(田川)邪馬台国福岡説(みやま志賀島)
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資料の多い九州
邪馬台国卑弥呼や倭人について語ろう >>825
ホンマやね
なんで五十をイトと読ませるんやろか
普通はイソだよな サイキバ(さかきばら事件のような人物)
が考えたんだよと言ってる人がいたでしょ
例えば『モバイオドキ』 五十狭城入彦=いさきいりひこ
五十瓊敷入彦=いにしきいりひこ
五十迹手=五十(い)迹(と)手(て)
普通に記紀を読み慣れていれば読める 十(ソ)は、何かの都合で発音するときとされないときがある。
五十猛はイソタケと読むが、
十(ソ)の次にサシスセソが来るときは、十のソはスキップされるようだ。
言い換えれば、十(ソ)だからといって、いつでもスキップされるわけではない。 『ザンボット』
『ビックリマン ヘラクライスト』
同じ存在でしょ、誰のことだと思う?日本人 万葉仮名
「と」・・・「等、登、跡、常、与、十、得、迹、鳥、共、騰、止、飛、澄、杼、砺」 家の老婆の話によると
伊達郡というところがあって・・・
と言っているんだけど >>830
倭迹迹日百襲媛=やまとととひももそひめ >五十鈴川も知らないバカが恥を晒したらしい
イソスズガワでは舌をかむから、訛ってイスズガワになっただけ。
訛りは憑き物。 「いがらし」には諸説あるが
元々は「いつがらし」で「つ」と同じ意味の「ケ」で代用されて
「いヶあらし」で「いがらし」という説がある
その説が正しければ 五十を「いつ」と読んだ時代があるという事になる >>814語呂合わせと思うか?
ところが英彦山の神社伝承には高千穂と書いてあるんだぜ
調べてみな
もし高千穂が[鷹ちほ]なら一気に話が進む >>846
イトと読むのが新しいという根拠がないのに何を言ってるんだ無能? イトと読むのが古いという根拠がないのに何を言ってるんだ無能?
仲哀記ではイソシだろ >>852
は?仲哀と神功は4世紀半ばだろ
3世紀に書かれた魏志倭人伝に伊都国と明記されてんだからイソよりイトの方が古いだろマヌケ だから、三世紀に書かれた「伊都国」はイツコクと読むんだよ。
それとも、三世紀に書かれた伊都国をイトコクと読む根拠はあるのかね。それが聞きたいのさ、、。 >>854
三国志の中で「都」を「ツ」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>853
そうそう
日本書紀は神功皇后を卑弥呼の時代に設定しているから、伊都の語源を述べたりしているけれど、実は神功皇后が4世紀だとバレているので、語源の話も創作だとわかってしまう。
神功皇后のところだけ、やけに語源の話が多いが、おそらくほとんどは創作、つまり嘘だと思う。 三国志の中で「都」を「ト」と読む実例を挙げてみろよマヌケ >>856
考察すべきは「なんのために」語源ストーリーを残さなければならなかったか?ではないかな?
くだんの伊蘇志も仲哀を出迎えたクマワニ(鏡・剣・玉)と神功を出迎えたイソトデ(玉・鏡・剣)の対比や
クマワニは讃えられず、イソトデは「よく勤し(伊蘇志)んだ」と讃えられたのか
なぜ芦屋から那ノ津に入る海路の水先案内人がイト国の者なのか >>857
どうしたキチガイw
実例見つけられなかったんだなwww >>857
無能wwwww
三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に何と書いてあるのか読み上げろよ無能wwwww 三國志卷一 魏志一武帝紀第一の五節目に倭の伊都国のことが出てくるのか?
中国本土の読みは全く参考にならぬぞ。
「倭国の伊都国」を倭人はどのように呼称していたかだ。 当時すでに硯もあった。
ということは、郡使い役人はもちろん、優れた倭人は文字を良く操っていたわけだ。 五十迹手と云ふと日本史初のホラ吹き「伊都都比古(本名:都怒我阿羅斯等)」と同定する研究者もいる 『古事記』では、「伊都二字は音を以(もち)いよ」などとの割注がついている。すなわち、わざわざ「イツ」と読めとあるね 都がtsuなら>>771が面白い
ツリハリ
ハリは地名か畑や水田ともおもえるし、
だいたい釣り針ぐらいで喧嘩しないでほしい いや、古事記の「〜字以音」は音を当てただけで漢字に意味はないって説明だろ ホラ吹き「伊都都比古イツツヒコ?(本名:都怒我阿羅斯等ツヌガアラシト?)」と同定、、、 >>870
万葉仮名で読むんだよ
万葉仮名では「都」は「つ」
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/kana/1ran.htm 此処、根拠厨の来るところじゃないんだけどねえ、、、 万葉仮名でなかったら、都怒我阿羅斯等がトヌガアラシトになってしまう。 だんだんツのような気がしてきた
大発見だな
傍観者1 >>877
額にツノという前置きがあるだろうマヌケ 倭人から聞き取った地名に音を当てた魏志倭人伝の「伊都國」が最古の表記。
当然、記紀や風土記に登場する「伊都國」も魏志倭人伝に準じたもの。
古事記に於いても「此二字以音」とあり「伊」と「都」は当て字であり漢字のチョイスに意味はない。
三国志全文に於いて「都」をツと発音しない以上、イツと読む可能性はゼロと断言できる。 >>881
これに反論できるだけの根拠はないだろうな 当時の発音は「つ」というより「トゥ」だったんじゃないか? カールグレンの字典引いたら
都は
Tag
イツじゃなくて
イタ
だね。 >>881
おいちょっと待てよ、
魏志倭人伝の伊都がイトとするじゃん?
>>877
奈良時代には伊都と書いてイツとしたら、
イソシがなまってイツであると読まないとつじつまが合わん
倭人伝の伊都と記紀の伊都って全然違う場所を指してるってことにならんのかこれ? イソシの話がそもそも創作なんだよ。
神功皇后の実年代は4世紀だと推察されているが、3世紀には伊都の名はすでにあったわけだから。 いつから国や村の始まりができたのだろう
いつから神や信仰心がでてきたのだろう
私は古事記や書記よりずっと前から九州の人達が
お互いに助け合いながら大自然に住んでいたと
おもう
そのなかでこっちは蛇信仰、あっちは太陽信仰、
ほかにも鮫や鷹や山だったり
みんなに恐れられたり崇められたり・・
そんなに簡単な話ではない。
弥生時代は九州を起点に稲作文化が広まるが、それには灌漑、暦法などを操る指導者層が必要になる。
身分社会、王権の成立が弥生時代だ。
筑紫を中心とする倭国が成立し、内行花文鏡など三種の神器を用いた神道の様式が整ってゆく。 >>889 名前:日本@名無史さん 2019/05/30(木) 08:24:18.27
>イソシの話がそもそも創作なんだよ。
>神功皇后の実年代は4世紀だと推察されているが、3世紀には伊都の名はすでにあったわけだから。
その通りだけど、問題はその伊都国の在った場所が未解明・未確定なことだ。 >>892
>筑紫を中心とする倭国が成立し、
妄想に過ぎない。
>内行花文鏡など三種の神器を用いた神道の様式が整ってゆく。
三種の神器(勾玉・鉄剣・鏡)も 神道も「忌部はん」 の専売特許。 @阿波 >>895
阿波説は逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 はい、次の方 どうぞ。 @阿波 >>892
>筑紫を中心とする倭国が成立し、
丹の採れないところに倭国は成立しない。 @阿波 末廬國から東南陸行五百里で伊都國に至るんやろ。
現在の糸島市前原以外にあり得へんやん。 >>902
現在の糸島市前原は、あり得へんやん。 @阿波 >>904
丹の採れないところに倭国は成立しない。 @阿波 >>905
その理屈だと壱岐対馬を始めとする九州全域が倭国じゃなくなっちまうな(笑) まぁ魏代の「丹」が何を指すのかも分かってないからな。 丹は赤い顔料のことっちゃんね説
丹は辰砂以外にありえんじょ説
丹は赤土に決まっとるやんけ説 >>907
今はね。
ただ五世紀より以前に採掘していた痕跡がない 南朝梁·萧统《文选·左思〈吴都赋〉》:“赪丹明玑。”李善注:“丹,丹砂也。”古代用作染色的颜料。
http://www.baike.com/wiki/%E4%B8%B9&prd=button_doc_entry >>910
痕跡なんて、構成の撹乱で容易に消えてしまう。 >>906
>その理屈だと壱岐対馬を始めとする九州全域が倭国じゃなくなっちまうな(笑)
この人、なに勘違いしてるの? はなから、九州全域、倭国じゃないよ。 @阿波 やっぱり阿波は脳内が完全にお花畑だってことが分かった >>909
「やんけ」は関西弁だよな
「ちゃんね」は博多弁?
「じょ」はどこの訛り? >>916
> 「じょ」はどこの訛り?
倭国(阿波)。 @阿波 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう
しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
最近では奥山と呼ばれることもしばしば
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
そして追い詰められるとテキトーなホラを吹いて
様々なスレを逃げ回り、あらためて妄想を書きなぐる 倭国大乱
あまり議論されないけど
ここに秘密がある気がする
まず、なぜ大乱になったのか
詳しい人がいたら教えてください。 倭国大乱なんて
魏志倭人伝で48文字、後漢書東夷列傳で43文字しか書かれとらんのやで
書かれてる以上のことは全て妄想になってしまうんやから議論の余地なんかないやろ 要するに、先住の渡来人グループと
後来の渡来人グループの出入り抗争事件ということだろう。
大陸(ないし半島)の混乱の延長戦であり、それがおさまったのも、これまた大陸の影響と考えれば良いのではないか。
ということは・・・、 >>919
高良玉垂命が高木神の領地である高良山を占領した >>919
倭国大乱の前の男王が日向三代なら、神武たちが筑紫を出るきっかけとなったのが倭国大乱であったということになる。
ただ、記紀にも詳しい理由はない。
もっと良い政治をしようと思った、東で饒速日が王国建設に成功していた、などが書かれているが、三代に渡って君臨した王都であった筑紫を捨てる理由としては薄く、実は内乱が収まらなかったからではないか。 >>921
また気持ちの悪い妄想をおっ始めやがったなwww つまり、博多地方・田川地方の新羅系先住渡来種族の王であったスサノオは、
新来の邪馬台国勢力とは不倶戴天の敵・・・
これ邪馬台国の怪談なww レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。