(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう >>23
>しかし狭義の倭国は対馬海峡のみになる
この論証が、まったくもって不十分
まず、十分な根拠をもって論証するところから始めないと
というか、方々で論破されてるよねww https://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&feature=youtu.be
私の 説は 邪馬台国 は 球磨郡 にあった です
熊襲 とよばれて 後の 大和朝廷に くちくされたのが
みなさん どうが みました?
高天原は 球磨郡 か 伊佐市です
標高も高い 広い 稲がそだつはらっぱもある
雪も降る >>25
>後漢書でも読んでくださいよ
倭在韓東南大海中 依山爲居 凡百餘國 自武帝滅朝鮮 使驛通於漢者三十許國
國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國 「その」大倭王 「倭国の」大倭王
樂浪郡徼 去其國萬二千里 「その」国を去ること萬二千里 「倭国を」去ること萬二千里
去其西北界拘邪韓國七千餘里 「その」西北界 「倭国の」西北界
これの二番目をむりくり「倭国」ではなく、「邪馬台国」と読むインチキだろ
方々でコピペを見てるよ
三連続の「其」の二番目だけ違うものを指すとかインチキもいいとこ その国と言えば、首都から距離を測るのが普通だからだよ。
国境は他に書いてあるわけだし。 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. みやま説が、大牟田ありらなら、玉名、山鹿も有りだな だが、九州の辰砂鉱山は飛鳥時代以降に発見
弥生時代には「ない」んだよ >>34
それ、どうしてわかったの?
別のスレで
「其山有丹 ← 水銀が産出される山の記述について、丹生の民俗というサイトには
『邪馬台国の卑弥呼
卑弥呼の時代は施朱の風習があった。魏志倭人伝には、「丹」が献上品に名を連ねている。
その結果、倭人の住む国の産物に「其山有丹」と紹介されている。卑弥呼の支配地域に辰砂の
出る山があったと言うことである。
どの山であったのかは邪馬台国の位置論に関わる。それぞれの鉱山の開発された時代を探る
必要がある。卑弥呼の時代には、大和と阿波の鉱床群が開発されており、九州はまだであったと
市毛勲氏は日本民族文化体系3の中で言われている。』とある。」
と書いてあるんで、
その市毛さんが何を根拠にしてそう書いているのか聞いたがレスがつかない。 >>35
>それ、どうしてわかったの?
>その市毛さんが何を根拠にしてそう書いているのか聞いたがレスがつかない。
心配しなくても、弥生時代には畿内にも「ない」んだよ 。
あるのは倭国(阿波)だけだから安心して。 @阿波 >>34
根拠くらい示せよ。
畿内説は言い張るだけだよな。 日本民族体系3は、なかなか図書館でもおいてないからね 日本民俗文化体系3 稲と鉄―さまざまな王権の基盤
水銀 : 民俗と製造技術 市毛勲
あとは、
市毛勲 朱の考古学 アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 後漢書だと「其山有丹土」なんだけどね。
ただ、魏志の前文に出白珠青玉とあるから、
献上品リストを見て倭には真珠とヒスイが取れて
辰砂の出る山があるって記載したんだと思うけど。
真珠はともかくヒスイの産地も限定されるね。 >>40
結局
「卑弥呼の時代には、大和と阿波の(辰砂の)鉱床群が開発されており、九州はまだであった」という市毛勲氏が日本民族文化体系3の中に書いたという主張の根拠はなんなの?
卑弥呼の時代のことがそんなにわかるの? >44
間違えた。
従来翡翠だと言われてきたものが、クロムの含量の高い白雲母だったということだから、「九州で翡翠にビジュアルのよく似た鉱物が採取されて装飾品に加工されていた」、だった。
蛍光X線で分析して初めて翡翠でないとわかるもの。 >>42
>後漢書だと「其山有丹土」なんだけどね。
それを、読点の打ち間違い
其山有丹、土氣温腝でいいんだよ >>44
これは面白いね。古代史塗り替えるじゃないですか。
青玉も真珠も丹が(丹土)なら九州内でまかなえそう。 >>45
>従来翡翠だと言われてきたものが、クロムの含量の高い白雲母だったということだから、
従来翡翠だと言われてきたもの「の中に」、クロムの含量の高い白雲母「のものもあった」
が正しい
九州外まで輸出されてるから、結局「九州だけの倭国」はないんだけどね >>50
>筑紫を盟主とする連合国家である倭国だろ。
権力の可視化モニュメントである巨大墳丘墓の時代に
12×8メートルの墓しか作れない地域に王はいないよ
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル、
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル、
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部、
てなサイズがある
畿内では纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートル
考古学的実体である墳丘墓を見れば、「九州が盟主」はないことが分かる
北部九州でも一時代前の吉野ヶ里遺跡北墳丘墓は、27×40メートルの大きさがある
北部九州の凋落は明らか >>48
ありがとう。徳島では辰砂の「採掘」をしてたのがわかった。
でも、他の場所で辰砂を「採取」してなかったとは言えないね、地上に現れていたものを採っただけなら遺跡にはならないから。 >>52
>でも、他の場所で辰砂を「採取」してなかったとは言えないね、地上に現れていたものを採っただけなら遺跡にはならないから。
そんな少量では、とても全国各地の古墳に賄えないよ。 却下。 @阿波 そういうこった。
畿内の老人たちが、箸墓のドでかさで驚かして乗り切ろうとたくらんだものの、
ネット5ちゃんの情報力には、まるきり歯が立たず、ついに化けの皮がはがれたってわけだ。 >>53
魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的には無関係だよ。 >>56
>魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的には無関係だよ。
確かに、倭人伝には古墳の使用は書いていない。
が、「其山有丹」の山が若杉山しか該当しない事実があり、古墳に使用された朱も若杉山産である事実。
これは結果的に、「魏志倭人伝の「其山丹有」と後々の古墳への使用は直接的に関係する」ということ。 @阿波 >>58
補足すると
「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しない事実」などないはずで、
仮に
「古墳に使用された朱も若杉山産である事実」が本当だとしても関係ないはずで意味不明ということ。 @阿波の其山牛丹有、日がな一日 食いしん坊の極みww 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 >>59
>補足すると
>「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しない事実」などないはずで、
少なくとも、今の時点では、「『其山有丹』の山が若杉山しか該当しないという事実。 @阿波 >>62
どういう論理なのか、さっぱりわからん。
辰砂は掘らなくても「山」に「有」ればいいんだよ。採掘する必要はないから。 阿波さんて孤立無援でよく頑張るな
もう読みもしないけど >>63
>辰砂は掘らなくても「山」に「有」ればいいんだよ。採掘する必要はないから。
いつまでそんなこと言うつもりなんだい?
平成も終わろうとしている時代に、この体たらく。
実に情けない。 @阿波 九州説も畿内説も、最早ガラパゴス状態。
当人たちはそれさえも気づいていないのだろうか?
本心は、近づく倭国(阿波)の足音におびえているのだろう。 @阿波 >>52横からすいませんが
私は、阿波の丹だけでは
倭人の身体に朱を塗る風習や古墳内に塗る量に
到底追い付かないと思うのです。
まず、みやま市こうやの宮の色彩像を見て下さい。
真っ赤に塗られた横にマッチョな色彩像を。
私は、これが倭人の戦士か海人族と思うのです。(たぶん海人族)
倭人は沢山の朱を使っていたはずです。
しかし阿波で発見された丹洞窟内は狭く長さも20m無いと記憶してます。
これでは四国内での消費量にも足りたのか疑問に思います。
古墳に使用した量だけでも阿波朱じゃ足らないはず。
きっと日本国内に他に鉱山があったはず。
中国から輸入していた説もあるでしょうが
あの色彩像をみる限り、国内で容易に調達できたと思っています。 ついでに
海人族が朱を沢山身体に塗ったのは
日焼けの働きもあったのかもしれません
(本人達が意識していたかは謎ですけど)
長期間、海を航海すれば、火傷並に日焼けしたでしょう
朱を塗れば日焼けしなかったと思ってます
さらにこうやの宮の赤い人の色彩像、
腕に金輪みたいなのをしています。
これは、たぶん貝輪です
この貝輪は、遠い沖縄でしか捕れない珍しい貝です。
海人族が遠い沖縄で貝輪を仕入れ、倭人に売った
(貨幣の貨は貝が化けるですもんねw)
初期の経済活動の始まりではないかと想像できます
この視点(想像ですが)も実は素晴らしい事なんですよ。
私には証拠も出せませんし、想像ばかりですが
書いてみましたm(__)m さらにさらについでに
今私が注目しているのは
邪馬台国の(台)の漢字です
臺が、いきなり→台になるのでしょうか?
どなたか詳しい人がいましたら教えてください 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>68
>私は、阿波の丹だけでは
>倭人の身体に朱を塗る風習や古墳内に塗る量に
>到底追い付かないと思うのです。
おなたがそう思うのは自由です。
ただ、全国唯一の辰砂採掘遺跡や出土した朱のイオウ同位体比を見る限り、
今現在は、あなたのその思いは外れていると言わざる得ませんね。 @阿波 >>73
徳島産の辰砂とほぼ同じ同位体比を有する辰砂は九州でも採れてる。
文献では三重産の辰砂だけは区別できるけど?そうでないものが徳島産なんて結果は出てない。
https://kindai.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=11089&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1&page_id=13&block_id=21
「古代日本の主な朱産地である三重県丹生鉱山と徳島県水井鉱山および奈良県大和水銀鉱山の間には有意差 があり、丹生産かどうかを区別することが可能」
「弥生時代から古墳時代にかけた西日本各地の支配者階級の墳墓から出土した朱を我々が分析したところ、
イオウ同位体比が大きくプラス値に傾き、中国貴州省辰砂鉱山産とよく似た値を示す朱と、
マイナスの値を示して三重県丹生鉱山産とよく似た値を示す朱の存在を明らかにした。」
「一つの鉱山鉱脈において深さなどが異なってもイオウ同位体比に違いは少ないことを 明らかにしている。」
「古代では露頭部分付近から採取された朱を用いていたと思われるが、地中深くから採掘している現在の鉱 山鉱 石 のイオウ同位体比分析の結果はそれほど変わらないと考えられる。」
「丹生産辰砂鉱石は日本の他鉱山鉱石とイオウ同位体比の値が大きく異なっていた。丹生鉱山は縄文時代から朱の採掘が行われていたことから、弥生時代および古墳時代も朱が採掘されていたと考えられる。 」
「古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山であ る丹生鉱山産のイオウ同位体比 が他鉱山 と異なることは貴重なデータであり、今後遺跡から出土する朱の産地推定に役立つと考える。」 >>73
徳島産の辰砂とほぼ同じ同位体比を有する辰砂は九州でも採れてる。
文献では三重産の辰砂だけは区別できるけど?そうでないものが徳島産なんて結果は出てない。
https://kindai.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=11089&item_no=1&attribute_id=40&file_no=1&page_id=13&block_id=21
「古代日本の主な朱産地である三重県丹生鉱山と徳島県水井鉱山および奈良県大和水銀鉱山の間には有意差があり、丹生産かどうかを区別することが可能」
「弥生時代から古墳時代にかけた西日本各地の支配者階級の墳墓から出土した朱を我々が分析したところ、
イオウ同位体比が大きくプラス値に傾き、中国貴州省辰砂鉱山産とよく似た値を示す朱と、
マイナスの値を示して三重県丹生鉱山産とよく似た値を示す朱の存在を明らかにした。」
「一つの鉱山鉱脈において深さなどが異なってもイオウ同位体比に違いは少ないことを明らかにしている。」
「古代では露頭部分付近から採取された朱を用いていたと思われるが、地中深くから採掘している現在の鉱山鉱石のイオウ同位体比分析の結果はそれほど変わらないと考えられる。」
「丹生産辰砂鉱石は日本の他鉱山鉱石とイオウ同位体比の値が大きく異なっていた。丹生鉱山は縄文時代から朱の採掘が行われていたことから、弥生時代および古墳時代も朱が採掘されていたと考えられる。 」
「古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山である丹生鉱山産のイオウ同位体比 が他鉱山と異なることは貴重なデータであり、今後遺跡から出土する朱の産地推定に役立つと考える。」 実はみやま、大牟田、荒尾あたりに大きな国があったんだよ
ただ大規模な古墳や遺跡は見つかっていない
なぜなら意図的に隠されたから
特に大牟田、荒尾は炭鉱があったし、遺跡なんか出ちゃ迷惑だったんだよ
という仮説 >>76
いや、普通に遺跡密集地帯で
鍛冶遺跡が多いですよ
筑紫と肥の国境で戦の痕跡も多いですね >>74
>古代 における一大辰砂鉱石採取鉱山
少なくとも、今現在、卑弥呼の時代に「辰砂鉱石採取」をしていたと、認められない。 @阿波 >>77
根拠を示さないと! 投稿する意味なし。 @阿波 >>77
>筑紫と肥の国境で戦の痕跡も多いですね
つまりは邪馬台国と狗奴国の国境だろ。 >>80
>つまりは邪馬台国と狗奴国の国境だろ。
その「邪馬台国と狗奴国」に相応しい集落遺跡群を示せないというお粗末。 @阿波 >>78
していなかったという断定さえできなければ、鉱脈がある場所では十分可能性は残る。「古代では露頭部分から採取」していたのなら遺跡は残らない。 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>82
ところで、九州では朱の精製跡さえないのかね? 辰砂鉱脈のない吉備にさえあるのに。 @阿波 >>85
大きめの遺跡にはたいていあるよ
吉野ケ里にもあるし。
北部九州の朱丹の使用量は大きいからね。 >>86
>吉野ケ里にもあるし。
ウソはイカンぜよ。 @阿波 >>83
>でも精製してたら遺物は残る
そして、朱の取引に使われたのではないかと推定されている分銅(石製)は
畿内の亀井遺跡から出土している
河内の中心集落だよ >>88
>そして、朱の取引に使われたのではないかと推定されているその取引された朱が、若杉山産の朱という落ち。
>分銅(石製)は 畿内の亀井遺跡から出土している
出荷元の倭国(阿波)では、祭祀具にまで、昇華している。
「西長峰遺跡:弥生時代中期の大形掘立柱建物 分銅形土製品」
竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)
注目されるのは分銅形土製品がある。分銅形土製品には目・鼻・口など顔が線刻されており、祭祀に用いられたと思われる。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B0%A4%C7%C8%BB%D4%2F%C0%BE%C4%B9%CA%F6%B0%E4%C0%D7
>河内の中心集落だよ
「西長峰遺跡」程度では倭国(阿波)の中心遺跡とはならない。 @阿波 >>88
>分銅(石製)は 畿内の亀井遺跡から出土している
その分銅(石製)は、まず間違いなく倭国(阿波)の「青石」だよ。 @阿波 なんで阿波が福岡説にはりついてんだよ
畿内は潰し終わったのか >>91
>なんで阿波が福岡説にはりついてんだよ
面白いから。
>畿内は潰し終わったのか
やはり、畿内を潰すのは倭国(阿波)の役割だと? もはや他力本願に成り下がったか、九州説。 @阿波 >>89
ふんどうがたどせいひん
天秤(てんびん)に乗せて重さを量る分銅と「形が似ている」ことから名称が付けられた土製品。
形が似ているだけで、分銅として使われてないじゃんww >>93
>形が似ているだけで、分銅として使われてないじゃんww
だって、これ、分銅の親分(化身)だから、分銅として使ったら罰が当たるよ。 @阿波 >>94
>だって、これ、分銅の親分(化身)だから、分銅として使ったら罰が当たるよ。 @阿波
おいおい、「分銅と形が似ている」といっても、似ているのは弥生時代の分銅じゃなくて
江戸時代とかの分銅だぞww
後藤分銅でググってごらん
プラナリアの頭形土製品って名前にした方が、有名になっただろうに 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 >>96
>土製仮面はどうする? @阿波
登録、ログインしないと見られない 転載ですが
このHPは見やすく九州の古墳の発掘品の一覧表です
http://www.netpia.jp/history/kofun_fukuoka.htm
この表には土器や石製品等は含まれていません
当時と現在では海岸線が違うはずなので
海岸線をうまく重ねると面白いかもしれません。
しかし凄い量の品々ですね >>99
肝心かなめの弥生時代後期の遺跡がすくないねぇ。
しかも、ほとんど古墳ばかり。
申し訳ないけれど、遺跡発掘の少ない倭国(阿波)の遺跡に比べて、パッとしたものがない。 @阿波
@阿波 長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
. >>100
ところでどうして倭国(阿波)と書くの?
徳島とでも書けばいいのに。
倭と阿波は関係ないみたいだけど。
ウィキペディアには
「『阿波』の名称と由来
古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために粟国、南の地域は長国と呼ばれていた。
(中略)
のち、律令制において長国造の領域を含め令制国としての粟国が成立した。
和銅6年(713年)、元明天皇による好字令で、地名を二字で表記するため『粟』は『阿波』に変更された。」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E5%9B%BD
粟の方も倭国とは関係ないようだし。
「アワの語源は五穀の中でも味が淡いためだとか、穂が大きいところから大穂 (オオホ)が転じたものとか、
『ア』は小さい意味を、また『ワ』は丸いことを意味し、 穎果の形状からきたもの、
などの諸説があり、この他にも次のような説がある。
中国 ではアワを『黄禾』ともいっており、 禾(カ)はノギ偏の元祖で稲などの穀類を表わし、 黄色い穀類という意味である。
これを[A-Fa]と発音したために、これが日本に伝来 したとき、アワとなったとする説。朝鮮語では[ho-a]と発音し、これがアワとなった とする説などである。」 >>102
>倭と阿波は関係ないみたいだけど。
「倭大國魂神社」・「倭大國敷神社」と
「倭」が付く物証が全国で「阿波」にしかない。 他所にあれば倭国(阿波)とは言わない。
ゆえに、唯一「阿波」が倭国(阿波)である。 @阿波 壱岐の原の辻をもっと調査して欲しい。
ここ見ると畿内の影響受けてたとは思えないんだよなぁ。 >>104
>何の物証なのかわかりません
「倭」が付く物証
と、何度言えばw @阿波 >>107
>「倭」が名前に付いてるのが何?
「倭」が名前に付いてるのが倭国(阿波)にだけ。 @阿波 >>107
>「倭」が名前に付いてるのが何?
「倭」が名前に付いてるものが無いところは論外。 @阿波 >>110
倭は、中国人が発音から当てた字で日本側が使ってるのはおかしいね。 >>111
>倭は、中国人が発音から当てた字で日本側が使ってるのはおかしいね。
そうだねぇ、倭は、中国人が発音から当てた字で倭国(阿波)にだけ使ってるのはおかしいね。 @阿波 第三者視点から研究するほうが公正かつ正確(思い入れフィクションが入りにくい)ということで支那文献に記載の漢字を積極的に使おうとするけど
日本人は背が小さくて「矮」小だから倭國とか「邪」馬壹国とか「卑」弥呼とかを積極的に使うことに抵抗がある
邪馬壹国や卑弥呼に関してはどう読むかの論争があるからアレだけど、倭國はワのクニで間違いないんだから和国で良いんじゃないかっていつも感じる >>113
>倭國はワのクニで間違いないんだから和国で良いんじゃないかっていつも感じる
倭國はワのクニで間違いないんだから
「倭大國魂神社」・「倭大國敷神社」と
「倭」が付く物証が全国で唯一「阿波」にしかない「阿波」が倭国(阿波)で良いんじゃないかっていつも感じる。 @阿波 >>114
う〜ん
あれだけ聖徳太子が嫌がってた「倭」だよ
むしろ「倭」の蔑称的な意味合いが薄れてしまった後年に作られたって解釈するほうがhiSTORYとしては自然だと思うけどな >>115
>むしろ「倭」の蔑称的な意味合いが薄れてしまった後年に作られたって
う〜ん
むしろ「倭」の蔑称的な意味合いが分からなかった時代に作られたって解釈するほうがhiSTORYとしては自然だと思うけどな。 @阿波 >>116
なるほど、それは一理あるかもしれんね
てかここ福岡説のスレなのに何で阿波説を説いてるの? ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>117
>てかここ福岡説のスレなのに何で阿波説を説いてるの?
それはね、福岡が「筑紫忌部」によって今日があるからだよ。 @阿波 筑紫忌部族は久留米の高良玉垂の子孫
よく判らないのは高良大社と香春神社の関係性
九州の詳しい人がいたら教えて下さい
>>120
筑後一宮高良大社の末社はおしなべて武内宿禰を祭り神としているため、高良の神とは武内宿禰のことと考えられます。
筑前一宮住吉神社の住吉の神も、武内宿禰のことと言われます。仲哀天皇の崩御の夜に神功皇后との間に密事ありと伝えられます。
つまり4世紀末において、筑前筑後を支配した筑紫の倭王こそ、武内宿禰です。
密事から十月十日後に誕生した応神天皇の家系が、その後の倭国の正統とされています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています