高天原にある卑弥呼の墓
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魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。
高天原最有力地・御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
https://goo.gl/maps/SnEKaJ2co5m
卑弥呼(ヒミコ)とは簡単。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴) B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴) A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴) (200年頃) @神武
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も死後に高天原の神々になった。 >>371
ちゃんと記紀にあるよ。
大国主と少彦名が国造りの途中、少名彦は黄泉の国に行ってしまう。
少名彦に去られた大国主が途方に暮れている時、大物主が現れて国造りに協力する代わりに大国主に建てさせたのが大神神社。
国造りの段で描かれてる描写なので、その後の国譲りで建てられた出雲大社よりも前に建てられたことになる。 そもそも高天彦神社周辺は高天原伝承の土地であり、天津神のいたとされるところ。
※江戸時代までは葛城(今の御所市も葛城に含まれていた)が高天原だと信じられていた。
そこにある高天彦神社に卑弥呼が葬られているわけがない。
卑弥呼=天照大神妄想の一種だと思われるが
卑弥呼が亡くなったとされるのは、3世紀後半で確定している。
倭の五王「讃」に比定されるのが、第15代応神天皇
宋書や梁書では、讃は西暦400年代前半の王
応神天皇から150年ほど前が卑弥呼が生きていた時代
天皇を14代遡っても、仮に欠史八代を抜いたとしても
150年の開きではどうやっても卑弥呼の生きていた時代と一致しない。
盛り土の塚と埋葬者だけでは、やはりこじつけにしかならない。 >>373
>そこにある高天彦神社に卑弥呼が葬られているわけがない。
根拠を言わないとただの感情になるよ。
>卑弥呼=天照大神妄想の一種だと思われるが
>>1のどこを読んでそんな意見になるの・
>卑弥呼が亡くなったとされるのは、3世紀後半で確定している。
3世紀半ばだろ。
何を言ってるんだ。
>応神天皇から150年ほど前が卑弥呼が生きていた時代
天皇を14代遡っても、仮に欠史八代を抜いたとしても
150年の開きではどうやっても卑弥呼の生きていた時代と一致しない。
応神元年390年、30代計算で一代平均在位11年弱、
神功皇后を入れて15代遡ると神武天皇は3世紀前半の卑弥呼の時代。
ヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛だ。 >>367
葛城には大神神社以前の式内・名神大社が複数ある。
高天彦神社や高鴨神社以外にも長柄神社は近くの名柄遺跡から弥生中期の銅鐸と鏡が出土。
大神神社(崇神時代=4世紀)が最古などとは笑止千万。 >>364
出雲大社は崇神の時代。
崇神は大物主に対してクーデターを起こした。
そしてその怨霊が祟らないように大神神社を建てた。
その崇神の時代に出雲大社が建てられた。
出雲大社の創建理由も同じであろう。 >>375
延喜式には神社の創建年なんて書いてないけど? >>377
だから何天皇の時代かで判断すればいい。
大神神社、出雲大社、宮崎神宮が10代崇神天皇の時代。
高鴨神社は5代孝昭天皇の時代。
崇神天皇を4世紀初頭から前半として、それ以前の、
トヨや卑弥呼の3世紀にまで遡れるのは高鴨神社など複数の式内・名神大社がある葛城。
邪馬台国の都は葛城だ。 >>376
狗奴国発祥説とはまた珍しいねぇ
あれって結局全部著者の妄想で根拠ないんじゃなかったっけ? トヨや卑弥呼の3世紀にまで遡れるのは高鴨神社。
5代孝昭天皇の時代。
孝昭天皇とは何者か。
魏志倭人伝に出てくるトヨの子だ。
事代主
┣━━━━━━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
┣━━━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津媛━━ 懿徳
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命 >>380
>そのソースは?
どの部分のソースを知りたいのかな? あー具体的には
>大神神社、出雲大社、宮崎神宮が10代崇神天皇の時代。
>高鴨神社は5代孝昭天皇の時代。
このソースが知りたい。
大神神社も出雲大社も創建年は不明のはずなのと、記紀にある記述とは違う由来を取るだけの根拠がわからない。 >>379
>狗奴国発祥説とはまた珍しいねぇ
何を言ってるのか意味分からん。
わしの>>376 を読んで、なんで狗奴国の話になるのか。
頭がおかしいのか。 >>382
>大神神社も出雲大社も創建年は不明のはずなのと、
大神神社も出雲大社も創建年は明確などと言ってないが。
>記紀にある記述とは違う由来を取るだけの根拠がわからない。
どの部分が記紀とは違う由来を取ってるのか? >>384
記紀、先代旧事本紀の系図を妄想というならそもそも日本史板に来るな。 >>386
記紀だと、出雲大社も大神神社も天孫降臨よりも以前の国津神の時代のエピソードだよね?
日本書紀から転記すると、国造りの最中に大物主の宮(大神神社)を建てる際の記述は以下となる。
對曰「吾欲住於日本国之三諸山。」故、卽營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也。
此神之子、卽甘茂君等・大三輪君等・又姫蹈鞴五十鈴姫命。
又曰、事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姫・或云玉櫛姫而生兒、姫蹈鞴五十鈴姫命。是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也。
最後の所に注目して欲しい。
大物主の子孫に「姫蹈鞴五十鈴姫命」とあり、是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也とある。
皆まで書かなくてもわかると思うけど、大物主の子孫が神武天皇の后「姫蹈鞴五十鈴姫命」である。と記紀にハッキリとある。
これを10代崇神天皇の時代とすると、日本の歴史はループに嵌る。 日本書記では、神武軍が高尾張邑にいた土蜘蛛を葛(かずら)を編んで作った網を使って討っており、
そのことに因んで地名を葛城(かつらぎ)と改めた、と記している。
変な戦法ですね、普通は矢を射り、剣で斬る。
葛(かずら)を編んで作った網を使ったのは土蜘蛛を「生け捕り」にするためでしょう。
では神武は生け捕りにした奴婢(土蜘蛛)をどこに連れて行ったのか。
いや神武はどこに住んだのか。
カシハラである。
といっても今の橿原神宮ではない、あれは明治になってできました。
かつて本居宣長や鳥越憲三郎さんも指摘したように神武が住んだのは御所市柏原。
そして神武に生け捕りにされた奴婢(土蜘蛛)の末裔は1700年後の20世紀初頭、声を上げる。
「人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光あれ」
この地が水平社運動および部落解放運動の原点となる。
だから今でも水平社博物館の隣が神武天皇社なのです。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_10.png >>388
>大物主の子孫が神武天皇の后「姫蹈鞴五十鈴姫命」である。と記紀にハッキリとある。
>これを10代崇神天皇の時代とすると、日本の歴史はループに嵌る。
嵌らない、大物主とは代々王の称号。
村長や天皇が複数いるのと同じ。
わしの>>381の系図の左端、事代主から天日方奇日方、
そして阿田賀田須までこれが大物主。
崇神が殺したのは最後の大物主である阿田賀田須。
その阿田賀田須を代々祀ってきたのが「国宝」中平銘鉄刀の保持者・和邇氏。
先代旧事本紀では代々の大物主の妻の名が書かれてるのに阿田賀田須の妻の名だけが書かれてない。
その理由は阿田賀田須の妻があのモモソ媛だからだ。
崇神が殺したのが阿田賀田須だと分ってしまうので朝廷に気兼ねしたのであろう。 >>389
神武天皇が宮を構えたのは「於畝傍之橿原也(出典:日本書紀)」 >>390
言いたいことはなんとなくわかったが、記紀の由来と違うと言うことは理解してくれたんだろうか? >>388
姫多々良五十鈴姫が三輪山神の娘と書いてあるね。
出雲大社の創建は、姫の夫である神武の5世代前の祖先である天照の時代の話のはず。
それでどうして大神神社が最古になるんだ? >>390
>わしの>>381の系図の左端、事代主から天日方奇日方、
>そして阿田賀田須までこれが大物主。
ここに推定が混じっているようだね。
そもそも、
>>388
>對曰「吾欲住於日本国之三諸山。」故、卽營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也。
>又曰、事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姫・或云玉櫛姫而生兒、姫蹈鞴五十鈴姫命。是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也。
でわかるように、玉櫛姫の夫には三輪山神と事代主の二つの伝承があり、これを同一視することで成り立っている説なんだ。
しかしその伝承をよく読むと、便所で用を足していたら赤い矢(のような形のモノ)で陰部を貫かれて子供ができたという話だったり、見知らぬ男が通っていて子供ができたという話なんだ。
つまり父親が不明なので、偉い神様の名前を借りて、その子供ということにしたんだよ。
当時は姫が実家にいて妻問婚を受けていたので、そういうこともあり得た。
なので、実は女系相続も重要であった。
玉櫛姫のまたの名は三島溝杭姫と書いてあるだろう?
それは三島溝杭耳の娘だからなんだ。
姫多々良五十鈴姫より2代前の三島溝杭耳の拠点であった大三島神社などの方が、古い神社のはずだよ。 >>394
>玉櫛姫のまたの名は三島溝杭姫と書いてあるだろう?
>それは三島溝杭耳の娘だからなんだ。
それはそうだ、否定していない。
>姫多々良五十鈴姫より2代前の三島溝杭耳の拠点であった大三島神社などの方が、古い神社のはずだよ。
三島溝杭耳の拠点であったのは大阪の茨木市あたり、東奈良遺跡という全国最大級の銅鐸遺跡があるところだろうね。
神社の創建というのは、例えば弥生時代からのマツリゴトが行われる聖地がそのまま今の神社になってる場合が多いと思う。
だから正式な創建などは分からない。
ただし式内・名神大社という括りで言えば、それは崇神以前に遡る高鴨神社、高天彦神社であろう。 >>391
>神武天皇が宮を構えたのは「於畝傍之橿原也(出典:日本書紀)」
畝傍山の東南と書かれてるね。
しかし本居宣長が指摘したように東南にカシハラという地名はなく、
西南の柏原村、いまの御所市柏原が神武の宮であろう。
日本書記は間違えたか、さもなくば潤色したか。
潤色したのならその理由は柏原村が奴婢郷であったからだろう。 >>393
正しくは天照大神の弟である素戔鳴尊の子供の大国主の世代の大物主の子だよね?
神武天皇より前に創建されてるんだから、5代孝昭天皇の時代の高鴨神社より古いのはおかしくなくないかな?
少なくとも、国譲りで建てられた出雲大社よりも、国造りの時代に建てられた大神神社の方が古い。
国造りも国譲りも邇邇芸による天孫降臨よりも前、建御雷神に対して行われた出来事だからね? >>395
>ただし式内・名神大社という括りで言えば、それは崇神以前に遡る高鴨神社、高天彦神社であろう。
それははるか後世の枠組みであり、意味がない。
>>397
>神武天皇より前に創建されてるんだから、5代孝昭天皇の時代の高鴨神社より古いのはおかしくなくないかな?
おかしくないよね? 大物主と事代主を同一視するからおかしくなるのだろう。
はるか後世の記紀の編者らが混同しただけ。
さらに言えば、姫多々良五十鈴姫はおそらく実際にはどちらとも関係ない。 延喜式にこだわる人が居るようだけど、大神神社も載ってるじゃん?
城上郡の名神大の所見てみよう。 >>398
>それははるか後世の枠組みであり、意味がない。
なんで意味がないのか。 >>399
>さらに言えば、姫多々良五十鈴姫はおそらく実際にはどちらとも関係ない。
なぜそのような根拠なくただ言い切るだけのレスをするのか。 >>398
>>神武天皇より前に創建されてるんだから、5代孝昭天皇の時代の高鴨神社より古いのはおかしくなくないかな?
>
>おかしくないよね?
俺らの知ってる日本書紀とは違う資料を見てる?
