>>610,612
浄土真宗が始まった頃の仏教界には世襲という概念はなくて、法門の継承は血統ではなく師匠から弟子というのが基本だった。
だから当初の浄土真宗では親鸞の後継者は子孫ではなく弟子であり、当初の浄土真宗の本流は高田派だったと思われる。

本願寺の原型は親鸞の墓所を祀る大谷廟堂で、当初は寺院という形態ではなかった模様。

大谷廟堂を寺院として確立させた覚如が親鸞を初代、如信を2代目として本願寺の門流を作り上げたことではじまってるが、氏がどのような考えから代を数えたのかはよく分からない。