(会稽東治)は(東冶)の誤りで、東冶は今の福州市を指すとする意見がある。
それが正しい。
現在の倭人伝に書かれている(会稽東治)の東は紹興市の東ということになるので、この方位だとちょうど屋久島あたりになる。
この屋久島あたりは、倭人伝が書いている水行十日地点である。
倭人伝では、ここで上陸して一ヶ月陸行してから卑弥呼の都に着くとしているので、会稽東治の東の場合はこの陸行一ヶ月がなかったことになる。
この一ヶ月の陸行を加えると、屋久島あたりから南へ一ヶ月ということになるので、その位置はちょうど福州市の東に当たる。
つまり、会稽東治は会稽東冶が正しく、倭人伝の文章は(会稽と東冶の東)の意味になる。
これは地図上では、屋久島から沖縄本島あたりに相当する。