俺の知ってる日本書紀には、国譲りの後に邇邇芸の天孫降臨があって、その後に神武東征が来る。
神武天皇が大和に入って初代天皇に即位したって書いてある。
初代より前の出来事が、5代の後の出来事だと言われても困る。 >>403
わしは>>398ではないが横レス。
日本書紀には、神武天皇が大和に入って初代天皇に即位したって書いてあるが、
神武の時代に天皇なる称号はない、だから天皇に即位しようがない。
つまりこの部分は創作。
国譲りもおそらくそう、時代を変えていると思われる。
実際は10代崇神の時代にそれがあった、血が流れたクーデターだ。
しかしそれをそのまま書くのはドギツい。
だから「国譲り」という柔らかいお話に変えた。
わしはそう思っている。 ではなぜ「天皇」なる称号を7世紀に創作する必要があったのか。
魏志倭人伝に書かれた「女王」を打ち消すためだ。
神武東征紀でことさら其の武勇伝を強調し、神武天皇に読み手の意識を引き付ければ、
まさかその時代が魏志倭人伝に書かれた「女王」の時代だと誰も思わないだろ。
【神武天皇の時代が実は女王国であった】
コペルニクス的発想の転換をすれば全て解ける話なのだ。 英国のエリザベス女王とエジンバラ公の例えで言おう。
あのお二人に「天皇・皇后」という称号を与えてみる。
そうするとエジンバラ天皇、エリザベス皇后になる。
そして国史を書く際、
エジンバラ天皇の記述を95%、
エリザベス皇后の記述を5%にしたらどうか。
エジンバラ天皇だけが人々の記憶に残り、やがてエリザベス皇后が消えてしまう。
それと同じことをしたのが7世紀の朝廷。
7世紀に出来た新称号「天皇・皇后」とは、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼という女王を誰なのか分らなくするためのもの。
実際、今の日本人で初代皇后のお名前を答えられる人はほぼいない。
つまり女王が忘れられた。
わしはその忘れられたヒメ様の復権を願っているのだ。 >>403
多分、レス先を間違っていると思われる。
日本書紀の順序が間違っていると言っているのは、スレ主の鴨厨氏だ。 >>402
詳しくは忘れたが、兄の鴨主は、父親に杯を捧げたら天の彼方に飛び去ったという。
つまり、父親が不明なんだよ。
姫多々良五十鈴姫も同じこと。
父親が不明だから、事代主だとかを持ち出したわけだ。 >>408
>詳しくは忘れたが、兄の鴨主は、父親に杯を捧げたら天の彼方に飛び去ったという。
UFOに乗って天の彼方に飛び去ったのか?
おまえは失せろ。 「山城国風土記逸文」
タマヨリヒメが石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、河上から丹塗矢が流れて
きた。それを拾い、家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊して男の子を生ん
だ。
その子が成長すると、祖父のタケツミの命は神々を集めて7日7晩宴を開いた。
そうして、孫に向かって、
「お前の父と思う人に酒を飲ませよ」
と、言うと、その子は杯をかかげたまま、屋根を突き破って天に昇っていった。
その子は祖父のカモタケツミの命の名にちなんで賀茂別雷命(カモワケイカヅチノ
ミコト)という。
タマヨリヒメが拾った丹塗矢は、天つ神火雷神)であった。
https://blog.goo.ne.jp/sadalon/e/15f5fea1edcc572bcac6f3f326460d52
タケツミは大山祇の息子である三島溝杭耳のことで、賀茂別雷とは姫多々良五十鈴姫の兄である(先代旧事本紀の鴨主)。 『古事記』
三島溝咋(ミシマノミゾクイ)の美貌の娘勢夜陀多良比売(セヤタタラヒメ)を
大物主の神が見染め、この姫が厠で用を足している時に丹塗矢に姿を変え、便を流す
溝から流れ下って来て、姫の陰部を突いた。それで、姫が大層驚き、ともかくその
矢を持って帰って寝室に置くと、丹塗矢はたちまち麗しい男性の姿に変わった。そう
して大物主は姫と契ってイスケヨリヒメが生れた。
イスケヨリヒメ(ヒメタタライスケヨリヒメ)は日本書紀の姫多々良五十鈴姫。
陰部(ほと)を突かれて産まれた子なのでホトタタライスケヨリ姫と名付けられたが、成長してからホトの名を恥じてヒメに名を改めた。 >ホトタタライスケヨリ姫
