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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart38【歓迎】
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0001日本@名無史さん
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2018/11/12(月) 18:31:08.10ID:tZXMRjLx
<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・質問が続くようでしたら,「名前」欄に「最初の質問のレス番号数字」を入れることをお奨めします。
・ここは日本史板なので,沖縄史は対象として不可です。
・このスレでは過度な論争は自粛してください。政治的な主張の場ではありません。
・煽り質問もままあります。スルーしてください。

前スレ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ46
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530453710/
0606日本@名無史さん
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2019/08/25(日) 23:00:22.33
>>602
噫横川国民学校
0607日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 00:02:19.53
昔は偉い方の名前を呼ぶのは憚られたので、邸宅の門を呼ぶ→御門→帝→帝から派生して帝王、帝国など
こんな流れだったと思いますが、偉い方って天皇だけに限らず、大臣、将軍、提督、などは御門→帝にはならなかったのですか?
その国で一番偉い人だけって感じだったのですか?

ちなみに帝や帝王、帝国って呼び方は本国だけでなく、複数の植民地や属国を持っている国(帝国)やその国のトップ(帝、帝王)に使われる呼称で、本国だけの場合は使われなかったのでしょうか?
0608日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 05:59:14.35
>>607
殿様の殿はその人の住まい、御殿のこと
デーモン閣下の閣も住まいのこと

日清戦争で日本の後押しにより清の冊封体制を脱した朝鮮国王は大韓帝国皇帝を称した
0609日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 06:04:32.23
 調子にのって大韓帝国皇帝を称した
0612日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 09:30:13.25
イギリスは国王でありながら大英帝国、英連邦の盟主
朝鮮王は大清帝国の向こうを張って皇帝を名乗るし、もうイロイロじゃね
0613日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 09:44:11.02
イギリスはムガル皇帝を引き継いだ
0614日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 10:34:08.40
徳川家康の正室も住まいの築山御殿から転嫁して築山御前と呼ばれるようになったとか
0615日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 11:02:28.77
伊勢神宮外宮の神官で伊勢神道を確立した渡会家行って、義務教育たる中学日本史には
出てこないけれど、業績的にそこまでの人物ではないってことなんでしょうか
内宮よりも外宮の方が格上と主張して実際に世間を動かしたようですし、
空前の伊勢参拝ブーム(おかげ参り)の頃は内宮よりも外宮の方が格上とされて、
実際に参拝者も外宮の方が多かったみたいです
これって結構な影響力があったと(後世から見て)判断されてもおかしくないと思います

それと、外宮の神様は内宮の神様(天照大御神)の食事を司る神様なので、
どちらが上とか下とか考えなくてもいい気がしますが、それでもやはり
天照大御神は皇室の祖霊神なので、その皇室の祖霊神よりも格上って主張する
ことって当時の知識層、政治上層部的に如何なものだったんでしょうか?
0616日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 12:39:16.08
>>612
イギリスは国王がムガル帝国皇帝を兼任してるという仕組みなので、皇帝の地位としては正式な皇帝だよ
いまはムガル帝国がないので、イギリスは帝国じゃなく王国になった
0617日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 12:46:15.54
日本がEmperorなんて言ってるけどナマイキ、日王がせいぜいだと言う向きもあるが
0618日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 14:21:05.10
>関ヶ原の戦いでは父の九鬼嘉隆(西軍)と子の九鬼
>守隆(東軍)が東西に分かれて戦い

こういうのって何とも思わないの。
内通してるんじゃないのとか?

家康が勝っても父親の敵になるわけだし
0619日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 15:09:01.13
>>615
神道の歴史上では大きなトピックではないかと
ただ、中学レベルだと神道の歴史そのものの扱いが低くて、ほとんど習わないからな。それだけだろ
0620日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 15:25:34.80
>>619
空也上人や一遍上人は中学日本史に出てきますが、度会家行と比較して、やはり
それだけの功績があると判断すべきですか?
0621日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 18:19:15.52
仏教は重要だけど神道は仏教ほど重要ではないとの認識かと
0622日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 18:31:40.25
空也、一遍らの寺院、教団に依らずして一途に民衆救済の生涯を送ったことなんて、教科書的にはカッコいいんじゃないかしら
神官の渡会さんが仏教界にもケンカ売ってまで自分のところを持ち上げたなんてのは、教科書に書いて全国の少年少女に知らしめなくても‥という感じかしらね
0625日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 20:54:39.85
>>618
真田もそうだし、普通のことです。どっちが勝っても家を残すことが一番大事なので。
家というのは仕える人間がいっぱいいる今で言えば会社みたいなものだから簡単に潰すわけにはいかないの。
0626日本@名無史さん
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2019/08/26(月) 22:53:22.46
>>621
仏教の方が重要ってのはその通りなんだろうけど、逆に仏教は鑑真、最澄、空海、
法然、親鸞、日蓮、栄西、道元など重要人物が多いから、もう一遍や空也はいいか、
ってなったり、神道は重要人物が少ないからせめて渡会家行や吉田兼倶あたりは
入れておこうかってなったりしないのかな
>>622
バランス考えて、行基、一遍、空也の中から1人って感じではダメなんかな
いやあまりにバランスが悪い気がするのでね
0627日本@名無史さん
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2019/08/27(火) 01:18:14.98
>>588
泉重千代さんもいい加減な届出のパターンかな?
泉家が重千代さん(初代)を養子に貰う→重千代さん(先代)死去
→再び養子を貰うが届出が面倒なので、
そのまま重千代さん(二代目)にしてしまった。
なお重千代さん(初代)の死亡届は面倒だから出してない。

こんなところだろうか?
まさか二代目重千代さんが驚異的に長生きすると思わなかったんだろうな。
0628日本@名無史さん
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2019/08/27(火) 03:29:58.49
>>627
二代目養子の届出をしないということは、その二代目の実家での戸籍が消えない
実家で延々生き続ける
0630日本@名無史さん
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2019/08/27(火) 11:45:52.59
中山みき、出口なお、出口王仁三郎、このへんの開祖は?
0631日本@名無史さん
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2019/08/27(火) 11:46:39.53
武烈天皇が崩御してから継体天皇が即位するまで2年皇位が空位の時期があったようですが
その間の政治はどうしていたと思われますか?
0632日本@名無史さん
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2019/08/27(火) 12:22:28.92
中央集権国家じゃないので、政治の大半はそれぞれの領地内で完結します
各豪族の領地それぞれが国みたいなものです
中央政府たる朝廷の仕事がさほど多くなかったから、どうにか回ってたのでしょう
それでも、大王が空位だと困ることは多く、
どうにかして大王を決めて即位させたいと諸豪族が願う程度には
存在意義が認められていたとは言えます
中世の神聖ローマ帝国とかより、もう少し中央の存在意義が大きいのではないかと
0633日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 00:43:42.96
明治天皇の有名な御製、「四方の海、皆同胞と思ふ世になど波風の、立ち騒ぐらむ」の
「など」はどういう意味なのですか?
意味は「四方の海、みんな同胞と思う世の中なのに、なぜ波風が立ち騒ぐのだろうか」って
感じですよね
0634日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 05:58:00.39
など←なんど←何と
 ➀「なぜ」という疑問詞 ➁「‥など」と例示する副詞
 今日では例示の方の使い方しか生き残っていない
0635日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 10:54:20.97
>>634
ありがとうございます
この御製を詠むときに、この「など」の部分がどうにもしっくりこないのでした
0636日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 12:37:13.15
「などて すめろぎは ひととなりたまひし」(英霊の聲 三島由紀夫)
0637日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 20:18:22.07
よく安倍首相が政治的レガシーを求めて、憲法改正を目論んでいるといわれますが、
安倍首相が憲法改正を果たした場合、歴史的に見て、吉田茂のサンフランシスコ講和條約、
岸信介の安保改定、佐藤栄作の沖縄返還&ノーベル平和賞、あたりと比較して如何でしょうか?
0638日本@名無史さん
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2019/08/28(水) 21:53:12.48
安倍首相の本心である天皇制廃止を入れ込んだ場合,皇紀2680年の歴史的偉業を果たすことになります
0640日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 12:17:47.42
親鸞の主著は「教行信証」ですが、一般的には「歎異抄」が有名です
なぜなのでしょうか?
0641日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 14:28:24.59
歎異抄のほうがわかりやすい、読みやすいから

教行信証は漢文体(親鸞が他の坊さんが読むために書いた専門家向けの本)だけど、
歎異抄は一般の人が読むよう(親鸞の弟子の唯円が書いた)書かれたもの

あと、歎異抄は短い章で区切られており、とくに前半部分は親鸞のエピソードなんかが
ちりばめられており、文章の平易さ、短さ、親鸞の話などがあって一般化した

ちなみに一般化したのは近現代で、清沢満之が流行らせて今に至る
0642日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 15:22:07.98
>>639
一般的な憲法改正は沖縄返還よりトピック性も重要性も低い
ただ、現行憲法は改正できないまま長く使われてて、しかもやたらと争点になってきたから、
普通の改正の場合よりトピック性が高いんだよな
0643日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 15:50:49.39
自衛隊をちょいと書き足すのと全面改正とでは全然違うわな
0645日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 17:57:27.04
北方領土は、ロシア側が返す気nothingだから、どうしようもない
2島先行でも無理なのに、ましてや四島一括とか。ロシアが滅びるほどの大事件でも起きない限り無理だろう
それですら、歴史的意義は沖縄返還より少しだけ上って程度だろうが
0646日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 17:58:28.72
小泉元首相の拉致被害者帰国は政治レガシーと言えるだろ
0647日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 18:19:02.99
拉致被害者を返してもらって見返りに経済援助するという話だったんだろうが、日本人同士、日本人とアメリカ人の夫婦一家だけ返してくれた
朝鮮人とのあと腐れのない分だけだ
被害者認定されているのはもっとずっと大人数
それも返せと言ったら、もう死んでしまったとか言ってニセモノの遺骨を渡して来たり‥
これどう評価する
0648日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 18:40:20.43
>>644
返還するの主語はプーチンだから,安倍のレガシーとするには「奪還」するしかないね
0650日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 21:43:05.37
>>647
だけど、それまで誰も行ってなかった北朝鮮に自ら乗り込んで
一部とはいえ拉致被害者を帰国させたのだから、レガシーと呼んでもいいと思う
問題はそのレガシー度をどう評価するか
0651日本@名無史さん
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2019/08/29(木) 22:18:45.39
>>649
平和裏に奪還するのに?
>>644は改正憲法に北方領土全島返還を明記するなんて穂高以上の安倍は莫迦になるけどね
0653日本@名無史さん
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2019/08/30(金) 01:40:34.24
朝鮮人の荒らしをおちょくる流れでしょう
人物を並べているのか,事績を並べているのか,後者ですね。
安倍の事績として憲法改正を挙げられ,改正の中身の話題。この流れで付け加える箇所は?
0654日本@名無史さん
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2019/08/31(土) 19:43:10.57
昔、日本史の授業のプリントで
鎌倉幕府2代目の源頼家について「常軌を逸した行動」とあったのですが
具体的に何が常軌を逸していたのでしょうか?
よろしくお願いします
0655日本@名無史さん
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2019/09/01(日) 17:01:32.49
2013年のセンター試験日本史の問題に「18世紀末から19世紀後半は(中略)物価は高騰し、貧富の差が広がった」ってありますが
他方で『暴力と不平等の歴史』P155には「労働者間での所得の不平等は減少していた(中略)エリートと庶民の格差も縮まりつつあった可能性がある」と書いてあります

どちらが正しいのでしょうか?
0656日本@名無史さん
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2019/09/01(日) 17:27:33.34
複数の説が対立してるだけでしょ
似たような対立はたくさんあるよ

戦国時代だって、開発と発展の時代って説と飢饉連発の厳しい時代って説が対立してるし
0657日本@名無史さん
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2019/09/01(日) 18:34:28.83
>>654
有力武将の合議制を廃止し独断専行に走ったとかだと思うけど
吾妻鏡は北条が監修した歴史書
比企氏の娘を娶った頼家は北条氏を遠ざけチーム頼家で固めようとしていたのね
焦った北条は先手を打って比企能員を謀殺し更には頼家を幽閉、後に暗殺した
その言い訳としてあること無いこと書いて自分らは悪くないってアピールしただけ
0658日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/01(日) 19:09:50.44
>『暴力と不平等の歴史』P155には「労働者間での所得の不平等は減少していた(中略)エリートと庶民の格差も縮まりつつあった可能性がある」
『暴力と不平等の歴史』という本?はググってもでてこないけど『暴力と不平等の人類史』のことかな?

幕末は俺の専門じゃないが、江戸時代の特定の藩のエリートやら庶民とやらは何をサンプルにしたにせよ、300諸藩全てのデータがあるわけじゃなし、
江戸時代から明治30年頃というのは範囲が広すぎて、可能性を言うなら何とでも言えるよねとしか…
0659日本@名無史さん
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2019/09/01(日) 20:58:58.65
現代史の質問で恐縮ですが、お願いします
1950年代から70年代にかけて、学費値上げ反対運動とか60年安保とか70年安保とか全共闘運動とか左翼運動とか
とにかくいろんな形や内容で学生運動が熱く盛り上がっていました
しかし、80年代以降さっぱり学生運動が盛り上がらなくなりました
盛り上がらなくなったというより、学生運動自体がほぼなくなりました
これは何が原因だと考えられるでしょうか?
数十年の長きにわたり、断続的に熱く盛り上がった学生運動は、戦後史のひとつのトピックになるかと思います
0660日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/01(日) 22:13:58.43
>>659
色々あるけど決定的だったのは、連合赤軍の内ゲバ。
印旛沼事件では2名、山岳ベース事件では12名の仲間をリンチ殺人するに及び、
浅間山荘事件ではライフルで武装し、無関係の女性を人質に取って警官2名を殺害。

これを見た普通の人たちは「学生運動って全然クールじゃないな」って思ったわけ。
0661日本@名無史さん
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2019/09/01(日) 22:49:48.20
>>660
ありがとうございます
連合赤軍の内ゲバやあさま山荘事件といえば、70年代中盤であり、学生運動の
末期の頃ですね
50〜70年代初期の間はそこまで酷いことはなかったのでしょうかね

あと、個人的には連合赤軍等も含めた「学生運動」は戦後史のトピックになりうるかと
思っているのですが、「もう一度読む山川」ではほとんど触れられていません
唯一触れられてたのは安保改定の時に大規模なデモがあったって点だけでした
客観的に見たとき、戦後史のトピックとするにはちょっと弱いでしょうかね
0663日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/02(月) 17:56:07.44
安保後の知識人の第三の問題は、「代用品」ということです。(中略)知識人は、最初、経済成長の過程で国民生活が豊かになって行く事実をあれこれと否認していましたが、そのうち、否認し切れなくなると、貧困は諦めるとして、
今度は、貧困に代わるものを探し始めました。何か探し出さなければ、国民は幸福になっているということになり、「現体制」-というのは、全く曖昧な言葉ですね-でよいということになり、シュンペーターの謂わゆる「批判的精神」の使い道がなくなるわけでしょう。
そこで、探し出されたのが、例の「疎外」という観念です。(中略)戦前の或る時期から、少数の人たちの間では用いられてた言葉ですが、経済の高度成長が進行するにつれて、猫も杓子も疎外ということを口にするようになりました。
確かに国民は豊かになって来ているが、しかし、貧困より更に不幸な疎外の状態にある、いや豊かになればなるほど、疎外は深くなって行く……。多くの知識人は、こういう合唱を始めました。
0664日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/02(月) 23:29:17.51
皇室と仏教、神道との関係がいまいちよく分からない
自分は天皇=神官のトップであり、神道のトップだと思っていたが、
歴代天皇は仏教徒であり、神道になったのは明治以降だとの意見もある
確かに聖武天皇や後白河法皇のように仏教を重用したり、出家した歴代天皇が
何人もいたのは知っているけれど・・・
敗戦+GHQによる神道指令によって国家神道は解体され、天皇の立ち位置も
変わったけれど、それ以降も皇室最大の重要祭祀「大嘗祭」は神道形式で
なされているし、皇室祭祀も見た感じ神道っぽいイメージ
しかし、敗戦以降の天皇が仏教祭祀や仏教的行事をすることはないし、
現在においては仏教との関係は薄そうに見える
この辺り詳しい方の見解を聞いてみたい
0665日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/02(月) 23:53:48.14
最初期の仏教導入の頃は、仏教を神道の諸神の一員に加える方向性のつもりだった模様
外蕃の神と見ていた

仏教を国政の柱のひとつに加える必要がでた奈良時代ごろには、
施設の質素さで外見的に見劣りする神道へのてこ入れに邁進したが、なかなか進捗がわるく、百年以上かけてようやく神殿設備が普及するようになった(それまでの神社には拝殿などなかった)
平安時代になると、神殿への配慮は弱まり、仏教の方が優越する感じ。
神道界の盛りかえしが始まるのは鎌倉時代には行ってからだが、それでも常に、神道より仏教の方が優越だった
神道が強盛になったのは明治維新後だが、その過程では零細神社の統廃合による大規模な整理(小規模な神社の過半が整理され消滅した)や、
民間習俗に関与する神社の活動の禁止など無茶な政策が強行されたりもしている
0666日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/02(月) 23:54:34.88
明治の神仏分離以前は神仏習合があたりまえ
神道は体系化された宗教とはいえない状態だったし
本地垂迹が主流で仏が主で神が従だと考えられてた
だから皇室も仏教を篤く信仰してた

それが神仏分離で、表向き皇室の仏教色はかなり薄められ、神道色が前面に出された
さらに戦後の政教分離で、神道ぽいけど表向きは神道ですらなくなった
しかし、歴史的経緯から、全国の有名神社だけではなく、
仏閣との間でも皇室の私的なつながりは今も残る
0667日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 00:10:05.62
>>664
近世までは一部の例外をのぞいて神道信者=仏教徒
皇室と仏教界は切っても切れない間柄だった
皇族が有力寺院のトップを務めていたし
天皇や院の指示による加持祈祷がバンバン行われていた
宮中行事も仏教的なものが行われていた

天皇=神道というイメージは近代のみの限定的なもの
0668日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 11:38:29.10
本来は仏教徒であり、明治維新で維新政府の都合により神道に特化した、ということであれば、敗戦や国家神道解体に伴って、また仏教徒に戻りそうなところ、そうではなく仏教色よりも神道色が強いまま令和に至っている印象
0669日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 12:02:12.67
他のいろんな制度も明治以前に戻らず、むしろ戦前踏襲に近いんだしな、宗教だけ戻すとはいかなかったんじゃないの
0670日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 12:44:56.36
>>668
仏教は江戸時代特権を利用して好き放題したせいで人々からの印象が悪い
戦後、敢えて「旧弊」に戻る必要もないよな政教分離も憲法に書かれたし、という感じかと
0671日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 14:17:29.10
しかし、歴代天皇のご真影やそのイラストなどを見ると、後白河法皇などごくわずかな例では仏装スタイルだけど、多くの例では衣冠束帯の神装なんだよね
天皇の正装=衣冠束帯という公式はある程度正しいのではないかな?
難しいね
0672日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 15:27:05.44
衣冠束帯は神道の装束なの?
別にそういうことでないのなら、出家してない人が普通の衣装として着ているんだと思うけど
0674日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 17:17:40.58
衣冠束帯と神道って全然関係ないの?
神職の格好ってまさに「ザ!衣冠束帯!」だから関係あると思っていたよ
0676日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 18:26:42.09
>>674
衣冠束帯って言葉をググってWikipedia読んだら冒頭の概説部分で即座に解決してたのにな
0677日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 18:58:34.06
歴史と神話

遺跡・遺物が偽物だったり、古文書に虚偽記載があったりすれば、それは神話であろう。しかしそれは、その偽遺跡・偽遺物や虚偽記載もまた、一つの歴史的遺産・歴史的遺物、歴史文書なのである。



それはなぜか?
0678日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:05:46.20
例えば、エジプトのピラミッドには、ナポレオンがダイナマイトで爆破した穴がある。同じくエジプトのスフィンクスには、イギリス軍が射撃訓練で撃ちまくった銃弾の跡がある。
作られただけが、ピラミッドやスフィンクスの歴史ではない。フランス軍に爆破されたり、イギリス軍に銃撃されたりしたことも、ピラミッドやスフィンクスの歴史なのだ。
0679日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:11:09.86
旧約聖書の創世記、ギリシャ神話、ローマ神話も、日本神話同様、それが史実であろうと史実でなかろうと古文書の一つであることに変わりはない。
0680日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:11:35.30
ノンフィクションだけが古文書でフィクションは古文書ではないというのならば、旧約聖書も古事記も日本書記も全て古文書ではないということになるだろう。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:19:37.66
慰安婦像や徴用工像は、平成・令和にかけて造られている。強制的連行が史実であろうと史実でなかろうと、慰安婦像や徴用工像が平成・令和に造られた一つの歴史的遺物であることに変わりはない。歴史はこれまで刻まれてきたと同様、これからも刻まれていくのである。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:25:25.07
過去の世界が歴史を刻んできた。
現在の世界が歴史を刻んでいる。
未来の世界が歴史を刻んでいく。
0683日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/03(火) 19:27:51.91
歴史は、人類の頭の中にではなく、この現実世界に刻まれている。ジュラ紀の文書などない。しかし、恐竜たちの化石が彼らの歴史を証明している。
0684日本@名無史さん
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2019/09/03(火) 20:46:44.16
天皇を形容する時、「日本人の代表として神々を祀る最高の神官」、これ以上の言葉がなかなかないもんね
0686日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 00:02:37.60
創価学会というと今でも池田大作氏(3代目会長)のイメージが強すぎて、
初代や2代目、4代目、5代目を凌駕しているように思います
これは池田大作氏がまだ健在なこと(同時代ということ)、活躍期間が
長かったことが影響しているだけであり、池田大作氏が亡くなった後
一定期間が過ぎて創価学会を俯瞰的に見たとき、社会における知名度や
ネームバリューはやはり初代の牧口常三郎氏や2代目の戸田城聖氏の方が
上になる可能性が高いのでしょうか
それとも池田大作氏が初代や2代目を超えている可能性が高いのでしょうか?
4代目、5代目は完全に3代目の陰に隠れてしまっていますが
0687日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 04:15:30.90
漢字が入ってくる前は日本列島には文字がなかったんですよね?
漢字伝来は4世紀後半という説が一般的なようですが、それ以前に大きい国というものは可能だったんでしょうか?
文字で管理されてない国というのは自分には想像しづらいのですが
日本神話等も漢字抜きで存在したとは想像しにくいです
0688日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 14:40:10.37
インカ帝国は文字を持ちませんでした。それでも帝国を維持してますよ。

神話などの伝承は口伝えです。古事記の序文にも書いてある。
0689日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 14:49:22.99
例えば古事記で一番初めに現れたとされる神々のうちで、至高神とされる天之御中主神はいかにも
中心的な神として後知恵で付けたような名前ですが、ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遅神、
可美葦牙彦舅尊)は意味不明な音だけ伝承されて後から漢字を当てたと見えます。
0691日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 15:29:10.18
文字はもってなかったけど、なわにむすびめをつくることでかずをしるしたりしてた
0692日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 15:41:38.46
文字のない頃は地方のことは豪族に丸投げしていたけど、文字を入れてからは風土記や万葉集を編んだりして全国の隅々まで土地や人民を直接把握した気分になったろうね
0694日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 17:29:10.09
>>688-693
ありがとうございます
確かに神の名前に残滓が感じられますね!
マヤ文明文字かわいすぎですね、最近のサブカル色強いマンガ家が描いたようにしか見えません
数を記す方法はあったんですね
0695日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 18:09:07.15
>>694
>数を記す方法はあったんですね
紙に書くとかじゃなくて縄の結び目で記録するんだけど解読されていません。
キープと言います。
0696日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 22:30:49.08
せんせい質問です∩(´・ω・`)

前方後円墳って、建造当時あの形状は何か固有名詞あったんでしょうか?

また後年、山の上とかから形を見た人が何かあの形を表現したとかあるんでしょうか?
0697日本@名無史さん
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2019/09/05(木) 22:51:52.28
固有名詞がわかってたら、埴輪とか須恵器みたいに、その名前で呼んでるよ
0698日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/05(木) 23:03:53.76
後の時代の人達は前方後円墳を見て
車塚とか二子山とか茶臼山とか
銚子塚とか鉗子塚とか呼んでるよ
0700日本@名無史さん
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2019/09/06(金) 01:13:38.19
塚という文字そのものが墓と関係する(墓の盛り土部分のこと)んだし、たいていの古墳は墓であることぐらいは知られてたんだろうな
被葬者は忘れられてた(江戸時代の学者が推測した研究結果をもとに関連付けしてるだけ)けどな
0701日本@名無史さん
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2019/09/07(土) 07:29:54.59
江戸時代、徳川が外様大名家に養子を送って松平姓を名乗らせる事は良くありますが
譜代家臣にそう言う事をして松平姓となった例はありますか?
0703日本@名無史さん
垢版 |
2019/09/07(土) 20:44:48.50
譜代で一族のものを養子に入れたと言うと保科家? たしか家光の弟(庶弟)が養子に入ってたような気が
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