>>64
>「九州へ戻った」? 誰が、何のために「戻る」のですか?
國生み神話は、忌部一族の開拓史を表しているんですよ。  @阿波

私が記紀を研究した結果の「国生みの概要(1,2,3)を挙げます。
@阿波さんの考えと全く違いますので、議論はしません。
質問であれば、補足説明します。

国生みの概略(1)
1、神々は、伊邪那岐命と伊邪那美命に、「この漂へる国を修め理り固め成せ。」と詔して、二人を天の浮橋から出発させた。この記紀の記述が、日本の歴史の記録の始まりである。
2、伊邪那岐と伊邪那美の名は、魏志倭人伝に登場する五つのクニ名から、一文字ずつ採った名である。
3、伊邪那美・岐の文字順は、当時のクニの格順になっていて、古事記が記す「別天つ神五柱」の記載順と対応している。
4、「別天つ五柱」は、魏志倭人伝が記す倭国乱を、収束させる話し合いのメンバーだった。
5、伊都国宗家の男子・伊邪那岐命と奴(那)国王の王女・伊邪那美を結婚させ、その子から統一倭国王に共立することは、話し合いで決まっていた。その王が、天照大御神(卑弥呼)である。
6、 話し合いは志賀島の志賀海神社で行われたと、推測した。
9、博多湾の小呂島と能古島で指し示す室見川河口が、二人の船の出発地と考えた。
10、伊邪那岐命は瀬戸内海を進み、伊邪那美命は四国の太平洋岸沿いに進み、二人は淡路島東岸にある沼島付近で再会したと考えた。
11、沼島にある上立神岩が、二人の結婚の場「天の御柱」と比定した。
12、始めて生んだ州とする淡島は、徳島平野の吉野川中流にある、日本最大の中の島、現在の善入寺島と考えた。
13、開拓に失敗した二人は、高天原の神々にアドバイスを受けに戻った。