定義10 魏使行程の投馬国へ水行20日は、九州西岸では水行10日の航路である。
図18 投馬国へ水行10の航路図 http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu18.jpg
表2 投馬国航路の寄港地     http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/hy02.jpg

【水行10日の根拠】
@ 図18は対馬から九州西岸を経て鹿児島湾内に続く、長崎鼻を結んだもので
  附番J〜Sまでが水行10日の航路である。
A 帯方郡からが水行20日の航路になる。宮浦宮が終点なのは、日向・大隅・薩摩の
  中心にあり、時の大王が何処にいても向かうのに便利な為と、佐多岬沖の外洋を
  通らない安全な航路を選んだためである。
B 九州西岸の経路も安全な陸沿いや内海を通っている。
C この長崎鼻は寄港の浜に入る目印の岬に名付けたもので、表2のように近くには
  見張りの山が名づけられている。
D 1日の平均漕航距離は54kmであった。
E 長島付近に二つある長崎鼻のうち、東側・黒之瀬戸付近にある長崎鼻は、
  ニニギの天孫降臨を先導した猿田彦が、黒之瀬戸を渡海した時に名付けている。
  この名は猿田彦の長い鼻に由来するかもしれない。
F 投馬国への航路は、ニニギの子・山幸彦が結婚した妃・豊玉媛の父・豊玉彦が
  拓いた航路である。
G 対馬の浅茅湾には旧豊玉町があり豊玉彦が魏使を迎えたところである。
  魏志は大官を卑狗(彦)と記している。