古事記は二神の結婚の段で次のように記している。
『次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき。』

次のように考えた。
1、この淡島は、和歌山市加太の淡島神社の淡島神で、水蛭子と同じ不遇の子とする説がある。
2、私は徳島の吉野川中流にある、日本最大の「中の島」である、現在の善入寺島を淡島と比定した。
3、伊邪那岐・伊邪那美は、水が得やすいこの島をまず開拓し始めた。
4、徳島の特産の穀物も植えた。
5、ところが、雨が少し多いと吉野川が増水し開拓地は水につかり土が流れてしまった。
6、島はすぐに水がつくことから、水の泡のようだと自虐して「淡島」と呼んだのだろう。
7、そこに植えた特産の穀物も、粟(あわ)と呼ぶようになった。
8.ついにこの島の開拓をあきらめ、神々のいる高天原にもどり相談をした。
9、神々には開拓を続けてくれることが大事で、失敗の原因は何でもよかった。
10、やり直しのできることを、失敗の原因とした。
11、「女先に言へるによりて良からず、また還り降りて改めて言へ。」
12、二人は、次に淡路島にもどり、南あわじ市のおのころ島神社がある島を改めて回った。