●倭の五王系の支配体制
河内王朝→(支配)→筑紫→(支配)→任那

●九州勢力の独立
倭の五王系(河内)が衰退または滅亡

九州勢力が独立
倭王(筑紫王)を名乗り独自の元号を立てる(九州年号)

筑紫王→(支配)→任那

●継体の任那奪還と筑紫討伐
百済と組んで任那奪還→分け前として百済に四県割譲
磐井の乱でさらに筑紫王を叩く→博多湾利権を奪還

●筑紫王朝の滅亡と任那亡命政府
筑紫王は継体以後の河内王朝に国造として組み込まれる
独立にこだわった筑紫王残党が朝鮮半島に逃げる→朝鮮半島南部に前方後円墳を作る
筑紫王配下の将軍は河内王朝に帰順(蘇我氏)

●大化の改新と白村江
6世紀から続く混乱で筑紫勢力や任那勢力、百済勢力が次々と畿内に合流
宗教戦争も含めて収拾がつかなくなる
→百済出身で百済にコネクションの強い中大兄皇子が、筑紫将軍出身の蘇我氏を討伐
(百済派、筑紫派の争い)
白村江に進む

●敗戦とスケープゴートとしての筑紫王、そして壬申の乱
白村江に敗戦→元筑紫王に戦争責任を被せて畿内政権は責任逃れ
さらなる百済残党の畿内合流
皇位継承権者の乱立
天智派は「日本」と名乗り旧倭国と対立