娘にそんな名前を付ける馬鹿親はいない。
ではなぜホトタタライスケヨリ姫などという説話が挿入されてるのか。
ヒメ(踏鞴五十鈴)ならすぐにヒミコを連想させてしまうからだ。
だから「ホト」を強調、そこに関心、いや歓心をもたせる。
読み手はしばし「卑弥呼・ヒミコ=ヒメ后」の事を忘れると言うわけ。 鴨厨氏は都合のいい部分だけチェリーピッキングして、鴨一族の伝承を歪めているね。
娘の名前がホトだったのは古事記に書かれているのことで、勝手に自分の価値観で
>>412
>娘にそんな名前を付ける馬鹿親はいない。
などと決めつけるな。 >>413
>娘の名前がホトだったのは古事記に書かれているのことで
別に幼少期にホトという名前だったとして何も問題ない。
物心ついてからヒメ(蹈鞴五十鈴)に変えたのなら、
彼女が卑弥呼:Bēi mí hū / Bei1 mi2 hu1
比桃@(Bǐ miē hòu)
比売后〈Bǐ mài hòu)
つまり【ヒメ后】であろうことは疑いがないからだ。 高天原は高麗原なんだよ。
高麗の高を「タカ」と読めば、高麗原はタカマ原になる。
天照大神のモデルは朱蒙の母柳花。
したがって、高天原は白頭山の事だ。 /:|. /:|
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/_,, ⌒ u >>415 ::::::::::::\ 哀ゴ―ー!
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ヽ}.∧lll | ../ ゙i、 ゙li、 ..........,,ノ;i!:.... `' 、 ∧_∧
i/| \┌┌┌┌┌ /. //ヽ∩`'=、:::::;;、:、===''ジ゙'==-、、,,,__ `'(`・ω・´#) ウソつくな
( ゙゙^^¨^¨゙゙¨  ̄ ̄ ̄| i/ヽ つ:ヽ `~''''===''"゙´ ~`'''' ヽ ノつ 朝鮮ヒトモドキ!
ヽー─¬ー〜ー――i | 〜(_⌒ヽ . 〜( ,,,(~)
)ノ `J . .ヽ) 紀元前から半島南部は菜畑や板付、金隈と同族の農耕縄文人が征服し、大陸からは辰国と認識された。
根拠として挙げられるのが
半島最古の住居遺構である松菊里住居跡が日本の竪穴式住居の劣化コピーであること、
半島最古の水田遺構である麻田里の温帯ジャポニカ米。
寒さに弱い農耕縄文人を尻目に
半島の北緯36度線以北に流入した様々な民族が
弥生人(元縄文人)国家である辰国と融和しながら形成されたのが馬韓・辰韓・弁韓・狗邪韓国。
倭人(元弥生人)の影響を受けなかったツングース系・穢族・プヨ族を併合して高句麗に
馬韓は百済に
辰韓と弁韓が併合して倭種の国新羅に
狗邪韓国が倭人の国として伽耶を含む任那に移行。
原韓人とも言うべき百済は倭国本土に媚を売り続けたため反感を買い
唐と組み、中国化した新羅に絶滅させられ
高句麗も滅亡し、任那は本土に撤退、統一新羅に。
その新羅も高麗に滅ぼされ、民族としての倭種の国は半島から消滅。
高麗はモンゴル帝国の侵略を受けツングース系とモングル系のハイブリッド国家へと変貌を遂げ、現在に至る。 箸墓古墳を卑弥呼の墓と想定するのは無理がある。
魏書に於いては一貫して短里が用いられているのだから、1里=300歩、100歩は25.3m、百余歩は30m程度ということになる。
箸墓古墳は、墳長が約278m、後円部の直径が約150mであり、百余歩よりも桁違いに大きい。
畿内説信者は苦し紛れに「当初は円墳として築造され、前方は後年増築された」と言い出したが、桜井市教育委員会の橋本輝彦氏らによって完全に否定されている。
また三国志に於いては「塚」と「墳」が明確に区別されていたことに留意せねばならない。
諸葛亮伝の「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」や、大君公侯の墓が「墳」であったという記述からも高さのある人工の大きな墓を「墳」と呼び、棺を入れるのに十分な程度の高さしかない墓を「塚」と区別していた。
周礼には「漢律に曰く、列侯の墳は高さ四丈、関内侯以下庶民に至るまで各々差あり」とあり、高さが四丈もあれば、墳として扱われていたことになる。
一丈の長さは時代によって2-3mの間で変化するが、8-12mを超えれば間違いなく墳である。
箸墓古墳は高さ30mもあるので、魏使が見たら「大いに塚を作る」ではなく「大いに墳を作る」と書いていなければ辻褄が合わない。 >>416
朝鮮人もどきなどと言ってる輩はネトウヨなんだろうね。
ネトウヨの崇拝してやまない安倍晋三は息をするようにウソをつくことで有名。 / ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●) (面接官)
| (__人__) では特技にあるネトウヨ連呼というのを
| ` ⌒´ノ 今ここで実践して見せてください
| }
ヽ }
ヽ、.,__ __ノ
_, 、 -― ''"::l:::::::\ー-..,ノ,、.゙,i 、
/;;;;;;::゙:':、::::::::::::|_:::;、>、_ l|||||゙!:゙、-、_
丿;;;;;;;;;;;:::::i::::::::::::::/:::::::\゙'' ゙||i l\>::::゙'ー、
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/ ̄ ̄\ ___
/ \ | チョンコ | ネトウヨォォォー!!
|:::::: | /,,,,,,)ii(,,,,,,\ ネトウヨォォォー!!
. |::::::::::: ∪| /(;;゚\)ll(;;/゚)\ 愛国心とかウゼェェェー!!
|:::::::::::::: ∪ |/ ⌒(__人__)⌒ \
. |:::::::::::::: } | ノ( |r┬- | u |
. ヽ:::::::::::::: } \ ⌒ ) l ノ /
ヽ:::::::::: ノ | u `ー' \
/:::::::::::: く | | | |
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|:::::::::::::::|ヽ、二⌒) >>418
>箸墓古墳を卑弥呼の墓と想定するのは無理がある。
その通り、箸墓は卑弥呼の墓ではない。
●渋谷向山 景行天皇
●行燈山 崇神天皇
●箸墓 ?
この「?」に天皇を入れると分らなくなる。
天皇という称号は7世紀に出来た。
●箸墓被葬者はこの地域・桜井=磯城にいた崇神の前王。
イカガノシコオだ。
お姉さんのイカガニシコメとヒメヒコになってる事に留意。
ヒメヒコとはその地の王の証拠であろ。
また大阪交野の雷塚古墳、山城の五塚原古墳は箸墓古墳と強い近似性があると言われるが、
雷塚古墳が、イカガノシコオと真木姫の子で交野連であったタベノスクネ。
五塚原古墳が、真木姫の父で山代国造りの祖・長溝。
このようにすっきり解釈できる。 そもそもスレタイの「高天原」と「卑弥呼の墓」に因果関係がないのだからクソスレと言う他ない >>415
>天照大神のモデルは朱蒙の母柳花。
天照大神のモデルは高天原(御所市高天)にいた高姫=下照媛。
高天原(金剛山)にある複数の式内・名神大社に祀られている。
7世紀、高姫を天照と下照に分離、
天照には創られた虚像、
下照には人間としての実像を託し、時代を変えた。
天照は魏志倭人伝の卑弥呼をモデルに弟があり独身というキャラに設定した。
本当は下照で分るように兄がおり、アメノワカヒコという夫があった。
天照の弟スサノオ=下照の兄アジスキタカヒコネ=剣を持つ暴れん坊。
実際は107年に後漢皇帝安帝に土下座した倭国王帥升。
記紀はこの事実を隠ぺいするために編纂された。 >>423
卑弥呼が誰なのか突き詰めたら、高天原を聖地とする鴨族、
つまり高天原に住む神々であったという話。
見事な因果関係なのだが。 >>424
朝鮮ヒトモドキの妄想に付き合う必要ないのに・・・ >>425
卑弥呼が生きた場所も眠る場所も科学的に近畿地方はありえないと結論が出てるんだが。
てか邪馬壹国近畿説自体が学説ですらないのは明白。 >>427
>卑弥呼が生きた場所も眠る場所も科学的に近畿地方はありえないと結論が出てる
その科学とは「幸福の科学」か?w 現代中国語でのピンインでの表記
卑弥呼:Bei mi hu
今のところ卑弥呼の発音に関して日本側の古事記表記の比桃@(Bi mie hou)、
比売后〈Bi mai hou〉以外には類似する名称は存在しない。
但し弥生時代の日本語の発音および当時の中国語の音写の法則については説が確立していないとする説も存在する。
(wiki 発音記号文字化けするので訂正)
比桃@(Bi mie hou)
比売后〈Bi mai hou〉
つまり、
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
「ヒメ后」ということ >>428
箸墓古墳を卑弥呼の墓と想定するのは無理がある。
魏書に於いては一貫して短里が用いられているのだから、1里=300歩、100歩は25.3m、百余歩は30m程度ということになる。
箸墓古墳は、墳長が約278m、後円部の直径が約150mであり、百余歩よりも桁違いに大きい。
畿内説信者は苦し紛れに「当初は円墳として築造され、前方は後年増築された」と言い出したが、桜井市教育委員会の橋本輝彦氏らによって完全に否定されている。
また三国志に於いては「塚」と「墳」が明確に区別されていたことに留意せねばならない。
諸葛亮伝の「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」や、大君公侯の墓が「墳」であったという記述からも高さのある人工の大きな墓を「墳」と呼び、棺を入れるのに十分な程度の高さしかない墓を「塚」と区別していた。
周礼には「漢律に曰く、列侯の墳は高さ四丈、関内侯以下庶民に至るまで各々差あり」とあり、高さが四丈もあれば、墳として扱われていたことになる。
一丈の長さは時代によって2-3mの間で変化するが、8-12mを超えれば間違いなく墳である。
箸墓古墳は高さ30mもあるので、魏使が見たら「大いに塚を作る」ではなく「大いに墳を作る」と書いていなければ辻褄が合わない。 >>424
柳花は朱蒙が扶余から脱出する際に朱蒙に五穀の種を持たせる。
その時、朱蒙が麦の種を忘れる。柳花は鳩に麦を持たせて朱蒙のもとへ向かわせる。
鳩を受け取った朱蒙は鳩の腹を割いて麦の種を手に入れる。
日本でも天照大神に追放されたスサノオがオオゲツヒメを殺すと五穀が湧いてくる。
そっくりではないがモチーフが良く似ている。 >>433
「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は扶余族の東明であり、高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは
朝鮮ヒトモドキの民族的願望であって事実ではないことが判明している。
また、高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は「日本書紀」を模倣して書かれたものであることは明白であり、
現代の歴史教育における三韓史も「日本書紀」を土台としつつ、感情的に受け入れられない部分を削除し、ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと
改ざんした捏造史であると断言している。 箸墓古墳を卑弥呼の墓と想定するのは無理がある。
魏書に於いては一貫して短里が用いられているのだから、1里=300歩、100歩は25.3m、百余歩は30m程度ということになる。
箸墓古墳は、墳長が約278m、後円部の直径が約150mであり、百余歩よりも桁違いに大きい。
畿内説信者は苦し紛れに「当初は円墳として築造され、前方は後年増築された」と言い出したが、桜井市教育委員会の橋本輝彦氏らによって完全に否定されている。
また三国志に於いては「塚」と「墳」が明確に区別されていたことに留意せねばならない。
諸葛亮伝の「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」や、大君公侯の墓が「墳」であったという記述からも高さのある人工の大きな墓を「墳」と呼び、棺を入れるのに十分な程度の高さしかない墓を「塚」と区別していた。
周礼には「漢律に曰く、列侯の墳は高さ四丈、関内侯以下庶民に至るまで各々差あり」とあり、高さが四丈もあれば、墳として扱われていたことになる。
一丈の長さは時代によって2-3mの間で変化するが、8-12mを超えれば間違いなく墳である。
箸墓古墳は高さ30mもあるので、魏使が見たら「大いに塚を作る」ではなく「大いに墳を作る」と書いていなければ辻褄が合わない。 >>435
>箸墓古墳を卑弥呼の墓と想定するのは無理がある。
全く賛成だ。
卑弥呼の墓は日本の神話・歴史の原点である高天原にある。
魏志倭人伝の記述通り、奴婢とともにある。
奴婢とは土蜘蛛だ。
https://goo.gl/maps/fgJgpd6n6js >>438
亀レスしてまで言うことかよマヌケwww >>439
自分のスレを定期的に上げる。
>>1ができるだけ多くの人の目に留まるようにな。 日本史板はage進行がデフォだからあんま意味ないよね 前方後円墳の起源は半島にある積石塚墳
これが韓半島南部で前方後円墳に発達して北九州からヤマトに広がった ┏━━靖━━国━━┓
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/Japanese Only\
No More Korean 天孫族が筑紫に都を定めた方が古いから、前方後円墳は九州北部で発生して半島南部や西日本、東日本に拡散したんだな。 >>444
天孫族って歴史学的にも考古学的にも実在を証明できない架空の部族なんだから、SFスレでやれよマヌケ >>445
百済が発祥ではないと書いたつもりなのに。 >>447
そもそも百済発祥のものなんて地球上に存在しないことは明白だろ
歴史学的にも考古学的にも実在を証明できない架空の天孫族ネタはSFスレでやれマヌケ >>444
>前方後円墳は九州北部で発生して半島南部や西日本、東日本に拡散したんだな
前方後円墳の発祥は東瀬戸内。
九州ではむしろ南の鹿児島の志布志の京ノ峯遺跡が1世紀ころだったか、かなり早い。
前方後円墳といっても周溝墓に一部陸橋が残ってる感じなんだけども。
その後、九州南部で造られてないのも謎。 >>449
京ノ峯遺跡を方円墳だと主張するのは乱暴過ぎる 天の岩戸のアメノウズメの方が忘れてはならない過去だ。 >>450
京ノ峯遺跡を方円墳だと首長していない。
というか方円墳って何だ?
円形周溝墓に一部陸橋が残った形、前方後円形周溝墓といったところだろう。
4http://www.city.shibushi.lg.jp/docs/2016092900096/ >>436
高天原は奈良。芦原中つ国が大阪。邪馬台国の時代は奈良にあった邪馬台国と、大阪平野から
開拓し奈良へ進出していった天皇家。 >>455
間違ってはいない。
全国で奴婢埋葬痕跡のある場所は高天原しかない。
4世紀前半の崇神天皇以前に奴婢を大量に誅殺した人物は神武しかいない。
「徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
これが神武軍によるものであった。
多分、今まで誰も指摘していなかったはずだ。 >>455
間違ってはいない。
全国で奴婢埋葬痕跡のある場所は高天原しかない。
4世紀前半の崇神天皇以前に奴婢を大量に誅殺した人物は神武しかいない。
「徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
これが神武軍によるものであった。
多分、今まで誰も指摘していなかったはずだ。 >>462
神社の御神域は発掘できない。
発掘したとてとっくに土に還っている。
そんなこともわからないのか。 >>462
神社の御神域は発掘できない。
発掘したとてとっくに土に還っている。
そんなこともわからないのか。 >>462
神社の御神域は発掘できない。
発掘したとてとっくに土に還っている。
そんなこともわからないのか。 うわ、なんやこれ。
なんで3回もレスしたことになってるの? 掘ってもないのに埋まっているひとたちが分かる不思議 >>467
痕跡という意味が分からないようだね。
なんでも掘らなければわからないなんてアホが言うセリフ。
纏向遺跡を掘っても卑弥呼と書かれた銘文は出てこないよ。 >>467
あとアゲろ。
sageてこそこそ言うな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています