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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part15
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0001九州王
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2018/11/02(金) 08:43:22.50
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1535030399/
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。
0002日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 08:43:59.21
世有王

@ 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有搗ケ。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載) 魏の世には増減があったの意味

A 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。

B 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
現在、貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についている、つまりこれも魏の世には冠をつける役職についているの意味

C 三国志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十
>而公孫淵、仍父祖三世有遼東。
父祖三代に渡って遼東を領有した。(189〜238)

D 三国志蜀書黃李呂馬王張傳第十三
>當世有聲名
当時は名声が高かった。

C は三世(三代)の意味、Dは当世(当時)の意味で、世有の用例ではない。
@ は代々の意だが、魏代ではある。Bも代々の意だが、魏代ではある。Aは一般的な言葉を引用しているのでこの世の中の意、用例としては不適切

以上からは、世有王は、特別な使用でない限り魏の世の王が、と訳すのが妥当である。
0003日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 08:44:30.38
2か所目は「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」の文である。
「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた 。
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では、「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」の意味となる。

全て伊都国についての説明だから「皆統屬女王國」も伊都国についての説明
伊都国を首都とする女王國は倭の国々を統屬していた。
皆とは倭の国々を指しているのであって、皆が絶対に伊都国を指さなければならない理由はない。
だいたい皆と呼べるほど多くの王が魏代に伊都国にいたとは考えられないし、伊都国に付いては特に詳しく説明されているにも関わらずそれらし記述も一人の王名ない。

伊都国は郡使が滞在するところで、伊都国に付いては特に詳しく記されている
「官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚」と官、副官の名前は記されているのに、伊都国の王の名前は一人も記されていない
また倭人伝は張政が持ち帰った情報を最新として張政が帰国した時点で書かれていて
既に倭王が魏より任命されているのに、伊都国の首長を王と呼ぶこと事態がおかしい
伊都国の王は伊都国には居なかった、伊都国に居た王は伊都国の王ではなく、倭王の卑弥呼や壹與としか考えられない。

水行十日陸行一月が水行十日陸行一日の誤りであり、魏志倭人伝は全て矛盾なく解読することができます。
0004九州王
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2018/11/02(金) 08:45:47.07
【里程】
漢代に楽浪郡を支配していた公孫氏が独自に制定したの里(短里)で実測
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆国、伊都国、奴国・・・
魏が公孫氏の楽浪郡を滅ぼして押収した資料に短里使用が使用されており
これが魏略や三国志魏書の参考資料となる。

【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録
日本側の地名は魏代の地名(邪馬壹国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場
この出張日誌が三国志魏書の参考資料に加わる。

※公孫淵は自立を目指し燕王を自称し独自の年号を制定しており、度量衡も独自のものを制定したと考えられる
短里も公孫淵が制定したものであろう。
0006日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 08:48:40.70
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0007九州王
垢版 |
2018/11/02(金) 08:59:54.42
魏使の旅は帯方郡の海岸から始まり狗邪韓国の南岸へ(7000里)
狗邪韓国の南岸から対馬国の北岸(1000里)
対馬国の北岸から対馬国の南岸(800里)
対馬国の南岸から一支国の北岸(1000里)
一支国の北岸から一支国の南岸(600里)
一支国の南岸から末盧国の北岸(1000里)・・・呼子、名護屋浦付近が末盧国への上陸地点
末盧国の北岸から末盧国と伊都国の国境(500里)・・・糸島市中央部
末盧国と伊都国の国境から伊都国と奴国の国境(100里)・・・ここまでで12000里になり日向峠付近、女王国の中心地

1里は80mくらいで計算が合う。
0008日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 11:13:46.54
>対馬国の北岸から対馬国の南岸(800里)
>一支国の北岸から一支国の南岸(600里)

二行紛れ込ませて、なんとかすり抜けようと必死の糸島
0009日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 11:28:51.09
末盧国が、唐津であったにせよ、呼子であったにせよ、
誰がどう見ても、怡土郡(糸島郡)は、東南500里の方角にはならない。
(新井白石以降の弁士が、神功皇后伝説のフェイクにけっ躓いただけだ。正しい伊都国は佐賀平野)
0011日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 13:31:49.04
>>7
>対馬国の北岸から対馬国の南岸(800里)
>一支国の北岸から一支国の南岸(600里)

今どき島巡り仮説かよw
0013九州王
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2018/11/02(金) 18:14:43.16
>>10
45度まではズレてないな
25〜20度くらいかな
九州の北岸や朝鮮半島南岸が傾いてるからだな。
0014日本@名無史さん
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2018/11/02(金) 19:37:29.25
方位を八つに分けてるから、
左右20〜25度くらいまでは許容範囲ということで、ザックリ書いたんだろうね。
0015日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 19:39:31.98
>>14
実際、左右20〜25度くらいだと感じられないからな
流石に45度も違うと気づくな。
0016日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 19:45:33.38
倭人伝の冒頭書き出しに、
倭人あり、帯方東南大海の中・・・、となってるから、
東や南や東南は多用してるけど、わずかなことならというわけで南西とか南南西とかは避けたんだろううね
0017日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 19:48:13.26
福岡近辺の北部九州では実際に東に進んだつもりが地図で確かめると北東に進んでたってことよくあったからな。
0018日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/02(金) 19:52:07.01
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0021九州王
垢版 |
2018/11/04(日) 23:08:34.66
>>19
こちらが正規版
0022日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 13:30:19.90
前スレは2ヶ月ちょいで消費したけど、これは年単位で店ざらしになりそうだね
0023日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 15:23:33.19
ここに対する有効な反論が全くないからな。
0024日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 15:47:28.85
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0025日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 16:21:45.02
>>23
>ここに対する有効な反論が全くないからな。

何か論じられてたっけ?
0026日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/07(水) 19:19:24.21
ここって論を戦わせるスレじゃなくて各自の妄想を開陳するだけの場だよな
0028日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 18:30:47.28
研究発表が出る度に空想妄想を羅列した誹謗中傷をする人ならたくさん居る

そういうのも論争じゃないけどさ、論争になってないのは誹謗中傷する人のせいじゃん
0029日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 18:33:31.74
妄想空想と誹謗中傷は区別しようよ。
0031日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 18:47:50.08
>>29
>妄想空想と誹謗中傷は区別しようよ。

妄想空想の矛盾点を具体的に指摘すると、
誹謗中傷モードに転換するんだよw

トンデモ説の人はいつもそう
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/08(木) 19:05:42.90
誹謗中傷して回っているくせに。
0034日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/09(金) 18:58:27.15
>>32
>誹謗中傷して回っているくせに。

どの書き込みのどの部分が「誹謗中傷」にあたるのか、
具体的に特定して具体的に指摘してくれ

それから、「回っている」に関しても、具体的にその根拠を示してくれよな

できなければ、印象操作で相手を貶めようとしているのは>>32の方だww
0035九州王
垢版 |
2018/11/17(土) 10:02:47.34
玄海原発見学して名護屋城博物館などに行って旅宿よぶこに宿泊してきたが
名護屋城博物館で確認したが秀吉軍は名護屋城から壱岐対馬を経由して釜山へ向かい
帰りは釜山から対馬壱岐を経由して名護屋城へ帰還で間違いないとのこと
当然の話だが阿波の主張は出鱈目だったな。
0037日本@名無史さん
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2018/11/17(土) 10:49:33.19
>>35九州王
>帰りは釜山から対馬壱岐を経由して名護屋城へ帰還で間違いないとのこと
>当然の話だが阿波の主張は出鱈目だったな。

なんか必死さが伝わって来るね。
帰還港は相島経由で福津辺りだよ。
そこから、陸路か又は博多沿岸航行で、名護屋に帰還挨拶・報告にいったのさ。  残念でした。  @阿波
0038日本@名無史さん
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2018/11/17(土) 11:02:16.13
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0039日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 12:28:24.40
【大分】邪馬台国は筑後川流域?「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」謎に迫る 日田で古代史サミット
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542374845/

 「古代史サミット−−光り輝く日田の古代文化」が20〜22日、日田市で開催される。
1933(昭和8)年に同市日高町の3世紀のダンワラ古墳から出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」
(国指定重要文化財)=九州国立博物館保管=の謎を軸に、女王卑弥呼が治めた邪馬台国の九州北部説を探るとともに、
福岡県浮羽・朝倉地方から日田にかけての筑後川流域を有力視する古代のロマンを追う。

 サミットは、全国邪馬台国連絡協議会や文化庁などによる実行委主催。
20日午後1時から日田市立博物館で特別シンポジウム「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の謎に迫る!」を開催。
安本美典・元産業能率大教授▽七田忠昭・佐賀城本丸歴史館長▽井上悦文・全邪馬連九州副支部長らが、
金銀象嵌(ぞうがん)が施された国内唯一の出土品で中国の皇帝級が所有する同鉄鏡や古代文化について議論する。
コーディネーターは歴史作家で全邪馬連九州支部長の河村哲夫氏。

 さらに、21日午後1時からパトリア日田で井上氏の「日田の古代文化」
▽河村氏の「古代日田のポテンシャル」▽安本氏の「邪馬台国と日田について」のリレー講演。
22日は久津媛神社、鏡坂、吹上遺跡、小迫辻原遺跡など古代の遺跡をバスで巡る。
シンポジウムと講演会参加費(資料代を含む)は1500円で高校生以下は無料。バスツアーは同7000円(昼食代込み)。

 井上氏は「九州北部の真ん中の日田は物流や軍事拠点として倭国(邪馬台国)の中でも重要な位置づけだったのではないか」と話す。

毎日新聞 2018年11月15日
https://mainichi.jp/articles/20181115/ddl/k44/040/274000c
0040日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 18:56:25.61
>>37
相島、福津なんて通りません
自分で名護屋城博物館に問い合わせてみたらw
0041日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 19:06:06.18
>>40
>相島、福津なんて通りません

魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも名護屋に上陸していない。推して知るべし。

もし古代より、名護屋やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって名護屋周辺が「世界文化遺産」になっている。  @阿波
0042日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 19:33:47.50
元寇は侵略軍だから大軍が一度に上陸出来る広い砂浜海岸
博多湾の海ノ中道とか上陸には最適
名護屋浦や呼子付近は守るに硬く攻めずらいから元軍の上陸には向かないので

朝鮮通信使は目的地が江戸ですから方向違いです

魏使は天然の良港の名護屋浦や呼子付近に上陸して唐津市街地を通って伊都国へ。
0043日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 20:58:38.09
>>42

もし古代より、名護屋やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって名護屋周辺が「世界文化遺産」になっている。  @阿波
0045日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 23:43:28.31
阿波さん もっと学習したほうが良いよ
律令制下においても登望駅が置かれ大陸との交通の拠点になっていたのとかしらんの
ここは支石墓・甕棺墓等の上陸地とも目されるし
武器形青銅器と密接な関係にある金海式甕棺墓の上陸地とも目される
登望駅は大友に置かれたが
[とも]が海人からみの[艫]だとすると 偏を省いた[盧]は[末盧]の[盧]と共通で
[末盧]の命名が意味でも了解可能化してしまう
0046日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 00:02:09.01
>>45
末盧国の字を選んだのは魏使で日本側じゃない。
後世の地名の字との共通性は無効。
0047日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 00:05:35.45
>>42
その辺は壱岐から千余里ないね。近過ぎるから間違いだ。
0050日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 00:23:06.55
>>48
壱岐-九州北岸だったら、直線的になるだろう。曲がる理由がない。見えてるし。
対馬-壱岐間と同じ千余里だったというんだから東西に回り込むことになるはず。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 00:52:07.19
今のGoogle Mapってフェリーの航路も表示されてるでしょ
浅瀬のある島には近づかず、浅瀬のない島は真横を抜けるってのが良く分かる
当時はコンパスを使った航海術なんてあるわけないから潮に乗るか目視で島伝いに進んでたはず

俺は末盧国=伊万里港付近説支持はなんだけど、壱岐の内海から出港し、鮫島を目印に「博多~比田勝~巌原~郷ノ浦~芦辺」航路に乗り、加唐島を目視できたら方向転換
加唐島の手前から馬渡島の横を通って鷹島を目指し、伊万里湾の最奥まで行くと千余里

一方、福津を目指すなら壱岐の内海から出港し、鮫島を目印に「博多~比田勝~巌原~郷ノ浦~芦辺」航路に乗り、玄界島から相ノ島を経由するって航路になると思うんだが、そうなると千里に届かない
0052日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 01:13:40.34
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0053日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 02:29:23.69
[道里]は[可得略載]なのですと

[道里]とは[道程(みちのり)]を[里]を単位として記したものだ
0054日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 05:26:32.74
>>45
苦しいな

往古より、大陸からの着岸地は相島経由の福津周辺。 これ、常識。
もし、名護屋やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって名護屋周辺が「世界文化遺産」になっている。  @阿波
0055日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 07:50:48.53
>>54
現地行ったことある?
福津は長い遠浅の砂浜だから漂着地には最適だが船で上陸には最も適さない地域
0057日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 10:09:35.64
>>55
横レスするけど、昔の港では小型船は砂浜に引きずりあげて停泊する方が普通でしょ
船ごと上陸させてるのに停泊と呼ぶのもおかしいけどさ
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 10:25:28.47
>>57
外洋船ってそんな小さいの?
レッドクリフの映画のイメージでもっとでかい船を想像してた。
船じゃなくて舟?
0059日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 10:26:15.99
>>57
発掘されてる当時の木船のほとんどは20人以下の平船
俺は福間でウエイクボード(平船と同じウエイク艇で曳航する)をするんだが、よくあんな船で沖に出れたなと感心する
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 10:30:28.46
>>59
おぉ、現地を知ってる人が来た
で、実際の福津浜に船で上陸できるの?
0061日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 10:39:07.97
>>60
福津って言っても広いからね
福間〜津屋崎は干潮だと浜辺から50メートル行っても腰高だから難しいと思う
でも福津の北端の神湊(こうのみなと)はキール船でも接岸できるし、宗像族の遺跡も多数ある
0065日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 11:46:26.71
>>59
その船は倭の船で魏の船じゃないんじゃないのか?
0066日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 11:55:32.75
>>65
キール(竜骨)船は唐代入ってから
魏の船もキールのない平底船で30人は乗れなかったと思われ
0068日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 13:31:35.25
>>66
ここを読むと赤壁の戦いの頃の軍船の最も大きな「楼船」というタイプは100人以上乗れたようだぞ。
https://sangokushirs.com/articles/547
0069日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 13:41:31.87
>>66
「楼船 ろうせん
周囲に板を立て並べて、矢石を防ぐように作られた大型船。その形が監獄に似ていることから、この名前がつけられた。
また、多層の船体を持つことから楼船とも呼ばれた。
長さ20m前後、艪の数は片舷20前後。
戦国時代から建造されはじめ、秦、漢時代になると次第に大型化してゆき、三国時代には外洋へ出るための大型海洋船にまでなった。
孫権が東南アジアに使者を使わせたときの船は、7枚の帆を張り600人から700人の乗員を乗せていた。」
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse053.html
0070日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 14:18:51.49
>>68
そこのページでもっとも信用できる一文は、

>三国志時代の水軍の資料は、ほとんど残っておりません。ですから、17世紀ごろの明の時代に書かれた「三才図会」が参考にされています。

だろ
楼船が当時すでに実在していたかどうかすら不明ってことじゃないのか
0071日本@名無史さん
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2018/11/18(日) 14:23:23.80
>>70
赤壁の戦いは史実じゃないのか?
そんな大規模な水戦があったのに30人乗り以下の軍船しかなかったのか?
0075日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 17:01:20.81
>>71
戦いがあったことは史実だけど戦況経緯とかはほとんど全部フィクションだしな

それなりの積載量のある大きな船もあったっぽいけど、軍船にも大きな物があったのかどうか?
0076日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 17:39:56.90
そもそも、対馬海峡を渡る技術は倭人が独占していたと思われ、当然、倭船を使ったはず
0077日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 18:20:16.24
>>75
これもまるっきりのウソ?
「孫権が東南アジアに使者を使わせたときの船は、7枚の帆を張り600人から700人の乗員を乗せていた。」
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse053.html
0078日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 18:23:02.18
>>76
そんなはずないと思うよ。
倭人に送り迎えしてもらわないと来ることもできない国に朝貢する理由なんかないから。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 18:42:42.12
>>79
「『三国志』(いわゆる正史のひとつ)には、闘艦(楯板で囲った船)・楼船(やぐら船)・蒙衝(個人的には大勢の兵を乗せた戦闘艦だと思っています)などの名前が出てきます。
また、名称は不明ですが、武帝紀(つまり曹操伝)に『209年春、譙で軽快な舟を作り、水軍の訓練を行った』という記述もあります。呉の領域だけでなく、華北も含めて大小さまざまな船が作られていたことがわかります。
小型または即席の舟としては、筏や夏侯尚伝に出てくる“油船(獣皮で防水した舟)”などがあります。
反対に、大きなものでは董襲伝にある五楼船(5つの楼のついた大型船?あるいは5階立ての楼のある船?)や、『晋書』王濬伝にある「大船連舫,方百二十步,受二千餘人(およそ60m四方で2000人以上が乗り込む多胴船)」なんてのもあります。
一説には、孫権が外国に派遣した船は7本の帆柱がある大型船だったとも言われています(ソースはたしか『南州異物志』)。」
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1328534788
0083日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 19:13:02.39
何人ぐらいのったとかの文章ぐらいしか分からなくて構造はほぼ不明で、説明文の多くは想像でしょ
0084日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 19:57:04.12
>>77>>80
絶対ないとは言えないけど
レッドクリフから1,500年後の元寇船が鷹島沖で見つかってる
2011年発見の方は推定全長20mのキール船で当初は壱岐で強奪された船と目されてたが、その後に木材が朝鮮半島のものと判明
2014年発見の方は推定全長24-40mの平船で外板三重構造で船内に隔壁がある江南軍の船

以下に淡水船とはいえ、この船の1,500年にそこまでの船が作れたのかは甚だ疑問
0085日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 20:14:27.05
>>84
江南軍の船は淡水用か海岸線からそう離れない用なんだろうな
0086日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 20:19:57.21
>>83
いずれにしても倭人の船でなく魏の船で?30人以下の小舟ではないと考えられる。だから砂浜に引き上げるなんてことはない。
着けられる地形もある程度制限される、
ジャンク船だから喫水は小さいとはいえ座礁するような浅瀬には着けられないはず。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 21:08:28.50
>>87
それは勘違いじゃない?
キールがないのが、ジャンク船。
0090日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 23:38:50.14
>>89
渡来系弥生人が中国から渡来したとか、徐福とか言ってる時点で信憑性ゼロ。

日本には古代中国から渡来定着した痕跡遺構など一切ない。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 23:46:12.95
>>90
北部九州に多い甕棺墓は江南地方の墓制だろ
0092日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/18(日) 23:57:07.39
>>91
弥生の甕棺墓は朝鮮南部の壺棺墓文化を取り入れて、弥生独自に発展したものというのが定説。
0096日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 00:21:09.28
>>91
文化の流入はあっても生物としての人の流入は殆どないってのが現在の定説
0098日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 00:34:51.70
>>94
じゃあ、三国時代の軍船は何?
0100日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 07:26:46.51
>>96
人数は少なくても、技術者わ支配層が少数で来日したんだろ。
キナイコシの「定説」は聞き飽きた。
0101日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 07:54:31.06
>>100
DNAで既に判明してること
しかも技術者と支配者は全くの別物

日本人の感覚と支那の感覚の最大の違いはそこ
日本では立派な人ってのは多方面に造詣が深い者を指すが、中華思想では文官は勅使を受けて命令するのが仕事で、下々の仕事に理解を示すのは卑しいこととされる
体力を使うこと全般が卑しいことだから階段すら自分で登り降りしないのが中華皇帝

ちなみに俺はキナイコシってやつとは別人な
0102日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 08:07:34.01
>>99
平船の帆船がジャンクだろう?
0103日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 08:17:55.09
>>102
平船の帆船≒ジャンク
マストにブームを十字に通さないのがジャンクで唐代の発明品
ジャンクにジブとサブネーカーを足したのが今のヨット
0104日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 08:30:38.34
>>103
帆が違うのか。教えてくれてありがとう。
0106日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 09:38:30.02
>>101
ああ、不適切な呼称は撤回する。

で、技術が流入したということは、その担い手が流入したことなんだよ。
ただしその数が少なければ、そのほか大多数の労働者の方が数的には目立つので、流入が遺伝子的に確認しにくくなる。
記紀などを読むと、農業を広めた神だとかが登場するので、働き手としての技術者だけではなく、知識層としての権力者がいたのではないか。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 14:25:47.12
>>106
個人的なアプローチの仕方として読んでもらいたいんだけど、
例えば上で話題に上がった帆船の事もそうなんだけど、記述として残されてるものを鵜呑みにすると、そこから先が妄想になってしまう傾向がある
特に古代史はアイデンティティに関わるからロマンがあり、妄想に結びつくように読み解こうと必死になってしまう傾向にある
特に文系だと、思考習慣として文学的な物語があって当然だという前提で研究してしまう

なので帆船の例のように1,500年後の技術を元に、三国志に登場するような鉄船や巨大船の可能性を否定するってのは理系的アプローチで科学的だと感じる
技術の伝播についても、なるべく検証可能な事例を元に考察するのが科学的なのではないかと思ってる

近世の征服者が主権を奪取するのに掛かる時間と武力差などから古代を考察したり、技術の伝来を紐解くほうが現実に近いのではないかと思う

例えば金剛組の例があるように、日本は技術者をシッカリと保護する民族性がある

私は九州に在住しているが、1,200年代から陶器製造のメッカであった有田に鍋島藩が金ヶ江家(朝鮮名 李参平)を手厚く保護し、土で作る陶器製造を石から作る磁器製造に切り替えることに成功し、今の伊万里焼になってる
金ヶ江家は今でも伊万里焼の始祖として14代目が活躍してる

16世紀末期に50万丁という世界最大保有数を誇った日本の火縄銃は、その50年前に種子島氏が購入した2丁のマッチロック式マスケット銃の複製から始まった
国産火縄銃を制作した八板家は大正期に没落してしまったが、種子島には今でも住居跡や銅像、資料館がある

しかし、四天王寺を建てたのは金剛重光ではなく聖徳太子であり、有田焼を海外輸出しその名を轟かせたのは金ヶ江ではなくNABESHIMAであり、火縄銃と言えば八板ではなく種子島と種子島を活用した織田信長と雑賀衆となっている

つまり技術者は技術集団の中でリーダーになることはあっても、その地域や邑規模への支配力にはなり得なかった見るべきではないだろうか
その技術集団を懐柔し保護した者が支配者であろう

支配層が技術者を連れて来日すればそれも可能にも見えるが、>>101に記載したように貴卑の格差がある者が同じ船団として渡航することは非常に考えにくいと結論付けられる
そこに航海の難易度が加われば尚の事
0108日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 14:53:16.01
>>107
金剛組はマジですごい
何がすごいって金剛家
1427年も頭領続けて、今も新・金剛組の株主一族として続いてること
下手したら天*家より血筋がはっ(ピンポーン)おっと誰か来たみたいだ
0110日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 17:38:08.88
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 18:21:35.46
日本人ってすげーというのは、裏を返すと差別に他ならない。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 18:32:19.99
>>112
被害妄想が度を越しててゲボしか出てこない
0115日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 19:32:24.54
>>107
上の帆船の話題を出した者だけど、
「レッドクリフから1,500年後の元寇船が鷹島沖で見つかってる
2011年発見の方は推定全長20mのキール船で当初は壱岐で強奪された船と目されてたが、その後に木材が朝鮮半島のものと判明
2014年発見の方は推定全長24-40mの平船で外板三重構造で船内に隔壁がある江南軍の船

以下に淡水船とはいえ、この船の1,500年にそこまでの船が作れたのかは甚だ疑問」
という論理で記述されたもの、例えば
http://www1.cts.ne.jp/fleet7/Museum/Muse053.html
は「科学的に」否定するという主張はわかる。
ただ、元寇の船がそれしかなかったかはデータとしては十分ではないだろうし、
まるっきりのウソを書く人がいるとも思えないけどね。

魏志倭人伝の魏使がどんな船で来たかを考えることで上陸した場所の可能性を狭めたり、川を水行したかどうかの可能性を探るヒントになると思ったんだよね。
そういうアプローチがネットでは見つからなくて、ちょっと怪しいものしか出せなかったのは残念だった。
赤壁の戦いの兵員規模から考えてそんな小さい舟ばかりではなかったのではないかと思ったんだがね。

ちなみに俺も理系なんだが。
0116日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 19:45:19.10
福間辺りは遠浅の砂浜。 だから、魏使の船が大きかろうが小さかろうがどうでもよいが、
沖合に停泊させて、艀を利用して上陸したと、何度言えばw  
ちなみに俺も理系なんだが。   @阿波
0117日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 19:49:12.68
>>116
そうするとそこに外洋船を投錨して置いていくのか?
次の水行のために船に残った部隊が回航していくのか?
0118日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 20:04:20.78
>>117
>次の水行のために船に残った部隊が回航していくのか?

当然、そうするだろう。 修理も必要だろうし。  @阿波
0119日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 20:06:10.67
>>118
じゃあ、水行は海ってことだよな?
0120日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 20:18:00.58
>>119
少なくとも、魏志倭人伝での倭国(阿波)への行程では、「海」。   @阿波
0121日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 20:25:41.69
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 22:32:54.30
>>115

>>84の前提は>絶対ないとは言えないけど だぞ
0123日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/20(火) 09:31:31.57
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 16:02:16.12
>>78
倭人の舟に魏の使者が乗って来たとは考えられないですね
魏の船に倭人の案内人が同乗してたんでしょうね。
0129日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 17:16:17.51
>>124
伊都国で話が全て終わってしまうからな
他説の人が面白い訳が無い。
0133日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 19:33:11.67
>>132
地元愛で成り立ってるものだからな
0134日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:07:10.26
>>132-134

悔しそうだね。  論拠を挙げて批判できないからw   @阿波
0135日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:13:28.29
あわーストーリーという曲の話、
〜系のファン(ヲタ)だったとか?

TWINZER『OUR LOVE STORY』
0136日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:29:24.89
畿内説スレ


寺沢(寺澤)先生、寺沢先生と言ってる人がいたり、
数年前から言っている
0137日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:35:14.38
・・・でも阿波起源、発祥はないだろう、残念だけど
0138日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:49:40.97
>>137
>・・・でも阿波起源、発祥はないだろう、残念だけど

悔しそうだね。  論拠を挙げて批判できないからw   @阿波
0139日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 20:52:42.29
有名な話なのかな?
ネタか何かだろうと言ってる人がいたり

たしか四国周辺の話w
陰謀関係のスレでも言ってる人がいた
0140日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 21:35:42.74
陰謀スレというのがあるんだけど

『ボーボボ』?

このような話ばかりしていたりw
数年前までの話
0141日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 21:38:16.84
四国、九州が何やら〜とか、
そういうネタだろう

本当に『ボーボボ』?
このような話ばかりしていたw
0143日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:04:43.93
何度も言いました、
もうネタがないんだっつーの!とも書いていたし


だからネタ(創作関係?)なんだろう、
ワンピース、ファイナルファンタジー・・・エヴァンゲリヲン・・・その他とか
0144日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:07:14.45
悪く言うと、
成り済まし?騙り、寄生・・・そういう類
0145日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:30:24.07
そもそも

『浦島太郎』『うらしまマリン』(キャラクター名でしょ)・・・その他


『松傾』の家の話だしな・・・『三貴子』?
0146日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:41:44.56
ん?呟きせんせーと鴨せんせーはfrendか?
0147日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:47:07.74
アマテラスのスレがわからない?シタテルさんがなにやら
天才があじきたすやらなにやらレスしはってたんやが
0148日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:48:15.71
記紀神話でしょ・・・

ヒミコ?というのもいない頃の話で、
他の国の神話などからの引用だぞwというのも
有名な話みたいだしな
0149日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 22:57:45.56
mike oldfield『let there be light』


なぜか「うらしまマリン」と同じでしょ
0150日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/22(木) 23:37:59.14
大陸の物語、神話『』〜『』〜『』〜『古事記』『日本書紀』?
0151日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/23(金) 12:21:10.94
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0152日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/23(金) 20:42:07.65
きたぞお前ら

【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542968156/
0153日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/23(金) 23:04:18.68
西新町遺跡・・・女王国の重要な構成国の奴国の中心地かな。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/24(土) 06:22:03.39
>>153

奴国は「上本町遺跡」・「下伊田遺跡」・「五徳畑ケ田遺跡」・「真崎遺跡」などがある「田川辺り」だね。  @阿波
0155日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/24(土) 08:06:19.76
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0156日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 08:44:31.30
禅譲とは天子の位を他家に譲ること
実際には国の乗っ取り、下克上だな
百官はそのままに皇帝だけが交代。
0157日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 08:49:54.20
九品官人法
この制度の目的は、後漢から魏へと移行するに際し、後漢に仕えた官僚たちの能力と魏に対する忠誠度を見極めて人材を吸収する事。
0158日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 09:31:57.22
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 10:34:37.38
三国志の魏書では魏の太祖の活躍した漢代末も取り上げており
魏書で世有と書いた場合は広義では魏が成立した以前の太祖の活躍した漢代末も含まれる。
0160日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 12:29:00.93
じゃあ「ちょっと前まで王がいた」という意味?
0161日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:19:52.79
>>160
じゃあ君か、
そうだよ、ちょっと前の漢代末頃まで王がいた。しかし、卑弥呼共立で、大率に格下げされたってこと。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:31:56.75
>>161
王は王のままだろ? 王と率は全く違う職務なのに格下げってなんだ?
伊都国に率はいないぞ。
0163日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:36:46.13
「世有王」は魏のあった張政等の魏使が倭を訪れた時期には伊都国に王がいたって意味で
代々伊都国に王が居たって意味じゃない。
0164日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:38:43.02
>>162 名前:日本@名無史さん 2018/11/26(月) 13:31:56.75
>王は王のままだろ? 王と率は全く違う職務なのに格下げってなんだ?
伊都国に率はいないぞ。

これが見えぬか↓
自女王国以北、特置一大率、檢察諸国、諸国畏憚之、「常治伊都国」。
0165日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:44:31.41
>>163
卑弥呼が共立されて倭国全体の王になったのだから、各国の王は格下げになった。
そして王位の代わりに官位を授けられたのだ。
だから、各国の官は記載されているが、王はいないだろう。
0166日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 13:50:11.45
>>164
「女王国以南の投馬国は、天領の邪馬台国と全く同じで、邪馬台国からの司令官が統治していたと思われる。一大国の司令官が統治したのは、狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国が主だと思われる。
そして、司令官による統治は、つまり、軍政だということである。だから諸国は恐れたり、畏怖したりしたのである。
しかし、司令官による統治は、軍政だということであるから、小国に対してはできたが、伊都国のように“世有王”という半独立国にはできない。
したがって、いつも伊都国に対する統治の仕方は、国の中に刺史に似たような長官を置いたのである。つまり、一大国の司令官で統治するような軍政を行わずに、刺史のような長官で、伊都国王に一目おきながら伊都国を統治したのである。」
誤読だらけの邪馬台国
0168日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 14:01:46.48
誤読だらけの張邪馬台国
0169日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 14:46:48.25
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 16:32:09.04
>>166
正に誤読だらけの解釈だなw
0171日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 16:44:05.34
>>170
中国語読めんの?
0172日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 19:02:14.61
>>157
大違いだ

人材不足への対策で有望な新人を探すための法律
既存の官僚ではなく未登用の新人を捜し求めたんだよ

法律の本文内容をちゃんと読めば既存官僚を再雇用するためではないことが理解できるだろうに、読んでないだろ
0174日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 19:23:17.60
曹丕(字は子桓)が禅譲によって魏王朝を創立した時に困ったのが、漢王朝の家臣団の扱い。
魏王朝に不満を抱く者たちをそのまま取り込むのは不安がある。
そこで、官位を改めて制定し、そこに振り分けていくことで、再登用への道を作った。
漢王朝時代での地位の影響を奪い、才能に応じた官位を与え、魏王朝への忠誠心を養わせた。
0175日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 19:52:01.74
証拠も挙げずに妄想を書き殴るとか、このスレはほんとにデムパばっかりだな
0177日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 21:14:08.75
70年ぐらい前の本じゃね、それ?

その後も研究はあまり進んでないのか?
0178日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 21:39:19.25
>>174
国を支えるには多くの官僚がいる
新国家の魏には官僚なんていないんだから
漢の官僚を丸ごと再雇用するしかないのは当然だね。
0179日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 21:42:23.41
つか、国丸ごと乗っ取ってんだから官僚も「原則的にそのまま再雇用」(一部に降格や免職もある、って程度)が基本なんじゃないの
0180日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 22:02:28.18
三国志の魏書では世有は魏の世のこと
@后妃傳
漢制 帝祖母曰太皇太后 帝母曰皇太后 帝妃曰皇后 其餘内官十有四等 魏因漢法 母后之號 皆如舊制 自夫人以下 世有搗ケ
A杜畿傳
語曰 世有亂人而無亂法 若使法可專任 則唐 虞可不須稷 契之佐 殷 周無貴伊 呂之輔矣
B王昶傳
今汝先人世有冠冕 惟仁義為名 守慎為稱 孝悌於閨門 務學於師友
C東夷傳
而公孫淵仍父祖三世有遼東 天子爲其絕域 委以海外之事 遂隔斷東夷 不得通於諸夏
蜀書
D張嶷傳
時郡内士人龔祿 姚胄位二千石 當世有聲名 皆與嶷友善

@「漢代の制度では、帝の祖母を皇太后とよび、帝の妃を皇后とよび、その他の女官には十四等の位階があった。魏は漢の法制度を世襲したため、皇太后らの称号は旧制どおりであったが、夫人より以下の妃については、魏時には増減があった。」
漢代に対して魏代では夫人より以下の妃については増減があった。魏代に王が変わる毎に代々夫人より以下の妃については増減なんてない。
A「『世の中には世を乱す人はいても世を乱す法はない』と成語に申します。もし法律にもっぱらまかせてよいものならば、唐・虞は稷・契のたすけを必要としなかったでありましょうし、殷・周は伊尹・呂公の補佐を尊重しなかったでありましょう。」
この「世有」は「世の中」の意味。
B「さておまえたちの先祖は魏の世では冠をつける身分である、ひたすら仁義と名誉と心得、慎重さを守ることをりっぱだと考え、家庭内では親や年長者によくつかえ、師友について学ぶことに努力してきた。」
王昶の親や叔父が出世したのは漢末、殆どが魏代のこと。
C「ただ公孫淵が父祖三代にわたって遼東の地を領有したため,天子はそのあたりを絕域と見なし,海のかなたのこととして放置され,その結果、東夷との接触は断たれ,中国の地へ使者がやってくることも不可能となった。」
「三世有」は「三代にわたって」の意味。
「そのころ郡内の士人の龔禄・姚伷は二千石の位にあり,当時名高い人物だったが,みな張嶷と親しく交わった。」
「當世有」は「当時」の意味。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 22:06:18.47
後漢朝末期には私利私欲にまみれた官僚が溢れて政界の腐敗は極まった。
漢朝が滅んで魏が立つと、こうした旧王朝の官僚の処遇をどうするかが大問題となった。
もしも彼らを悉く受け入れれば、魏王朝にまでその腐敗が進出しかねず、
かといって彼らを野に放つのも危険に感じられたからである。
そこで腐臭の中から少しでもマシなものを選んで登用しようと始められたのが、この九品官人法であった。
(アンサイクロペディア)
0182日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 22:22:39.51
官界の腐敗は後漢より南朝(東晋から陳)の方がひどいけどな
0183日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 22:51:38.12
>>180
どれも「魏の世」なんて意味じゃないじゃん
0185日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/26(月) 23:24:14.48
>>164
自 女王國以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之
常治 伊都國 於國中 有如 刺史 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯

女王国より以北には、とくに一大の率を置きて諸国を検察し、諸国これを畏憚す。
常に伊都国を治すこと、国中において刺史の如きあり。
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0186日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 02:54:02.13
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 07:57:14.94
>>183
三と當で修飾されてる「三世有」と「當世有」以外は「魏の世」のことを指してるでしょ?
>>185
常に伊都国を治すこと・・・これは誤訳ですよ
常に伊都国で治すことです
常治 伊都國は伊都国にいて常に治めているとの意味です
伊都国を治すとの意味はありません
もっと漢文勉強してね。
0188日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:00:32.39
>>187
Aが落ちてたけど
Aは当時の世間ではこう言いますの引用だからね。
0189日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:01:39.72
該当するのは@とA
両方とも魏の世で差し支えない。
0190日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:02:34.76
>>189
訂正
該当するのは@とB
両方とも魏の世で差し支えない。
0192日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:14:55.23
結局、「世有」はケースバイケース
そもそも伊都国王が卑弥呼共立後に沸いて出てきたとの想定がお馬鹿
共立前は伊都国王がリーダーで、共立後、各国の王は官とされ、
リーダーだった伊都国王は名誉職として王のままとされたのだろう
0193日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:23:56.85
>>187
これは古典に通じた中国人が読んだものだよ。
たぶんアンタより信じるに足る。
0194日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 08:52:48.16
>>187
治国 国を治める
「治める」には国のような対象目的語が必要
0195日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:00:31.93
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0196日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:04:20.54
>>194
そもそも「自女王國以北 特置 一大率」だから、
一大率は数か国を担当しており、伊都国だけ治していたのではなかった。
よって、常に伊都国1国を治す・・・では、勘定が合わぬ。、
0197日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:11:42.14
>>196
率は軍司令官だから、諸国を(治めず)検察する。治めているのは女王。
伊都国は王が治める。その王は女王に統属している。
0198日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:14:24.32
>>196
「諸国を検察するのにたった一人の司令官を置くのは、どう考えても辻つまが合わない。”率”は”司令官”であるから”小率”は絶対になく”大”とわざわざ書かなくても当然”大”である。
したがって”一大”が固有名詞でない限り、ここには”一”の”大”も出てくるはずがなく、したがって一大というのは、固有名詞であり、一大率は一大国の司令官である。つまり、一大国の司令官を使って諸国を統治していたのである。」
誤読だらけの邪馬台国
0201日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:24:15.87
>>197
一大率のくだりと、伊都国に世有王皆統属女王国のくだりはずいぶん離れている。
それをチャンポンにして解釈しようなんて、わがままが過ぎるぞ。

自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史、は、
一大率にかかる一連の説明だ。
0202日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:29:38.90
>>198
誤読だらけの張邪馬台国はモウケッコウ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:35:26.01
>>200
根拠なし
0204日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:40:38.33
常治伊都國の意味は、常に伊都国にいて国を治めるである
この場合の国とは諸国のことですね
一大率のことを説明した文ですから、常に伊都国にいて一大率を使って諸国を治めるってことです。
0205日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:40:44.04
>>203
隋書「又東至一支國,又至竹斯國,又東至秦王國」
梁書「海闊千餘里,名瀚海,至一支國。」
北史「闊千餘里,名瀚海,至一支國。」
0206日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:41:15.44
>>201
離れて書いてあろうと前出の状況よ矛盾しないはずだから、それを踏まえて解釈するのが普通。
0207日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:41:51.71
>>205
後世の書き換えが根拠にはならない。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:42:18.15
>>191
反論になってないw
0210日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:42:44.95
>>204
そう思うってだけだね。
0212日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:44:43.94
現代でも「壱岐」として残ってるから「一大」の誤りは明らか
0214日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:46:37.38
>>192
@は漢と魏での比較ですから代々ではおかしい
Bは子供達に自分の代(親の代も含めてもいい)から立派な家柄だと言ってるから
これも代々ではおかしい
両方とも魏の世の話しかしてない。
0215日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:47:31.29
一大率が一人だと思うからおかしなことになる。
一大国の率だと考えれば複数いて各国に軍を率いて駐留し、検察していたと自然に解釈できる。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:48:38.20
>>209
「治○○國」は「王様が○○國で国を治める」って意味で普通は使われてますね。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:50:56.27
>>215
大率は1人、伊都国に駐留
各国には大率の部下がいて検察業務を行っていた
と、自然に解釈できる
0219日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:51:15.54
>>210
問題点があれば指摘して。

>>215
一支率の誤記?
0220日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:52:21.19
>>218
「自女王國以北 特置 一大率」が見えないの?
0222日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:53:28.68
>>217
>>217
>「治○○國」は「王様が○○國で国を治める」って意味で普通は使われてますね。

国が2回出てきてるよww
「王様が○○國を治める」だろ?
0224日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:56:30.96
>>221
成都にいて蜀州を治める
會稽にいて揚州を治める
成都を治めるじゃないし
會稽を治めるじゃない

伊都国にいて諸国を治めるでOKでしょ。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:57:05.96
>>220
自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史、は、
一大率にかかる一連の説明だ。
0226日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:58:09.44
>>219
185 名前:日本@名無史さん :2018/11/26(月) 23:24:14.48
>>164
自 女王國以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之
常治 伊都國 於國中 有如 刺史 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯

女王国より以北には、とくに一大の率を置きて諸国を検察し、諸国これを畏憚す。
常に伊都国を治すこと、国中において刺史の如きあり。
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:58:47.57
>>206日本@名無史さん2018/11/27(火) 09:41:15.44
>離れて書いてあろうと前出の状況よ矛盾しないはずだから、それを踏まえて解釈するのが普通。

治する、を王だけに限定して理解しているようだが、これは王に限ることではない。
一大率の場合も、治する=治める、治まる、収まるでよい。
0229日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 09:59:25.57
>>225
何が根拠?
そう思うだけでしょ?
0230日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:00:30.50
>>227
何が根拠?
そう思うだけだね?
0231日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:15:24.16
>>230

>>221>>224 の解釈を参考にせよ、
伊都国にいて(治して、治まって)、諸国を治めるで良い。
0232日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:15:47.23
>>228
どこが違うの?
0233日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:35:50.16
>>227
倭人伝では一大率の仕事は諸國の檢察だと明記されてる
刺史の本来の仕事である諸國の檢察が一大率で権限拡大した治めるではないよ。
0234日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:41:35.92
>>233
治める、治まる・・、は、王の行為に限定されることではない。
そこんところを全く勘違いして、自己規制してるな。
0235日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:45:35.30
>>226
>常に伊都国を治すこと

だから間違いだってwww
常に伊都国に治す
つまり「常に伊都国にいて国を治める」だよ
0236日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:47:42.42
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0237日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:51:29.07
>>234
限定はしないけど
魏志倭人伝の場合は一大率の仕事は諸國の檢察だと明記されてるでしょ
書いてないなら治の可能性もあるけど文書中で限定されちゃってる。
0239日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:58:25.22
>>237 名前:日本@名無史さん 2018/11/27(火) 10:51:29.07
>限定はしないけど
>魏志倭人伝の場合は一大率の仕事は諸國の檢察だと明記されてるでしょ

一大率は、伊都国に治して、諸国を検察する・・・、このように限定されてる。
0240日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 10:58:34.52
>>235

>だから間違いだってwww
>常に伊都国に治す
>つまり「常に伊都国にいて国を治める」だよ

「いて」に該当する動詞は?
伊都国と国を治めるの国が重複しておかしい。
シンプルの「常にいとお国を治める」の方が自然
0242日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 11:11:12.04
>>239
>一大率は、伊都国に治して

馬鹿なの?一大率は女王国以北だよw

>>240
>伊都国と国を治めるの国が重複しておかしい。

治○○は決まり文句で「いて」に該当する動詞は無くても
○○にいて国を治めるの意味なんだよ。
倭人伝の場合は伊都国のと国は国邑(都市)のこと
治めるの対象はもっと広い国邑の連合体。
0243日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 11:16:28.44
>>242
ウソばっか
0244日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 11:23:37.08
>>242
>治○○は決まり文句で「いて」に該当する動詞は無くても
>○○にいて国を治めるの意味
はない。
アンタの脳内以外には。


ピンインzhì
1 動詞 (国・家・川・砂漠・アルカリ性土壌などを)治める,うまく処理する,整備する.
https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E6%B2%BB
>>239
>一大率は、伊都国に治して

馬鹿なの?一大率は女王国以北だよw
0246日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 11:54:13.64
>>245
根拠出して
0248日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:12:24.39
現代日本語風に直すと、
一大率は、常治伊都国(伊都国に治して)、諸国検察(諸国を検察する)・・・、

自女王国以北特置一大率、檢察諸国諸国畏憚之。常治伊都国於国中有如刺史。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:21:52.86
>>248
自 女王國以北 特置 一大率 檢察諸國 畏憚之
常治 伊都國 於國中 有如 刺史 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯

女王国より以北には、とくに一大の率を置きて諸国を検察し、諸国これを畏憚す。
常に伊都国を治すこと、国中において刺史の如きあり。
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:23:00.73
>>249
j女王よ別に王がいるよね。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:23:27.55
>>250
女王と別の王がいるよね。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:25:11.56
>>244
言い張っても無駄だよ、これ古文漢籍の常識だから。
又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。
とかの用例もあるだろ。
>>248
嘘を吐くなよ朝鮮人!
女王国の以北に特別に一大率を置き諸国を検察せいむ、諸国はこれを畏れ敬う
常に伊都国にいて治めるのは中国国内での刺史のようである。
どこから一大率が常治伊都国とか出てくるんだよw
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:27:08.43
>>249
何回も同じデタラメ書きこむなよ
常に伊都国を治すことなんて訳にはなりません
君は頭おかしいよ
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:32:16.60
>>244
君の主張するような用例があるなら出してよw
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:39:06.77
>>252 名前:日本@名無史さん 2018/11/27(火) 12:25:11.56
>どこから一大率が常治伊都国とか出てくるんだよw

自女王国以北特置一大率、檢察諸国諸国畏憚之。「常治伊都国」於国中有如刺史。
 ⤴
ここから出てくるんだけどね・・・明白。
0256日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:46:51.98
>>255
「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」
の王がいるのになぜ率が国を治めるのかわからない。
ちゃんと外交もやって女王の窓口になっているのに。

王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:50:56.93
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0258日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:52:07.27
>>253
根拠がないね
0259日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 12:56:30.00
自女王国以北特置一大率、檢察諸国諸国畏憚之。「常治伊都国」於国中有如刺史。
 ↑
此の書きぶりから解釈して、
女王国以北とは、女王国〜対海国までのことであるから。その間を巡回して検察していたことになる。
つまり、その間の交易・交通路の安全を確保するのが、一大率の主たる役目だったのであろう。
そしてその任務に便利なよう、中間の伊都国に常治・・・、即ち拠点があったとすればよく理解できる。


0260日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:01:47.58
>>259
215 名前:日本@名無史さん :2018/11/27(火) 09:47:31.29
一大率が一人だと思うからおかしなことになる。
一大国の率だと考えれば複数いて各国に軍を率いて駐留し、検察していたと自然に解釈できる。
0261日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:05:47.38
「『魏志』には”一大石””一大蛇””一大統”という言葉が出てくるので、”一大率”もこれらの”一大...”の中の一つだと思われがちであるが、じつはそうではない。
三字をさらに区切るなら、
”一大石”は”一 大石”
”一大蛇””は一 大蛇”
”一大統”は”一 大統”
というような、”一”は”一つの”という意味になる。
したがって、ちょうど英語のaやanのような冠詞になる。そして”大”を加えると、まさに、a bigと同じ意味になって、石、蛇、伝統いうのにちょうどいいようになる。
しかし、”率”にa bigというのはおかしいし、例え”大”をbigといわずにgreat、largeといい変えてもおかしい。
日本で”率”を”軍団”と誰かがでっち上げたから、”一大率”を”一つの大率”と取っても違和感がなくなったが、もともと”率”は”軍団”ではなく、”師”であり、分かりやすくいえば”司令官”という意味である。」
誤読だらけの邪馬台国
0262日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:07:14.75
>>261
「諸国を検察するのにたった一人の司令官を置くのは、どう考えても辻つまが合わない。”率”は”司令官”であるから”小率”は絶対になく”大”とわざわざ書かなくても当然”大”である。
したがって”一大”が固有名詞でない限り、ここには”一”の”大”も出てくるはずがなく、したがって一大というのは、固有名詞であり、一大率は一大国の司令官である。つまり、一大国の司令官を使って諸国を統治していたのである。」
誤読だらけの邪馬台国
0264日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:14:45.18
A:「諸国を検察するのにたった一人の司令官を置くのは、どう考えても辻つまが合わない・・・。」
B:「・・・、一大率は一大国の司令官である。つまり、一大国の司令官(一人)を使って諸国を統治していたのである。」


