金印(漢委奴国王印)は糸島市の細石神社に江戸時代まで保管されていたと言われている。
志賀島から見つかったことにしたという。
つまりは伊都国が倭奴国なのだろう。
細石神社は三雲南小路遺跡の祭殿で、これは卑弥呼の先代の王家の墓に当たる。つまりは倭奴国王の墓だ。
細石神社の祭神は木花咲耶姫だが、三雲南小路遺跡は夫婦の墓であり、おそらく木花咲耶姫と夫の邇邇芸の墓だろう。
要するに、邇邇芸の天孫降臨により筑紫の日向に伊都国が成立して後漢に朝貢し倭王と認められて金印をもらい、その後に倭国大乱があって天孫族は筑紫から大和へ東征し、卑弥呼が筑紫倭国の王として魏に朝貢したということになる。
伊都の高祖宮(高祖神社)の祭神は邇邇芸の息子のヒコホホデミだが、その孫の神武もヒコホホデミの名を持つので、おそらく天孫族が世襲できる称号だったのだろう。
そして天孫族の宮として知られるのが高千穂宮である。
高祖山の南側のピークが現地ではくしふる山と呼ばれている。
高祖山にある高祖宮こそ、筑紫の日向のクシフル峰の高千穂宮だろう。
邇邇芸が授かったという八咫の鏡が副葬された倭国女王の王墓である平原遺跡から真東の方向に位置するのが高祖山なのである。
記紀の神代の伝承と魏志倭人伝の主な舞台は、すべて博多湾沿岸の、それも伊都に集約されている。