バカ殿様のイメージを真面目に考察すると桶狭間の戦いで信長に殺された今川義元が京文化に
ズッポリ染まって白粉にお歯黒の能無しとしてイメージされてきたのがそのまま反映されたものと思う。
近年は義元が能無しで敗れるべくして敗れたのではなく、たまたま運が悪くて頓死したとみなされているので
今川義元がバカ殿と思うのは間違いだがな。義元の息子氏真も父の仇を取ることもなく蹴鞠ばかりで
家を滅ぼしたからバカ殿といえばバカ殿だな。ついでに思い出したけど中国地方の大大名大内義隆も
前半生は名君だったが尼子氏との決戦に敗れて養嗣子晴持を失ってからは文弱して「束帯姿で牛車に
乗るなど貴族趣味を持っていたと言われる。」ということなので白粉も塗ってたかもしれない。結局義隆は
家臣の陶晴賢のクーデターで殺された。