伊邪那岐の伊邪那岐からの逃避の道は、高越山から阿南への約60kmに及ぶ山岳行だった。
出所: https://www.youtube.com/watch?v=MPz5ZYhDV1I  に逃避の伝承と関係する地名が残されている報告がある。
その他の根拠

@ 阿波忌部氏を継ぐ三木家が、今も美馬市木屋平の絶壁の上にあり、家裏からは高越山からの逃避の尾根道が見える。
三木家の家裏からの風景 http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu59.jpg   逃避の尾根を遺すため、代々ここに住んだのだろう。

A 山を下り終え那賀川に出たところの那賀町仁宇には、竜王山が残されていて、豊玉彦が訪ね残したと思われる。
逃避の道 http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu60.jpg

B 那賀川の河口には、青木・橘の地名が残り、ここで最初の禊が行われたと思われる。近くには小戸神社が残る。
阿南にある小戸神社 http://vbsoft.sub.jp/zuhyou/zu61.JPG

C 禊の場所を古事記は 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と記す。阿波岐原と阿波の文字を当てている。
D 天照大御神、月読神、須佐之男命は別途、山川町から呼び寄せられていて、ここで再会したのだろ。
E 近くに天照大御神生誕の地の伝承が残る、賀志波比売神社がある。