このA文とB文は、明らかに矛盾する。!
誤読だらけの張邪馬台国
0265日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:19:25.59
>>264
一大率は各国に一名以上いたんだよ。
別に最高司令官なんて言ってないだろ?
0266日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:20:30.78
>>265
>>259
215 名前:日本@名無史さん :2018/11/27(火) 09:47:31.29
一大率が一人だと思うからおかしなことになる。
一大国の率だと考えれば複数いて各国に軍を率いて駐留し、検察していたと自然に解釈できる。
0267日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:21:28.36
B:「・・・、一大率は一大国の司令官である。つまり、一大国の司令官(一人)が  多数の部下を使って  諸国を統治していたのである。」

じゃないの? どうでもいいんだけどw   @阿波
0269日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:25:33.32
>>260
だいたい狗邪韓国〜対馬〜壱岐〜末盧国〜不弥国を一人で検察し伊都国も統治するなんて交通機関もないのにできるわけないじゃん。
常に伊都国にいるどころかずっと歩き回ってないといけない。
水戸黄門じゃないんだからw
0271日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:30:20.44
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0272日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:33:11.46
そもそも、司令官は一人でなくては物事は円滑に進行しない。
一大率ただ一人しかいなかったというのは誤読であって、当然部下は複数いた。
即ち女王以北の各国には、部下の副官「卑奴母離(夷守)」が有り、そのサブ拠点もあった。

副官「卑奴母離(夷守)」は、女王国以北の対海国・一大国(一支国)・奴国・不彌国に置かれており、
副官「卑奴母離(夷守)」がいなかった末盧国は、事あるたびに津(唐津)に臨みて一大率が代行した。
また伊都国は、一大率の本拠地だったので、一大率自らことに当たったわけだ。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:36:32.97
>>272
>そもそも、司令官は一人でなくては物事は円滑に進行しない。
バカなのか? そんな軍隊はありえない。
最高司令官以外は複数いるのが普通。
0274日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:39:31.32
>>272
>副官「卑奴母離(夷守)」がいなかった末盧国は、事あるたびに津(唐津)に臨みて一大率が代行した。
なんだこりゃ?
津が唐津とか、サラッとデタラメを入れてくるなwww
0275日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:44:08.54
>>273
うえでは司令官といっておきながら、最高司令官をもちだしてくるのか・・・、
それではこちらも言い換えよう。
一大率は最高司令官だった、そして卑奴母離が各国担当の司令官だったのだ。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 13:46:01.31
>>275
って思うんだね? わかったわかった。
0277日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 14:00:26.22
>>275
256 名前:日本@名無史さん :2018/11/27(火) 12:46:51.98
>>255
「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」
の王がいるのになぜ率が国を治めるのかわからない。
ちゃんと外交もやって女王の窓口になっているのに。

王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 18:35:44.28
>>224
刺史は監察官であって行政官ではないので州を治める権限はない

主たる職掌は州内の郡太守を監察するだけだ。副次的に州都の町一つだけを統治する権限が付託されている。

だから蜀の刺史が統治することができる範囲は成都の町だけだし揚州刺史の統治権が及ぶのは会稽の町だけだ。
だから、
>成都を治めるじゃないし
>會稽を治めるじゃない
と言っちゃうと根拠のない決めつけになってしまうだろ
0279日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:04:05.76
>>278
ということは
「常治 伊都國 於國中 有如 刺史」

「常に伊都国を治すこと、国中において刺史の如きあり。」
でOK?
0281日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:16:47.61
そこまでは知らん

間違った論拠をあげてたのを指摘しただけだ
0282日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:18:59.47
>>280
なぜ?
0284日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:25:43.16
>>283
わからない。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:30:36.79
>>283
説明してくれ
0286日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:56:17.20
「常治 伊都國 於國中 有如 刺史」

「常日ごろは伊都国に治す(本拠地がある)、国中において刺史の如くあり(刺史と同じような仕事をしている)。」
0287日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 19:59:54.82
>>286
説明して欲しいのは
治す=本拠地がある
の理由なんだが。
0289日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 20:14:23.41
後漢代(や三国時代)の郡の太守が「比2千石」とされる高官なのに対して刺史は「比600石」と太守よりも格式も給料も低い中級の官
と言う基本的事実も知らんヤツが女王国=壱岐とかいう珍説を言ってるんだな?
0290日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 20:32:08.65
>自女王国以北、特置一大率、檢察諸国、諸国畏憚之。
自女王国以北とは倭人伝行路上の、
対海国・一大国・末盧国・伊都国・奴国・不彌国・(投馬国)・邪馬台国の7国(又は8国)である。
此れら一連の国々に一大率を特置したということは、
対海国から〜〜邪馬台国までの遣使・交易・交通路の安全行を確保する狙いがあったのであろう。

>常治伊都国、於国中有如刺史。
となれば、
中間の伊都国に本拠地を置いて、北へ、南へとパトロールするのが最も合理的だ。

>王遣使詣京都帶方郡諸韓国及郡使倭国、皆臨津搜露。伝送文書賜遺之物詣女王、不得差錯。
王の使い
(ここでは邪馬台国の王=女王、卑弥呼が女王になる前は邪馬台国大倭王の使い)が、
洛陽・郡・韓諸国へ詣でるとき、及び郡の使いが倭国へ来るときは、その都度(末盧国の)津において搜露し、
文書賜遺之物は、誤りなく女王へ届けた。

以上のことから、
要するに一大率の任務は、遣使・交易・交通路を維持管理し、保守することだったに相違ない。
0291日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 20:34:02.08
>>289
女王国=壱岐⁇?
笑うとこなのかな?
0292日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 20:36:36.15
>>290
また、まとめるような感じでちょいちょい妄想を差し込んでくるなww
0293日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 20:46:50.47
偶然ではあるが、>>289 の、
「刺史は「比600石」と太守よりも格式も給料も低い中級の官」 ということからしても、
官道パトロールの職は、適切ではないだろうか。
0294日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:11:01.75
>>290
違うよね。
「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」

王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。

だから王はいるよね。女王とは別に。
0295日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:14:04.30
>>279
だから伊都国を治すことじゃなくて
伊都国にいて治すなんだよw
ちゃんと漢文勉強しろよw
0296日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:15:52.62
>>272
>また伊都国は、一大率の本拠地だったので

そんなこと何処にもかいてないだろw
0297日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:18:42.69
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0298日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:19:10.78
>>277
この文章は一大率に事じゃなくて
王の家臣が皆港に臨みて・・・だよ
文章理解力が低いなw
0299日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:25:31.23
>>286
常は何時も必ずの意味だよ
何時も必ず伊都国にいて国を治めている
(一大率は)中国国内における刺史のようである。

一大率は女王国以北に特別に置かれ、その一大率を使い何時も必ず伊都国にいて国を治めている、(一大率は)中国国内における刺史のようである。
0300日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:26:38.84
>>294
王と女王は同じですよ。
0301日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:28:01.33
>>842
このスレ(↓)から転載
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part15
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1541115802/

68 名前:日本@名無史さん :2018/11/18(日) 13:31:35.25
>>66
ここを読むと赤壁の戦いの頃の軍船の最も大きな「楼船」というタイプは100人以上乗れたようだぞ。
https://sangokushirs.com/articles/547

70 名前:日本@名無史さん [sage] :2018/11/18(日) 14:18:51.49
>>68
そこのページでもっとも信用できる一文は、

>三国志時代の水軍の資料は、ほとんど残っておりません。ですから、17世紀ごろの明の時代に書かれた「三才図会」が参考にされています。

だろ
楼船が当時すでに実在していたかどうかすら不明ってことじゃないのか
0302日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:28:52.26
>>301
誤爆です。ごめんなさい。
0303日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:34:41.21
>>300
同じ文章で書き分けてるのに同じはずないだろ!
0304日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:37:59.05
>>295
治は対象目的語が必要だろ?
伊都国を治めるんだよ。
0305日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 21:41:33.61
>>298
家臣とか何勝手に付け加えてんだ?
0306日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:16:06.35
>>304
ちゃんと用例調べたの?
何度も言いますが治伊都国は伊都国にいて治めてるっていみですよ。
勉強になった。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:19:28.73
>>303
同じ文章だから繰り返しを避けてるんです。
>>305
皆とは全員の意味だよ
当然、王に使えてる家臣全員って意味だよ。
0308日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:21:30.25
>>306
そんな用例は無い
0309日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:24:10.83
>>308
何言ってんの在り過ぎるくらいあるよ
逆に○○を治めるなんて用例の方が皆無だよ。
0310日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:25:19.98
>>306
>>217にある例は
又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。
http://www.zdic.net/z/1c/kx/6CBB.htm

蜀刺史曰治成都 蜀の刺史が成都「を」治める
揚刺史曰治會 揚の刺史が会稽「を」治める
だから 治伊都国は、伊都国「を」治める
0311日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:27:58.28
>>307
同じ文章で女王と王と書き分けてるのが繰り返しを避けるためってバカじゃないの?
しかも女王が後から来てるのに。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:46:09.26
>>310
蜀州の刺史が成都しか治めないのかw
揚州の刺史が会稽しか治めないのかw
蜀州の都が成都で揚州の都が会稽だよ
漢文勉強し直せよwww
0313日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:49:24.62
伊都説は馬鹿の見本としてすでに有名
0314日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:50:07.76
>>311
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史  王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯

女王 王 女王
女王 女王 女王じゃ諄い。
0315日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:54:06.44
>>310
こいつは真正の馬鹿だなw
0316日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 22:58:12.71
>>312
278 名前:日本@名無史さん [sage] :2018/11/27(火) 18:35:44.28
>>224
刺史は監察官であって行政官ではないので州を治める権限はない

主たる職掌は州内の郡太守を監察するだけだ。副次的に州都の町一つだけを統治する権限が付託されている。

だから蜀の刺史が統治することができる範囲は成都の町だけだし揚州刺史の統治権が及ぶのは会稽の町だけだ。
0317日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:00:00.02
>>309
>何言ってんの在り過ぎるくらいあるよ

あるなら出してごらん
無理だよ
0318日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:00:02.63
>>315
オマエの方がバカなんじゃない?
0319日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:03:06.25
>>314
個人の感想ねwww
伊都国に王入るだろ。「世有王」なんだから。
その王様は邪馬台国にいる女王様とは別人だってことだ。
0320日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:09:27.43
>>316
ここで書かれてる刺史は権限が拡大して
治所の周辺の地域の行政権を完全に握るようになった刺史の説明だよ。
0321日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:10:47.33
>>318
付ける薬が無い人ですね。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:13:23.37
>>319
魏から任命された倭王卑弥呼が居るのに他に王はいないよ
唯一敵対する狗奴国が勝手に王を自称してるだけ。
0323日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:14:44.15
>>320
どういう意味?
0324日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:16:58.61
>>310
治,謂都之也。又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。

ちゃんと頭に治は都だって書いてあるじゃないか。
しかもこれは単なる説明文だろ
用例でもない。
0325日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:21:25.14
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0326日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:21:52.10
>>322
「東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
に「丗有王」とあるから王はいるだろ。
「邪馬壹國 女王之所都」だから女王は所在が別。
したがって別人。ただし王は女王に従ってる。
0327日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:23:26.98
>>324
でも意味は、成都「を」治めるだし、会稽「を」治めるだよね。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:28:23.72
wiki
<刺史>
特定の治所を持たず領内を巡察していた前漢の制度を改めて、州の中に治所を持つようになり毎年8月に諸郡を巡察することとした。
更にその治所の周辺の地域の行政権を完全に握るようになった。
0329日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:31:30.31
治の解説文だね、治は都のことだけど、州郡で刺史が駐する所も治だって。

治,謂都之也。又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。

治は都を謂うなり。
また州郡にとどまる所も治と云う
蜀州の刺史は成都で治めると言った
揚州の刺史も會稽で治めると言った
このように。

直訳は難しいな。
0330日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:32:16.77
>>324
●又所都之處曰治。《前漢・田?傳》更王膠東,治?墨。《註》治,謂都之也。
●又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。

別の意味です
0331日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:32:51.67
>>327
君は頭が残念な人ですね。
0332日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:34:11.56
それは曲訳
0334日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:38:21.89
>>327
意味は、蜀州の刺史は成都で治めると言った
揚州の刺史も會稽で治めると言った
治の説明だから治とは何かを説明しているな。
0335日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:41:03.68
>>332
>>333
日本語としてちょと変だけど意味はわかるでしょ
0336日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:42:15.00
●又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。

また、州郡の役所に註することを治すという
蜀刺史が成都に治すといい、揚刺史が會稽に治すというがごとし
0337日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:44:30.99
「治める」と読んじゃったら「治国平天下」と同じで、次に目的語が来るから伊都国を治めていることになり、伊都国以外は関係ない
「治す」と読むのが正常で、伊都国に役所をおいて周囲の国を検察している
これが定説
0338日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:48:34.49
>>336
漢文調ですね
蜀州の刺史は成都の役所に註することを治すという
揚州の刺史も會稽の役所に註することを治すという
ってことですね。
0339日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:49:17.56
女王之所都
男王  治所   は近似する表現
0340日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:50:40.96
女王之所都 は
女王  治所 と言い換えるのも可
0341日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/27(火) 23:51:07.81
>>337
伊都国に都または役所ですね
伊都国説以外は役所説ですね
伊都国説では当然都となります。
0342日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:02:32.64
女王之所都
女王  治所 は
女王國    と等価
女王之[対象領域]治 が
[邪馬]の領域+[壹]の領域 [壹]=[伊]=[yi]であるから
[邪馬]の領域+[伊]の領域 と書き直すのも可
[自女王國以北]
[自女王國以北] は [伊]の領域の謂い
[伊]の領域
[壹]の領域 の治所が[伊都國] という構図
[伊都國] は
[壹都國] と書き直すのも可
[yi-tu]と読んでください
0343日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:04:29.01
>>337
「治める」と読んだら意味が変わる?


ピンインzhì

1 動詞 (国・家・川・砂漠・アルカリ性土壌などを)治める,うまく処理する,整備する.

用例

以前这里没治过山。〔+目〕=これまでここは山の整備をしたことがない.

去年治了治水,还是成效的。=昨年少し治水工事をしたが,やはりその効果があった.

政府有能力治好国家。〔+結補+目〕=政府には国をきちんと治める能力がある.

一定要把淮河治好。〔‘把’+目+治+結補〕=ぜひ淮河の治水工事をきちんと行なわなければならない.

https://cjjc.weblio.jp/content/amp/%E6%B2%BB
0344日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:08:09.00
>>342
デタラメもいいとこ。
読んで損した。
0345日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:09:24.76
>>343
当然変わるな
日本語だから
0346日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:09:50.66
>>339
>>340
女王治所とは書かずに女王之所都と書いてある
女王治所とは邪馬台国が女王国の首都との意味
でも女王之所都では単に邪馬台国に都があるとの意味
この違いは大きい
世有王や常治伊都国と書かれてることと合わせて考えると
邪馬台国の中に都である伊都国があるとの意味だと分かる。
0347日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:10:18.34
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0348日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:12:58.01
>>346
牽強付会ってこういうことなんだなぁって思ったw
0349日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:15:00.00
あほうな地方歴史博物館の看板の取り合いが
気の毒にも
三雲を伊都国にでっちあげる主たる要因になってしまった
委奴國王墓は堂々と奴國王墓と称すべき
0350日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:21:30.42
>>336
この解説文は後代のもので
三国志では刺史が治とか使われてないでしょ。
0351日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:24:32.83
>>350
使われてないって証拠は?
0352日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 00:53:08.92
>>351
時々証拠証拠っていう頭の弱い人が出てくるよねwww
0353日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:05:57.25
>>351
陳寿は刺史の仕事は検察だと認識していた
三国志の中で刺史が治めるとの表現があったら指摘して。
0354日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:21:14.02
いまだに、目的語、目的語で騒いでるのがいるけど、補語というのもある。
ま、ムリムリ逆らってるイトクズ博物館だろう。
0355日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:28:10.40
>>353
「治める」ではないと指摘されてるのに
なんで理解できないのかな

頭が弱いのかな
0356日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:31:08.29
伊都国:
>旧怡土郡付近は大化の改新以前は伊覩縣(いとのあがた)が置かれ、
>日本書紀によると、その祖の名は五十迹手(いとて)で、仲哀天皇の筑紫親征の折に帰順したとされる。
>筑紫国風土記逸文には、
>五十跡手が「高麗の意呂山(おろのやま)に天より下った天日鉾命の後裔である」と天皇に述べたとある。

伊覩縣の「覩」は、都の意味ではない。
見る・よく見る・よく見分ける・・・、などの意味だ。
ホントに伊都国だったのか、よく見分けるようにとの、日本書紀の親心だったのだろうな。。。ww
0357日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:41:47.75
目的語・・・を治める
補語・・・・に治まる

毎日毎日言われてわからんわきゃないから、逆らっているのよ。
邪馬台国の中心が伊都国で、そこに女王卑弥呼がいないと、糸島伊都国説は成り立たなくなるからなあ。
畿内説破綻で、伊覩縣博物館もドミノ倒産の可能性極南界化、、、、、
0358日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 08:54:34.82
裴注英雄記:将兵入布所治下邳府
当時の呂布は徐州刺史(自称)
0359日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:01:36.35
>新井白石は、倭人伝に登場する国々の地名比定を行って、邪馬台国(大和国)への道筋を始めて明らかにしたものの、
>行程の里数や所要日数には触れずに、もっぱら音の類似によって地名を比定している。

>そして、日本書紀の卑弥呼神功皇后説をひとまず肯定したものの、
>倭人伝の記事が、神功皇后の記事や日本の地理と必ずしも一致しないことに気付き、沈黙した部分がある。
>その沈黙は、その後に始まる邪馬台国論争を予感させた。
0360日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:04:03.88
 新井白石の地名比定
対馬(たいま・たま)国→→ 対馬(つしま)国(長崎県対馬)
一支(いちし・いちき)国→→ 壱岐(いき)国(長崎県壱岐)
末盧(まつろ・まつら)国→→ 肥前国松浦郡(佐賀県唐津市)

伊都(いと・いた・うた)国→→ 筑前国怡土(いと)郡(福岡県糸島地方)
奴(ぬ・な)国→→ 筑前国那珂郡(福岡市中央区)
不弥(ふみ・ほむ)国→→ 筑前国粕屋郡宇美(うみ)(福岡県粕屋郡宇美町)

投馬(とうま・つま)国→→ 備後国鞆(とも)の浦(広島県福山市)、または摂津国須磨の浦(兵庫県神戸市)
邪馬台(やまたい・やまと)国→→ 大和国(奈良県)
狗奴(くぬ・こな)国→→ 肥後国球磨郡(熊本県人吉市・球磨郡)
0361日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:16:11.29
>>355
「治める」を「治する」と日本語訳の方を言い替えても中国語の方の意味するところは同じ。
頭が弱いのは自分だと気づけ!
0362日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:18:14.27
>>355
>>357
陳寿の刺史に付いての認識の話をしてるんだがな
刺史が治するなんて三国志の中にはないってこと
刺史の如き一大率に対しても治するなんて表現は使われないってことだよ
理解できた?
0363日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:29:02.22
>>362
治するでわかんなきゃ、
(補語)・・・に治まる、でどうかな??
0364日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:34:45.72
伊都バカの主張はイメージだけなので
根拠を問われると簡単にボロがでる
0365日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:44:57.09
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:45:45.81
>>364
否定するなら陳寿が刺史の業務を治だって書いてる証拠だしたらw
根拠を出さづに違う違うと言われてもねw
0368日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 09:55:19.69
>>366
補語がどんな意味か、分かっていないようだなぁ
日常的に、目的語(・・を)と、補語(・・に)を、使い分けてなさそう、、、
0369日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 10:16:21.73
>>367
否定する方が根拠ださないとな
無いもの証明は出来ないから
悪魔の証明ってやつだな。
0371日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 10:51:03.77
>>370
こちらは陳寿は刺史が治すとは書いてないと言ってるんですよ
それを否定するなら陳寿が刺史が治してると書いた文を出すのはそちらでしょ。
0372日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 10:52:48.98
>>370
>こちらは陳寿は刺史が治すとは書いてないと言ってるんですよ

だから、根拠もなしに言い張ってもダめでしょ
0373日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 10:53:48.16
>>371


            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <妄言の根拠を出しなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  お玉でコツ〜ン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´>
      | l i  厂  ̄ニニ¬     >>187⊂ノ   < ムリニダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ
0374日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:07:51.57
>>371
裴注英雄記:将兵入布所治下邳府
当時の呂布は徐州刺史(自称)
0375日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:11:45.17
他人の書き方の問題ではない

自分の読み方の問題だ、ということが分かっていない
(自分と他人の区別ができていない幼稚園児のまま大人になったようだな、、)
0376日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:11:58.87
>>369
悪魔の証明の意味がわかってないな
根拠の出しようがなくて悪魔の証明になっちゃうアンタみたいな主張はダメって意味なのに
0377日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:13:17.95
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0378日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:26:25.09
>>371
ほら

「馥既受命、単馬造合肥空城、建立州治」(劉馥伝)
劉馥が受命したのは揚州刺史
陳寿が書いてたねー
残念でした
0379日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:32:39.15
建安5年(200年)、曹操が置いた揚州刺史の厳象が、孫策が置いた廬江太守の李術に殺害される事件が起きた。更に廬江で袁術残党の梅乾・雷緒・陳蘭らが数万の軍勢を集め、江・淮の間で郡県を破壊した。
曹操は袁紹と対峙していたため、自ら討伐に向かえなかったが、劉馥なら東南の事を任せられるとし、厳象後任の揚州刺史として派遣した。
劉馥は単身で空城の合肥に乗り込んで政庁を設置し、雷緒らを懐柔して帰服させた。
0380日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:41:02.50
>>371
>こちらは陳寿は刺史が治すとは書いてないと言ってるんですよ

だから、貴方はそう言う根拠を問われてる
0381日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 11:44:31.43
伊都国には王がいる。女王とは別に。
「東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
に「丗有王」とあるから。
「邪馬壹國 女王之所都」だから女王は所在が別。
したがって伊都国の王様と女王は別人。ただし王は女王に従ってる。

で、その伊都国の王様は、女王の窓口になってちゃんと外交までもやっている。
「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。

したがって伊都国を治めているのは伊都国にいる王。
一大率は軍官であって吏官ではないので、諸国(狗邪韓国から奴国まで)に駐留して検察していて、恐れられている。
0382日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 12:06:43.83
もひとつ、ほい陳寿

「劉繇為揚州刺史、州旧治寿春。寿春術已拠之、繇乃渡江、治曲阿。」(孫破虜)
0383日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 12:14:35.83
劉繇が揚州刺史となった。
それまで州治は寿春であったが、寿春にはもう袁術が割拠していたので、劉繇は長江を渡った曲阿に治した。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:13:03.50
>>383
陳寿も刺史が治したと使ってたんですね
ありがとうございました。
0385日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:19:38.79
伊都国には刺史と似た大率という官が政庁を置いている
都のある邪馬台国にいる女王に任命された地方官である
つまり邪馬台国は北部九州からは遠いところ
0387日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:36:12.23
>>386
何か言いたいなら具体的にね
どこが飛躍してる?
0388日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:36:20.12
>>385
大率は官名などではない。
0390日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:40:14.81
>>387
>>381
0391日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 13:47:21.61
>>388
根拠ないよね
0393日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:02:44.73
>>391
官名だとすれば一が付くのはおかしい
0394日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:07:51.72
>>393
なんで?
0395日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:07:54.97
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0396日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:09:01.52
>>392
どう論理的でない?
具体的に指摘できないと
論理的でないのは貴方ということになるよ
0397日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:17:09.65
>>394
一を英語の”a”(“an”)の意味で付けるならわかるが、初出の箇所で「特置」の「一人」が記述されて以降は不定冠詞をずっと付け続けるのはおかしい。
0398日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:19:27.53
>>394
ちなみに「邪馬台国は北部九州からは遠いところ」には同意する。
0399日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:19:45.63
>>397
>一を英語の”a”(“an”)の意味で付けるならわかるが、初出の箇所で「特置」の「一人」が記述されて以降は不定冠詞をずっと付け続けるのはおかしい。

いつ、どこで誰が
不定冠詞をずっと付け続けてるの?

おかしい人は誰?
0401日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:22:28.54
>>399
「一大率」ではなく「大率」と書かれた箇所はない。
0402日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:22:46.73
>>393
じや、なんで「一刺史」という言い回しが存在する?
0403日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:24:27.43
>>402
質問の意図がわからない。
0404日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:24:42.99
>>400
論理的じゃない、という根拠は?


あなたみたいな、根拠のない主張をする人って、どこか論理的?
0405日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:24:48.12
>>385
一大率は女王国以北に置かれていた
一大率は諸国を検察していたとあるから
女王国以北の諸国を検察して回っており
伊都国に常に居て治していた人物とは別人。
0406日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:27:02.81
>>401

それが、なにか?


いつ、どこで誰が
不定冠詞をずっと付け続けてるの?
おかしい人は誰?

回答は?
0407日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:29:11.61
>>403
「刺史」は官名? 官名でない?

誤魔化す? 誤魔化さない?
0408日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:30:02.97
>>405
なぜ別人?

別人だという理由は?
0409日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:32:58.79
>>405
>伊都国に常に居て治していた人物とは別人。

伊都国に常に居て治していた人物って、誰だ?
そんなの倭人伝に出てきたか?
0410日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:33:55.51
>>406
一が不定冠詞だと言っている。
アンタのご説によれば、大率は官名なのだろう?
「一大率」は一+大率で不定冠詞付きだ。
不定冠詞に付かない「大率」がない以上、ずっと不定冠詞が付け続けられてることになる。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:35:32.66
>>409
それは
「東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
に「丗有王」とある王だろ?
0412日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:36:27.61
>>410
>不定冠詞に付かない「大率」がない以上、ずっと不定冠詞が付け続けられてることになる。

どうして?
不定冠詞が付け続けられてる「大率」がほかの何処かにある?
0413日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:37:36.93
>>412
全部「一」が付いてんだろ?
0414日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:37:57.13
>>411
それは史料に書いてあるかね?
0415日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:38:49.20
>>413
全部とは、具体的にいくつ?
0416日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:39:51.84
>>414
常治 伊都國 於國中 有如 刺史 王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯
0417日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:41:27.46
>>415
自分で数えたらぁ〜?
0418日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:41:46.93
>>416
その、どこに
伊都国に常に居て治していた人物
と書いてある?
0419日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:42:37.08
>>417
ほらな

結局いつもトンデモ説は誤魔化して逃げる
0420日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:45:54.52
>>405
結論

女王国以北の諸国を検察して回っている一大率は
伊都国に常に治していた人物と同じでよい
0421日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:47:25.25
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0422日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:47:30.06
>>418
>>185
0423日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:49:49.90
>>419
ホンッッッッッッッッットにバカwwww
0424日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:54:05.92
>>422
誤魔化すなよ

その、どこに
伊都国に常に居て治していた人物
と書いてある?
0425日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:54:37.70
>>423
反論できないで罵るだけになるのは
論破された人
0426日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:56:40.49
>>424
>>185
0427日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 14:59:55.07
>>424
王がいるんだから治めるのは王だ。
書くまでもない。
0428日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:06:24.36
>>427
で?

「治める」って、どこに書いてある?
0429日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:08:18.47
>>426
じいさん、誤魔化すなよ

その、どこに
伊都国に常に居て治していた人物
と書いてある?

答えられないんなら泣きながら昼寝してろよ
0430日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:10:01.59
クズオは今だに、治めると治すの区別が付かない無学さん
0431日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:12:00.93
>>426
岡上みたいな書き方するなよ
バカに見えるぞ
0432日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:12:38.44
>>428
常治 伊都國
0433日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:19:39.47
>>429

1. 意義
(名詞的用法)
1. 国を治める君主。きみ。天子

王がいれば、国を治めるのは当然
へんてこな役職の別人が治めるわけはない。
https://ja.m.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%8B
0434日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:24:14.71
>>430
訳した日本語が違うだけで
意味は同じだよw
0435日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:27:33.18
>>429
常治伊都國
常に伊都国に治すこと
伊都国に常に居て治していた人物
0436日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:29:22.08
>>434
おい、>>433見ろよ
馬鹿は全然わかってないだろ
0437日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:31:17.95
>>435
>常に伊都国に治すこと
   ↓
>伊都国に常に居て治していた人物


あきらかに論理の飛躍ありません?
どこから「居て」が生えたの?
0438日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:34:15.68
>>434
なんで同じなの?
理由は?
0439日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:36:50.86
>>432
>常治 伊都國

その「治」を治めると訳すなら
伊都国しか治めてないことになるよ
0440日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:42:33.04
>>439
伊都国の王は伊都国だけでOK
他の諸国は一大率を使って女王が治める。
0441日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 15:54:34.37
そういうことだよね
0442日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:00:47.82
そして、女王は伊都国から
かなり遠いところに
都を置いている
0444日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:04:26.87
>>443
刺史というのは地方官だから
0445日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:05:29.67
>>439
何で?
0446日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:06:36.49
>>444
刺史が伊都国にいた根拠がない。
0447日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:09:29.37
>>446
トンデモ伊都説さん以外のほぼ全員が
一大率は伊都国にいたと
考えてるよ
0448日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:14:30.64
>>447
トンデモ伊都説って何?
0449日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:16:52.25
>>447
それは当然だよ
伊都国にいのが卑弥呼だと認めてしまえば
伊都国説以外はその場で終わる。
0450日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:17:32.53
>>447
それは当然だよ
伊都国にたいのが卑弥呼だと認めてしまえば
伊都国説以外はその場で終わる。
0451日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:21:10.33
>>450
伊都国には、
一大率はいない
王がいる。女王の配下で女王とは別人。
女王は邪馬台国にいる。
邪馬台国は伊都国より少なくとも水行10日は離れている。
0452日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:22:08.99
まあトンデモ九州が死んだんだけどな
0453日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:27:31.32
>>451

なんで?

なんで一大率がいないの?
0454日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:30:10.82
>>451
誰も認めてくれないから
獨り伊都国説が寂しく
窮死するんだけどね
0455日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:46:53.57
いつも理由を言わないトンデモ九州説の不思議
0456日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:49:11.57
>>450
それ・・・
邪馬台国がエジプトだと認めれば
他の説が死ぬ.というのと同じだから
0457日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 16:49:58.77
>>453
王がいるから。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:01:52.62
畿内説の破綻で、糸島伊都国説にも連鎖倒産の危機迫る!
0459日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:10:53.57
>>457
いると、なんで一大率がいないの?
理由は?
0460日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:12:19.71
>>448

お前だよ
0461日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:19:09.94
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0462日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:21:36.13
>>460
王が治めているから、率による軍政は敷けない。
0463日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:24:43.49
>>462
王が治めていると率による軍政は敷けない
という理由は?
0464日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 17:25:43.13
>>463
王政と軍政を同時に行うことはできない。
0465日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:20:25.03
昔は王がいたが今は一大卒が治めてる、的な話?
0466日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:20:30.78
畿内説の破綻で
糸島伊都国説にも、連鎖倒産の危機迫る!!
0467日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:39:03.56
>>466
畿内説のどこが破綻するのかね?
0468日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:39:56.83
>>464
できない、という理由は?
0469日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:43:15.13
>>462
>王が治めているから、率による軍政は敷けない。

王が治めている、という根拠は?
0470日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:54:09.87
主張はしたいが根拠が、ないあ

それが九州説
0471日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 18:59:17.03
>>469
王は女王の窓口として外交も行なっている。伊都国を治めているから、ある程度の権限が賦与されている。

「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」

王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。
0472日本@名無史さん
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2018/11/28(水) 19:12:54.50
倭の自称大夫=王、領主であって、統一国家ではない100余国の集合体の中の
九州北部2千里で、21王国の連合が、邪馬台国だよ。

三国志時代の 刺史 と言うのは、地域領主=大夫、王の上位の
中央政府=皇帝から派遣された、進駐軍の将軍。

陳寿の出自、三国王、劉備もこの州刺史や牧、の系統から王を称した。
313年、楽浪帯方を駆逐した高句麗は中央に服し、
350年には、幽州刺史、楽浪王として中国貴族になった。

刺史は筑紫女王を支配下に置いている。
0473日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:20:10.35
名前:日本@名無史さん 2018/11/28(水) 17:19:09.94
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0474日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:29:41.31
>>320
監察官だった刺史に広域行政権や軍権を兼ねさせたのは「牧」という官で、官名がまったく違う。
もしお前さんが言うように権限拡大後の方になぞらえてるのであれば刺史と書かず牧のごとしと書くはずで、しかしそう書いてはいない。
権限拡大後の意味で使っていないことは明らかだ。

>>324
説明文が用例だと矛盾するとか、おかしなこというね?
0475日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:38:25.45
>>471
女王の下にまた王?
女王の下なら大夫とか官でしょ。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:39:59.30
>>329,336-338

>>328の紹介文にある「更にその治所の周辺の地域の行政権を完全に握るようになった」ってのが,蜀(益州)刺史の統治する成都であり揚州刺史が治める会稽県なわけで、
蜀の刺史が治めるのは成都のみ(他の郡県は刺史の統治下にはなく、監察対象でしかない)、揚州刺史が治めるのは会稽のみ(これも他の郡県は監察のみで統治できない)

お前さんの訳が根本的に間違ってるだけで、普通なら翻訳が容易なはずの文章だぞ

>>355
みんながお前さんの間違いを指摘してる。頭が弱いのはお前さん。
0477日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:40:09.57
>>466
畿内説は破綻してるけど伊都国説がなんで連鎖倒産?
0478日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:46:17.10
>>382-384
その文章で「曲阿を治めた」と読めない説明になってないぞ

州治を曲阿としたのであっても、刺史の権限を考えれば「曲阿を支配して拠点とした」と読んでもまったくおかしくないんだから、「治す」の用例にはならないんだよ
0479日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 19:56:07.03
>>475
伊都国には独立性を認めていたってことだ。
ウェールズとイングランドの関係
0480日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 20:25:56.15
>>476
顔を洗って出直したらw
0481時間軸の揺らぎ
垢版 |
2018/11/28(水) 21:17:38.35
世王有というのは
その時の王がいるということ
つまり女王がいるということ
その時の王がたまたま女王だったということで
王と女王を書き分けてるということではない
0482日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 21:19:40.86
>>481
ここは? 女王と王が同じ文章中に別に出てるが。

「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」
0483日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 21:43:40.91
>>482
王と女王が別人なら
王が送った物を女王がチェックしたって間違っているかわからないよね?
だから王と女王は同一人物だよ
0484日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 21:50:32.10
>>483
そんなこと書いてないよね。
王、使を遣わして京都、帯方郡、諸国にいたり、また郡の倭国に使するや、みな津に臨みて捜露し、文書、賜遺の物を伝送して女王にいたるに、差錯をえず。

王は郡から来た文書や品物を漏れなく女王に届けるために港の安全捜査をしてるって書いてあるよね。
0485日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 22:30:38.99
>>484
王じゃなくて皆で捜露するんだよ。
0486日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 22:33:51.42
>>479
イングランド王、ウェールズ公?
公式に魏から王に任命された卑弥呼がいるのに
臣従してる者が王を名乗るなんて不遜ですよ。
0488日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 23:28:31.80
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0489日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 23:40:26.90
>>486
倭の王は卑弥呼でも伊都国の王はいて問題ない。
中国は皇帝の下に王がたくさんいた。
曹操は漢の皇帝のいる時代に魏王を名乗った。
0490日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/28(水) 23:43:19.07
>>485
王様の指令でみんなにさせる
0491日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 01:38:00.56
>>489
そうだね
その解釈も勿論有りだと思う
通説だしね

しかし、それが正解とは限らない

世有王の"王"が卑弥呼や男王、トヨの意味にも取れるのは、否定はできない

そして、王は男王のみの意味ではない
「王」には男王も女王も含まれていおり、限定していない

その場合は、違った絵が見えてくるので、まぁこれはこれで面白い
0492日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 08:13:35.42
>>491
482 名前:日本@名無史さん :2018/11/28(水) 21:19:40.86
>>481
ここは? 女王と王が同じ文章中に別に出てるが。

「王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露 傳送 文書 賜遣 之物 詣 女王 不得 差錯」
0493日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 08:30:02.88
こういう意味だろう。

「(従来から)王 遣使 詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使 倭國 皆 臨津捜露し、文書あるときは傳送した。」
「また (景初二年以降における女王朝貢に対する魏王朝からの)賜遣之物については詣女王、不得差錯」
0494日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 08:44:41.92
>>492
王は男王も女王も含まれる意味
女王に限らん
卑弥呼以前からそうだったのかもな

女王に限定してあるのなら、使者が来た時に実際に確認した内容かもな

と、解釈は拡げられるので、まぁ面白い

また、王と女王が違う人かもしれん、
そう考えると…どう考えればいいのだろうな?

王は各国の王の可能性もあるが…
0495日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 08:48:07.58
>>489
伊都国の王は卑弥呼ではなく魏の皇帝に直接使えて
伊都国は倭に属さず完全に独立し魏から伊都国王として冊封されて
魏伊都国王の印とかも貰ってた!
凄い新説ですね。
0496日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 08:50:44.05
>>493
王は女王卑弥呼に限定されず過去の男の王の行動も含み
女王は魏使の見た現在の女王卑弥呼の行為ってことですね。
0497日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:00:40.80
>>495
伊都国王は女王に従っているから、魏と直接の関係などないよ。曲解しないでね。
0498日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:13:46.18
>>496
そうだと思うね。
というのは、文書一般と、朝貢に対する賜遣之物では、取り扱い方がちがうから。

傳送文書・・・・文書一般は伝送した(各国(もしくは駅家)を伝えて、伝送した)
賜遣之物 詣女王・・・・賜遣之物は、詣でた(自ら女王のもとへ持参・参上した)
0499日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:21:34.73
伊都について 記された 文は2箇所

到伊都國 ・・・ 丗有王皆 統屬女王國 郡使 往來 常所駐

使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

『丗有王』の部分は、九州王先生の説で、齟齬が明瞭ですが
ここ行程の文脈で、丗有王 と言う説明は、必要ないし、そんなことは言っていない。
説明=伊都は、女王に属する21国の王や使者(郡使)が、常に往来駐留する所である。
これは、首都機能が有ることを言っている。 それだけのこと。

一大率の説明
使大倭監之 郡使が見た大倭(女王国を小倭とする?)について
女王國より北に一大率、統治進駐軍が特置され諸國はこれを畏憚する。 伊都國に常設される。 
於國中有如刺史 三国志における刺史は、地域王の上位の中央の進駐軍司令官を言う。  

王(女王)の洛陽遣使も帶方郡 諸韓國 への遣使も 倭國への帯方郡使 も皆
傳送文書や 女王に詣でる 賜遣之物まで、全て臨津捜露され、一大率では差錯を得ない。

これは、247年に倭人船便乗で、500里歩き伊都まで来て駐留させられた
張政の倭国の査察結果、として報告された女王国、首都伊都の状況である。
0500日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:31:35.50
>>499
>一大率の説明
>使大倭監之 郡使が見た大倭(女王国を小倭とする?)について
>女王國より北に一大率、統治進駐軍が特置され諸國はこれを畏憚する。

文章が甘い。
二通りに解釈できてしまうぞ。
使大倭、及び統治進駐軍は、郡から派遣されたのか、それとも女王国から派遣されたのか???
0501日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:45:11.43
>>1
女王属国は21王国である。

南至 投馬國 水行二十日 から 自郡至女王國 萬二千餘里 までは
247年梯儁の報告が陳寿のソース。

次有ー列記21国ー
此女王境界所盡

これは、247年梯儁が印綬した女王国の国勢を記したもの。
此女王境界所盡 で、 此 は 次有諸国であり、
これが女王属国の全てだと言っています。

この国名は、梯儁が倭人への参問での和音を漢字化した。
この際、これの極南界の、邪馬国に女王宮を見て、
21領主国連邦を 邪馬壹(臺)國 と命名した。 7万戸である。
ちなみに、馬韓、辰韓、弁辰のような概念の『国』と言う用法は
梯儁報告ソースの 投馬国 5万戸と邪馬台国 だけである。

自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
これは、其戸數道里の略載を得た、陳寿の説明だが、
其の他 餘旁國 は、女王国以南や東国、侏儒國 裸國 黒齒國 のこと。
伝説以上のことは、何も知らない。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 09:49:52.20
>>500
確かに甘いw 

投馬国が半島南岸の倭人国である事、
瀬戸内海、朝廷勢力の 九州平定が250年以降であることは
韓国や、記紀神話に配慮して、大きな声では言わない奈良鷲かと思ったwww
0503日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 10:03:02.44
>>501
247年梯儁=× 
240年 です。

247年は張政 倭人船便乗で、歴韓国乍南乍東で、
倭人船寄港地各地の島名、地名、集落間の里程を記録しています。
伊都で、査察や檄告諭 の目的は終わったので、行程は万500里です。

240年梯儁は、魏の軍船での行軍、238年楽浪帯方陥落以降、
初の韓〜倭への行軍で、決まった寄港地も無く、宿営地名も記録してません。
これが、水行30日、陸行1月で、自郡至女王、万二千里です。
0504日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 10:40:15.32
>>502
>投馬国が半島南岸の倭人国である事、
またドサクサにデタラメを入れてくるな。
0506日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 11:33:58.52
>>504
半島南岸倭人国については、韓伝、韓は東西は海。南は倭に接する。方可4千里。
帯方の南の韓は3種、西に馬韓54国、東に辰韓12国、中に弁辰12国、全て南は 倭である。
卑弥呼の筑紫同様、軍事的統一の確立した古墳時代には至っていない。
というか、246年、帯方郡に韓王朝は廃絶され、各国が冊封支配下に入っている。

この南の倭について、魏は全く把握できていない。
日本はBC200年漢時、から 銅鐸文化があり、青銅器の輸入が有る。

金印印綬の 漢の委奴国 は、魏時の卑弥呼同様 九州と推測されるが、
半島南岸国>狗邪韓國、壱岐、対馬は、不属女王国である。

筑紫卑弥呼系とは別の、246年に郡の支配下に入らなかった、
弁辰、倭=投馬国 が無ければ、BC200年以降の本州の青銅器文化は成立しないと言える。

これを支えた、半島南岸倭国は当然存在し、海峡制海権を持っていた。
公孫氏の滅亡と漢王朝の廃絶、卑弥呼の朝貢を知り、
後の大和朝廷が、筑紫に一大率を置き、完全な支配下に置いた。

この富国強兵の成り行きは、明治維新の開国同様、当然の方向である。
これ以降、筑紫による帯方外交の否定から半島進出と313年郡廃絶に向かわせた
日本外交は、中原三国統一の司馬氏のていたらくに比べ、見事な采配と言える。

これが、邪馬台国論争でうやむやにされている、古代半島進出史、である。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 11:43:50.49
>>506
小説書いたら?
0509日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 13:37:35.62
>>507 書くなら、ネタあげるよ。
240年 梯儁 の行程 は以下
南至 投馬國 水行二十日 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月

この 投馬國 邪馬壹國 の命名は
魏時に歴史で初めての 南行探検行軍で 梯儁が、名付けた国名。 他に
斯馬國 巳百支國 伊邪國 都支國 彌奴國 好古都國 不呼國 姐奴國 對蘇國
蘇奴國 呼邑國 華奴蘇奴國 鬼國 為吾國 鬼奴國 邪馬國 邪馬壹國 狗奴國
躬臣國 巴利國 支惟國 烏奴國 奴國 
があるが
奴国は 247年の張政の行程と被る。 これが、国名が2回出る理由。
また、外交史で
巳百支國 王=大夫 で (伊聲耆)掖邪狗
都支国 王=大夫 で (都市)牛利
奴国 王=大夫 で (難)升米
と言うのが、240年梯儁命名ではない、郡による漢字化当て字名の存在となる。

これらは247年以降、後の朝廷勢力が、警戒し、中国外交を止めさせたので
空白の世紀となり、二度と歴史に登場しなくなった。

梯儁 の名付けた 投馬國 は 馬(韓)国 を過ぎた国 程度の命名と思うが、
邪馬(台)国 の(臺)同様、中国語感の表意文字による命名である。
後の 加羅、伽耶、任那のような倭語の漢字化とはちょっと違う、命名の癖が判る。
0511日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 15:07:29.69
>>476
>みんながお前さんの間違いを指摘してる。頭が弱いのはお前さん。

いつ、どこで、なんと指摘した?
0512日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 15:15:38.66
O1b2(旧O2b) もO2(旧O3)も元々はバイカル湖あたりから拡散しただけ。

バイカル湖あたりのブリアートに今もちゃんとその痕跡が残っている。

満州にも残っている。

日本には縄文末に沿海州南部経由で、O1b2(旧O2b) 、O2(旧O3)、C3の3つが
山陰に渡来して拡散した。

http://file.kojoryoshu83.edoblog.net/48182e96.jpeg
0513日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 15:16:12.34
>>511
しつけぇよ!
0514日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 15:18:31.28
>>513
まいど論破されてはキレる伊都厨w
0515日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 15:22:54.94
>>513
もっと間違いを指摘してやろうか?

会稽郡を治めてるのは会稽郡太守
揚州刺史は太守たちの上司で監督者
0516日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 16:30:49.32
倭人伝ミスリードに伴う誤訳の代表が三国志時代の刺史かな?
三国志の戦国王はたいていが、州牧や刺史出身。

ちな、313年高句麗が楽浪帯方を落としたが、
350年代には晋に服し、幽州刺史、楽浪候=王として中国貴族に加わっている。
刺史は、地域王=大夫や領主の上に立つ、皇帝の派遣した中央軍の将軍である。

誤訳のもう一つの雄として、黄幢と檄。
これは、帯方太守が戦死した245年、韓王朝制圧、廃絶の時、倭国に出されたもの。
黄幢は魏の旗の下、檄はともに戦え、という皇帝からの参戦招請である。

戦国王の魏帝は、日本や九州の小競り合いなどどうでもよく
地域の勝者のみ自軍の将軍として迎え、三国志を勝ち進んでゆくものなのである。
卑弥呼が魏の黄幢を得て、狗奴国に自慢するとかw、呆れた誤訳である。
0517日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 17:17:16.22
>>514
その人伊都厨じゃないよw
0518日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 17:26:11.68
>>516
韓王朝?
何だそれw
0519日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 17:27:06.31
>>517
朝鮮の方?
0520日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:11:47.20
>>518 それ、質問なの? まあ、韓伝で

部従事 呉林 以楽浪 本統韓國 分割 辰韓八國 以與楽浪 
吏譯轉有異同 臣幘沾韓忿攻 帯方郡 崎離營 
時太守弓遵 楽浪太守劉茂 興兵伐之 遵戦死 二郡 遂滅 韓

最後の部分だけ説明、(この戦いによって)
(帯方太守)弓遵は戦死 遂に(箕氏朝鮮から続いた)『韓』王朝は滅びた。

これが、245〜6年 の半島情勢。
以降 馬韓と辰韓(多分?66国)は 王政廃止、
二郡による 臣智ほか任命、の支配体制になった。

これを見て、247年までに、邪馬台国に勝手な外交させてはいけない、としたのが
>>506 の一大率 勢力、なんで、補足の意味で・・・
0521日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:17:20.39
本当に話にならない


倭人、倭国?
オマエはドコの国の人間なんだ?というのと同じ、
頭が悪いんじゃないのか?


あと『三貴子』有名というか説明不要
0522日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:32:40.59
>>520
で、銅鐸文化とやらの王は?
0523日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:36:43.58
>>515
そう、郡そのものを治めてるのは太守だ。
しかし、州治たる会稽県城を治めているのは太守ではなく州刺史なんだ。これが後漢から魏のころの制度。

会稽郡を含め、域内の郡を統治する権限はなく、ただ州治の県(城、町)だけを統治している。
0524日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:42:35.05
>>522
重農政策から富国強兵政策の転換期だったんだろう という推測は可能。

これは、日本国内で有史前ということになって、基本は考古学の領域なんだけど
畿内説どうたらの考古学だと、結論ありきで、どうにもならんのでは?
0525日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:44:55.86
>>516
権限そのものは州の刺史より郡の太守の方が上。
だから、群雄の多くは刺史ではなく太守から勢力を拡大してて、近隣の刺史(など)を併呑しながら勢力を伸ばしている。

袁紹も独立時は太守で、近隣にいた刺史を攻め滅ぼして併呑してから勢力を伸ばしはじめてるしな
曹操も最初は太守だろ

刺史でスタートして群雄になったのは劉表とか劉焉とかぐらいだろ、董卓もだったか?
劉備は県令からスタートで特殊だな

ところで、紀元前だったら韓(国名)といえば半島じゃなく中国中央付近の小国の名前なんだよな。鄭州とかの付近にあった。
そこの王族だった韓非子が有名。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:50:53.24
>>523
>しかし、州治たる会稽県城を治めているのは太守ではなく州刺史なんだ。これが後漢から魏のころの制度。

アホウ
会稽県城なんて存在しねえよ
0527日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 18:55:22.28
>>523
じゃ、なんで会稽太守が存在すんの?
いいかげんなこと書くなよ
0528日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:03:42.59
>>525
>権限そのものは州の刺史より郡の太守の方が上。

うそつけ
0529日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:07:15.51
トンデモ九州は史料無視が多い
0530日本@名無史さん
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2018/11/29(木) 19:07:44.64
>>528
役人としての格そのものも太守が刺史より上だし。
お前さんが大きく勘違いしてるだけだ
0531日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:08:54.46
一大率は伊都国を治めていた、とか言いたいんだろうな。
0532日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:10:37.76
銅鐸圏=非鉄器&非王墓

銅矛圏=鉄器&王墓
0533日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:12:31.12
>>531
半島南岸倭国だとさw
0534日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:17:24.52
現代の領土問題に直結するからな。
伊都の卑弥呼女王を中心とする倭国邪馬台国がどこまで支配していたか
中国史書である三国志に明記されちゃってる。

ちなみに東アジア最古の史書である記紀では対馬まで明記。手打ちがあったのかな。
現代の韓は対馬を取りたがってるね。仏像問題とかも繋がってる。

>これを支えた、半島南岸倭国は当然存在し、海峡制海権を持っていた。
>公孫氏の滅亡と漢王朝の廃絶、卑弥呼の朝貢を知り、
>後の大和朝廷が、筑紫に一大率を置き、完全な支配下に置いた。

さてさて。これを書いた人の立ち位置倭。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:18:26.07
>>530
なんか証拠でも、あるのかね?


w
0536日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:21:03.74
>>528
刺史は監察が本業で、域内の太守たちの監視が仕事。
しかし太守たちに命令を出す権限はなく、格が低い。

後漢書の志の部の後ろの方、第28 百官の部の5で
>州郡 縣? 亭里 匈奴中郎將 烏桓校尉 護羌校尉 王國 宋衛國 列侯 關?侯 四夷國 百官奉
>外十二州,?州刺史一人,六百石。

とあるように、刺史は六百石の官。
その次の項で

>?郡置太守一人,二千石,丞一人。
とあるように、太守は二千石の官。

刺史の権限を大幅拡大した期間限定の官である「牧」(州牧)だと
>成帝更為牧,秩二千石。

とあるように、太守と同格の二千石の官だった。刺史の時は牧より権限も格式も低いわけ。牧は太守と同レベルだから、どうみても刺史より太守の方が格上。
0537日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:23:55.99
文字化けしてるな

>州郡 縣郷 亭里 匈奴中郎將 烏桓校尉 護羌校尉 王國 宋衛國 列侯 關内侯 四夷國 百官奉
>外十二州,毎州刺史一人,六百石。



>毎郡置太守一人,二千石,丞一人。

だね
0538日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:39:38.54
>>536
あんた、勉強が足りないよ
単なる監査役だった刺史
憲兵隊長に過ぎなかった都督
軍目付だった監軍
これら、みんな郡太守をアゴで使う身分に変わってるの
刺史は州牧に改称されてた時代に権力強化されすぎて地方軍閥化の温床になったから刺史に戻されたが、それでも郡太守を部下として使う身分だ
0539日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:46:17.58
黄巾の乱の頃に州刺史だった人で太守より活躍してる例を列挙してみろよ
幽州刺史がかろうじて活躍したほかは目立ってないだろ
だいたいはこの時期に太守だった人が後に勢力を伸ばしてるんだよ
0540日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:46:55.01
>>534
遠慮してんだから、聞くなよ?
初出じゃね〜よw ねらってんだろwww

247年以降、日本は古墳時代、軍事帝国化、富国強兵政策に転換し、九州平定。
半島進出によって、350年迄には、百済新羅を後援、313以降、高句麗と開戦
対中で、傀儡独立国家として成立させ、牛馬及び鉄の国内生産を成功させる。

この高句麗や晋を楽浪帯方から駆逐した友邦『古代韓』にちなんで、
『大日本帝国』は『清』から『大韓帝国』を独立させた。

だがしかし、倭人移民や配流によって発展した『古代韓』の『百済』と、
モンゴル帝国以降の『現代朝鮮』は、『古代韓』と 無関係 であった。

ちな、白村江海戦の敗因は、百済復興に遺民送還だったことと、
日本貴族化してた、百済皇太子が逃亡した為であるwww
歴史は繰り返してる、ようで、ちょっと違う。
↓妖怪
0541日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 19:49:52.21
>>539
ほらな
幽州刺史が郡太守を部下として使ってたことを知ってるんだろ?

素直になれよ
0543日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 20:14:48.72
刺史と太守との関係は漢代の行政史上のテーマ

太守は[縣國之制]の[縣]や[國]という基礎行政単位を束ねる[郡]の長官で
[戸]や[口]の管理を管轄とする

かたや後設の刺史の管轄するところは
[州]内の複数の[太守]たちの公人としてのおこないの正邪のレポート

これが後に軍制上での特殊な変化をきたし
刺史は将軍化して
郡単位で編成された軍団の
郡の範囲を超えての動員を要請しうるような権限を持つように変わっていく

基本的な縄張りを越えて口出しする という意味が
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
には込められている
0544日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 20:28:15.30
黄巾の乱の鎮圧時にも、太守を従えて戦った刺使はなく、連合軍のようにして太守たちと肩を並べて戦ってるのみだが
0545日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 20:30:51.56
>>543
伊都國は自女王國以北にあり女王國は伊都国の直ぐ南?
0546日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 20:58:14.39
郡より伊都國は〆て11,900里
〆て12,000里の所は2ヶ所ある
女王國は三雲と都地の2ヶ所ですよ
0547日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 20:59:12.48
>>544
それ、二世紀だから
0548日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:14:17.49
>>547
で、三世紀前半の刺史はどんな地位にあったの?
0549日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:19:28.87
魏晋では刺史となった(ただし、魏初には曹休、夏侯尚のように州牧位に就いた者もいる)。この時代には、刺史が将軍位を持って兵権の行使も行うことがほとんどとなり、「領兵刺史」と呼ばれた。
0550日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:24:04.23
240年卑弥呼に倭王印綬した梯儁の参問した所属国は21王国である。
この中に、邪馬台国、對馬國、一大國、末廬國、伊都國、不彌國、狗奴国、狗邪韓國
は無い。 奴国は別の行程で2回出てくる。

邪馬台国、對馬國は 概念として馬韓のような首長国連邦。
對馬國、一大國は島
狗奴国、狗邪韓國は、まま、付属女王国
末廬國、不彌國は、おそらく21国いずれかの女王属国内の港町。

伊都国は・・・ 247年時、国ではない首都らしい。
240年には無い。 か、卑弥呼印綬の魏軍として行軍の梯儁は寄ってない。

この一大率が、筑紫に置かれたのは、
245年の黄幢、檄
246年、多分、BC200 とかの古来から日本海諸国の友邦だった、
韓王朝の廃絶以降と思うのだが、どうだろう?

この時、日本は完全に帯方郡を敵視し、百済新羅建国への準備を始めたと思う。
0551日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:31:17.32
>550 あ、また間違えた。 對馬國→投馬国 で 対海国が抜け?
どっから、ひろっちゃたんだ? m(__)m
0552日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:33:35.46
>>549
>この(魏晋の)時代には、刺史が将軍位を持って兵権の行使も行うことがほとんどとなり、「領兵刺史」と呼ばれた。

なるほど、そういうことですか。
当たっているかどうかだが、例えば四道将軍みたいな役割位置づけ?
0553日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 21:45:55.68
>551 >1ですたw 對馬國ってのは、後漢書の表記だっけか?

刺史 の話しで盛り上がってるけど、日本だと一大率が国造になるはずで
この、邪馬台国に置いた場合は、むしろ大宰府とか防人の将軍に近い気もする。
0554日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 22:27:21.58
>>548
具体的には、景初二年に反乱鎮圧のため、当時雍州刺史だった郭淮が廣魏郡太守と南安郡太守に出動を命じた
そういう上下関係
0557日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 22:51:37.71
自女王国以北の諸国を検察して諸国は畏憚之
一大率が各国の官を指導する立場にあり自女王国内に居たんだな
伊都国に一大率が居たとする説だと伊都国も自女王国内に含まれることになるり
女王国は伊都国の直ぐ南に在ったことになるな。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 22:54:00.82
>>557
矛盾だらけになる
0559日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 22:54:59.34
自女王国以北の諸国を検察して諸国は畏憚之
つまり一大率が各国の官を指導する立場にあり、一大率自身も自女王国以北の内の何処かに居たんだ
伊都国に一大率が居たとする説だと伊都国も自女王国内に含まれることになり
女王国は伊都国の直ぐ南に在ったことになるな。
0561日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:20:08.98
女王之所都
女王  治所 は
女王國    と等価
女王之[対象領域]治 が
[邪馬]の領域+[壹]の領域 [壹]=[伊]=[yi]であるから
[邪馬]の領域+[伊]の領域 と書き直すのも可
[自女王國以北]
[自女王國以北] は [伊]の領域の謂い
[伊]の領域
[壹]の領域 の治所が[伊都國] という構図
[伊都國] は
[壹都國] と書き直すのも可
[yi-tu]と読んでください
0562日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:24:37.15
>>561
>>342にも同じこと書いただろ?
なんのつもりなの?
0563日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:32:31.54
[邪馬]の領域は
[女王界] と書き直すのも可
これは
[女王境界]の内側の区域のこと

[委奴國]と[委]を付加して形容された1世紀の[奴國]が
拡張して成長した3世紀の姿で
これは
[奴國二萬戸]をコアとする[邪媽]を首長とする血縁を介したまとまり

〆てまるめると これ総数で六萬戸強
0564日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:42:20.26
[邪馬]の領域と
 [伊] の領域とは
首長の種類が著しくことなるし
生活様式も著しくことなる

 [伊] の領域に関する情報は
記紀の先祖がたりで採用されている
天孫族のイベント

[邪馬]の領域と
 [伊] の領域との間には[女王境界]が存在する
無論のこと
[伊都國]と[奴國二萬戸]との間には[女王境界]が存在するし
[不彌國]と[邪馬壹國女王治所]との間にも[女王境界]が存在する
0565日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:48:51.15
[刺使]になぞらえて[一大率]の説明をおこなっている
陳壽の脳内マップには
[倭州]が想定されていたと考えざるを得ない
0566日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/29(木) 23:51:02.86
>>559
仮に伊都国に一大率が居たとしても畿内説は無いな。
0567日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/30(金) 00:01:06.14
[倭州]で[刺使]の如き振る舞いをしていた[伊都國王]とは
紛れもなく[爾支]の別称をもつ[難升米]そのひと

[爾支]は[ni-qi]音で
[にき]とか[にち]とかと聞き做し可能
[難升米]の[升]は[昇]で
いずれも太陽神のネーミングにぴったり
0568日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/30(金) 00:18:38.77
軍制上での特殊な変化をきたし 将軍化した[刺史]は
郡単位で編成された軍団の
郡の範囲を超えての動員を要請しうるような権限を持つように変わるが
これをいま仮に[都督権]として表現してみる

これは帝権の一部を代行するといういいわけによるものに相違ないが
[使持節]+[都督]+[(領域名)+諸軍事]とも表現されるところの
[使持節]の[節]はおそらくはかなり高い確立で[黄幢]と等価なんだろう
0573日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 13:42:43.25
このスレでは筑紫の日向=伊都なのだから、
神武東征経路も理解可能になるね。

筑紫の日向=伊都=糸島市

筑紫の菟狭(豊国の宇佐)=宗像市

筑紫の岡田=北九州市西部(遠賀川河口東岸)

安芸=広島へと順次東進していく。

古事記の速吸之門は、宗像より手前にある海門だから、
神湊ー勝島の間となる。
0574日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 14:00:31.80
戦国時代は街道があるから、街道沿いに城が築かれて野戦してたけど、
弥生時代の瀬戸内海には街道は無く、海路だから、
海路沿いに神籠石が築かれて、海戦や上陸作戦をしてたんだろう。

(主戦場の北部九州は甕棺墓の分布などで明らかなように
 既に陸上交通あるいは河川交通が発達していたから、
 邪馬台国と狗奴国の初期境界=内陸の神籠石で、野戦)

岡田宮に陣を敷いて、以下の2つを攻略。
石城山神籠石(福岡県行橋市)
御所ヶ谷神籠石(山口県光市)
これによって関門海峡の支配権を奪取して、瀬戸内海へと進軍できたわけだ。

瀬戸内の神籠石=海路防衛山城を攻略しながら
安芸→吉備高島と進軍する。
0575日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 14:07:05.54
弥生時代の狗奴国=守る側の視点で考える。

北部九州における防衛ラインは神籠石の配置でわかりやすい。
筑後〜朝倉〜田川〜行橋 ⇔ 瀬戸内海 ⇔ 畿内
が中枢ラインであり、このラインさえ死守していれば、
鉄器の供給源こそ無いものの、
支配領域内で大量の物資や人員を東西に融通できる。

実際に免田式土器や小型仿製鏡などがこの中で移動しており、
経済ブロックを一定期間維持していたことがわかる。
0576日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 14:16:42.76
瀬戸内海路の防衛は、
最重要拠点が、関門海峡封鎖のための2つ。
石城山神籠石(福岡県行橋市)
御所ヶ谷神籠石(山口県光市)

狗奴国にとってはこの2つが全てであり、この2つが落とされた時点で、
あとは延命のみで勝利は無くなる。

しかし面白いのは、東にも神籠石の密集地域があり、
岡山市を中心として、本州南岸と四国北岸に防衛集中して、
瀬戸大橋に防衛ラインを形成している。

つまり岡山市を護っている。
この辺りは一時代前に銅鐸出土が少なかった地域=瀬戸内開発の大山祇の拠点だった地域
なのだから、瀬戸内の大山祇系氏族が狗奴国側だったことが示唆される。

狗奴国全体としては関門海峡が絶対防衛ライン。
瀬戸内大山祇系氏族としては岡山市周辺が絶対防衛地域だったことがわかる。
0577日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 16:15:30.66
朝倉市は銅戈鋳型や鉄戈が出土しており、そのまんま狗奴国系。

旧三輪町の大物主=そもそもは大国主が設置した交易センター長
が管理して瀬戸内畿内との物流で儲けていたのだろう。

平塚川添の環濠集落が、鉄器なし戦闘なしで放棄されているのだから、
平塚川添は北の邪馬台国との直接交戦で滅亡したのではなく、
東の瀬戸内神籠石が陥落して、筑後と瀬戸内を結ぶラインを護る必要が無くなったので
鉄器を回収して放棄されたのだろう。

鉄鏃すら出土していないことから、
九州狗奴国にとっての戦況がある程度悪化してから
筑後〜田川〜東方のラインを護るために平塚川添環濠集落が作られたこともわかる。

既に鉄欠乏が深刻になっており、弓矢の練習のための鉄鏃試射などできない状況だったわけだ。
鉄鏃を練習で使う時も、一本一本管理して回収していた。
もしくは、鉄鏃はもう尽きていた。
0578日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 16:21:36.59
このように考えると、
縄文系と考えられる大山祇系列の、瀬戸内勢力
それと連携して大阪湾上陸を果たした銅戈饒速日=倭国王族系列の、筑後や畿内勢力
さらに青谷上寺地によって、渡来人系列
などが狗奴国側にいたことになり、

結局は
倭国乱における邪馬台国と狗奴国の戦いは、
保元・平治の乱の如く、様々な勢力が身内の中で敵味方に分かれて入り乱れて戦っていたわけだな。
0579日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 16:38:48.64
倭国乱の緒戦において、短期的にせよ壱岐対馬ルートを奪取して
後漢の有力者曹操から金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を貰った狗奴国王家。

いきなり滅亡寸前の邪馬台国(になる予定の勢力)を救ったのが、
大風呂南1号墓の一大率丹後若狭湾水軍長官、つまり卑弥呼の父親。

その後は北部九州で一進一退を続けていた。
狗奴国は鉄入手ができないから、鉄製武器を作るため領内の鉄器を西へ西へとかき集めていく。

石城山神籠石(福岡県行橋市)
御所ヶ谷神籠石(山口県光市)
を落とした海軍総司令官(たぶん本当の大王)が次の英雄。
邪馬台国の勝利が確定した。
狗奴国は熊本以南へ押し込められる。

そのまま東征して親狗奴国勢力を駆逐している間に、
北部九州邪馬台国で内乱が発生して、
その隙に狗奴国が筑後を取り返す。

畿内から大返しした将軍孫(たぶん本当の大王)は、
狗奴国王が熊本鹿児島と南に逃げないように、
大分から反時計回りに攻めて、狗奴国王の退路を断つように熊本から北上。
あとは挟撃して捻りつぶすだけ。

筑後の狗奴国王が逃げないように、
そして万が一交戦して敗戦して奴国伊都に攻め込まれないように、
対峙挑発だけしておくように厳命していた息子が
若気の至りで狗奴国王を討ち取って、英雄になってギクシャク。
頼朝と義経状態に。
0580日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 20:04:41.61
一方の邪馬台国側にも、
豊国縄文由来の大山祇系=卑弥呼台与(方形周溝墓
倭国王族男系=東征将軍とその子孫の大王直系(内行花文鏡
渡来系=国譲り時に東国に落ちのびた大国主末裔(出雲など積石墓を拡散
など
様々な立場の者たちが集結しており、
現代日本がお手本とするべきカオス状態からの整理整頓。
0581日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 20:18:17.25
記紀は基本的に嘘は書かない。

卑弥呼様は書かれていない。
文身で出身地と身分がわかる時代に人前に姿を現さなかった。
アマテラス=倭国王ではなかったわけだ。
もらった金印も親魏倭王であって、親魏倭国王ではない。
史書でもまだ狗奴国と係争中。国際的にも倭国王は名乗れない。

記紀からすると、書いてもいいが、書かなくても問題ない。

大国主=委奴国王とアマテラスなど天神族=吉武高木神との関わりについては記載されているが
大国主(中広型銅矛)と八上姫(広型銅剣)との戦争については天神族とは完全に無関係だから
書かれていない。
記紀からすると、書いてもいいが、書かなくても問題ない。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 20:32:13.30
【三国志東夷伝高句麗伝】
>本有五族 有 「涓奴」部 「絶奴」部 「順奴」部 「灌奴」部 桂婁部
「〇奴」が王族名の形式。

>十月祭天 国中大会
十月=神無月にイベント
【三国志東夷伝濊伝】
>其俗重山川 山川各有部分不得妄相渉
山や川に聖なる禁忌域を設定
>常用十月祭天
十月=神無月にイベント


委奴国=高句麗王族と同族の渡来人王家。
それが国譲りイベントで失脚して全国に散った
前方後方墳や積石墓やら。

十月=神無月に、各地の執政官が年貢=稲荷を持ち寄って、
政務や婚姻を合議。
タケミナカタは新規拡大で忙しいから会議免除。
0583日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 20:38:28.13
>>573
>筑紫の菟狭(豊国の宇佐)=宗像市

あーなるほど、そこの比定がポイントであったか。
現在の宇佐とは違うのは理解していたが、道順からはそうなるのか。

>>576
>なのだから、瀬戸内の大山祇系氏族が狗奴国側だったことが示唆される。

ふむふむ

>>578
>縄文系と考えられる大山祇系列の、瀬戸内勢力

大山祇も伊弉諾の孫なので、弥生系ですよ。

>>578
>結局は
>倭国乱における邪馬台国と狗奴国の戦いは、
>保元・平治の乱の如く、様々な勢力が身内の中で敵味方に分かれて入り乱れて戦っていたわけだな。

結局は博多湾沿岸の伊奘諾にはじまる倭国王家の内乱ですね。

あと、最後の妄想は記紀とも魏志倭人伝ともすり合わせできないのでいかがなものかと。
0584日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 20:45:37.10
>>581
>記紀は基本的に嘘は書かない。

同意

>大国主=委奴国王とアマテラスなど天神族=吉武高木神との関わりについては記載されているが

奴国ならわかるが、漢委奴国王印をもらったのは年代的にはもう伊都国に王統が移動した後なので、委奴国王は伊都の天孫族でしょう。
奴国と委奴国(伊都国)のすり替えが日本特有の縁というか掛詞なんでしょうね。
読みが違うとか言わないこと!
0586日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:26:36.43
卑弥呼の没後は狗奴国と邪馬台国は壹與のもとで再び倭国としての統一を回復したのでしょう。
壹與の宮は肥前河上の淀姫神社にあり、倭国全体を支配するのに都合が良かっただろう。
同時代の倭王熊襲タケルの墓も肥前河上にある。
0587日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:38:25.65
壹與の宮は香椎宮だ。

同時代の肥前河上は未開の肥前湿原に面したガタリンピック宿泊地。
高良宮で急襲された熊襲タケルは
南から景行の大軍が迫ってきているから
やむなく西の肥前河上へ逃げ込んだだけ。

ヨドヒメ神社は後世の神功皇后の妹の住居。

壹與と遠く血は繋がっていただろうが、世代は全く違う。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:47:41.23
>>586-587

妄想は聞き飽きた。  @阿波
0589日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:48:47.63
熊襲タケルが逃げ込んだのは確かだが、わざわざそこに宮を建てて祝いの宴席を設けているわけで、ただの避難先じゃないだろう。
あと、追い立てたのは景行天皇ではなく、息子の小碓尊。

神功皇后の妹説は、かなり後世になって登場した説らしい。
壹與と神功皇后(実年代は4世紀末)の世代がかなり離れているし。
0590日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:49:27.37
九州だったらなんでも邪馬台国だよというものではない。

邪馬台国の時代に
肥前佐賀の田園は存在せず、ただの湿原か干潟。
肥後熊本も同様。

倭国乱が収束した3世紀後半から土壌開発が始まるが、
佐賀は貴族は現われずいつまでも田園のまま。(いい意味で
熊本は4世紀以降になって古墳の威信材が充実していく。

狗奴国すら存在しえない。


伊都筑前邪馬台国と
高良筑後狗奴国。
0591日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:52:15.98
>>590

妄想は聞き飽きた と、何度言えばw  @阿波
0592日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:54:17.32
卑弥呼の時代はまだ佐賀は未開だが、壹與の時代には開発が進行しているということでしょう。
有明海沿岸を肥国として、その中枢が筑後川流域の高良宮だとしても、4世紀にかけて肥前も肥後も開発が進むわけで。
0593日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:55:48.87
あと、卑弥呼の時代の大野城と基肄城が邪馬台国側、菊池城が狗奴国側だとすると、狗奴国側の中心が筑後川沿岸だと違和感がある。
0594日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:57:53.84
>>592
考古学的に壹與の時代にも開発が進行していない。
邪馬台国女王たる壹與が佐賀に住むことはありえない。

邪馬台国が倭国統一して、
オオワダツミ安曇族が各地の干潟湿原を干拓していくわけです。

その結果、100年ほどすると
佐賀平野の石高が増えて、神功皇后の妹が住むのにふさわしくなるし、
熊本平野の石高が増えて、各種豪族が古墳に財宝を副葬するようになるわけです。
0595日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 22:58:53.73
>卑弥呼の時代の大野城と基肄城が邪馬台国側、菊池城が狗奴国側だとすると

なにも出土していない。
0596日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/02(日) 23:36:16.22
神功皇后の妹説は後世のこじつけだってば。
0598日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 20:28:01.01
正直、伊都国説なんてのは
まったくの与太話だと思ってたんだけど・・・

最近、ぜんぜん別の理由から
「あれ、これ合ってるんじゃないか?」って思い始めた

面倒なんで解説はしないし、そもそも
期待されるような意味では無いかもしれないけど
0599日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:07:58.59
>>598
平原遺跡を見たら合ってるとしか思えないよね。

もともと考古学者の間では、
伊都こそが邪馬台国王都にふさわしいのに、
魏志倭人伝には邪馬台国は伊都の先にあると書かれているから
ちがうんだな、というわだかまりがあった。

それが九州説者の研究によって、
里程と日程が並列表記だと解明されて、
伊都こそが邪馬台国王都だとわかって、
すべての矛盾が氷解した。
0600日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:11:21.05
>>599
九州は「其山有丹」で即死した と、何度言えばw  @阿波
0601日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:13:05.20
其山有丹=倭国の山には丹が有ります

日本列島のほぼ全域に当てはまる
0602日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:27:47.41
伊都国は太宰府的なもの
それ以上でもそれ以下でもない
0603日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:34:58.88
>>601
>日本列島のほぼ全域に当てはまる

そんなことをわざわざ書き残した陳寿はアホだと?  @阿波
0604日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:37:48.96
>>603
??

大事なことだろ?
>其山有丹=倭国の山には丹が有ります
>>日本列島のほぼ全域に当てはまる
0606日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:48:48.18
・朱は水銀、
・鉛丹は鉛
・丹は鉄

鉄なんざ、日本中どこにでもあって、とくに九州阿蘇には山ほどある。丹で即死したのは@阿波。
ま、洗濯水の泡は、いつまでも消えないからな。。。。。。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:53:40.15
>>601
>倭国の山には丹が有ります
>日本列島のほぼ全域に当てはまる

倭国が「日本列島のほぼ全域」だと?  @阿波
0608日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 21:56:15.56
>>606
>・丹は鉄

これ、新説?  @阿波
0609日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:01:46.82
>>606

やっぱり、丹で即死したのは九州。  @阿波
0610日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:21:46.63
>>598
考古学的には福岡こそ弥生文化の中心、倭国王権の所在地に他ならない。
多数の弥生王墓、金印などの証拠。
さらには記紀における筑紫の記述も裏付けとなる。
0612日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:31:58.87
丹は酸化鉄、昔からある赤色塗料に使われるベンガラのことだ。
だから、卑弥呼への手土産に、朱(真朱)と鉛丹は有るが、丹はない。
0613日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:36:48.47
>>609
むしろ阿波説が息してるのを見たことがない。
0614日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:39:55.95
その手土産の真朱をふんだんに使い、同じく中国から運ばれた大量の玉とともに葬られたのが平原遺跡の女王なわけだ。
0616日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 22:41:54.64
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
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      | l i  厂  ̄ニニ¬      >>614ノ   < ヤダヤダー!!
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     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ
0618日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 23:27:19.41
確かに真朱が辰砂なら丹は弁柄になるな
0619日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/06(木) 23:33:25.47
>>612
「又特賜汝紺地句文錦三匹細班華罽五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚真珠チ丹各五十斤」
手土産に朱(真朱)はないが。
0620日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 03:44:26.27
要はその真珠がパールではなくて真朱ではないかという説なわけだな
確かに海洋国家にパールを送るのは違和感があるが断定は出来ないからなあ
0621日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 04:25:33.03
なんか論点がズレてるな

倭国の説明として"其山有丹"とあり、九州に赤色硫化水銀を採掘できる鉱脈がないから倭国ではないって話だろ
特に阿波は徳島若杉山遺跡の辰砂原石発見をもって阿波こそが倭国なり〜って言ってる

しかし魏志全体において"丹"は赤色硫化水銀だけではなく朱または赤の染料を指してるからAso-4の阿蘇黄土を含んだ火砕流が及んだ地域、つまり九州全域が"其山有丹"の対象となりえるって話だろ
0622日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 07:52:56.35
>>621
>特に阿波は徳島若杉山遺跡の辰砂原石発見をもって阿波こそが倭国なり〜って言ってる

間違い!
「辰砂原石の発見」をもって「阿波こそが倭国なり〜」って言ってる訳ではないのである。 どうもそれすらも理解できないらしい。  @阿波
0623日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:17:04.36
>>621
>倭国の説明として"其山有丹"とあり、九州に赤色硫化水銀を採掘できる鉱脈がないから倭国ではないって話だろ

佐賀近辺にないだけで大分から北薩にかけては四国と同じ鉱脈がある。
鉱脈のない場所は候補外だろうが、鉱脈があれば辰砂が露頭していたことは充分あり得ると思う。
残念だが、採掘の遺跡は徳島にしかないらしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/45700769.html
0624日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:24:06.75
>>623
そもそも丹が赤色硫化水銀である必要がない
阿蘇黄土から生成できる弁柄も魏代は丹
0626日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:27:48.40
かなりの数の丹生神社が川沿いにあって
上流の鉱脈から崩れて来たものを
河原の砂利を選別して採取したらしい。
0627日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:29:24.93
真珠の単位が斤になっているが
貝の真珠が斤で計るほど取れるとは
考えにくい。
0628日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:31:39.49
>>624
3種の丹の区別はされていたはずだ。
でなければ丹のある国へ鉛丹を下賜するわけはない。
魏の人間にとってより貴重なのはベンガラより辰砂。
だから丹が山にあることが記述された。

だいたい歩いて行くしかないのに佐賀から阿蘇山まで掘りに行くのか?
0629日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:36:46.04
>>624
>そもそも丹が赤色硫化水銀である必要がない

じゃあ、なんで主要古墳等に「赤色硫化水銀」を使ってるんだね?


>阿蘇黄土から生成できる弁柄も魏代は丹

じゃあ、なんで主要古墳等に「弁柄」を使ってないんだね?  @阿波
0630日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:37:51.86
>>628

未開の地だと思ってたのに赤い顔料使ってたから記載したんだろ、烏丸之条にも同様の記述がある

阿蘇黄土は北部九州のほぼ全域に火砕流として広がってるぞ
0632日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:40:28.88
>>627
圧倒的な財力を見せつけるための下賜品なんだから取りやすい物では意味ない。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:44:07.39
>>632
取りやすい物?
また真珠からムリヤリ王偏なかったことにして真朱にする気?
0635日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:46:33.08
・・・金八兩五尺刀二口銅鏡百枚「真珠チ丹各五十斤」

この部分は金属類を並べており、しかも「各五十斤」と共通の単位なので、同類の朱と鉛で間違いない。
0637日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 08:56:55.59
主張できそうなスキがあると乗り込んで来て
都合が悪くなるとスグに消える泡っち
0638日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:09:10.01
かき混ぜ泡
0639日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:13:19.01
>>637
>都合が悪くなるとスグに消える泡っち

都合が悪くなったことなんて、ないんだけど?  なにそれ?  @阿波  
0640日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:17:33.09
>>631
>日常使いの朱とイベント使いの朱を使わけるのは普通のこと

「日常使いの朱」と「イベント使いの朱」の「朱」の違いはなに?  @阿波
0641日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:24:49.83
>>630
じゃあ、なぜ鉛丹を下賜する?
0642日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:26:47.39
>>638
>かき混ぜ泡

ちょっとかき混ぜると、あたふたする九州説。  @阿波
0643日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:42:06.74
真珠の歴史
>日本は古くから、真珠の産地として有名であった。
>北海道や岩手県にある縄文時代の遺跡からは、糸を通したとみられる穴が空いた淡水真珠が出土している。

>魏志倭人伝にも、邪馬台国の台与が曹魏に白珠(真珠)5000を送ったことが記されている。
>日本書紀や古事記、万葉集にも真珠の記述が見られ、万葉集には真珠を詠み込んだ歌が56首含まれる。
>当時は「たま」「まだま」「しらたま(白玉)」などと呼ばれた。

其の単位は孔、「真珠」という呼称は現代風のオシャレみたいだぞ。
0644日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 09:52:05.46
倭人伝「其山 有丹」の『丹』の関連用例

風物 出 真珠 青玉 「其山 有丹」
風俗 以 朱丹 塗其身體 如中國用粉也
賜物
240 ← 真珠 チ丹 各五十斤
247 → 白珠 五千孔 (これは石か貝の加工品)
という記述

真珠 は 真珠でしょ?
朱丹 は ベンガラ
賜物の チ丹 は 水銀

「其山有丹」の場合
辰砂赤色硫化水銀 でも、赤色酸化鉄 でも、
どっちも、朱の原料であって中国人が見た場合どっちでも良くないか?
見たのは山で じゃなくて、体や土器、建築に使った「朱」でしょ?

ちな、後漢書では「其山有丹土」に改めてある。 この意味は?
0646日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:22:20.18
辰砂は動物除けの効果があるから神聖で魔除けになると信じられていたんだよ
ベンガラはただ赤いだけの代用品だから価値は全く違う

鳥居にベンガラ塗ってもただ赤いだけ
鳥居に辰砂を塗れば熊や狼が寄ってこない
0647日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:27:35.01
>>644
>辰砂赤色硫化水銀 でも、赤色酸化鉄 でも、
>どっちも、朱の原料であって中国人が見た場合どっちでも良くないか?

中国人だって、水銀朱と弁柄の値打ちの違いは当然知っていた、で良くないか?  @阿波
0648日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:36:09.44
倭人之条には"朱丹"と"チ丹"の書き分けがあるんだから、単に"丹"と記載されてた場合は水銀か弁柄か確認してないって証拠だろ
しかも後漢書にでは其山有丹"土"と訂正が入ってるんだから黄土から生成された弁柄だったという根拠
0649日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:39:05.59
>>648
「朱丹」と書いてあるところはないと思うが。
0650日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:39:10.00
>>645
50斤と言う量が、ペンキ屋にしたって、少なすぎると考えて、
銅鏡の鍍金用の水銀なのか?と考えたんですが
倭国に弁柄 の赤が有るのは聞いて、鉛丹の朱を見せびらかす
と いうのは衝撃かもしれないと思いました。

>>643 の白珠、真珠もですが、
陳寿が、漢語の表意文字を用例で使い分けてるとは思いますが、
「其山有丹」が、未分化なので後漢書では「其山有丹土」になったと思います。
丹土 もまあ、微妙だけど・・・ 語彙として、精製の簡単なモノのような?
ご教示ありがとうございます。
0652日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 10:55:06.77
>>651
失礼しました。見落としていました。

じゃあ、魏使来訪前から身体に塗って使っていたのが朱丹なんだから、山にある丹は朱丹で決定だね。
で、朱丹って何?
辰砂、弁柄、鉛丹のどの別名でもないようだけど。

辰砂
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E7%A0%82
弁柄
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%9F%84
鉛丹
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%89%9B%E4%B8%B9
0653日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 11:00:54.93
以朱丹塗其身體如中國用粉也:
 朱(まがいものの朱)や、丹を用いて・・・

出 真珠 青玉 :
 真珠(ホンモノの朱)と、青玉を産出する
0654日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 11:22:53.32
>>653
九州で採掘できる偽翡翠(クロムを含んだ白雲母)と併記されてるんだから装飾品=パールでしょ
0655日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 11:23:01.91
>>653
三国志時代までで、朱と丹が、本物と偽物? 別のものだったり
真珠(ホンモノの朱) という、用例 多いんでしょうか?

朱と赤の違いは有っても、朱は朱であって偽物でも色は朱。
丹はむしろ、赤、紅、朱 よりも一般的な赤では?
朱丹 は、丹の中でも朱に寄ってる色合いの明るい丹では?

真紅と言う形容は有るけど、衝撃的 赤 だからであって、
朱は、オレンジ系の赤ではないのかな?
と言うより、珠 は字義が 玉。
本物の玉w
0656日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 11:30:15.27
>>652
辰砂は漆と釈かないといけないし、乾燥したら剥がれやすいから体には塗っておけない
チ丹は魏から下賜品なんだから体に塗るわけがない
消去法で弁柄しか残らない
0657日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 11:33:38.62
>>655
真珠はパール、併記されてるのが青玉(翡翠だと思ってたが偽翡翠だったのね)なんだから真朱であるわけがない
0658日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:13:01.71
中国産の朱はたくさん出土するが、中国産の真珠は出土例を聞いたことがない。
もっとも、平原遺跡にある大量の舶来ガラス玉の記事がまったく見当たらないのが不思議。
0660日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:19:41.37
中国産の朱はたくさん出土するが、九州産の朱は出土例を聞いたことがない。  @阿波
0661日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:21:59.78
>>660
馬鹿なのか?ベンガラがあるじゃないか
0662日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:24:19.00
>>661
馬鹿なのか?  じゃあ、「中国産の朱」もベンガラなのか?  @阿波
0663日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:24:53.38
>>656
辰砂と弁柄はどっちも粉末で塗りやすさなんて違いはないはずだぞ。
何が根拠?
0664日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:27:41.60
>>659
平原遺跡のガラス玉が国産だという証拠はある?
0668日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:37:34.58
>>663
無機物と有機物の違いが分からないとな?
0669日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:39:12.21
>>661
馬鹿も休み休み言えよ(笑)  @阿波
0670日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:41:46.36
>>669
悔しいからってオウム返しするのはあまりに能がなさすぎやしないかい?
0671日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:45:05.55
>>670
>悔しいからってオウム返しするのはあまりに能がなさすぎやしないかい?

九州説者には到底かなわないよ。  @阿波
0672日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 12:48:31.99
遺物の原料からみた古墳時代の国際交流
馬渕久夫
考古学と自然科学 31;121-136

国産ガラスは奈良の正倉院以降であり、古墳時代までの国内の出土ガラスの成分分析はいずれも中国または朝鮮半島が産地であることを示している。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:06:09.95
>>673
別スレで九州勢に末盧国 宗像説を全否定されたから九州勢を根に持ってるだけ
0676日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:10:45.80
250年以前の 中国朱 と言うのは、卑弥呼の鉛丹5斤 以外には無い。
で、良いはずなんですが、阿波先生は、阿波のどこで出たって言ってましたっけ?
0679日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:14:45.03
>>678
それと顔料の差異に何の関係があるんでしょうか?
0681日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:17:20.38
>>676
「萩原古墳」「天河別神社古墳」  @阿波 
0682日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:17:34.36
じゃあ、>>656はデタラメということでOK?
0683日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:23:10.39
>>652
鉛丹は魏から下賜品だから日常的に体には塗らないでしょう?
辰砂は同時代の出土例が徳島くらいしかないし、出土量も多くないから日常使いは難しい
となると生成しやすく原料はどこにでもあるベンガラが日常使いできる朱丹なんじゃないかな?
0684日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:24:31.82
>>682
あ、タイミング良く>>683で考察してみました。
0685日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:31:44.42
>>683
で、その日常使いの価値の低い弁柄を魏使が見て、山で丹が取れるんだ、報告しなきゃ、と思ったと?
そういうこともあったかもね。

貴重な辰砂が使われているのを見てって方がしっくりくるけど、決め手にはならないからね。
0686日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:42:12.25
体に塗るなら食紅だけど まだベニバナは無いかな?

丹とか朱丹は色=染料、多分顔料のことであって、なんでも良いんじゃないかと?
辰砂でも弁柄でも、植物染料でも、体に漆は無理だろwww
水銀朱は、薬にもしたんだろ、徐福爺さんタヒんだけど・・・

水か油で溶け。 口裂け女にならんよう、銅鏡見ながら
貝殻から指先にとって、丁寧にねw
0687日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:43:03.54
>>685
記録を残したのは朱丹を用いてることではなく、

以朱丹塗其身體如中國用粉也

(朱を)我々の粉のように(身体に)用いてることでしょうね。

辰砂は貴重という以前に絶対的量が低いですし。
0688日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:45:23.58
>>686
ベニバナは遣隋使が持ち帰ったのが始まりだったと思います。
0689日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:47:07.33
>>686
水だと動いたら落ちてしまうから油脂を溶剤に塗ったんだと想像するのが妥当じゃないでしょうか。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 13:48:59.11
>>687の補足ですが、粉は女性の白粉(おしろい)のことです。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:04:54.01
>>687
なぜ報告したのかと思ったのは「其山有丹」の方だよ。
価値ある辰砂が取れるなら搾取してやれ、というモチベーションで報告したのかなと思って。
弁柄ならそういう地下資源的興味はなさそうだから。
0692日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:09:42.78
>>691
朱丹の話をしていたのに急に丹の話に戻すんですか?
0693日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:20:03.33
>>691
当時の倭は遠すぎて搾取の対象にはならないと思うぞ
すでに朝貢もして来てるんだし
0694日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:20:24.46
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0695日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:32:45.92
>>693
ごもっとも。  @阿波
0696日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:37:28.13
>>683
>辰砂は同時代の出土例が徳島くらいしかないし、出土量も多くないから日常使いは難しい

少なくとも、前方後円墳に使われている朱は倭国(阿波)産だよ。 決して、朱の出土量は少なくない。  @阿波
0698日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:42:30.31
>>681
@阿波先生。 さすがです。 感謝感激!
「萩原古墳」2号積石墓 朝廷成立期の渡来人 最古の墓 かも ですね。
ただ多分、238年以前の邪馬台国には北方系渡来人来てない風なので、
阿波のこれは、もっと古いのか? と思いますが・・・

ググるの面倒なので先生に教えて君ですが、すいません。
阿波産の朱と言うのは、いつごろから採掘精製してたんでしょうか?
ま、土器とか土偶でも
0699日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:47:27.59
>>692
ごめん。ちょっと意味がわからない。
0700日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 14:54:10.11
>>698
>阿波産の朱と言うのは、いつごろから採掘精製してたんでしょうか?

西日本最大級の縄文時代集落「矢野遺跡」では、縄文時代の土器と石器に水銀朱が付いていたが、多くは朱の精製時についたものと見られており、朱の精製としては全国的に見ても古い段階のものである。  @阿波
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7
0701日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 16:07:52.17
>>699
読解力なしマン
0702日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 16:43:37.85
>>701
読解力のいる文章じゃない。
わからないのは、
「朱丹の話をしていたのに急に丹の話に戻すんですか?」
などというくだらない質問をする意味だ。
0703日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 16:46:31.59
>>702
論点ブレブレマンやんけ
0704日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 16:50:50.71
>>703
読解力とか論点とか意味わかって使ってんのか?www
0706日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:05:59.09
もういよいよ、ドン詰まり。  @阿波
0707日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:07:28.68
>>706
四国=倭国説の話し?
0708日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:16:01.01
>>699
意味が分からないというのが理解できません。

>>702
朱丹は倭人の説明、つまり風俗の記録です。
丹は倭国の説明、つまり自然の話です。
この2つを分別せずに歴史を考察するのは乱暴すぎます。
0710日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:31:36.96
記紀の国生みで女神の名は四国だけ
四国が女王国であることを匂わせてる
0712日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:48:06.72
>>711
誰やねん(笑)
0713日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 17:53:04.84
>>710
各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。  @阿波

「阿波国風土記」    
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

通説では、天皇家や建国の歴史とは何の関わりもないはずの阿波国、 何故、その地誌「阿波国風土記」で唯一、天皇の称号について書かれているのだろうか?

役人が天皇に献上する書である。 上記の天皇が阿波に関係なければ、風土記なんぞに書ける訳がないのである。 「お前、何書いとんねん!」で済まされる話ではない。 
0714日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:01:06.13
>>713
阿波風土記って実在しないじゃん
0715日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:17:14.94
溺れる阿波は、不実在のアワ風土記にもすがる、、、
0716日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:20:54.71
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0718日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:23:53.83
【倭国】

紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:31:44.53
「阿波国風土記」    
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

「阿波国風土記」については逸文が残るのみで、一説には、明治初期まで阿波藩に存在したとの説もありますが、実際の所行方が判っていません。

これまでに確認されている逸文は主に五節。萬葉集註釋いわゆる「仙覚抄」に記載されています。  @阿波
0721日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:33:49.93
>>715
>溺れる阿波は、不実在のアワ風土記にもすがる、、、

鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。  @阿波
0722日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:34:05.26
>>720
ようこそ凄い世界へ
0723日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:35:03.79
>>644
>ちな、後漢書では「其山有丹土」に改めてある。 この意味は?

それ、単に句読点の打ちまちがい

其山有丹土氣温腝に、「其山有丹土、氣温腝」と句読点を打って読むから
丹土に見えるだけ
「其山有丹、土氣温腝」と読むのが正しい
0726日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:43:54.77
>>725
土氣で、(その)土地の気候、くらいの意味
温腝は温暖

通典(唐代の成立)だと「其山出銅,有丹。土氣溫暖」となっているし、
三国志卷三十/魏書三十/烏丸鮮卑東夷傳第三十挹婁にも「土氣寒、劇於夫餘」とある
0727日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:45:57.65
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0728日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:47:32.49
其山有丹の「丹」がベンガラってことはないだろう
大陸では、「丹」は水銀朱で仙薬とされているから特記されているのであって、
ベンガラ・酸化鉄だったら、「どこにでもある」からわざわざ倭国の産物として書かない

半島にも普通に酸化鉄はあるけれど、三国志烏丸鮮卑東夷傳で「丹」の記述があるのは
倭人伝だけ
0729日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:47:51.19
>>700
見てきたけど、邪馬台国より阿波の古代史の方が全然面白いじゃないのwww
銅鐸、朱、鉄、古墳。 あと↑万葉集も・・・ ご指導感謝です。
 
天の香具山は阿波が元ってのは、
朝廷の起源は、吉備、出雲、丹後、越、筑紫、伊勢、美濃とかで
阿波が、三本指の古参の重鎮に在る で良いと思うよ。
多分、瀬戸内海、日本海ルートが外様で、阿波伊勢が譜代とか御三家みたいな感じ。

既に、邪馬台国関係ないけど?
天皇の名は宮の場所ってのは、阿波風土記じゃなくても、普通じゃないの?
卑弥呼は大倭王じゃないからwww
0730日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 18:47:52.30
>>709
648 名前:日本@名無史さん [sage] :2018/12/07(金) 10:36:09.44
倭人之条には"朱丹"と"チ丹"の書き分けがあるんだから、単に"丹"と記載されてた場合は水銀か弁柄か確認してないって証拠だろ
しかも後漢書にでは其山有丹"土"と訂正が入ってるんだから黄土から生成された弁柄だったという根拠
0732日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:28:40.37
邪馬台国は北部九州(含 熊本)にあったは異論は無いが・・倭人伝より

王都が伊都はチト無理が無いかな???卑弥呼の墓が伊都でも可「倭国内だから」

素人でスマンが伊都が王都なら都市機能の遺跡が見つかるといいのだが
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:31:16.54
>>732
>素人でスマンが伊都が王都なら都市機能の遺跡が見つかるといいのだが

少し、分けようか?  @阿波
0734732です
垢版 |
2018/12/07(金) 19:41:17.31
財務局の所在地で熊本は南九州ですが
熊本も北部九州で良いと思います
南九州は宮崎、鹿児島と考えていますが・・・・・

以前転勤で福岡県春日原に住んでましたが熊本は近いです
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:47:08.92
@阿波 とやら 

阿波説は投馬国の比定地が曖昧じゃ
0736日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:49:41.89
>>735
>阿波説は投馬国の比定地が曖昧じゃ

どう、曖昧なのかね?  @阿波
0737日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 19:53:47.67
>>735
「じゃ」で萎える
0738日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:03:03.61
>>736
阿波説の投馬国の比定地はどこか述べよ
0739日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:08:02.92
いいんでねーの
阿波説も有りだよ
畿内説よりましだよ
阿波も結構 倭人伝に沿った遺物多いよ

伊都説もいいが安本も捨てがたい・・同じ九州説だが
0740日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:10:49.53
>>736
投馬国は何処なんだ阿波説では
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:13:03.71
ついでに
>>736
狗奴国は何処なんだ阿波説では


阿波説は畿内説のコバンザメ
0742日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:17:00.09
丹って水銀種でないとダメなのかい?

>>遊び>>
仁丹に水銀が入ってるのカイ
0743日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:18:27.27
>>740
>投馬国は何処なんだ阿波説では

高知県宿毛市辺り。  

狗奴国は徳島県阿南市辺り   @阿波
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:22:07.96
>>740

邪馬台国は吉野川流域・鮎喰川流域  @阿波
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:31:49.20
畿内説って国家を撒きこんだ銭儲けだな
国民の多くは畿内説支持してねーのにな
畿内説独自で私利私欲なくアンケートとれよ
少し前だけどNHKのアンケートもどきでは九州説が圧倒的に優位だった 倍近く九州説支持じゃなかったかな
それもNHKは纒向を題材にしてたがな
0746日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/07(金) 20:43:29.17
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 00:19:08.01
素材としてのガラスの輸入と
製品としてのガラス玉の輸入は
次元が異なる話しなので念のため
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 00:22:08.95
>>745
当時誰も支持してなかったからといって地動説が誤った学説だったわけではない
支持と真実は別物
0749日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 02:30:01.46
>>748
支持が広がらないのは説得力に欠けるってことだ
0750日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 02:32:37.20
>>742
728 名前:日本@名無史さん [sage] :2018/12/07(金) 18:47:32.49
其山有丹の「丹」がベンガラってことはないだろう
大陸では、「丹」は水銀朱で仙薬とされているから特記されているのであって、
ベンガラ・酸化鉄だったら、「どこにでもある」からわざわざ倭国の産物として書かない

半島にも普通に酸化鉄はあるけれど、三国志烏丸鮮卑東夷傳で「丹」の記述があるのは
倭人伝だけ
0751日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 04:55:36.86
>>747
うむ
勾玉は素材を国内で加工したらしいですね
しかし平原の金層ガラスは海外に同類があり、同時期の国内には類例がないため、ほぼ舶来と見ていいですよね
0752日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 07:25:11.22
>>751
>勾玉は素材を国内で加工したらしいですね

その勾玉の加工をしていたのは、倭国(阿波)と出雲忌部。  @阿波
0754日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:41:44.86
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0755日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:42:32.12
>>750
793 :名無しさん@1周年 :2018/11/20(火) 01:02:43.71 ID:iWOIC1AW0
>>784
> で、該当の部分について、魏志倭人伝の原文はこうなっている
> 「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
>
> お前はこの文章を倭国の貴重品についての文だと捏造するが、其山有丹の後に続くのは倭国に生えている木の種類や竹の種類、
> 食用植物に動物の記録だ
> 単に倭国に存在するものを事務的に並べただけで、別に宝物についての記録ではない
>
> 文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
> この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「こんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない
> この一文の中で特別扱いを受けているのは真珠青玉のみである
> 木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ
0756日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:46:18.85
ベンガラも丹と呼ばれていた
丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。

もしも倭国が真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい
中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
それより格上の真朱や鉛丹を倭国への下賜品としたわけだよ
0757日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 08:55:46.77
>>755
>> 木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ

残念でした。
辰砂がふんだんに採れる倭国(阿波)では、「木や動物と同程度の扱い」だったんだよ。   @阿波
0758日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:04:21.29
>>755
なるほど、確かに『有』が使われているのは特に価値のないものに対してだな
じゃあやっぱりただの赤土(弁柄)か
0759日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:06:00.15
>>756
>もしも倭国が真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい
>中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
>それより格上の真朱や鉛丹を倭国への下賜品としたわけだよ

残念でした。
格下に思っていた倭国(阿波)に辰砂が採れるのを知って、魏も対抗して送ってきたのさ。  @阿波
0760日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:24:49.95
今日も朝から阿波の弁解が激しいな
0762日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:43:48.95
アワは倭国でなかった。
半人間の倭種の住む蛮地に過ぎなかったから、倭人伝では無視されたのさ。
0763日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 09:53:46.96
@阿波は、隠れ畿内説の確信犯。
0764日本@名無史さん
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2018/12/08(土) 10:42:50.17
>>761
>そういえばレス番が飛んでるな

そんなことしてたら、倭国(阿波)のお勉強が出来ないよ。  @阿波
0765日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 10:48:11.27
アワは倭国でなかった。
倭人伝では無視されたのさ。
0766日本@名無史さん
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2018/12/08(土) 10:52:06.13
>>762
>倭人伝では無視されたのさ。

倭人伝は倭国(阿波)の記述だから、「其山有丹」。  @阿波
0768日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:05:21.89
>>767
なんなら、少し分けようか?
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。  @阿波
0769日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:06:13.06
>倭人伝では(阿波は)無視されたのさ。。。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:14:40.31
>>756
>ベンガラも丹と呼ばれていた
>丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
>書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている

これは本当か?
「真珠」が「真朱」の誤記だとする根拠は何?

>>728
>半島にも普通に酸化鉄はあるけれど、三国志烏丸鮮卑東夷傳で「丹」の記述があるのは
>倭人伝だけ
と書いているのを信じれば、三国志烏丸鮮卑東夷傳で「真朱」という言葉は出てこないはずだが。

魏志倭人伝の「出真珠青玉 其山有丹」は、後漢書では「出白珠青玉 其山有丹」と書かれているから真珠で間違いないし、「真珠チ丹各五十斤」が他のの箇所で全く使用されていない「真朱」の誤記だとするのは説得力に欠ける。
0771日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:18:38.78
>>768
全部お前の願望でしかないやんけw
0772日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:24:56.38
>>755
>> 文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
>> この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「こんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない

中国では採掘している辰砂が露頭していたから「有る」と表現したとも考えられる。
採掘の遺跡は徳島にしかないらしいから、その他の場所では鉱脈の露頭していた部分から採取していたと考えれば普通の表現。
中国では価値あるものが無造作に採取できていることが記録の動機では?
0773日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:30:57.84
>>770
>これは本当か?
「真珠」が「真朱」の誤記だとする根拠は何?

誤記ではなくて、
今でいう朱(精製硫化第二水銀のこと)は、倭人伝では真珠と書かれているのではないのかな
0774日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:40:44.94
>>773
>魏志倭人伝の「出真珠青玉 其山有丹」は、後漢書では「出白珠青玉 其山有丹」と書かれているから真珠で間違いない

ここについては?
0775日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:41:30.81
たしかに、中国産の真珠の出土例なんてない。
中国産の朱の出土はたくさんあるけどね。
0776日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:48:47.38
真珠は真珠だろ

歪曲するな
0777日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:57:09.44
「真朱」という単語の使用例が三国志のどこかにあるのか?
その当時辰砂にことを「真朱」と読んでいた証拠はあるのかな?
0778日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 11:57:55.79
「真朱」という単語の使用例が三国志のどこかにあるのか?
その当時辰砂のことを「真朱」と呼んでいた証拠はあるのかな?
0779日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:10:54.28
>>774
今の真珠パールは、近年の商業用語らしい。倭人伝の記事では「白珠5000孔」にあたる。
「出真珠青玉 其山有丹」についてだが、
海のパールなら取る、捕るであり、
出は産出の意味なので、青玉と同様に、(貴重品として)どこかから産出された(鉱物・金属類)・・、で良いのではないか。

そうすると、後漢書の「出白珠青玉 其山有丹」とは矛盾するが、倭人伝を優先するほかないであろう。
0780日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:26:06.52
まだやってんのか?
真珠 鉛丹 各50斤 だろ?
弁柄は 山に丹有で、日本にも有る。

鉛丹50斤は、精製方法も違い日本人は見たことないかもしれない。

真朱が辰砂の精製朱だとして 
50斤と言うのはペンキ屋の仕事材料としても少なすぎるだろ?
皇帝の賜物として同量で並列しないと考えるのが普通。

真珠50斤は単位は疑問だが 珠 は 玉 だよ。
淡水真珠のバケツ一杯とかは、まあ、有りじゃないのかな?
0781日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:33:46.42
弥生時代だから、建物にはまだ朱を使わない。
王族の葬儀の時に墓に塗るだけ。
毒性が強いから、生きている人間には塗らない。
0782日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:34:22.54
後漢書倭伝の解説
>土宜禾稲麻紵蠶桑 知織績為縑布 出白珠青玉 其山有丹土 氣温腝 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲

>「土地は稲、からむし、養蚕に適している。糸を織ることを知っており、カトリ絹をつくる。
>白珠(真珠・パール)、青玉を出す。その山には赤土がある。
>気候は温暖で冬でも夏でも生野菜を食べる。牛や馬、虎、豹、羊、カササギはいない。」

つまり後漢書では、中国でよく見かける真珠(水銀)をやめて、「倭国では珍品の白珠(パール)、及び青玉を出す」と書き替えたようです。
0783日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:44:26.85
魏略西戎伝
「且蘭、復直南,乃有積石,積石南乃有大海,出珊瑚, 真珠。」
0784日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:46:29.56
魏略西戎伝
「大秦多金、銀、銅、鐵、鉛、錫、神龜、白馬、朱髦、駭?犀、?瑁、玄熊、赤?、辟毒鼠、大貝、車渠、瑪瑙、南金、翠爵、羽?、象牙、符采玉、明月珠、夜光珠、真 白珠、虎珀、珊瑚、・・・」
0785日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 12:46:52.35
海で取れるのだから真珠か。
でもなぜ出土しない?
0787日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:12:24.14
>>785
真珠はタンパク質と炭酸カルシウム(石灰石)微結晶の積層でできているから土中に長時間あれば残らない。
0789日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:28:43.51
>>786
それ、ググった感じでは、多分クロレラですね。 健康食品では?
0790日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 13:39:17.62
>>788

>>654がすでに書いてたな
0791日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 15:02:27.34
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0792日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 18:13:24.40
>>789
クロレラ? 健康食品?
どういう意味?

「それ」って?
0795日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:53:37.95
>>770
倭国でパールを産出すると報告書にあるんだから倭国の特産品を倭国に下賜したら頭悪過ぎだろう
台与の朝貢でも白珠五千孔となっていて、パールの数え方に斤を用いることはない
鉛丹と一緒に書かれていることからも真珠は真朱の誤記だと分かる
0796日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:59:07.58
>>772
後段で木や獣に使われていることから分かるように『有』に採取の意味はない
ただ「そこにあった」というだけの意味
0797日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:02:53.73
>>726で引用されている通典でも、銅は『出』=産出する であるのに対して丹は『有』=そこにある の表記
これほど価値が軽視される丹とはベンガラしかない
0798日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:04:15.21
>>794
努力は認めるが、ここは学問板なので創作話はスルー対象な
0799日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:10:54.38
三国志より古い山海経でも単なる赤い山を丹山と記している
現在の内モンゴル赤峰市だが、ここで水銀朱が産出したという記録はなく、百度百科の説明でも
紅色的山峰=(山肌の)赤い山 の意と書かれている
赤土の山が丹山なら丹は赤土=ベンガラの解釈で間違いないだろう

始洲国_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%8B%E6%B4%B2%E5%9B%BD
>《山海経》中記載的“丹山”。現赤峰市政府所在地有一座紅山,从字意上解釈,紅山即為“紅色的山峰”
0800日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:36:52.20
>>795
倭で貴重に扱われてる真珠をバケツ一杯くれてやれば彼我の財力を思い知って恐れ入るだろうという考えだと思うぞ。

で、三国志のどこかに「真朱」という言葉が使われているのか?
あるいはその時代お中国語で辰砂が「真朱」と呼ばれていた例があるのか?
それがなければ説得力はないな。
0801日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:42:54.79
価値的には白珠>真珠だからわざわざ書き分けてるんだろうな
0802日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:49:30.14
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0803日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 22:51:29.58
>>799
朱泥という呼び名の焼き物は、朱(辰砂)は使用されていなくて、発色は弁柄と同じ酸化鉄だ。
朱泥が酸化鉄由来だからといって朱が弁柄だとはならないのと同様に、丹山が酸化鉄由来だから丹が弁柄だということにはならない。
0804日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 23:10:34.39
>>803
苦しいな
やり直しで

もうちょっと思案しろ
0806日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 23:21:00.60
朱は単に色を表してるに過ぎない
だから朱色の顔料の総称が朱

朱泥がベンガラでも何の問題も無い
0808日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/08(土) 23:54:46.09
>>806
丹山の「丹」は色を表してるだけだよ。
魏志倭人伝の「其山有丹」の丹は物質名
0809日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 00:35:50.28
>>808 その頃の丹山は、朱の鉱脈のあるところばかりだぞ。
0811日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 00:43:46.33
>>809
そうなの?
>>799の書いてること矛盾するなぁ...。
どっちが本当なんだ?
0813日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:13:09.70
>>800
魏国が相手国の特産品を下賜するマヌケ国家だったというほうがよほど説得力が無いのだが
後漢書その他が倭国の産品を白珠に書き直したのも真朱と紛らわしかったからだろ
いずれにせよ>>797の通り倭国の山に有った丹はベンガラなのは明らかだからその他は枝葉末節だがな
0814日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:16:32.38
中国産の水銀朱は実際に九州各地の王墓から出土してるからな
中国では水銀朱は超高級品で民間がおいそれと扱えるような品ではないから魏国政府から貰ったと考えるのが妥当だろう
0815日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:18:43.20
>>813
このサイトで「真朱」をキーワード検索したら1件もヒットしない。そんな言葉は当時は使われてない。
ちなみに「真珠」は倭人伝の2ヶ所だけだ。
http://www.seisaku.bz/search/word_count.php
0816日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:22:03.05
>>814
王墓に使われるのはずっと後の時代だろ?
魏なんてもうないよ。
0817日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:27:00.47
>>813
>いずれにせよ>>797の通り倭国の山に有った丹はベンガラなのは明らか
にはなっていない。
「有」と表現するほど地表に出ていて採取が容易だったという意味にもとれる。
0818日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 01:55:56.46
>>816
平原遺跡は中国産水銀朱が流れ出ていて発見された。
畿内説の面々は2世紀だと言い張っていたけど?
今度はもっと後だと言いたいのか?
ちなみに耳璫などの副葬品は卑弥呼の時代ど真ん中の3世紀のものだけどな。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 02:29:43.47
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0820日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 06:59:04.83
>>813
>魏国が相手国の特産品を下賜するマヌケ国家だったというほうがよほど説得力が無いのだが
>いずれにせよ>>797の通り倭国の山に有った丹はベンガラなのは明らかだからその他は枝葉末節だがな

まだやってんの?  「其山有丹」   魏に献上したのも「丹」   あとは推して知るべし。  @阿波
0822日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 07:55:19.84
思い込みを書き込んで逃げるいつものパターン
一体何がしたいんだが・・・
0823日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 08:15:27.91
wa
→移動方向
・海─┼─對馬國─┼─海─┼─一大國─┼─海─┼─末廬國─┼─伊都國─┼─奴國─┼─不彌國
・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・・・国境・・・・・・国境
1000里・・方400里・・・・1000里・・・方300里・・・・1000里・・・・・500里・・・・・・・100里・・・・・・100里
・・・・・・・・・(800里)・・・・・・・・・・・・・(600里)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・合計12000里┼
0824日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 08:26:28.12
>>823
不賛成
0825日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 09:07:24.68
鳴門のかき混ぜっ児は、ムシムシ・・
0826日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 09:22:00.12
>>825
>鳴門のかき混ぜっ児は、ムシムシ・・

倭国(阿波)は鳴門だけじゃないんだけど・・・  @阿波
0827日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 11:55:58.18
>>814 中国産水銀朱は 250?古墳以前に使われたものは希少。
九州は300年で王墓が減る。
>>816 魏というか、本州にも青銅移入時の半島渡来人が、BC200以降には有る。
100年代までの王墓が無い? 縄文人のお持ち帰りなのかな?
>>818 平原から水銀朱ではなく鉛丹朱が出たなら卑弥呼だけどね。
魏時の鉛丹5斤は、240年以前の中国鏡、五尺刀以上に 卑弥呼の確定要素では?

阿波先生の 丹有りは、丹には3種有る で、 自滅だったけどとても興味深い。
邪馬台国と並立した阿波の歴史は100〜200年の大和朝廷成立の解明に最重要だね。
大変良い勉強になりました、感謝!
0829日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:25:42.31
>>827
>阿波先生の 丹有りは、丹には3種有る で、 自滅だったけど

まだ言ってんの?  「其山有丹」   魏に献上したのも「丹」   あとは推して知るべし。 


>邪馬台国と並立した阿波

並立?  邪馬台国=阿波だよ。  @阿波
0831日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:43:43.48
鳴門のかき混ぜっ児は、ムシムシ・・
0832日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:52:27.85
>>831
>鳴門のかき混ぜっ児は、ムシムシ・・

倭国(阿波)は鳴門だけじゃないんだけど・・・  @阿波
0833日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 12:59:02.99
>>817
その妄想を裏付ける史料はどこ?

史料では価値のある産物は産出品として『出』の表現が使われている
『有』は特別な価値が無いものの表現
魏志も通典でも共通している
0834日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 13:13:09.13
>>833
>史料では価値のある産物は産出品として『出』の表現が使われている
>『有』は特別な価値が無いものの表現
>魏志も通典でも共通している

その史料を先に提示してください。
0835日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 13:50:56.69
史料は反論する側が出さないと
0836日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 14:51:09.93
>>835
>史料では価値のある産物は産出品として『出』の表現が使われている
>『有』は特別な価値が無いものの表現
>魏志も通典でも共通している

要するにこれがデタラメなんだなwwww
0838日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 17:12:10.02
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1543196889/260-261
この答えがお気に召すかは
わからんけど、なにげに辻褄は全部あうんだ

ある意味では、確かに
伊都国がヤマタイ国だったのかもしれん(特に魏の視点としては)。

↓もうちょっとわかりやすくした例。

その日は何度も同じ人物から通報があった。
電話口の人物の話によると、
付近に殺人鬼がいる気がするんだとか。
なんでも、ホッケーマスクをかぶった大男が
徘徊してる姿が、たびたび目撃されてるらしく。
彼の仲間も一人ずつ行方不明になってるんだそうだ。

最後に掛かってきた電話では
一瞬、悲鳴のようなものが聞こえた気もしたが
まあ、気のせいだろう。その電話にも男性がすぐ出た。
(少し声がくぐもってた気もしたが。
電話番号も同じだし。さっきの男と同じ人物だろう)
「なんでもない。ヒマだったんで
ついイタズラをしてしまった」だ……そうだ。
最後に彼の名前も教えてくれたが、
彼の名前はジェイソンと言うらしい。
まったく、電話魔のジェイソンさんにも困ったもんだ。
0839日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 17:23:34.74
>>837
>史料では価値のある産物は産出品として『出』の表現が使われている
>『有』は特別な価値が無いものの表現
>魏志も通典でも共通している

本当にデタラメだったんだwww
よくこんなこと書くよなぁ...。
嘘つくのに躊躇がないのが驚きだ。
0841日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 20:58:44.71
>>837
つか、史料も出さずに言ったことなんて妄想と空言であって説ではないから、反論の必要すらないのがホントの所なんだよな
0842日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 22:22:04.96
>>827
九州の王墓では弥生時代から古墳時代まで中国産の水銀が多く出土してるね
300年から九州の王墓が減るなんてこたあないなw
0843日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/09(日) 23:29:12.92
>>811
少なくとも799は事実と空想を区別できてない人間

山海経は古い部分と古くない部分が混在してるんだよ
三国志より古い部分もあるだけで、全部が三国志より古いわけじゃない

そりゃ三国志演義よりはさすがに古いけどさ
0844日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:08:56.46
>>843
逆じゃないか?
大した根拠を示せずに丹=水銀朱だーって言い張ってる人のほうが無理があると思うが、、、
0845日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:25:43.76
>>834
往生際の悪いクズだな
もうとっくに示されているだろ

魏志倭人伝
「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
真珠(パール)と青玉の宝物のみが『出』 それ以降の木だの植物だの獣だのが『有』

通典
「其山出銅,有丹。土氣溫暖」
有用な銅は『出』 安いベンガラは『有』

さて、次は俺がお前にソースを要求する番だな
露天掘りなら有用な産物でも『有』と表現するソースと、当時の日本で水銀朱を露天掘りしていた採掘跡のソースを出してもらおうか
出せなければお前のデタラメ確定な
0846日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:28:15.15
>>843
山海経
https://ja.wikipedia.org/wiki/山海経
> 『山海経』(せんがいきょう、山海經、拼音: Shān Hăi Jīng)は、中国の地理書。
> 中国古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられており、
> 最古の地理書(地誌)とされる。

最新でも漢代だそうだが?
西晋の時代に書かれた三国志より新しい部分とはどこだか言ってみろ

ホント、畿内説のクズは息を吐くように嘘をつくな
0847日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:34:29.86
成立の古い「山経」部分は漢代までだが、異国情報を記した「海経」部分は南北朝ごろだぞ
0849日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:36:53.68
さて、返事を待たずにクズにトドメを刺すとしよう

『真朱』の用例で一番古いものは道教の経典、雲笈七籤の中で引用されている紫度炎光だろう
紫度炎光は陳寿とほぼ同時代の魏から晋の時代にかけての人物が書いたもの

http://www.yuyingchao.com/beike/html_jingdian/html_guoxue_daobu_22/478733.html
《紫度炎光》,五色錦各五十尺、上金五兩、沉香五斤、真朱一斤、書刀一口、金札七枚、絳紋七十尺之誓。

https://core.ac.uk/download/pdf/144469586.pdf
> 魏夫人(二五二〜三三四)が東晋の咸和九年(三三四)に世を去る以前に、王君が『紫度炎光経』を含む
> 上清経三十一巻を授けたことになっている。
0850日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 00:52:18.23
横からだけど、余り煽るのも、よろしくないかと


……あのね、どうせ信じてくれないだろうし
具体的に書くつもりもないんだけど、そこらの記述ね。

実は全然、違う事が書いてあるんよ。

がんばって解読して、
ある程度、読める様にもなってるんだけど。

……なんか、ヘンな事が書いてあるなって時には
資料の段階で、ものすごい好い加減な処理がされてる事がある。

とかく、この手の記録に誤字や記述の混乱を
想定しちゃいけないとしがちだけど。
現代の文書みても誤字や(伝聞上の)誤解など
まったく少なくない訳だ。
5ちゃんに自身が書く際ですら、誤字なんてありふれてる。
むしろ、古い記事ほど、なんかべらぼうな混乱やミスが
ある事を考えた方が良い。

編集してる方も、いまひとつ意味が分からないまま
こうだと解釈して、こう書くけど、
(しかも、そのままコピーじゃなく勝手に語を補ったり)
実はぜんぜん違う意味だったりする事もある。

「AはBが好き」って書く場合でも。
後世のある人は「AはBを好き」と解釈するけど、
また別の人は「AをBが好き」と解釈する。
両者が正しく日本語を読んでるのに、
結論が正反対になる…そういう事も有り得る訳だ。
0852日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 01:09:45.86
>>845
>魏志倭人伝
>「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
>真珠(パール)と青玉の宝物のみが『出』 それ以降の木だの植物だの獣だのが『有』
これは今解釈しようとしている箇所そのものだから史料にはならない。

>通典
>「其山出銅,有丹。土氣溫暖」
>有用な銅は『出』 安いベンガラは『有』
これも全く同じ文脈で、丹がベンガラかどうかは不明。「有」が価値あるものには使用しない根拠にはならず、採取が容易なことを示すだけかもしれない。

>>849
>『真朱』の用例で一番古いものは道教の経典、雲笈七籤の中で引用されている紫度炎光だろう
>紫度炎光は陳寿とほぼ同時代の魏から晋の時代にかけての人物が書いたもの
>《紫度炎光》,五色錦各五十尺、上金五兩、沉香五斤、真朱一斤、書刀一口、金札七枚、絳紋七十尺之誓。
確かに「真朱」と使われている。三国志だけは調べたんだが、知りませんでした。
ただ魏志倭人伝の「真珠」が「真朱」の誤記である根拠にはならない。
後漢書では「真珠」を「白珠」と言い換えているので「真朱」のことではない可能性依然あると思う。
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 01:26:06.80
横からだけど、ところで……

>白珠 青大句珠

「大句」は、どういう解釈になってるんだろう?

青珠を貫いてる様だけど
0855日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 02:30:26.48
>>852
> 露天掘りなら有用な産物でも『有』と表現するソースと、当時の日本で水銀朱を露天掘りしていた採掘跡のソースを出してもらおうか
> 出せなければお前のデタラメ確定な
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 03:18:53.04
三国志烏丸鮮卑東夷傳から物品に対する用例を見ると、出は各国の名産品で、有は価値の判断をせず、そこにあるという存在を示すだけ
という使い分けのようだな

「出名馬。赤玉、貂狖、美珠。珠大者如酸棗。」(夫餘条)
「出好弓、所謂貊弓、是也。」(高句麗条)
「出赤玉、好貂。今所謂挹婁貂、是也。」(挹婁条)
「樂浪檀弓、出其地。其海、出班魚皮。土地饒文豹。又出果下馬、漢桓時獻之。」(濊条)
「出大栗、大如梨。又出細尾雞、其尾皆長五尺餘。」(韓条)
「國出鐵。韓、濊、倭皆從取之。」(弁辰条)

有の例
「有宮室、倉庫、牢獄。」(夫餘条)
「夫餘庫有玉璧、珪、瓚。數代之物、傳世以爲寶。」(夫餘条)
「有五穀、牛、馬、麻布。」(挹婁条)
「有麻布、蠶桑作緜。」(濊条)
「有瑟、其形似筑、彈之亦有音曲」(弁辰条)
0860日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 05:43:13.97
>>850
これって百済スレの人かな?
すごい邪魔
0861日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 07:46:08.43
>>857
>勾玉って中国でも出土してるのかね?

勾玉も倭国(阿波)が発祥・供給地 と、何度言えばw  @阿波
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 07:58:49.69
>>859
>やっぱり水銀朱だとしたら「出」でなければおかしいな

丹も倭国(阿波)が発掘・供給地 と、何度言えばw  @阿波
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 08:31:16.03
>>863
>なんかお前ももう邪魔な存在になってきたな


だろうね、真実には勝てないからね。  @阿波
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 08:44:44.24
>>865
いや妄想ばっかじゃんw
都合悪いと怖得られないじゃんw

>まだ言ってんの?  「其山有丹」   魏に献上したのも「丹」   あとは推して知るべし。

>どこに献上したなんて記載があるんだ???
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 08:51:12.69
>>866
>どこに献上したなんて記載があるんだ???

言っとくけど、「丹木」なんてものはないよ。  @阿波
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:01:48.92
∩  /⌒ヽ,  で、どこに献上したって記載があんだ?  ∴.'  .. ∧_∧ ∴.'
| |  / ,ヘ  ヽ∧_∧      --_- ― = ̄  ̄`:, .∴)'     ((( 阿波 )
| | .i l \ (  ´Д`)ヽ, _,-'' ̄  = __――=', ・,‘ r⌒>  _/ / ・,‘
| |ニヽ勿  ヽ,__    j  i~""  _-―  ̄=_  )":" .  ’ |y'⌒  ⌒i .'  ∴.'
∪       ヽ,, / / __,,, _―  ̄_=_  ` )),∴. ) |  /  ノ |∴.'∴.'
       ヽノ ノ,イ     ―= _ ) ̄=_)   _), ー'/´ヾ_ノ
       / /,.  ヽ,        _ _ )=  _) ,./ ,   ノ  ∴.'  ∴.'
      丿 ノ ヽ,__,ノ           = _)   /  / /∴.' ∴.'
      j  i                      / / ,'
     巛i~                      /  /|  |
                            !、_/ /   )
                                |_/
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:02:58.95
>>844
倭には「出真珠」と書かれてるから真珠は倭の特産品
倭の特産品を魏が倭に贈るのも変だし鉛丹と併記されてるから
50斤の真珠は真朱の誤記で水銀朱ことだな。
実際に北部九州地域では中国産の水銀朱が出土してるからね。
「其山有丹」の丹は水銀朱じゃないよな、魏志倭人伝では水銀朱は真朱で丹は別物ですね。
0871日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:03:55.64
>>868
>で、どこに献上したなんて記載があるんだ???


「其四年倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木付短弓矢」  @阿波
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:12:34.61
>>871
出せるんだったらさっさと出せよマヌケ
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:19:51.81
>>872
>出せるんだったらさっさと出せよマヌケ

えっ、マジで知らなかったのかね???
それとも、私が知らずに言ってたと思ってたのかね???  @阿波
0874日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:27:00.10
>>870
>「其山有丹」の丹は水銀朱じゃないよな、魏志倭人伝では水銀朱は真朱で丹は別物ですね。


まだやってんの?   「其山有丹」   魏に献上したのも「丹」   あとは推して知るべし。  @阿波
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:28:40.13
前後も考えずに
また軽薄な区切りで読みたいというわけか
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:30:26.21
>>871
丹と丹木は別物
一緒にしたら笑われるよ。
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:31:30.02
>>875
>また軽薄な区切りで読みたいというわけか

言っとくけど、「丹木」なんてものはないよ。  @阿波
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:33:45.30
>「丹木」なんてものはないよ
というところは
これは正解
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:35:54.26
>>877
丹木あるよw
赤い木のことだよ
赤い木の付いた短い弓矢
丹を取って木の付いた短い弓矢じゃ説明にならない
木の付いた弓矢って普通だからな
赤い木だから丹木付との説明が必要なんだよ。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:44:31.58
「丹+木付+短弓矢」と区切ってまともな説明ができるのなら良いだろうが
これも無理だろう
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:47:19.52
どうかな

��
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:48:40.70
中国で日本産の水銀とか出土してないからなw
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 09:51:21.09
「丹+木��+短弓矢」と区切って
まともな説明ができるのなら良いだろうが
これも無理だろう

[木��]が何ものなのか
納得のいく説明ができるのなら
ぜひやってみてくれ
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:02:27.79
倭地の産物としては長弓が主体だが
短弓も産出し
掖邪狗が 特別なものとして それを献上した
というところがみそなんだよ

掖邪狗と[��+短弓矢]とは特殊な関係上にある
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:08:52.02
>>870
>「其山有丹」の丹は水銀朱じゃないよな、魏志倭人伝では水銀朱は真朱で丹は別物ですね。

このサイトで「真朱」をキーワード検索したら1件もヒットしない。
http://www.seisaku.bz/search/word_count.php
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:17:00.03
水銀朱は真朱とも書くが、
倭人伝では、この真朱のことを真珠と書き、しんじゅ(パール)は白珠と書いてる。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:20:06.23
誰か知らんが、丹中毒患者がいるようだ。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:56:33.40
>>887
何で東夷伝もヒットしないんだ?
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 10:58:59.18
東夷伝は真珠だったw
すまん。
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:00:32.02
真珠が東夷伝の2件しかないな。
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:01:32.52
>>888
そうすると「出真珠青玉 其山有丹」だから、
「水銀朱と翡翠が産出し、山にベンガラがたくさんある」
と解釈するわけだね。
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:23:13.74
>>893
そうすると「其四年倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人上獻生口倭錦絳青縑緜衣帛布丹木付短弓矢」だから、
「倭王はベンガラを献上した」
と解釈するわけだね。  魏もなめられたもんだ。  @阿波
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:33:38.71
>>888
白珠は単なる白い珠のことで真珠ではないよ。
0897日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 11:50:28.68
>>896
おお、そうなのか。
じゃあ、後漢書 東夷列傳で
「出白珠・青玉 其山有丹」と
魏志倭人伝の真珠を書き換えたのは、その後の情報で倭で産出するのが実は真珠ではなく、単なる白い珠だったとわかったからだね。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:03:11.02
後漢書のは、文字通り「白珠(パール)と青玉(ヒスイ)」の意味。
何から何まで、倭人伝をまねできなかったので、白珠5000孔の部分をパクってちょこっと入れ変えた。
0900日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:06:00.43
>>899
ほお。
じゃあ、魏志倭人伝の
「壹與 遣 倭大夫率善中郎掖邪狗等二十人 送 政等還因 詣 臺 獻上 男女生口三十人 貢 白珠五千孔 大句珠二枚 異文雜錦二十匹」
の貢物はパールではなく単なる白い珠でOK?
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:12:20.65
>>900
あれ、なんかこんがらがってるぞ。
倭人伝の白珠五千孔はパールのこと。後漢書の「白珠」もパールのこと。

>>895
「犭付」は、テン(貂)かなんかで、その丹色の毛皮のことじゃないかねえ。
0903日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:32:11.28
>>880 が正解

[��] http://www.zdic.net/z/96/sw/24754.htm
[��] [豺狗 豺狼 wolf]
掖邪狗の[狗]が盛り込んである

「丹木��短弓矢」は
[丹]色[木]製[��] (=[豺狗 豺狼 wolf])の[短弓矢]で

考古遺物からいうと
昌原茶戸里1号墓から出土している漆塗短弓矢のたぐいだろう
0904日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:36:07.65
テンはイタチの一種だが、
イタチ類はけっこう色鮮やかで、金色、黄色、赤色(丹いろ?)などいろいろ。とくにテンの毛皮は上等。、
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:38:25.89
>>901
これは?
896 名前:日本@名無史さん :2018/12/10(月) 11:33:38.71
>>888
白珠は単なる白い珠のことで真珠ではないよ。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:43:33.76
>>903
いろいろ考えたが、丹色の産物としてはウルシも考えられるね。これが正解かな。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 12:54:52.13
>>906
>いろいろ考えたが、丹色の産物としてはウルシも考えられるね。これが正解かな。

倭国(阿波)にはおしろいを塗るごとく水銀朱があるんだから、ウルシなどとケチな事しなくとも・・・  @阿波
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 13:08:18.25
そう遠慮するなよ
安くてケチなウルシを体中に塗りたくってくれ、仕上がりは保証する、、、
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 13:16:41.44
>>908

まぁ、だけど献上品としてはベンガラよりウルシが格段の上だろうけどね。  @阿波
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 13:29:21.46
日本で水銀朱を塗った遺体って出てるかね?
熊本でベンガラ塗ったのは出てるけど。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 13:38:32.17
遺体ではなく棺の中に塗りこめた。
平原遺跡をはじめとした九州北部の多くの弥生王墓の代表的な様式。
成分分析では中国産の水銀朱と考えられている。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:02:25.44
>>910
>日本で水銀朱を塗った遺体って出てるかね?

本当になんにも知らないんだね、倭国(阿波)を。  まぁ、今までの日本古代史を牛耳ってた連中が原因なんだろうが。  @阿波

徳島では、鶴島山古墳群(徳島市)、犬山天神山古墳群(同)、カンゾウ山古墳群(板野町)から出土した人骨が朱染めであった。
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/cc/51.htm
https://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/f617dcd9430bb88875f8dfd27726cb09
0913日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:24:53.89
狼や野犬が掘り返して食べないようにしてるわけだな
0914日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:34:29.97
>>901
魏志倭人伝の白珠五千孔はパールではありません
白色の石の珠に穴を空けたもの
孔は穴のことで、穴の開いた白い石の珠5000個
魏志倭人伝では出真珠がパールのこと。
後漢書の白珠は魏志倭人伝からの転記する際に書き換えただけですから
パールのことでしょうね。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:54:00.03
>>906
朱漆の木か元々木肌が赤い木かでしょうね。
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:54:07.87
パー
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:55:27.80
水銀朱を塗った遺骨は北部九州地域だ多く出土してますね
遺体には水銀朱ですね。
0918日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 14:59:04.85
天然の真珠なんて2〜3mmの大きさしかないものが殆ど
穴を空けられるような大きい天然真珠5000個を集めるには南百年も掛かる。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 15:48:56.94
>>917
>水銀朱を塗った遺骨は北部九州地域だ多く出土してますね

九州一押しの「ベンガラ」じゃないの?  @阿波
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 15:51:03.77
>>915
>朱漆の木か元々木肌が赤い木かでしょうね。

それを貢物に?  魏も舐められたもんだw  @阿波
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 15:53:06.80
ちょっと想像してみるに
自身がアメリカ人と英語で会話するとしよう。

辞書をひきひき、どの程度まともな会話が
できるとイメージできるかな?
(アメリカ人ってのは難易度が低い。
むしろ、全然知らない国レベルの相手と
辞書ひきながらの会話って設定にしたいんだけど、
それだとイメージしにくいんで仕方ない)

ぶっちゃけ、かなり間違いだらけの会話になりそうだよね。
(英語が、よほど得意な人以外は)
特にヒアリングがきつそう。

で、魏志倭人伝にあるような時代は
その十倍ぐらい大変だったと思うべきなんだよね。
辞書も無いだろうし。

頭の中で、スーパー言語力をもつ人たちが
会話してたはず……ってイメージする人には悪いけど
いろんな勘違いや聞き違いはあったはず。
そこは覚悟しといた方が良い。

細かい一字一字の解釈で一喜一憂しても
おそらく、ほとんど意味がない。
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 15:58:31.15
>>919
棺内部や石室内部はベンガラ塗りで
遺骨には水銀朱。

>>920
水銀朱とか魏では珍しくないから魏への献上品にはならないよ。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:01:14.52
>>921
>細かい一字一字の解釈で一喜一憂しても
>おそらく、ほとんど意味がない。

トンデモ説はその「一字一字の解釈」が死活問題だからw  @阿波
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:03:36.29
>>921
トンスラーは巣(百済スレ)に帰れ
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:04:15.56
>>922
>棺内部や石室内部はベンガラ塗りで
>遺骨には水銀朱

その格下の「ベンガラ」を献上品に???
0926日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:10:33.89
>>922
>水銀朱とか魏では珍しくないから魏への献上品にはならないよ。

九州では非常に珍しかったようで、大事な古墳に使ってるね。 なんでだろう? 「其山有丹」がないからだね。  
倭国(阿波)では日用品だったらしいよ。  @阿波
0927日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:20:47.64
>>925
>>926
朱やベンガラとか魏では珍しくないから貢物になりません
魏の皇帝が珍しがるようなものでないと
ただの弓矢でなく倭人の赤く塗った木で出来た弓矢?とか
魏のものとは違う珍しい織物とか。
0928日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:23:31.66
まあ、そもそも木の弓矢なんて普通ほしがらんよなぁ

送る方も送る方だ
0929日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:27:07.71
魏のとは違う倭人の赤い弓矢でしょうね
精一杯じゃない。
0930日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:44:35.88
樹下馬と並んで先方が垂涎する著名な
樂浪檀弓の流れを汲むものかもしれない
0931日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:46:46.35
>>927
>朱やベンガラとか魏では珍しくないから貢物になりません
>ただの弓矢でなく倭人の赤く塗った木で出来た弓矢?とか

漆はめずらしかったの?
その弓矢に赤く塗るものって、朱やベンガラ以外だとなんだろうね。  @阿波
0932日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:49:26.69
>>930
>樹下馬と並んで先方が垂涎する著名な
>樂浪檀弓の流れを汲むものかもしれない

本家のものより、倭国製のがいいようだね。  @阿波
0933日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 16:53:42.68
倭國の王族には濊系のも混在していたで間違いなかろ
0935日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:01:47.22
やまたいこく・・・ひみこ?

何だか知らないけど、
頭の病院に行ったほうが良いんじゃないのか?
精神病院?というところがあるから、そこね
0936日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:02:27.65
>>912
これって死んだあとで振りまかれたやつじゃね?

倭人伝にあるような、生前に塗ったのは
わからんもんかね?
0937日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:06:00.35
樂浪檀弓は濊のところで出てくるよ
矛をばかでかく拵えるのも濊だろ
>>934 のきみは 
もっと東夷伝まじめによんだほうが良いよ
この時期で濊系といったら 
扶余の王族も高句麗の王族も濊系だしね
0938日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:08:48.10
というか成り済まし?
みたいのがいるんだけど、何なんだろう


系図なども作ったりしているの?
偽の系図とか、無理に繋げていたり
0940日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:12:42.38
ちなみに家は『松傾』?

本当に同じ家なんだけど、
松の木が立てられていて、立っている人の写真とか
0941日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:27:56.16
水銀朱は九州では非常に珍しかったようで、大事な古墳に使ってるね。 なんでだろう? 「其山有丹」がないからだね。  
倭国(阿波)では日用品だったらしいよ。  @阿波
0942日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:32:45.09
>>927
>朱やベンガラとか魏では珍しくないから貢物になりません
>ただの弓矢でなく倭人の赤く塗った木で出来た弓矢?とか

漆はめずらしかったの?
その弓矢に赤く塗るものって、朱やベンガラ以外だとなんだろうね。  @阿波
0943日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:34:11.24
>>930
>樹下馬と並んで先方が垂涎する著名な
>樂浪檀弓の流れを汲むものかもしれない

本家のものより、倭国製のがいいようだね。  本当かね?  @阿波
0944日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:35:59.94
>>937
馬鹿なのか?東濊と扶余は別民族だぞ
言語すら違う
0945日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 17:53:00.06
其印文言「濊王之印」
國有故城名濊城 蓋本濊貊之地
而夫餘王其中 自謂「亡人」 抑有以也
0946日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 18:02:12.24
[濊貊]を括って[濊系]だといっている
当然のこと[阿残]も[濊系]
0947日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 18:55:57.40
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0948日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 19:28:18.03
>>945
それ、夫餘王のいるところが過去には濊王の拠点だった故地だってだけじゃないの?

つまり夫餘王が後から移住してきた侵略者と言ってるだけのような?
0949日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 19:48:57.49
其(夫餘王之)印文言「濊王之印」
夫餘の首長は濊王に叙任され印綬をされている
濊の王だ

[國有故城名濊城] は [不耐濊城]の謂いだ

而夫餘王其(不耐濊城)中 自謂「亡人」 は
夫餘王依慮が慕容廆に攻められ自殺(AD285)
子弟(依羅)走保沃沮
のイベントが東夷伝中に追記されたものだ

ちなみに不耐濊城にもとからいた不耐濊侯は
くだんの(AD247)正始8年に王に叙任されている
0950日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 19:51:24.06
× 印綬をされている
○ 印綬を仮されている
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:11:41.27
>>922
>水銀朱とか魏では珍しくないから魏への献上品にはならないよ。

九州では非常に珍しかったようで、大事な古墳に使ってるね。 なんでだろう? 「其山有丹」がないからだね。  
倭国(阿波)では日用品だったらしいよ。  @阿波
0952日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:12:41.17
>>927
>朱やベンガラとか魏では珍しくないから貢物になりません
>ただの弓矢でなく倭人の赤く塗った木で出来た弓矢?とか

漆はめずらしかったの?
その弓矢に赤く塗るものって、朱やベンガラ以外だとなんだろうね。  @阿波
0953日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/10(月) 20:13:34.94
>>930
>樹下馬と並んで先方が垂涎する著名な
>樂浪檀弓の流れを汲むものかもしれない

本家のものより、倭国製のがいいようだね。  本当かね?  @阿波
0957日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/11(火) 23:40:04.88
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0960日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 20:47:23.39
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)だったとして、なんで記紀はそれを記録しなかったの?
0962日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:05:47.42
案外九州の小さな集落を誇張して魏に伝えていただけでは?

対馬国(対馬)対馬市
一支国(壱岐)壱岐市
末慮国(松浦)松浦市
伊都国(糸島)糸島市
奴国(板付)福岡市博多区
不弥国(宇美)糟屋郡宇美町
投馬国(嘉麻)嘉麻市
呼邑国(的邑)福岡県浮羽郡
為吾国(生葉)生葉郡
巴利国(杷木)上座郡杷木町
躬臣国(玖珠)玖珠郡
鳥奴国(宇佐)宇佐市
邪馬台国(耶馬渓・仲津)中津市

狗奴国(呉部)久留米市
0963日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:08:30.98
誇張というより、弥生時代に列島で一番栄えていたのが九州北部だよ。
0964日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:09:08.19
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg
0965日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:18:57.59
>>960
筑紫の日向という呼称で記録してある。
イザナギが国生みを始め、ニニギが降臨し、神武が出立し、卑弥呼が葬られた倭国の王都。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/13(木) 23:23:08.01
>>965
イザナギの本貫は?
0968日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 00:00:22.27
誰かが豊国と言っていたな。
豊国の姫に天津神が婿入りするのが習わしだったのだのかもしれない。
0969日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 00:02:55.36
あ、イザナギとイザナミを間違えた。
イザナギは高天原だろ。
壱岐か対馬だろう。
大博打で沖ノ島。
0970日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 06:20:48.33
>>965
>筑紫の日向という呼称で記録してある。

ウソはイカンぜよ。
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」 
高らかに、倭国(阿波)を讃えていますね。   @阿波
0971日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:09:19.24
>>964
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)

この部分は良さそうだ。
0972日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:18:21.31
1番 斯馬国は鹿島・嬉野

11番 呼邑国は宮崎県児湯郡
0973日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:25:15.87
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0974日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:41:10.66
奴国(福岡市)のすぐ隣に志摩半島(糸島市)があるから、そこは間違いない。
0975日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 08:47:46.66
間違いないと決め込むと、全体が見えなくなり、修正が効かない
0976日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 14:23:22.28
>>963
>誇張というより、弥生時代に列島で一番栄えていたのが九州北部だよ。

その「弥生時代」っていつのこと?

紀元前から一世紀までは、大陸との関係で言えば九州北部が中心だったと言えるけれど、
三世紀には見る影もないほど倭国内の相対的な地位が凋落してるよ

弥生時代という幅6百年くらいの期間をごっちゃにしたら、話が見えなくなるだけ
0977日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 14:25:48.01
>>974
>奴国(福岡市)のすぐ隣に志摩半島(糸島市)があるから、そこは間違いない。

むしろ、ヤマト国のすぐ東に(伊勢)志摩があるから、そっちじゃないかな?
邪馬台国のすぐ後に「次有斯馬國」とあるんだし
0979日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 18:07:19.95
>注
倭国というのは九州国家だからな。
鉄器を持つ倭人の故郷ね。

3世紀にもなっていまだ鉄器ゼロの毛人の住む東征町の未開地域とは別物ですよ。
0980日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 18:09:31.35
これも40年そこそこの後に書き上げられた同時代史

明年(608) 上遣文林郎裴清使於俀國
度百濟 行至竹島 南望��羅國 經都斯麻國 迥在大海中
又東至一支國
又至竹斯國
又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州 疑不能明也
又經十餘國 達於海岸
自竹斯國以東 皆附庸於俀

竹斯國がどこにあるのかは紛れがなかろう
0981日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 18:49:45.71
筑紫より東はすべて倭の領土である、と書いてある。
0982日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/14(金) 18:50:45.52
>>976
>三世紀には見る影もないほど倭国内の相対的な地位が凋落してるよ

卑弥呼の後に混乱があったから、そのためだろう。
0983日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 01:16:21.06
>>976
いや、庄内期の3世紀中頃までは北部九州が優位
庄内期の遺跡からの出土鏡の数は北部九州=本州全土ぐらいだよ
鏡文化の拡がりはみえるが、まだまだ圧倒的なんだよね
鉄もまぁ同じ状況

2、3世紀は平原遺跡や那珂八幡を頂点として、周辺の集落遺跡や出土物もかなり豊富だし

最近は硯など発見されて賑やかだね、このあたりは。
衰退とは?なぜそう思うか?正直わかりかねるな
0985日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 06:32:02.44
>>947

おまえは、妄想と捏造を根拠とする基地外チョンだな。
0986日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 06:43:46.26
>>983
>2、3世紀は平原遺跡や那珂八幡を頂点として、周辺の集落遺跡や出土物もかなり豊富だし

「周辺の集落遺跡」って?   具体的に教えてPlease.  @阿波
0987日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 06:44:55.63
>>984
ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
前後の地名がほとんど佐賀県なのが気になります。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 07:06:40.38
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0989日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 08:05:32.98
>>979
一世紀の終わりごろから早くも鉄器の独占を崩されてて勢力の陰りを見せてた九州が、
それ以後も安定的に影響力を維持できたはずがない
二世紀の段階ですでに九州以外への影響力を失ってるぞ
0990日本@名無史さん
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2018/12/15(土) 08:36:38.76
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0991日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:25:33.73
>注
倭国というのは九州国家だからな。
鉄器を持つ倭人の故郷ね。

3世紀にもなっていまだ鉄器ゼロの毛人の住む東征町の未開地域とは別物ですよ。
0992日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:34:58.39
>>989
>二世紀の段階ですでに九州以外への影響力を失ってるぞ

本州などの田舎はどうでもいいと考えていたのだろう。
平原遺跡の出土品や魏志倭人伝などの史料からは、倭国の興味は政治的に重要な大陸や、資源(鉄)がある半島にばかり向いていた。
0994日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/15(土) 10:59:46.17
土器焼きは下層民の仕事だろうな
支配地から奴隷を連れてきて焼かせたらそいつらの出身地風の土器を作るわな
0995日本@名無史さん
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2018/12/15(土) 11:02:34.78
奴隷だって生活するのに土器が必要だからな。まさか支配層が用意してあげるわけもなし。勝負あり。
0996日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 16:04:33.50
>>989
鏡副葬文化の礎の中心地なんだが?

平原は古墳時代に続く「割竹形木棺」でもある
これも重要だろうな

影響力は大だろう
様相は直接的ではなく間接的な拡がりの様に見えるがね
0997日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 17:55:17.43
>>989
>二世紀の段階ですでに九州以外への影響力を失ってるぞ

根拠のない妄想で、イミフとしか言いようがない。
こいつの頭はどうかしている。
0998日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 18:07:47.25
1世紀後半ぐらいから出雲が鉄輸入の窓口として台頭し、九州以外の地域の諸勢力が出雲経由で買うようになった
九州は自前輸入だけになって列島各地への輸出をしなくなった

3世紀になれば出雲に加えて若狭経由の移入も出はじめてるぐらいで、もはや九州の隆盛は完全に終わっている
0999日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 18:14:57.55
>九州は自前輸入だけになって列島各地への輸出をしなくなった

もともと輸出なんぞしとらんぞwww
1000日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 18:16:32.22
四隅突出墳丘墓に夢を見ているなら、
四隅突出のど真ん中の要衝である若狭湾を北部九州系に抑えられているから、
全て北部九州邪馬台国、つまり卑弥呼の配下であり、
伊都一大率が監視していたわけだな。
10011001
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