には当地域から姿を消したものと推測されている。