古来の感覚からすれば武士は異質すぎる
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約千百年前、突如わいてきた武士という物体。
やがてこの国を牛耳り、それまでの文化思想習俗を一変させた。
そしてそれは今の今も息づいている。
武士は古来のものではない!その精神も日本本来のものでは、断じてない! アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 武士とは体制の統制外で私的に武装した輩。
ヤクザといっしょw
現に武士のメンタリティはヤキザと瓜二つ! 京都兵wwwww
『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」
『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」
『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」
『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」
『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」
『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」 山口組顧問弁護士を務めた山之内幸夫は『文藝春秋』昭和59年11月号に寄せた「山口組顧問弁護士の手記」において
「ヤクザには在日朝鮮人や同和地区出身者が多いのも事実である」
「約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない」
と述べた。 武士という美意識は過剰適応の一例だろうね。効果的な殺人方法という技術的な部分や
統治という行政行為に、形而上思想である儒学朱子学が接着剤となっているという所だろう 山の上から戦を見物するのが、百姓の嗜み
百姓は人殺しなど穢れたことはしない 馬に乗りながら弓や刀を使うなんて
魏志倭人伝の記述からは想像もつかない倭人の姿
でも日本人といことであれば微妙なのか? 中国モノマネ奈良、京都はざつフィッシュ
今の日本は関東八州が造った 人を殺すというのは人から殺されることを受け入れる思想だからね
平和の法とはちがう思想なのは当然だよ 武士の残虐性って日本人じゃないね。
朝鮮人かもよ(笑) 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>11 道理より暴力が優先する社会は必然として朝鮮みたいになる
約束など不都合ならば暴力で破棄すれば良いからな そして道理によって統治できければ社会的分業が成立しないので
きわめて貧しい原初社会にとどまることになる 平安武士は六朝貴族社会の寒人、寒門。
守護大名、戦国大名は唐末群雄割拠した節度使。
ご恩と奉公の鎌倉武士だけは中国にいない。 >>8
平安貴族の姿もとても魏志倭人伝からは想像できないな 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 曽我兄弟は、親の仇工藤祐経を討つときに、口と耳が繋がるまで顔を刺した。
やばいなあ >>18
そりゃ、父親を殺した仇だからしょうがなくね 平安時代の大半は、死刑が無かった!
それほどにまで天皇政権下は平穏だったのだ。
だがそれを破ったのは武士の台頭。平然と殺しまくる異物、それが武士! 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 天皇=国の所有物から
武士は初めて私有財産=土地を手に入れた
共産主義を資本主義にした革命家達
朝廷は科学的な鎮静=仏教で政治を行ったが
武士達は美徳が好きな人種で殺しも美徳にした 古来から倭には馬に乗る風習はあるし(少なくとも三国志の記述において韓人には乗馬の風習や牛車はなかった)
稲作の開始から略奪に対抗する武力は持ち合わせた
成り立ちを考えれば武士の登場は特に不自然な点は全く無い 元々武士の闘いはお互いが名乗り合ってからの一騎打ちが基本ルールだったはず
それがいつの間にやら仁義なき(ルールなき)総力戦の時代になる
突然凶暴な集団が外からやって来たというより国内で武士団が凶暴化していったんだろう >>27
九郎の勝たなきゃ意味ないじゃん戦法のせい ▼Luis Frois『日本史』第四巻
上方武士の戦争は馬から下りて戦う(笑)
▽『雑兵物語』
上方武士の戦争は馬から下りて戦う(笑) >>32
事実を歪曲するなチョンコ
好んで切腹する奴、させる奴なんて一人もいない >>35
火病はWHOが認定したお前らヒトモドキの特有疾患だぞマヌケwww >>36
厳密には「WHOが認定したICDならびにDSMに明記されている」だけどね >>33
信長などの嗜虐性野郎は、好んでハラキリさせました。 武士の真似した三島由紀夫。
先帝から激しく嫌悪される。 >>33
それじゃハラキリ文化にならないぞ(笑)
喜んで切腹して見せてこそ、天晴れ!武士の死にざま。 半島は毒酒とかイスに縛り付けての拷問とか陰湿で女性的なんだよ
それより女々しいのが平安貴族 平安貴族は日本人。
彼らが生み出した文化は日本文化。
武士はそれらと真っ向対立する異物。 >>43
そういう妄想もう辟易
穢れ文化の中で、あえて穢れ仕事を請け負うことで財を成した者が武家社会の始まり
イギリスで言うところのナイトやジェントリーと同じ発生の仕方 あー言えば、こー言う・・・
ネトウヨですか、あなた >>45
洗脳教育を受けた在日左翼から見れば、中庸ですら右寄りに見えるんだな(笑) 三島由紀夫はやたらに古来にこだわったけど、せいぜい300年前に確立した“武士の理想”、それも現実とは違う“あるべき姿”を、現代に持ち込もうと必死こいてた。 文学者がいにしえに過大なロマンを抱くのは古今東西よくあること >>23
共産主義が正しいのですが、なにか(笑)
資本主義信奉の愚かですか、アナタ(笑) >>50
バカなのか?
いにしえにロマンを抱くのは文学者の習性であって、愚行だと思うのは読者の勝手
論点の違う話を一緒くたにするなマヌケ そもそも史学と相容れないロマンだなんだを持ち込んだアホはオマイ。 >>52
三島由紀夫の話を持ち込んだお前が一番のマヌケ >>54
日本人なのに日本語読解力が低いとかキツいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています