(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう 箸墓モモソヒメの秘密
初夜にモモソヒメが旦那のチンコが
小さな蛇に見えて笑ったら
旦那が火病で激怒
モモソヒメのマンコに箸を刺して殺人
これが全解明
笑い話ではない >>86さざれって君が代に出てくるさざれでしょ?
>>85志摩って、今の福岡県の新日鉄の所も
昔は紫摩って言ってたみたいだよ
昔は大きな湾になっていて
いろんな島があり美しく風情があったとか
妄想ですが
伊勢神宮も元々はこの辺りにあったのでは?
と私は思ってたりします >>404
もともと八咫の鏡があったのが伊都(怡土・志摩)なんでしょう。
平原遺跡がある。 >>408
朝鮮ヒトモドキは今すぐ首を吊って死ねw >>407この>>401の五十跡手が本土(もとつくに)は恪勤(いそ)の国と謂ふべし」とのりたまひき。
今、怡土の郡と謂ふは訛れるなり。 (今井似閑採択)
これ見ると昔は伊都はイソと言ってたのかな
これ神夏磯姫の話だよね
でも私にゃ理解に苦しむなあ
平原古墳は、これからもずっと研究してほしいですね
ますみの鏡とヤタノ鏡は何か違うんでしょうか いとては仲哀の話だから、神夏磯姫のおよそ2世代は後だ。
田油津姫が神夏磯姫の末裔だとか。 >>404
八幡が古くは紫摩という地名だって言うソースどこかにある?
福岡住みなんだが聞いたことがなくて >>412
上の今井似閑が書いてたけど
紫摩って書いてシバかも知れないし
シマかも知れない
今井似閑を調べてみてください 118: 02/01(金)00:39 ID:QZwH3Z+w0(1/2) AAS
>>107
「2004年、中国の「上海博物館展」が日本の幾つかの博物館で開催されている。
殷・周時代から前漢・後漢・唐等に渡る時代の、特に青銅器を中心に展示されていて、
日本では初めて公開されるものも多く、人気を集めている。私も4回見に行った。
鼎(てい)や爵(しゃく)や鬲(ゆう)など、ここでは表現できない初めて見るような
漢字の器も数多く展示されていた。
その中に鏡も5,6点展示されていたが、いずれも日本初公開だった。ここに1点、
私の目を引いた鏡があった。以下に紹介する「張氏車騎神獣画像鏡」である。初め見たとき
驚いてしまった。「これは、三角縁神獣鏡じゃないのか!」 大きさと言い、神と獣の神仙画像と
言い、何よりも、周縁部の切り口は正(まさ)しく三角形に見える。中国では三角縁神獣鏡は
出土していないはずではないか。これは何だろう。」
「3回目に見た後、私はこの展示を担当している博物館の学芸員に電話をして、この疑問を
ぶつけてみた。学芸員とは10数分間話したような気がするが、彼がこの鏡が三角縁神獣鏡では
ないとした理由は、結論から言えば、
(1).これは後漢の鏡で時代が違う。三角縁神獣鏡というのは魏の鏡であり、
魏の時代のものでなければ三角縁神獣鏡とは言えない。
(2).縁は三角のように見えるが、少し丸みを帯びているようにも見える。
この鏡の断面図は無いので、三角縁と言えるかどうかはわからない。
(3).中国から(三角縁神獣鏡が)出土していないと言っても、中国で魏時代の墳墓は
まだ1基しか発掘されていないので、今後出る可能性はある。
というものだった。
そして、会話の中では、「三角縁神獣鏡」とは書けないので「張氏作」としました、
というような事も言っていた。」
三角縁神獣鏡と呼ばれていないだけで、中国にも三角縁の神獣鏡はあるんだよ
ニュース速報+からのコピー
ネットにも熱心真剣なファンの書き込みあるんだなあ あともうひとつ
年魚が鮎と言われているでしょ
でも中国で鮎は鯰のこと
福岡の一部じゃ鮭
熊本の一部じゃ鯰が神様の遣いの様な魚
佐賀のどこかの神社も鯰だったような
鮎って漢字は、読んで字の如く
占いに使われた魚の意味なのかな
鮎でアユを連想したら倭でない?
うまく表現できずに、すいません
これじゃ伝わらないですよね。 鯰と書こうとして気がついたが、鮎もナマズと読むんだな。
鯰が神の使いなのは、佐賀の淀姫神社かな?
壹與、熊襲タケルら肥国の王都ですね。 ナマズが地震を感じるという伝承は、もしかして肥国阿蘇の神様から来ているのか? 佐賀淀姫と阿蘇山は鯰だな
阿蘇って漢字は、自分的には天祖のイメージだなあ
初代の神様のいる山ってイメージ
古代は中華の影響うけているはずだから
鮎=鯰もしくは占いに使った魚
鮎(鯰や鮭)は食べなかった
だって神様の遣いを食べる訳にいかないよ >>418
ナマズと地震の伝承は殷代に既にあるよ
地震の直前にナマズが騒ぎ出すので地震予知に使える、つまり占いに使える魚とされたわけだが
その後原因と結果が逆転して、地底にいるオオナマズが騒ぐから地震が起きるという伝説が出来た
このオオナマズに竜の字を当てたから地震が起きた地域に龍神を祭る文化が出来たわけ 竜はナマズだったのか。
そういえばどちらもヒゲがあるな。 >>421
現代人がイメージする龍は600年前くらいに確立された姿で、それ以前の龍はイノシシ似だったりと確立した姿はなかった >>421
念の為にいうと龍は色んな地域の色んな伝説の習合体だから
龍のルーツが全部ナマズなわけじゃないから注意してね ナマズって何だよww
龍の実在は、ヨウスコウワニだよ 最初期の龍は、人に飼われてたり、食べられたりしてるから実在
川の生き物で四つ足で人がまたがれる大きさとなれば揚子江鰐しかいない 大芝英雄
このかたの本おもしろそうだな
買ってみるか
最初期の龍は、明らかに揚子江ワニ
それが、本人(?)のいない華北まで伝わる間に伝説化して、
いろんな話の枝葉がついていったんだよ 福岡県とは昔に「おかの縣」と言われてたらしい
のですが
ルーツや語源はなんでしょう?
わかるかた居ましたら教えて下さい
私が妄想で考えたのは
牡鹿の縣ですけど
笑われるかな 崗県は筑紫岡田の宮のあるところで、小倉、現在の北九州市です。 >>435
ご希望どおりに
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../_ノ ヽ、_\ 牡鹿の縣wwwww
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 ̄ ヽ、_ 〉 ,!、__/ 遠賀郡の西部で
初期の武器形青銅器の副葬がみられる
石棺墓が主流の先着の海の民の巣ですね 牡鹿はないかなあ
男鹿とか、龍の角に似てるし
昔は九州には鹿が沢山いたみたい
鹿を神様の使いとみて、鹿のつのを宝のように
思っていたかも
うろ覚えだけど、宗像神社だかどこだったかの
宝物殿には鹿の角が沢山あるらしい
私が言ってる昔は、勾玉や玉の流行るまえの
話ね
以上全て妄想ですwww >>449
妄想するなら何かしらの根拠がほしいな
「たしか・・・」とか「うろ覚え・・・」とかじゃなく >>451
妄想するだけなら頭の中だけでやってろ定期 とんぼの国
とんぼは横に飛べない
真っ直ぐに飛び獲物を捕獲するイメージ
戦士や狩人のイメージ
秋津トンボみたいに朱を塗ってたのかな
古代の歌にトンボでてくるけど
全部のトンボの意味が豊作や雅さ
を歌ってるとは感じない
これも個人的な妄想かな もうひとつ聞いてみたいんですが
倭人伝で対馬が南北に商いして食べ物を
買っている様な部分ありますでしょ
これ対馬の人は何を代価としたのでしょう?
まさか海産物じゃあるまいし
代価、これもしかして鹿の角? >>440
小倉も遠賀川流域も物部氏の支配地域
筑紫贄田物部(つくしのにえたのもののべ、推定所在地は鞍手郡鞍手町新北)ニギハヤヒの出身地か
筑紫聞物部(つくしのきくのもののべ、推定所在地は北九州市小倉北区、小倉南区、門司区一帯) 物部とつく地名は多く、その全てが饒速日に関連しているわけではない。 いや対馬国は何と米?を交換してたのか
ときいてん
お金はないだろうに >>454
海産物でしょ。自前の交易品はね。
あと、交通路のど真ん中にいるので、通過マージンを独占できる。
鉄原料→壱岐対馬の言い値 →日本側は逆らえない
翡翠絹→壱岐対馬の言い値 →半島側は逆らえない
壱岐対馬を領有する勢力が最強 そこを抑えるために大率を伊都においた。
つまり、上がりは全て卑弥呼のもの。 北部九州はもともと女系文化も強いから、男系の本貫とは限らない。 現代世界でも同じ。
資源国よりも加工貿易国(技術料を上乗せ)のが経済利益は上。
そしてさらにその上に流通アマゾンが来た。
流通を支配すれば輸送代だけで巨大な利益を手にできる。
弥生時代の壱岐対馬なんて代替ルートがないんだから最強。 自分が何も作らなくても手数料だけで莫大な利益が入ってくるからね。
そしてその利益こそが生活を維持する手段なのだから、
対馬海峡渡海技術は秘中の秘。
魏使は少なくとも対馬海峡部分は倭船で渡海した。 男系の天津神(対馬海峡勢力)と女系の国津神(博多湾勢力)を統合したのが卑弥呼。 その対馬海峡の航路について述べた魏志倭人伝は、当時にしてみれば極めて重要な資料だったはず。
適当な数字を当てはめただけなどということはない。 商売の航海ルートは秘中のヒミチュなの
だから数字や方角は正確には教えて貰えなかった 『三国志』魏書東夷伝弁辰条の「国出鉄韓濊倭皆従取之諸市買皆用鉄如中国用銭又以供給二郡」,同倭人条の「南北市糴」の記事について,対馬・壱岐の倭人は,コメを売買し,鉄を市(取)っていたと解釈した。
斧状鉄板や鉄鋌は鉄素材で,5世紀末に列島内で鉄生産がはじまるまで,倭はそれらの鉄素材を弁韓や加耶から国際的な交易によってえていた。
鉄鋌および鋳造斧形品の型式学的編年と分布論から,それらは洛東江流域の加耶諸国や栄山江流域の慕韓から流入したものであった。 >>467
日本語の名称の意味を考えれば当然の解釈ですよ。 >>469丁寧にありがとうございます
確かに倭人伝の頃は鉄だったのでしょう
でも鉄の交易より前に、両国の往来は
なかったのでしょうか
玉や銅やその他の時代もあったはずですよね >>469
ttp://doi.org/10.15024/00001186 とうとうニュース速報+きたな
【邪馬台国山門説】筑後に伝わる古代のロマン
卑弥呼・磐井の足跡たどる特別展開幕 九州芸文館
みんなのレスを読むのが楽しみ 東征とは何だったのだろう
各地に出向いたのではなく
福岡にいた豪族や地域住民と神社関係者を
引っ越しさせただけだったのでは?
集団島流しみたいな
そして畑や土地を横取りが目的
これも妄想ですかね? >>475
妄想だけなら文字にしないで自分の頭の中だけでやっとけよ
妄想を文字にするなら、せめて妄想の根源となった根拠くらい示せ
根拠がないなら文字にするな >>475
>東征とは何だったのだろう
東征は、倭国(阿波)国内で起こった出来事 だと、何度言えばw
卑弥呼の時代にそんな大遠征など出来るはずもないでしょ。
いい加減に常識の判断をしよう。 @阿波 >>477博学な阿波さんに質問
なぜ九州と関西に同じ名前の神社や地名が多いの? >>479
>なぜ九州と関西に同じ名前の神社や地名が多いの?
だから、倭国(阿波)を発った忌部一族の痕跡 だと、何度言えばw
それはなにも、九州と関西だけに限った話じゃないんだよ。 @阿波 >>480
オッケー分かった
御託は巣に帰って、、、
なんだ質問に答えたのか どうして泡は決まり切ったことしか書かないんですか?
無能だからですか?
根拠がほぼないからごく僅かなことしか書くことがないからですか? >>486
>どうして泡は決まり切ったことしか書かないんですか?
それはね、君が決まり切ったことしか書かないからだよ。 なんせ、それの回答なんだから当然w @阿波 >>480返答ありがとうございます
阿波さんは鳥取のしとり神社って知ってます?
倭って(し)とよむんですかね 海人族
初めて海を渡った人は、どんな気持ちだったのだろう
怖かったのか、胸がおどったのか
敵から逃げるのに精一杯で大波の恐怖さえ感じなかったのか
海上では何時でも死と同居してるも同然
小さな木造舟で大海を渡る
勇気あるなあ男だねロマン溢れてるスゴイ! >>490
目視できる島伝いは石器時代から航行してたわけだし、生活の糧だからロマンなんて全くなく淡々としてただろうな いや冬の玄海灘は半端ない
手漕ぎ船とか信じられない
冬の対馬なんか東北地方みたいな強風と波
とんでもない勇気いるぞ
北朝鮮だって冬は遭難多いだろ >>492
だから、対馬海流の流れに従うしか術がない と、何度言えばw @阿波 対馬海流の流れに従えば、壱岐から流れつくのは福津・宗像方面。 @阿波 >>495毎回毎回同じ書き込みしなくていいよ
毎回書いてたら嵐と同じだよ
阿波さんは物知りだし良いとおもうぞ
ただ四国愛が強すぎるだけなんだ
(’-’*)♪ 遠賀川一帯が興味深い
河口からかっての上流域まで全部
ここが商業ルート
一番豊かな地域か
沖出古墳あたりまで >>471
半島の南東部とは縄文の頃から貝交易で接触していたよ
沖縄近海でしか採れない貝の交易をしていた、九州北部の海人と呼ばれる人々がおそらく半島南東端にも渡っている
魏志倭人伝に言う狗邪韓国は韓伝じゃなく倭人伝のほうに記されているから、こうした倭人の国だったんだろうね
https://pbs.twimg.com/media/DsWScScV4AEIsU0.jpg >>498
遠賀川も興味深いが、福岡の繁栄には及ばない。
半島交易と西南諸島、瀬戸内海の交易の分岐点である那の津を中心とした倭国の姿が見えてくる。
そして博多湾を見守る筑紫の日向の高祖山が高千穂宮として戦略的山城として機能していたのだろう。 イザナギの国生み神話は博多湾の能古島に始まる。
アマテラスを祀るのが沖ノ島の国家的祭祀。
ニニギの天孫降臨は宗像氏族に守護されて志賀島(博多湾を守る笠沙の岬)に上陸し、海の中道(天の浮橋)を通り、飯盛山の猿田彦に導かれて高祖山(クシフル山)の高祖宮(高千穂宮、伊都城)に入る。
博多湾沿岸の国津神であった大山祇・綿津見一族の木花咲耶姫や豊玉姫を娶り、筑紫の日向三代の男王が倭王として金印を拝領した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています