張莉論文をひさびさに見てた
雲南民族の傣(たい)族、哈尼族と長江流域から北東の日本に至った倭人には
文化の上での多くの共通性が指摘されている。
稲、高床式の建物、千木(ちぎ)、村の入り口に鳥の木彫を載せた門(鳥居の原型といわれる)、
納豆・蒟蒻・餅・赤飯の食用・下駄・貫頭衣(呉服にその名残がある)などである。
春秋時代の呉越戦争、戦国時代の楚の侵攻による越の滅亡、さらには秦や漢による中国統一のための侵略により、
越族のうちあるものは中国南部や現在のベトナム、ラオス、ミャンマー、タイに逃れ、
またあるものは朝鮮・日本へと逃れていった。
その人たちが、日本に稲作をもたらし、倭人と称したのであろう。 

まあ倭人全部が当てはまるとは思えないけどね