>>553
仮に倭国(邪馬台国=卑弥呼・壱与)が北九州だとしてだけど
魏志倭人伝の伊都国の説明にこんなことが書いてある

原文:傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯
訳文;文書や授けられた贈り物を伝送して女王のもとへ届けるが、数の違いや間違いは許されない。

文字が不自由だったというが、女王国では少なくとも支配層は文書でやり取りがされていたわけだ。
魏に朝貢するくらいだから、中国語はできたんだろう。漢の時代にも朝貢があったし
卑弥呼よりもっと前から中国語ができる知識層はそれなりにいたと考えた方がいい。

また女王国は南に位置する狗奴国の男王、卑弥弓呼素と戦争状態だったとも書かれている。

これらの記述から想像するに、九州の覇権争いは倭国=女王国=卑弥呼・壱与勢力が
九州南部の熊襲・隼人勢力に撃ち滅ぼされたとみた方が空想としても筋がいい。

だから日本書紀には邪馬台国や卑弥呼について碌な記述がない。